青春
冷たい雨が僕の顔に降り注いでいた。
体が妙に冷たく、硬いものに触れていた。
僕は急がなくてはいけない。
…約束を果たすために…。
取り留めて何も特徴がない町、その一言ですんでしまうような、本当に何もない町で僕は育った。ひとつだけ自慢できることは、海が近いこと。おかげでテレビのニュースみたいに渋滞の中、車の中で貴重な時間を費やすことなく思い切り海で青春できるという点だ。そんな事が僕にはとても大切で僕はこの町が好きだった。
「いつもがんばってるね」
声をかけてきたのは、陸上部の亜紀だった。どの学校でも見られるであろう放課後の部活動。その中の些細な会話が僕たちの始まりだった。
「声が大きいからね。本人は適当に合わせてるつもりなんだけど・・・。周りの人にはいいアピールになるみたいで、先生にまで勘違いされた結果、レギュラーに大抜擢。こんな決まり方でいいのかな。」
僕は蛇口から顔を上げて自嘲気味に答えた。
「そうかしら?もしそうなら私もだまされてるのね。私も今度の大会にかけて猛練習してるけど、どうやら今回も無理みたい。」
「変なものだよな。声がでかいってだけで試合に出られるのに、一生懸命練習しても選手に選ばれないなんて、世の中平等ではないよな。」
「・・・そうかもしれないね。 いけない、先生がこっち見てる。戻らないと。まだ諦めるわけにはいかないんだ。」
そういうと彼女はトラックに戻っていった。彼女は陸上部。短距離走の選手であった。特別な会話ではなかったのだが、それからお互いがお互いをなんとなく気にし始めたのだろう。教室で、廊下で、グラウンドで会えば一言二言他愛もない会話を交わしたことが僕たちの始まりだった。それから付き合い始めるまでにそんなに時間はかからなかった。
亜紀は良く笑う子だった。
思いつく顔といえば、まず笑顔を思い出す。本当に些細なことで笑うので、一度真剣に聞いてしまったことがあったが、やはりそのときも笑われてしまった。
その笑顔を見るたびに僕はとても嬉しかった。
・・・・・・・・・どこか懐かしいような、新鮮なような。
僕が地元の大学に進学したころ、ようやくこの町にもビデオレンタルショップができた。映画が好きだった僕はそれまで、映画館のある町まで電車で通わなくてはいけなかったからとてもうれしかった。
もちろん、レンタルなので、どうしても早く見たい作品がある場合は変わらず町まで見に行かなくてはいけなかったけど。
「いつまでながめてるの?」
少し考えていたら声が聞こえた。
「わかってるよ。今これにしようか考えてたんじゃないか。」
僕は、少しだるそうに立ち上がる。
「せっかくなんだから、面白いもの見たほうがいいだろ?」
「はいはいそうね、私が映画好きなら喜んでるところだけどね。」
亜紀はいい加減に飽きてきたみたいだった。そもそも今日は会う予定ではないのになんて自分勝手なやつだ。
「いつも思ってたんだけど、何でお店に来てから悩むわけ?借りたいものがあるならすぐすむことじゃない?」
「別にこれを見なくては気がすまないって作品を借りに来てるのではないから…」
僕は言いかけて途中でやめてしまった。そもそも僕は話すのが得意ではないし、別に話す必要もないことは特別話したりはしないような性格だから。
「?見たいものがあるわけではないのにわざわざお店に来るわけ?せっかくこうして久しぶりに会いに来たのに、そんな大事な用事につき合わせてくれてありがとうございます。」
彼女のそんな皮肉を、聞こえていないふりをしてレジへ向かう。
僕が映画を好きなのは、別に俳優の誰が好きとかではないのだから、何を見たいというのはそんなに思わない。アクションものやラブロマンス、パロディーでも何でも良いのだ。大切なことはそんなことではなく、その映画は何を伝えてくれるのかということだ。
僕はあるときからとても自分の意思を伝達するのが苦手になってしまった。そのおかげで何かとトラブルを引き起こしたりしてしまう。彼女との生活の中でもたびたび僕はそのせいでいやな思いをさせているみたいだ。
だから僕はいつのころからか、時間があれば映画を見たり本を読んだりするようになった。他人の作ったものに触れれば、少しはこんな性格も変わるのではないか、怒ったり笑ったり泣いたりするということを相手にストレートに伝えられるようになるのではないかという、とても根拠のない理由だけど。
店を出たらまぶしいぐらいの日差しだ。
「せっかくだから海でも行かない?」
その誘いを断る理由もないので海に向かった。海に入るにはまだ早いが、それでも夏を待ちきれない人がいるらしく、何人かの海水浴客がいて、みなこれから始まる夏を楽しみにしているようであった。
夕立が来るかな。
確かにいい天気だけど、海の向こうに少し濃い感じの入道雲が見える。夏の空の青と海の深い青を背景に見るとその入道雲まで綺麗に感じる。
いつのころからか、雨が好きだった。理由があるのかどうかわからない。雨が降るだけで何かを期待してしまう。期待してしまう?
