小さい頃って
たまに亜紀は僕にこんな質問をする。
「涼って、どんな小学生だったの?こっちに引っ越してくる前。」
僕は転校生だった。小学校の高学年に上がるときに父親の地元であるこの町に引っ越してきた。そのことで両親は少し僕に対して申し訳ないという気持ちがあるらしいが、僕は別になんとも思っていない。むしろ、気にする必要はないといつも言っていた。
亜紀のこの質問は僕をとても困らせた。写真を見せてとせがまれたことがあったが、写真は一枚もない。あることをきっかけに、僕が全て捨ててしまったのだ。
「どんなって・・・今とそんなに変わらないと思うけど?まぁ、小さかったからうるさかったりしただろうけど。でも、顔は変わらないって親は言ってるよ。」
実は、僕もよくわかっていない。小さいときの僕なんて自分で思い出せなかった。だから、亜紀のこの質問が出たときはかならずこう言ってごまかしている。
「今と変わらないって、そんなにひねくれた小学生みたことないよ。」
亜紀は笑う。そして、それ以上は聞いてこない。
本当のことを言うと、僕は本当に小さい頃の自分を覚えていなかった。引っ越してきたばかりのときはそうでもなかったのだが、僕は小学年生のときに事故にあった。幸い命にかかわるほどの事故ではなかったが、前後の記憶があいまいになりしばらくはうまく話すことができなくなっていた。そのときの医者の話では、事故による強い衝撃で少し脳がビックリしたのでしょう。検査をしても以上は見られないので、これから徐々に回復すると説明してくれた。今考えて見ると、小学生でもわかりやすいように言葉を選んでくれたのだろう。
それから無事退院したとき、前の学校の友達が電話をかけてきてくれた。ただ、僕はうまくしゃべれないし記憶があいまいだったため会話が続かなかった。そのとき相手が言った一言に僕は取り乱したらしい。受話器を投げつけ、自分の部屋をめちゃくちゃにしてしまった挙句、意識を失った。
それを見て母親は息子が死んだのだと勘違いをしたらしい。運ばれた病院で先生と口論があったと、何年かあとに笑い話として聞いた。本当がどうかわからないが、それ以降僕は昔を思い出すことができなかったし、思い出そうとする気にもなれなかった。おそれと前後して僕は昔の写真を全て捨ててしまった。
つまり、今の僕には小学校高学年からの思い出しかない。少しつらいのは、僕が引っ越してくる前の話でみんなが盛り上がっているとき、僕は何も話すことがないってことだ。その時はだまってその会話が終わるのを待つしかない。そんな時僕は少し孤独を感じてしまう。自分はそのとき存在していなかったと同じなのだと悲観的になってしまうのだ。
まぁ、亜紀に言わせるとただの悲劇のヒーロー気取りということらしい。昔つい僕がそう考えていることをもらしたことがあるのだが、亜紀はそういって笑った。もちろんそれはただの嘲笑でないことは僕にもわかった。亜紀のこういう上手な笑い方が僕は好きだった。亜紀はいろいろな笑い方を知っている。楽しいときに笑い、悲しいときにもめげずに笑ってくれる。僕が何度か彼女を泣かせたときも彼女は笑いながら泣いた。僕は彼女の笑顔に何度救われたかわからない。中学・高校・大学と、付き合い方はかわったが彼女の笑顔の素晴らしさは少しもかわらない。