見えない世界とゼロの世界
死ぬ人が分かる。
こんな事を言うと変人扱いだろう。
分かると言っても自分が目で見ている対象が30秒以内に死ぬ場合だけしか分からない。
もし助けられる可能性があれば君は誰を助けるだろうか?
見えない世界……俺の目にはその住人が見える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
見た事の無い場所を俺は空から見つめている。
太陽も月も無く真っ暗な空。
大勢の人が地面にひざまずき天へ祈っている。
何処からともなく声が響き渡る。
(降臨は完了した。祝福の日を待て……)
「おーい、ご飯できたってさ。早く起きないと遅刻するよ」
弟が俺を起こす。
(何だろう?夢を見てた気がするけど内容を覚えてないし目の辺りが重たい感じがするな、昨日ゲームやりすぎたか?)
朝食を食べて学校に行く。
いつもの日常だった。
俺は「尾綿 一生」県立島東高校の商業科で17歳の高校3年。
父親が店を経営していて何となくの流れで商業科がある島東を選んだ。
教室で自分の席に座って教科書を机に入れてからトイレに行く。
「朝から眠たそうだな、またゲームのやりすぎか?」
彼は「岡山 史孝」と言って2年からの友達で、お互いを「いっちゃん」「ふーみん」と呼ぶ仲だ。
「人をゲーム廃人みたいに言うなよ。正解だけどさ」
授業開始までゲームの話で盛り上がった。
今日は商業見学の日だ。
地元のお店の協力で仕事場やバックヤードなどを見学したり話せたりする。
真面目にやってる感じは出しながら結構息抜きになったりするし普段見られないところが見られるから楽しい。
ショッピングセンターの品出しなどを見学していると客の女性に黒い影が見える。
「あれ?なんかあの人の後ろに黒い物が見える。俺だけ?」
クラスメイト数人に聞いてみたが他の人には見えてないみたいだ。
最初は夜更かししたから目が疲れてダブって見えるのかな?と思ったけど真っ黒い影なんだよね。
それに女性と同じシルエットで重なったり離れたりしてたけど重なったからもう治ったかな?
乱視ってやつかな?学校終わったら一応眼科に行ってみようかな、心配だし。
ガラガラ……ドタン……キャー。
陳列していた品物が落ちたみたいな音がして悲鳴が聞こえた。
「お客様、大丈夫ですか?誰か救急車を呼んでください」
店員さんが慌てている。さっきの女性が突然倒れたようだった。
「全員、邪魔にならないように端に移動。店員さんに協力を求められたらお手伝いしなさい」
野次馬が群がってきた中でも店員さんが冷静に対処している。
救急車が到着して隊員さんが来た。
こんな事があったので流石に見学は中止になって学校に帰校する。
「さっき倒れた女の人って、いっちんが黒い物が見えるって言ってた人じゃないか?お前死神とか見えるの?」
ふーみんが冗談半分で言ってきたから否定したけどあの黒い物はなんだったんだろう。
学校から帰って眼科に行ったけど異常なしで疲れ目の目薬だけ処方された。
(あの時の女性が倒れたのは偶然だな)
俺は自分に言い聞かせていた。
不思議な夢を見た、それは初めて黒い影を見てから1週間が過ぎた日の夜。
何もない真っ白な空間、そこに1本の黒い線が引かれている。
その線に近づいたら黒い線が突如ゆっくり盛り上がって壁が出来上がった。
壁と言っても透明で向こう側がハッキリ見える。
真っ白な空間で何もないから向こうが見えても意味ないんだけどね。
「しかしリアルな夢だなぁ、何もなくて退屈でしかないけど。早く目が覚めないかなー」
布団に入って寝たから夢だと分かってるけど変な感覚だった。
「ゼロの世界へようこそ、そちら側の世界の人間よ」
壁の向こうにフードを被った年寄りが立っていた。
(あれ?さっきまで居なかったよな?まぁ夢だし何でもありだな)
「お主の目はこちらの世界の住人を見ることが出来るのじゃ、触れることは出来ぬがの」
年寄りは長々とこの場所に対する説明をしていく。
大体の内容はこうだが意味が分からない。
世界は2つある。+世界と-世界があり基本的に交わることは無い。
互いの世界の住人を見ることが出来る者でも影しか見えない。
+と-がしばらく重なるとゼロになる。
「お主の目は交わらぬ世界に命の一部が触れて変異してしもうた。その目はゼロに近づくものを見ることが出来るだけじゃ」
交わることない世界の住人が見えても触れないんじゃ意味ないな。
せめて会話でも出来れば楽しいのかもと思ったんだけど他の人に見えないと独り言になるんだよね。
見えても気にしないようにするしかないって事か。
目が覚めてもはっきり覚えている。
(あれ?あちらの世界とゼロ世界って言うのは違うものなのかな?)
