2 魔法生物と素敵な森の暮らし
森での暮らしは私にとても合っている。朝、太陽が昇る頃にミーちゃんに起こされて私たちは目覚める。まずは教会前の掃除と教会の裏庭で育てた野菜の収穫をシスターと手分けして行う。
女神像にふりかかった木の葉や虫を優しく落とし、それから教会内の掃除をする。その間、もう片方は朝食の準備。
「シスター、今日はどちらに?」
「そうね、今日はレーシアに紹介したい魔法生物のお友達がいるのよ。ご挨拶にいきましょうか。午後は私が村に行くから教会のでお留守番をしていてくれるかい?」
「えぇ、シスター」
「レーシア、貴女はとても綺麗な心を持っているわね。数日貴女と過ごしてみてわかったわ。よかった、女神様のお導きね」
「シスター? どうかしたのですか?」
「いいえ、変なことを言ってごめんなさいね。貴女はここへ来ることは本望じゃなかったのにね。おばあちゃんを許してね」
「シスター?」
「さ、食べ終わったら準備をしましょうね」
私は少しだけ不安になった。シスターはまるでこの教会と森を去ってしまうかのような言い方だったから。彼女は私にとって唯一の味方で理解者だ。まさか、そんなことないよね……?
朝食ののち、私たちは森の奥へと足を踏み入れた。虹色の尾を持つ虹色歌鳥が美しい声で歌い、足元にはふわふわウサギたちが飛び跳ねる。動物たちは私を不思議そうにみたり匂いを嗅いだり……敵意がないことがわかると頬を擦り寄せてくれたり……。
「くすぐったいわ」
肩に乗った虹色歌鳥に耳を甘噛みされて笑っていると、シスターが振り返って優しく微笑んだ。
「この子たちが助けを求めてくることもあってね。いずれはレーシアも彼らを助ける手立てを覚えておきましょうね」
「助け?」
「えぇ、例えばミーちゃんはもともと子猫の時に木の上から降りられなくなったところをずっと昔、この教会を建てたシスターが助けたことでそれから数百年、あの教会の守護者として居着いてくれているの」
「そうだったの……」
「古い日記に書いてあったことだから、本当かはわからないけれどね。私たちはこの森の植物を少しばかりいただく代わりにそうして森の手助けをして共生をする。貴女もいずれわかるわ」
「はい、シスター」
可愛い鳥を指先に乗せ、軽く頭を撫でてやれば気持ちよさそうに目を閉じて、それから飛んでいってしまう。虹色の尾を輝かせまるでレーシアを祝福するような歌だった。
「綺麗……」
虹色歌鳥の後を追って辿り着いたのは光が降り注ぐ小さな池だった。その奥には一匹の黒い狼。シスターは池のほとりに持ってきていたパンを置くと静かに言った。
「ヴォルフ、久しぶりね。今日は新しい私のお友達を紹介しにきたのよ。どうか、姿を見せてちょうだい」
オオカミの青い瞳がこちらをみた。私は吸い込まれそうになったが、黒いオオカミにそっと礼をする。すると、オオカミは立ち上がり奥へと消えていった。しばらくすると、太く低い声が池に響く。
「シスターヴァイオレット。我が友人よ」
「ヴォルフ。私の愛しい友人。森の番人よ。新しい友人が挨拶に来たのよ」
「人間。名前はなんという」
「レーシア……と言います」
「おかしな名前だ。この土地の人間には麗しい花の名前が与えられるはず」
ザッザッと足音が聞こえ、森の奥から顔を出したのは黒銀の髪の男だった。壮年で顔に深い傷を持っている。布を巻きつけただけのような格好で体中に傷跡がある。
「ヴォルフや、ありがとう」
「シスター。お主もう……」
シスターヴァイオレットはヴォルフを遮るように言葉を被せる。
「ヴォルフや、まだこの子は幼い。名前もない、あなたにもわかるはず。彼女には特別なものがあると。レーシア、この方はこの森の番人。ヴォルフよ」
「はじめまして、ヴォルフさん」
「この森を守り、女神様に仕える我ヴォルフ。お嬢さん、美しい瞳の色だな。我が狼族にもいない色だ」
「あ、ありがとうございます」
「だが……まだ信頼ができぬ。我ら狼はお主をいつでも見張っておる。少しでも森に危害を加えれば噛み殺す。みろ、この傷はすべて人との争いでできたものだ」
「アナタ、あんまりお嬢さんを怖がらせてはダメよ」
ポカンとヴォルフの後頭部を叩いたのは美しい女性だった。彼女もまた黒銀の髪に布を巻きつけただけのような服。ヴォルフと少し違うのは彼女には傷ひとつなく、表情が柔らかなことだ。
「おやおや、珍しい。リンカ、こんにちは」
「シスター、こんにちは」
リンカと呼ばれた女性は、不機嫌そうなヴォルフの頬をつねるとにっこりと笑ってシスターに挨拶をした。それから私の方に近寄ってくると手を握りクンクンと匂いを嗅ぐ。
「愛されて育ったのね。お花と、お香と美味しい食べ物の匂い。あら、けれど涙の匂い。ごめんなさい、私はリンカ。森の番人を務めるヴォルフの妻よ。ごめんなさいね、夫はすぐにああやって誰でも怖がらせるの。でも気にしないでね、怖がらせているだけで危害を加えたりしないから。いや〜ね、怖い顔しちゃって」
「んなっ、リンカ……」
