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3 別れと命名

「おやすみ、レーシア」

「おやすみなさい、シスター」


 お休みの挨拶のあと、私はミーちゃんを撫でてから二階へと向かった。シスターから借りている植物図鑑や魔法生物の図鑑を少し読んでからうとうととベッドに入り込む。この図鑑はシスターの手書きで作られたもので説明文が少し面白いのだ。

『ウェアウルフ、ヴォルフは少し捻くれ者だけど誠実で優しい子。虫から人間まで好きな生物に変われるけれど、大好物を前にすると尻尾が出てしまうのが特徴』

『マジカルボブキャット。幸運を呼ぶと言われている不思議な猫ちゃん。長寿で不思議と毛が抜けない。マジカルボブキャットが稀に落とす髭はその色によって訪れる幸運の種類がわかるとか。金ならお金、白なら健康、ほのかに赤ければ恋愛』


 図鑑を閉じて本棚にしまい、私は横になった。いつかミーちゃんと一緒に眠れたらいいな。ふわふわでおひさまのにおいのするミーちゃんと一緒に眠れたらどれだけ幸せなんだろう? 残念ながらフレイユ家は動物を飼っていなかったから子供の頃は農家の家の子が羨ましかったっけ。


私は幼い頃のことを思い出しながら眠りについた。



 教会の朝は早い。日が登る頃には目を覚ますのに慣れてしまった私は自然に……ではなくミーちゃんに頬をペシペシと叩かれて起こされた。窓の外は薄暗く、いつもよりも少し早いような気がした。


「あら、ミーちゃん。おはよう」

「ぎゃ、ぎゃぉ」


 ミーちゃんは悲しそうに俯くと私を一階に誘導するように歩き出す。私は違和感を覚えながらも階段を降り、すぐにミーちゃんのご飯を用意した。けれど、ミーちゃんは食べることはせず、シスターの眠るベッドの前にちょこんと座った。


「ミーちゃん、シスターはまだ眠っているのよ。今日は少し早いのだから……えっ」


 私はシスターを見て絶句した。穏やかに眠っている顔は土気色に変わっており息をしていなかったのだ。腹の上で組まれた手に触れてみるとひんやりと冷たい。

 私は死の現実が受け入れられず、彼女に声をかける。


「シスター、今日は何を食べますか? そうだ、シスターが作っているパン種の様子が良いから美味しいパンがやけそうですよ」


いつもなら優しく体を起こして微笑んでくれるシスターはぴくりとも動かない。声をかけても揺さぶっても彼女は私の声には答えなかった。

 私は彼女のそばで呆然と立ち尽くし、何もできなかった。この教会での穏やかな暮らしがずっと続くと思っていた。友人の裏切りで居場所も地位も失った何もない私を受け入れて優しく包み込んでくれたシスターがこの世を去ってしまったのだ。このあとどうすればいいのだろう? どうして女神様は私から全てを奪ってしまうのだろう。


 跪いて、シスターの冷たい手に触れて私は泣いた。どうせ森には誰もないのだ、子供のように声を上げて泣いた。


「おばあちゃん、行かないで。私を一人ぼっちにしないで。いやだ、死なないで」


 そうしてどれくらい泣いただろうか。日が完全に顔を出し部屋の中も温かくなった。私は小屋の外を歩く足音に気がついて緊張する。教会のお客さんなら今日は断ろう。こんな日なのだから。


「邪魔するぞ」


 勝手にドアを開けて入ってきたのは若い男だった。黒銀の髪に薄い青の瞳は冷たい印象を受け、私はビクッと身を震わせた。


「どなた……? 今はこんな状況なのです。お帰りください」

「はぁ、シスターを迎えにきたんだよ。お嬢さん」

「え?」

「昨日、挨拶をしにきてくれたじゃないか。我はヴォルフ。リンカに言われ君を怖がらせない若い男にしたのだが。逆効果だったかな」

「ヴォルフ、どうして?」


 私は男がヴォルフだったと理解して腰を抜かす。一人ぼっちの怖さを思い知った。彼は悲しそうに眉を下げ、それからシスターに敬意を表すように礼をした。


「昨日、彼女から死の匂いが漂っていた。彼女はもう長くなかったんだ。だから森の番人である我に君を紹介しにきたんだ。それから、このヴォルフに最後の挨拶にもな」

「そんな……」

「シスターはあのあと一人で村にいっただろう?」

「どうしてそれを?」

「おそらく、もう長くないことと新しいシスターが教会を管理することを伝えにいったのだろう」

「そうだけど……」

「我らの鼻をあなどるなよ。人間の死の匂いくらいその時間さえ正確に把握できる。だからこうして迎えにきた」

「迎えに?」

「あぁ、シスターは数十年この森で暮らした。森の仲間だ。この女神の森ではこの世を去った者を森の掟に従って送り出す。さぁシスター、行こう。我ヴォルフが貴女を送ろう」


 ヴォルフは毛布に包んだシスターを抱き上げるとゆっくりと歩き出す。


「君もおいで、お嬢さん。この森で暮らすなら知っておいた方がいい」

「わかったわ」

「それと……もしよければそこにあるパンを一つ包んでくれないか。リンカはかなり落ち込んでいてね。君からの贈り物なら口にしてくれるかもしれないから」


 私はパンを大きな葉で包みバッグの中に入れた。それからすぐにヴォルフのあとを追う。森の中、どこか悲しみに包まれているような気がして私は憂鬱とした気分になる。いつもなら楽しげな小鳥たちも今日は静かで木漏れ日すら暖かさがないように感じる。