夢だけど言われっぱなしだったな。質問しておけば良かった。
それから暫く俺は黒い影を見ることは無くなった。
やっぱりあれは夢で目が疲れていたんだろう。
日曜で時間もあるから友達を誘ってボウリングに行って自転車で帰っている。
あのショッピングセンターの横を通ったので気になってしまった。
「この前ここで倒れた女の人は大丈夫だったのかな?」
「あの人、亡くなったらしいよ。遠藤の家の近くの人で良く挨拶とかしてた良いオバちゃんだったから悲しいって言ってた」
ゼロ世界ってまさか……言葉を失った……。
遠藤と言うのは普通科の同級生の名前だ。
それから何度か黒い影を見た。
少し離れた位置に見え始めて徐々に人に近づいていく。
人と影がピッタリ重なって影が見えなくなると20-30秒後にその人が死ぬ。
その影をどうにかして離せないかと考えて影に触ろうとしたけど触ることが出来なかった。
俺は死ぬ人を知ることが出来る。
それを回避する方法が無い。
死ぬのを見るだけ。
それが辛くて影を見ると走って逃げた。
そんな俺を見て変な噂が流れている。
頭がおかしくなったとか、人を殺しているとか。
俺が走って逃げると人が死ぬんだからそんな噂も仕方が無いんだろう。
仲が良かった友達も距離をとるようになる。
ふーみん……岡山 史孝だけは心配してくれている。
「疲れてるんじゃないか?ゲームのやりすぎとか言って茶化す気は無いけど悩みとかあるならいつでも聞くぞ」
本当のことを言っても信じて貰えないだろうし説明に困るけど友達って良いなと思う。
「最近あまり眠れないんだ、テレビばかり見てるからかな?」
精神的に疲れてるんだろう、眠れないのは本当だ。
「テレビは見ないで電気を消して布団に入って目を閉じて音楽でも聴いてリラックスしたらどう?」
そういう問題でもないんだよな……見ないで……目を閉じて。
「それだ!試してみよう。」
ふーみんは俺が突然大声を出したので「おぅ。試してみろよ」だけ言ってくれた。
結果はダメだった。
目を閉じれば影が見えなくなるんじゃないか?と思ったけど目を閉じても見える。
諦めるしかないか。
「おーっす、少しは長く寝られたか?」
後ろから声を掛けられた、まぁ見なくても声でわかる。
「いや、駄目だったよ。少しずつ慣れていくしかないかな」
振り返ってふーみんの少し後方に黒い影が見えた。
え?何で?高校生だし病気もしてる様子はないのに影が見える。
「学校まで走ろう!そうしないと死ぬぞ」
影には触れないけど走れば逃げられるんじゃないか?
疲れるからと嫌がっているけど無理矢理走らせた。
考えが甘かったようで同じ速さで追いかけてくる。
このままでは友達が死んでしまう。
影がどれくらいまで迫ったかを確認しようとして振り返った。
ドン!何かがぶつかった感覚がした。
ギャー!信号無視をした車がふーみんに突っ込んできてぶつかって数メートル飛ばされた。
え?影はまだ重なっていないはず。
確認すると影はまだ重なっていない、そして重なることなく消えていった。
意識が無いまま救急車で運ばれていった。
俺も着いて行きたかったけどその場に残って警察の人に事情を聴かれた。
車の人は俺たちが赤信号で走ってきたと言い張っていた。
しかし他の目撃者の人たちが車のほうが信号無視をしたと証言してくれたがふーみんが無事か気になる。
命に別状はなかったが面会は出来なかった。
そして翌日学校に行くと(俺が車に向かって突き飛ばした)と言う噂が流れていた。
気になったのは影が出てきて何故助かったのか?
助かったと言っても車にぶつかられているんだけど命は助かった。
逃げたから?でも追いかけて来た。
車がぶつかったのは影と無関係なのだろうか?
