プロローグ
魔法と愛の国フォードムーン王国。その国の子爵令嬢として生まれた私は今夜、社交界デビューを果たす。レーシア・フレイユ。フレイユ子爵家はスペリントン公爵家の下で領地を任された小さな貴族家で私はその一人娘である。優しい両親と親切で穏やかな領民たちに囲まれ、質素ではあるけれど幸せに過ごしてきた。
今夜の社交界デビューも領民たちみなが喜んでくれている。
「さぁ、レーシア。とても素敵なドレスだね」
「とても素敵よ。お母さんの誇りだわ」
私が身につけているのは真紅のドレス。珍しい赤い瞳をもつ私のためにスペリントン公爵令嬢で懇意にしているエヴリン様から提案されたものだ。
スペリントン公爵家は広い領地を持っていて、歴代の御令嬢の何人かは王族へ嫁いでいるくらい地位の高い貴族である。そのスペリントン公爵家に使える子爵家のうちの一つ、我がフレイユ家。明確な上下関係があるにもかかわらず、エヴリン様は私が同じ歳ということはまるで親友のように仲良くしてくださっている。
「そうだ、レーシア。社交界でのルールをもう一度おさらいしてごらん」
お父様に言われて私は指を降りつつ答えていく。
「指輪をしてるご令息様とはダンスをしないこと。誘われても一度はお断りすること。王族の女性とは同じ色のドレスを着ないこと」
一八歳になったご令嬢。ご令息は王族の主催するパーティーへと出席するしきたりになっている。このパーティーが貴族として社交界デビューとなるのだが三つのルールが存在する。一つは、婚約中の男性・女性とダンスをしないこと。二つ目は淑女としてすぐには男性の誘いに乗らないこと。そして最後、社交界デビューを祝いにきてくださる王族の女性と同じ色のドレスを着ないことだ。この三つ目が一番重要。社交界にデビューすることは大人の一員として認められることである。常に王族を敬い、彼らへの尊敬の念を持つことが求められるのだ。ましてや、王族の女性と同じ色のドレスを着るというのは大変な失礼に値する行為。
「大丈夫、エヴリン様からしっかりと今回ご参加されるヘレン様のドレスのお色はスカイブルーだとお聞きしておりますわ。あぁ、もうこんな時間。いってきます」
私は急いで迎えの馬車に乗った。パーティー会場まであと少し。まだ婚約者のいない私にとっては全てが夢のように待ち遠しい。といっても子爵家の一人娘である以上、両親かスペリントン公爵家が見繕った殿方を婿に迎えることになる。それが決まるまでの間、少しばかり夢を見られる時間なのだ。
私には身分違いではあるものの憧れている男性がいる。グレイブ・パルヴァー、パルヴァー公爵家の次男で何度かお会いしたことがある。魔法生物好き同士としてとても話が合い、憧れであり密かに思いを抱いている人でもある。
もちろん、彼は公爵で私は子爵令嬢。絶対に結ばれないことはわかっているが、一度くらい彼にドレスを着た姿を褒めてもらいたい。そのくらいは望んでもいいのではないかと思う。
「ご到着でございます。フレイユ子爵令嬢様」
「ありがとう」
私は会場に着くと手続きを済ませてエヴリン様を探した。手続きの王族執事の方々やすでに会場で準備をされていた同じ歳の子たちからなんだか視線を感じたが、少しドレスを張り切りすぎてしまったので仕方ないと割り切って飲み物片手にエヴリン様を探す。
パーティー会場は王宮の大きなロビーを貸し切って行われ、豪華なシャンデリアがいくつも輝き、演奏隊や観賞用の絵画などまさに豪華絢爛。
行き交う御令嬢たちはみな美しいドレスと髪飾りで着飾り、愛しの婚約者を探す人や恋でもしているのか頬を赤く染めている人もいる。白、桃色、橙色。色とりどりのドレスが行き交う様はまるで花畑のようだった。
探しても探してもエヴリン様は見つからず不思議に思っていると、会場からは大きな歓声と演奏隊がドラムロールを流し、ロビー二階の王族席がライトアップされた。
「ヘレナ様のお言葉でございます」
ヘレナ・ムーンフォード様は第一王子と昨年ご結婚された王族である。生まれながらの王族ではないこともあって規律や礼儀に厳しくて有名なお方だ。彼女が立ち上がって、私は愕然とした。
美しいヘレナ様が着ていたのは私と同じ真紅のドレスだった。それを見て、明らかに周りの人たちが私からざっと離れる。
(どうして、ヘレナ様はスカイブルーのドレスだってエヴリン様は)
「不敬を働く其方はどこの家のものじゃ」
ヘレナ様の視線に私は氷漬けになったような感覚がして恐る恐る返答する。
「申し訳ございません……これは、その」
「名は?」
「レーシア・フレイユと申します」
ヘレナ様は後ろに立っていた執事らしき人に確認し、それからまた口を開いた。
「スペリントン公爵家の支配下の子爵家か。スペリントン公爵家のものは今すぐ出てくるのじゃ」
すぐにエヴリン様が私の前に姿を現した。彼女の隣にはグレイブ・パルヴァー公爵。エヴリン様は私の方をちらりと見ると、ほろほろと涙をこぼし始めた。
「ヘレナ様。私は公爵たちに共有されているヘレナ様のドレスの色が真紅であることを彼女に申し伝えておりました。ですが、彼女は『私の瞳の色に合わせたドレスを着たい』と言って……私は止めたのです。それでもどうしてもと」
「そんな……エヴリン様」
誤解を解こうと声を出した私に追い討ちをかけたのはグレイブ様だった。