僕は夢を見る。人間なら誰しも夢を見るだろう。レム睡眠とノンレム睡眠が繰り返される限りは、誰もが夢を見る。夢を見ないといっている人は残念ながら忘れてしまっているだけなのだと何かの本で読んだことがある。
その夢がとても僕には不思議なものなのだ。あれは何歳ぐらいだろう?小学生なのは間違いなかった。
見たこともない学校の校庭で、見たこともない人たちと一緒に遊んでいる。見たことがない?記憶にない?どちらにしろ、そこがどこで、一緒にいるのは誰なのかわかるはずもなかった。
夢の話を続けよう。
その夢は、大筋はほぼ決まっていた。どの遊具を使ってどのように遊ぶなどは日によって違ったが、結局行き着く先は二通りしかなかった。二通りといっても本当はそれぞれがつながっているのかもしれないが、残念ながらそれがひとつの物語となっていた夢を見たことがない。・・・いや、覚えていない。
昼間から遊んでいた僕たちは、いつの間にか夜を迎える。そこでみな帰るわけでなく場所を移動するとそこでは盛大に祭りが行われている。すずめの涙ほどのお金をみんなで持ち寄り、売店で何を買うか吟味する。わたあめ、りんご飴、焼きそばなどなど。(型抜きはみなでできないという理由で却下されてしまうのがちょっと悲しい。)
最後の最後でみなの意見が一致するのは花火だった。少ない花火をみんなで分け合い、線香花火が余ってしまう。僕はみんなが帰った後、それに一人で火をつける。いつの間にか周りの音がなくなり、線香花火の小さく、でも確かな音が僕の耳に聞こえる。
そこで目が覚める。
もちろん、毎晩その夢を見るわけではないが、頻度的には間違いなくダントツで飛びぬけていると思う。夢占いなど興味のない僕は、あまり気にすることはなかったがそれでもときどきはその意味についていろいろ考えるときもあった。
「やっぱり海はいいよね。青春て感じがする。」
亜紀は波打ち際に座りながら言った。
「ほら?高校生のときは私達、部活で青春をつぶしたじゃない?今更だけどこういうのって青春て感じがする。あんなに日差しが憎くて毎日ふらふらしながら練習していたときは夏なんて大嫌いだったのに、今はこうしていると夏って本当にいい季節だなって思うんだ。」
「まだちょっと美白にはなりきれていないけどね。」
僕はボソッとつぶやいたが、彼女は気にしていないみたいだった。波に消されないように何か数字を一生懸命書いているが、波打ち際なのでどうしても消されてしまうみたいだった。高校生の頃はショートカットで色黒だった亜紀だが、引退をしたときに決意したらしく髪の毛を伸ばしていた。今では両肩に届きそうだ。僕は亜紀のその真っ黒で艶やかな髪が大好きだったし、彼女もそれを知っていてパーマをかけたり染めたりってことはしなかった。恐らく、高校の同級生が今彼女を見てもなかなか誰なのか判別しないのではないか?と思う。もちろん中身はまだまだあの頃と同じで、活発で言いたい事をついもらしてしまうままだが。
僕と亜紀が付き合うようになったのは、高校生のときの僕の最後の大会の後だった。残念ながら地域で最弱のチームはやはり最後の試合でもあっけなく負けてしまった。後半、奇跡的に相手ゴール前の混戦で僕が蹴ったボールが得点になったが、スコアは1-3。高校三年間で公式戦で勝利を飾ることはなかった。そんな試合を彼女は見ていたらしい。最後の先生の話を聞いたあとにその場で泣き崩れていたときの話を今でも亜紀は僕にする。いい加減忘れてほしいがきっと、彼女はまだまだ僕を苛めるときにはこの話題を持ち出すだろう。
そんな僕を見て、今まで同級生という視点だったものがいきなり恋愛対象になったらしい。そこからは積極的な亜紀のペースで物事は進んでいった。もちろん、僕の彼女に対する気持ちは実はもっと前から密かに魅かれていたのでそれを断る理由なんてなかった。それからは公認の二人となり、何をするにも一緒だった。もちろんこれからも一緒のはずだろう。