俺が突き飛ばしたと言う噂は数日で消えていた。
ニュースにもなったので本当のことが分かったからだろう。
噂は消えても俺に近寄ってくる友達は居なくなった。
周りで死ぬ人や怪我をする人が多発しているから仕方ないと思う。
影が重ならないように見えた人に話しかけて移動したりしたけど意味がなかった。
見ず知らずの学生に走ろうと言われて走ってくれる人はほぼ居ないし、ついてきてくれた人も結果は同じだった。
1人だけ助かった人は居たけど、言い争いになってケンカに発展し逃げた俺を追いかけてきて車に当たった場合だった。
影が見える人に車と衝突してもらう訳にはいかないしな……。
俺はコンクリートで囲まれた部屋にいる。
少し前に殴った人がその筋の人で連れてこられた。
部屋には3人、俺を監視しているが乱暴されたりした訳じゃない。
あとから入ってきた人が3人に水を渡して飲ませた。
「お前は死ぬ奴が分かると言うが本当か?」
最後に来た偉そうな人が聞いて来た。
「そうなんすよ、こいついきなり『このままだと死ぬから走って』とか言って、拒否したら殴りやがって、追いかけたら車に轢かれたんすよ」
偉そうな人が「お前は黙ってろ」と一喝した。
「分かると言っても数十秒以内に死ぬ人しか分からないので意味が無いんですよ」
死ぬ原因も人それぞれだし、死ぬ数十秒前に分かっても意味が無いんだよな。
「この3人の誰かに毒入りの水を飲ませた、誰が死ぬか分かるのか?」
3人から影は見えない、まぁ普通は人殺しなんてしないだろうし試してるだけだろ。
「毒って本当ですか?まだ誰も死ぬ感じではないです」
「そうか、分かったら教えろ」
偉そうな人がパイプ椅子に腰かけて言った。
「兄貴!俺たちの誰かに毒を飲ませたんですか?」
男たちが騒いでいるが返事は無い。
あれ……影が見える。
「見えたか?」
俺の変化に気が付いた偉そうな人が聞いて来た。
「誰だ誰が死ぬんだ?」
3人の男たちが騒いでいる、僕の力を信じてるのか?
「3人が全員死にます」
これで俺の力は証明されるが、平気で部下を殺す人だ。多分生きて戻れないだろう。
その証拠に影がもう1つ出て来た、つまり俺が殺されるんだろう。
「このイカれ野郎が!」
3人のうちの1人が偉そうな男に刃物を刺した。
右脇腹に刺して手首を動かしグリグリと刃を回している。
「おいガキ、怖い思いさせたな。お前は死ぬなよ」
そして僕だけが生き残った。
流石に警察に通報した、もちろん事情を聞かれた。
部屋の様子が音声なしだったが録画されていたようで俺の嫌疑はすぐ晴れた。
翌日学校では「襲ってきたヤーさんを皆殺しにしたヤバイ奴」と言う噂が流れていた。
体調が悪いからと保健室に逃げ込む。
家に帰ると両親からリビングに呼ばれた。
「ねぇ、一生。叔父さんの家に行ってしばらく生活してくれない?変な噂がたってお店も困るのよ!」
両親からも邪魔者扱いか。
「うん、わかった。俺もちょっと疲れたし、叔父さんの所でゆっくりするよ」
叔父さんの家はかなり遠いので安心だろう、もう影は無視して生活しよう。
誰が死んだって俺には無関係じゃないか。
夏休みまであと少しだから夏休みに入って引っ越しすることにした。
転入手続きもあるし、それまでの間は学校は休学だ。
名目上は「将来、叔父の会社で就職するから今から一緒に住んで慣れる」という事にしている。
弟は3歳年下で今は中学3年、高校は俺のいる県立島東高校の商業科を希望のようだ。
大人しい性格だけど柔道や剣道を幼稚園の頃からやってるから結構強く柔道部の主将をしている。
俺の変な噂でイジメられることもないだろ。
その夜、俺はまた夢を見た。
ゼロの世界って所か、あの黒い線が浮き上がる前に超えて行くと俺はあちら側の世界の人間になれるのだろうか?