「ヘレナ様。このパルヴァー公爵の名にかけてスペリントン公爵家令嬢のエヴリンには非がないと誓いましょう。僕もエヴリン嬢がレーシア嬢にドレスの色を伝える場面を目撃しております。その際、レーシア嬢が話を聞かなかったこともこうしてエヴリン嬢の地位を貶めようと王族様と同じ色のドレスを着たこともです」
私は目の前で繰り広げられる嘘八百の芝居に呆然とするばかりで動くことができなかった。周りにいた御令嬢・御令息たちは口々に私を噂し、罵り、馬鹿にした。私の内臓はひんやりと冷え、首元には脂汗が滲み出る。
「不敬ものをつまみ出せ。妾は不愉快じゃ。スペリントン公爵家のものは後ほどあの者の処分を考えておくように」
エヴリン様とグレイブ様がその場に平伏すような形で頭を下げた。私は「エヴリン様」と彼女の名を呼んだがその声が届く前に警護騎士の手によって王宮外に放り出されてしまった。土に汚れた真紅のドレス、やっとのことで乗せてくれる一般の馬車を見つけて自宅まで戻りこのことを両親に説明した。
「どうして……エヴリン様があんなこと」
「お前が聞き間違えてしまったんじゃないか?」
「いいえ、スカイブルーだと。それに、それに」
お父様とお母様は私を叱らずにそっと背中を撫でて話を聞いてくださった。
「その場にはいなかったパルヴァー公爵が……グレイブ様が言ったのです『僕は証人だ。その場を目撃した』と」
その言葉をきいた二人は顔を見合わせて何やら覚悟を決めた様子で私の手を握った。それから悲しそうに笑顔を作る。
「レーシア。これはきっと恐ろしいことが起こるに違いない。君はこの場所から遠く離れた森の中に行きなさい。山を一つ超えてその先に広がる魔法生物たちの住まう森を知っているね。そこに我々の親戚で今はシスターとなって教会を守る女性がいる。彼女のもとに身を寄せなさい」
「お父様、それは私に出家しろと……?」
「今は……そうかもしれない。レーシア、今夜には荷物をまとめてすぐに出発するんだ。母さん、馬車の準備を」
「えぇ、貴方。さぁ、レーシア。私たちの可愛いレーシア、お父さんの言うことを聞くの。あぁ、なんてこと」
両親が下した決断に私は絶望した。女神アリス様のご加護のもとに教会に入ること、つまり出家をする。それは女神に御心を捧げ、乙女としての終わりを意味する。私のような若い娘にとっては死ぬよりも辛い罰だとも言えるだろう。お父様とお母様はそれほどに今回のことについて重大なことだと判断したようだった。
私は家を出る準備をしてもらいながら頭の中ではぐるぐるとエヴリン様とグレイブ様のことを考えていた。エヴリン様は私の憧れで、誰よりも優しくて強いお方だった。公爵令嬢の立場でありながら、私にも平等に接してくれていたし誰よりも私の社交界デビューを喜んでくれていた。そんな彼女は……私を陥れたのだ。今でもありもしない嘘の場面を語りなき真似をする姿が浮かんでくる。
そして、グレイブ様までもが私を陥れるためにありもしない嘘をついて……。彼は魔法生物を愛する優しい青年だったのに、あの私を見る軽蔑するような冷たい視線が心を冷たく貫く。
(どうして、優しかったお二人がなんで……?)
「さぁ、レーシア。馬車の準備が整ったわ。すぐにここを出るの。バッグの中に地図と馬車の中に必要な荷物は積めたからね。あぁ、レーシア、きっときっと元気でね」
「お母様、お父様」
何もわからないまま別れのハグをしていると、玄関のベルがなった。そのまま、ドアが開くとコツコツとヒールの音が響き、私の背後をみる両親の顔色が変わった。
「スペリントン公爵令嬢様」
「こんばんは。ことの詳細はレーシア嬢から聞いたかしら。彼女が第一王子の奥様に不敬を働いたと。その処分を言い渡しにきたわ、お父様の言伝でね」
「そのことですが、娘は出家することになりました。それを鑑みて、もう一度考え直していただけないでしょうか?」
「出家……そう」
エヴリン様は美しい篝火のような赤毛をふわりとかきあげると緑色の瞳を細めた。彼女は細くて白い腕を私の肩に回しそっと抱き締める。
「グレイブ様を私から奪おうとしたからこうなったのよ。身の程知らずの女狐」
恐ろしく低く、聞いたこともない声で彼女は囁いた。それからエヴリンは私をそっと離すとお父様とお母様に向かって
「一人娘を出家させるというのはこのフレイユ家を途絶えさせるという判断。それは私のお父様も考えてはいなかったでしょう。もう一度検討して処分については追って伝えます。ヘレン様のお怒りは私と婚約者のグレイブ・パルヴァーがなんとか治めたけれど……彼女の動向次第で我がスペリントン公爵家にも影響が出る可能性があることをお忘れなく」
何が彼女に逆鱗に触れたのか私はやっとわかった気がした。私が密かに恋焦がれていたことを彼女は気がつき、身分違いである私に優位を見せつけたかったのだろう。彼女もまたグレイブ様を愛していたのだろう。
エヴリン様は私に向かって微笑んだ、けれどいつもの優しい笑顔ではなく侮蔑と嘲笑を含んだような笑顔だった。
「さようなら、いとしのレーシア」
「あぁ、きっと元気でね」
両親に別れを告げ、私は失意のまま馬車に乗った。車窓を眺めながらもうこの都には帰ってくることはないのだろうと思うとやっと涙が流れた。大切な両親も、尊敬していた友人も密かに恋焦がれていた人も、乙女としての幸せも全てこの一夜にして失ってしまったのだ。