先ほどまで眉間に皺を寄せて怖い顔をしていたヴォルフが次第にしょんぼり顔になっていく。
「だってね、わざわざ怖がらせるためにそんなおじさんに変身しちゃってさ。ほーんと男ってやぁねぇ。私たちはウェアウルフ。好きな姿に変身できるのにね。ねぇ、お嬢さん。貴女のポケットに入っているパンを分けてくれない?」
ウェアウルフは魔法生物の中でもとても強力な魔力を持つ生き物だ。おとぎ話の中でも守り神として描かれることも多い。姿を自由に変え様々な種族の言語を話す。もちろん、戦いも得意でたった一匹のウェアウルフによって壊滅させれた部隊があるとかないとか。
「どうぞ」
ポケットに入れていたパンを包み紙から出してリンカに手渡すと彼女は嬉しそうに飛び跳ねた。その後ろではヴォルフが申し訳なさそうに眉を下げている。
「リンカ、初めて会う人間の食べ物を口にするなど……」
「このお嬢さんが悪い人間に見える? 愛されて育って、それから……きっと辛いことがあったのね。悲しい匂いが彼女を包んでしまっている。だから、彼女はこの森に、シスターのところに来た。そうでしょう? 女神の森はどんな動物も受け入れる。それを守るのが私たちの役割」
もしゃもしゃとパンを食べながらリンカはそう言って、私の肩を撫でた。じんわりと温かくなり、その優しさにまた涙が溢れそうになる。
「まぁ、我のことは気安くヴォルフと呼べばいい。だが、人間。少しでも森に危害を加えてみろ、その喉元を……」
「アナタ。それやめなさいってば」
「すまない。妻は君を気に入ったようだ。たまにはこうして会いに来てやってくれ」
「ほら、おっさんじゃなくていつもの姿に変わりなさいよ。カッコ悪い」
「はぁっ、人間の姿ならこれが渋くて格好いいというのに」
「ほんっと男って分かってないわよね。ごめんねぇ、お嬢さん」
こうして私にまた魔法生物の友人ができた。シスターはウェアウルフたちと打ち解けた私をみてほっとしたように笑う。私はその微笑みに悲しい不安を覚えながら教会に戻ることになった。
午後は一人で教会の番をしながらシスターを待った。女神様の像を綺麗に拭いたり、床を隅々まで磨いたりして時間を潰したが、森の奥の教会へ訪問に来る人間は一人もいない。静かな時間が過ぎていく。
「そういえば、シスターネームは花の名前っておっしゃっていたっけ」
私は住居スペースの方の本棚に向かい、花の図鑑を取り出した。教会に戻って長椅子に座り図鑑を開いた。魔法植物から通常の植物までたくさんの草花が描かれている。薔薇だけでも何種類もあり、その効能や花言葉なんかを読んでいると時間がどんどんと進んでいってしまう。
「ミャオ」
ミーちゃんが私の膝に顎を乗せて横になった。いつものパトロールを終えたのだろう、寝息を立て始めた。ミーちゃんが触れている太ももからじんわりと温かくなって私も眠気に襲われる。
「レーシア、今日はたくさん頑張ったね」
「シスター、お戻りだったのですね。私ったら……」
「いいのよ。今日は緊張したでしょう。あら、図鑑を?」
「はい。シスターネームをと思ってみていたら……ミーちゃんと一緒に居眠りをしてしまって」
「鈴蘭、素敵な花よ。そうね、私も大好きな花。小さく白くて可愛いらしいけれど強くて美しい。爽やかで甘い香りと風に揺れれば少女のように可愛らしく揺れて……。あら、おばあちゃん話し過ぎてしまったわね。これ、これをとりにいっていたのよ」
シスターヴァイオレットは布袋の中から修道女服を取り出した。美しい藍色に染め上げられたそれはちょうど私の背丈と同じくらい。
「魔法の糸を紡いで作った特注品よ。ささ、おばあちゃんに着て見せておくれ」
「ありがとう、シスター」
私は修道女服を受け取ってさっと羽織った。髪を全てフードの中にしまってそれからスカートを整える。シスターは嬉しそうに私を眺めると
「よく似合っているわ。今晩ゆっくりシスターネームを考えればいいわ。さ、荷物を運ぶのを手伝って。村で必要なものを買ってきたからね」
パンを焼くための小麦粉、バター。それから加工されたお肉。
「シスターこれって」
「私は魔法植物を使って魔法薬を作っていてね。それと交換でこうして一人では加工できない食品を貰うんだよ。大丈夫、レーシアもすぐにできるようになるからね。そうだ、魔法釜のそばにレシピ本からあるから時間があるときにゆっくりと読んでおいで」
私はシスターから荷物を受け取り、ベーコンを欲しがるミーちゃんをいなしながら住居スペースへと向かった。
(シスター、まるでお別れが近いみたいなことをどうしていうのでしょう?)
「レーシア、どうしたんだい?」
「いいえ、シスター。今日はお料理も手伝わせてくださいな」
「おやおや、嬉しいねぇ。ミーちゃんの大好物も貰ってきたからね。みんなでゆっくりしようね」
ミーちゃんが嬉しそうに鳴いた。シスターヴァイオレットとの暖かい二人での生活。私はやっとそれに慣れてきた。ここへきて数週間、貴族としての暮らしを忘れつつある。森の中の友人も増え、穏やかなこの暮らしがずっと続いてほしいと願うのだった。