「また会ったな、そちら側の世界の人間よ」
あの時の年寄りだった。
「この力はいつ無くなるんだ?そっちの世界とはゼロ世界の事なのか?こんな力は要らない!何とかしてくれ」
影を無視して……と強がってはいるがそんなことで解決されない。
正直、俺の精神は限界に達しつつあるのを感じている。
ゲームもテレビも楽しくないし、友達と会うのもそいつに影だ見えたらと恐怖していた。
ご飯を食べても食べなくても良い感じだし食べだすと止まらなくなる。
人が死んだニュースを見ると涙が流れる、景色が灰色に見えていると言っても信じて貰えないだろう。
「ゼロの世界とはこちらの世界の事ではないぞ。そして力が無くなることは死ぬまでないわい。代わりにお主の望みを出来る範囲で3つだけ叶えてやろう」
悪魔との契約なら3つの願いが終わろと死ぬんだろうがこれは違う。
俺の望みは決まっている。
「3つだな?まず俺の力を消してくれ」
「それは無理じゃ、力を無くすこと、お主がこちらの世界に来ること、お主の命を無くすこと。この3つは叶えられない。質問なら好きなだけして良いぞ」
想定内だ、それが出来るなら願いを叶えず力を消して終わりで済むんだからな。
「質問だ。影が出てきても死ななかった奴が数人いる。助かった理由は?車との衝突が理由か?」
これだけはハッキリさせておきたい、助けられる方法になるのなら。
「半分は当たっておる。正確にはその者が出せる速度以上での移動じゃな」
車にぶつかったことで弾き飛ばされた瞬間速度が速かったため影が追いきれなくなって消えた、という事らしい。
それなら車に乗って移動すれば?と思ったけどそれは乗り物が出す速さで、その者が出す速度ではないので駄目だというのだ。
「じゃ、影が迫ってる人を死から助ける力をくれ。これは可能か?」
これならどうだ、死から助けられるならまだこの力も我慢できる。
「それは可能だが制限がある。影を消すことが出来るのは2回まで、同じ人物には何度も使えない、病死・老衰の者には使えない。この条件でも良ければ可能じゃ」
2回までか、出来ないよりは良いのかな?でも病死もダメって。
「病死がダメと言うのは癌とかなら分かるんですけど心臓発作とかもダメなんですか?」
「心臓や脳などその時に助かったとしてもすぐ同じことが起こる。そのため意味は無いのだよ」
なるほど、そう言う事か。
「この世界に俺は望むとき来られるようにする事は?」
「それは可能じゃな。ただ寝ている間だけで何もない場所だし来る意味がないぞ」
確かに何もないけど、この人は居るんだよね?
「影を見るのに疲れて逃げたくなった時や誰かと話したい時はここへ来ればあなたは話し相手になってくれますか?」
「居るときには話し相手になってやるがワシはいつもここに居るわけではないぞ」
いつもは居なくても良い、逃げる場所が欲しいだけと言うのもある。
「俺の家族、両親と弟がいるけど誰かが病死や老衰以外で死にそうな時にあなたの力で助ける事は出来るか?」
これは保険みたいなものだけど交通事故とか階段から転落とかで死亡とか防げるなら良いんだけどな。
「それは1回のみで命は助けて怪我などがあれば治すが方法は不問という事なら問題は無いな」
方法なんて問わないから家族が助かるならそれで良いとしよう。
俺の願いは決まった。
「願い事だけど、影から人を助ける力、この世界にいつでも来ることが出来る力、両親と弟が死にそうな時にあなたが助けてくれる。でお願いします」
「それで良いのか?さっき言ったように力には制限がある。金や権力でも望めば与えられるぞ」
確かにそれもアリかも。と一瞬だけ心が揺らいだ。
「願いはそれで良いです」
多分、歳を取ってからお金にしとけば良かったとか思うんだろうな。
それより今は家族の安全と自分の逃げ場所だ。
「お主の願いは分かった。影を払う力が使えるのは2回だけ、影が見える対象に抱きついて10秒そのままでいれば良い。この世界に来るには寝る前に来たいと思えば来る、帰りたいと思えば現実に戻る。3つめはワシが責任を持って叶えよう」
年寄りがそう言うと俺は目が覚めた。
別に何かが変わった感じは無い。
この見える力が消えないと分かったからには慣れるしかない。
逃げ場所、家族への保険、2回だけと言っても影を払える力。
もっと考えてからにした方が良かったかな。
学校は休学して家にいるとやることが無い。