「シスター・ヴァイオレットはこの森に愛された人だった。彼女がここにきたのはそうだな、五十年ほど前か。彼女は主のいないあの教会を何日もかけて立て直した。我ら森の者たちはそれを見守り、警戒した。うら若き乙女が不思議な道具を持って教会を叩いているのだから。けれど、彼女はあの女神像を磨き輝きを取り戻し、見事に教会を復興して見せた」

「シスターはなんでもできる人だったのね」

「いいや、最初は失敗続きだったさ。そうだな、彼女が噛みつきキノコ群に尻を攻撃されて逃げ回っているのを見たのが我との出会いだったかな」

「噛みつきキノコ群?」

「あぁ。我が助けてやらねば彼女は毒で死んでいただろう。我は、彼女にこの森から出ていくように言ったが彼女はパンと引き換えにしばらくは住まわせてほしいと。まぁ、あの美味しいパンがあれば許してやらんことはなかった」


 ヴォルフは優しい眼差しをシスターに落とし、穏やかに微笑みを浮かべる。


「次第に森の者たちは彼女に心を許すようになった。困ったときは彼女に助けを求める者もいた。いつしか、彼女は森の一員になった。人間である君がこの森に歓迎されているのはシスターのおかげだ。シスターの連れてきた人間だから、君は森に祝福されている。ただそれだけだ」

「シスターはとても素敵な人だわ」

「あぁ、人間の命が短いことを忘れてしまうほどにな。ただ案ずる必要はない。この森で死は旅立ちなのだ。女神様のいらっしゃる世界へ長い旅に出ただけのこと。この森を去るということは女神様にお呼ばれしただけなのだ。いつかはくるその旅立ちを君も恐れてはいけないよ。死はかわいそうなことなんかじゃない、恐ろしいことでもない。寿命の少ない人間はそれがわからない。あぁ、シスター君の最期の時が穏やかであったことを願っているよ」


 ヴォルフは力強く、それでも悲しげに話してくれた。別れの時を惜しんでいるのかそれとも私に合わせているのかゆっくり、ゆっくりと歩く。彼と出会った場所を超えてさらに森の深くに入ったところ、洞穴にたどり着いた。洞穴と言っても中には水が流れていて泳ぎながらでしか入ることはできない場所。

 ヴォルフによれば中は大きな川が流れていて、その川は地下を流れ、いずれは大海に繋がっているという。


「アナタ、準備はできているわ」


 洞穴の入り口に立っていたのはリンカだ。彼女の足元には大きな葉で編まれた船。その船の上にヴォルフがゆっくりとシスターを寝かせる。

「リンカ、お嬢さん。シスターに旅立ちの挨拶を」


 ヴォルフは今にも流れ出しそうな船を押さえながらいう。リンカはそっとシスターに


「シスター。いってらっしゃい。貴女といた時間は短いけれどとても素敵なものだったわ。パンにチーズ、シチュー。貴女が教えてくれたものよ。人間にも優しい人がいるんだって。貴女に頭を撫でられた時私本当に幸せだったの。いつか、きっとずっと先になるでしょうけど、私が女神様の元へ行くことになったら待っていてね。また一緒に駆け回って遊びましょうね。そしたらきっと私のふわふわの尻尾やお耳を触らせてあげるから、だから……だから待っていてね約束よ」


 リンカがぶわっと泣き出してヴォルフも唇を噛み締める。私は彼の合図でそっとシスターに声をかける。


「シスター……。全てを無くした私を、受け入れてくれて優しくしてくれて……ありがとう」


 絞り出すように言って、涙を拭った。ふと顔を上げるとそこには数々の魔法生物たちが集まっていた。みな、鳴き声をあげたり足を踏み鳴らしたり悲しみをシスターへの感謝を表しているようだった。


「さぁ、時間だ」


 ヴォルフが葉の船から手を離した。シスターを乗せた船はゆっくりゆっくりと洞穴の中へと消えていく。森の中に悲しみが伝わり、もうシスターはいないのだと嫌でも実感させられる。


——私はまた一人になってしまったのだ。


 しばらく泣いたあと、ヴォルフに送ってもらって教会にたどり着いた。


「ヴォルフ、ありがとう」

「いいや、君の事情は知らないが……その、何かあれば我かリンカを頼ってくれ。それから、もしも君に助けを求めるものがいたら手を貸してやってほしい」

「えぇ、ありがとうヴォルフ。シスターを送ってくれて」

「いいんだ。いつかこの時が来ることはわかってはいたんだが。別れというのは辛いものだ。長く生き何度も経験しているというのに。お嬢さん、ところで名前は決まったかな」

「名前……?」

「この森で暮らす人間は花の名前を名乗るのだが……。この教会を遥か昔に建てた人が決めたことでね。うら若きシスターにも我が伝えたのさ」

「それでヴァイオレット……」


 花の名前、と言われて一つだけピンと来るものがあった。私は急いで植物図鑑を引っ張り出すとそのページを開いた。


——鈴蘭、素敵な花よ。そうね、私も大好きな花。小さく白くて可愛いらしいけれど強くて美しい


「鈴蘭か。シスターミュゲ。はじめまして。我らが教会の新しいシスター、君を認めよう」


 ヴォルフがそう言ってゆっくりと瞬きをし、姿を黒銀の狼に変えた。薄い青の瞳はじっと私を見つめている。


「はじめまして、森の番人ヴォルフ。私は今日からシスターミュゲ。この教会を守るシスターよ。ご挨拶を」


 そっと手を差し出せばヴォルフは鼻で手のひらを突き、それからそっと頬擦りをする。狼のふわふわした毛の感覚を感じながらそっと指先を動かした。しばらく彼を撫でたあと、私はドアを開けて彼を帰しシスターのいない部屋と向き合った。


 一人で生きることに向き合わなければいけない。私はこの森のシスターとして彼女から受け取ったものや守っていくものがたくさんあるのだ。悲しんでいる暇なんてないのだ。


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