ワイドショーばかり見てると気分が滅入るので録画しているお笑い番組を見たりしている。
ピンポーン……玄関のチャイムが鳴った。
誰だろ?外に出て行くと女の子が立っている。
「あ、一生先輩。ヒー君いますか?」
確か弟の彼女だ、名前何だっけ……そうだ思いだした。
「カスミちゃんだっけ?あいつ買い物からまだ帰ってないけど上がって待ってなよ」
2階の弟の部屋に案内する、何度も来てるし迷う事ないだろう。
映画を見に行く約束をしているらしい。
弟が帰ってきて部屋でイチャつくのかと思ったらそのまま出て行った。
映画の開始時間まで間もないらしい。健全で良い事だ。
玄関にかわいい刺繍の袋が置き忘れてある、カスミちゃんが持ってたのだな。
母親から「忘れたみたいだから持って行ってあげて」と言われた。
中身は確か最近発売されたファービーとか言う名前の変なぬいぐるみだ。
大きいから置いて行っただけじゃないのかと思ったが玄関を出て確認だけしてみよう。
「おーい、カスミちゃん。忘れ物してるよ」
「ありがとうございます、忘れるところだった」
そう言うとこちらに向かって走ってきたので渡してあげた。
弟の所にへ走って行く彼女に影が見えた……。
ここは住宅街で車通りもあまりない、今は周りに人も見えない。
つまり交通事故や通り魔などは考えられない、突然死か?でもまだ中学生で健康だろう。
「カスミちゃん待って!」
俺は彼女を後ろから抱きしめて心の中で10秒数える。
パチン、結構強く頬を叩かれた
「先輩何でこんな事するんですか?」
泣いているようだ、恋人の前で兄に抱き着かれたんだし当たり前か、最低だな俺。
「兄ちゃん!何するんだよ!カスミくんが泣いてるじゃないか!」
弟に思いきり殴られた、それを見た彼女は逃げるように走って行き弟は追いかけていく。
「マジで消えろ、兄弟だからってやっていい事と悪い事があるんだよ!」
彼女から見えた影は消えた。
これで安心だろう。
守りたい大切な家族を傷つけてしまったのが心残りだ。
それから俺は弟と一言も話してない。
食事も部屋で食べて眠ってはゼロの世界に逃げ込んでいた。
逃げると言っても寝ている間だけしか居られないが影を見ることが無い安心感だけはある。
夏休みに入ると俺はすぐ叔父の家に引っ越しをした。
学校も転校して無事に卒業も出来た。
叔父さんは会社を経営していて卒業後は事務の仕事をさせてくれている。
家も使ってない別宅を貸して貰えて一人暮らし、ほぼ人に会うことは無い。
ゼロの世界にはよく来ているがあの年寄りはあまりいない。
たまに会って世間話と言うか俺の愚痴を聞いてもらっている。
帰ろうと思わなければずっと居られるのだけど長時間いても起きたら数時間しかたってない。
俺はこの世界について考えていた。
+と-の世界があって重なるとゼロになる、と年寄りは言っていた。
俺の目はゼロに近づくものを見ることが出来ると。
影が重なってしばらくすれば死ぬ、つまりゼロになるとは死ぬことか?
ここはゼロの世界と言っていた、死者の世界かと思ったが俺は死んでいない。
そもそもここに初めて来てからはあの年寄りしか見ていないので死者の世界と言うことは無いと思う。
もしそうだとすれば、この場所は……。
ここが何なのかが分かったところで俺以外来ることが出来ないなら考えても意味のない事だ。
俺はゼロの世界から戻ってきた。
数年後、一通の手紙が届いた。
差出人は「岡山 史孝」
彼はあの後、無事に退院して大手の菓子メーカーに就職。
職場の女性と結婚することになり招待状が届いたのだ。
人が集まる場所は怖いが、もちろん参加した。
ちなみに両親とは今は仲がいい。
叔父さんが俺が頑張って働いて助かっていると言ってくれたのだ。
弟とは……あれから一度も会ってない。
両親から聞いたがカスミちゃんには大々的に振られてしまったそうだ。
こんな力を手に入れていろいろ振り回された。
あまり良い事ではないのだけど影が見える事には慣れてしまった。
少しは平穏な日々が戻った気がする。
影が見える。影を見て久しぶりに戸惑った。
この場所には俺しかいない、つまりそう言う事だ。
影はゆっくりこちらに歩み寄る、微笑んでいるように見えるのは錯覚だろうか。
会話の出来ない影に語り掛ける。
「こんにちは、初めまして……そしてサヨウナラ」
重なって来る影を迎え入れ優しく抱きしめた。