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閉ざされた世界、その孤独 1

「……はぁ」

「な、何よ? そんなに幸先の悪いため息しちゃってさ」


 何故かわざわざ私服に着替えてきた甘利つぐみが、呆れたように訊ねてくる。

 ベージュのロングカーディガンに白いブラウス、ワイドな黒のプリーツパンツ、清潔に整えられてそうな指先をのぞかせるサンダル。けれどもそれを指摘する気力がなかった

 既に顔を合わせて数分。露骨に嫌そうにしてみれば、むっとふくれた顔に睨まれた。


「もしもーしっ、今日はずっとここでそうしてるつもりですかーっ?」


 両手で小さくメガホンを作り、少し身体をくの字にして言ってくる。


「はぁ……」

「本当に元気ないの? ぎゅってする?」


 そう言ってしゃがみ込み、わざわざ下から覗き込むように両手を広げている。


「すぅーっ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ……」


 たぶん今年一番に深く、長いため息だった。笑える。いや、笑えないけども。


「は、腹立つ。一応、聞いてあげましょう。何があったの?」


 仕方ないな教えてやるよ、と答えればぴくぴくと眉が跳ね上がった。


「昨日、ゲーセン出た後だ。放置してたAT車が自動帰車してたんだよ」

「あー、買い物の流れであれだったから設定時間がすぎてたのね」


 その通りである。夕飯の買い出しだけで、遅くとも一時間は掛からないはずだった。

 しかし蓋を開けてみれば昨日のような事態に発展する始末。

 当然、帰るために近くの乗車場へ向かうこととなる。重要なのはここからだ。


「あぁ。だからもう一度呼んだら、好感度パラメーターは下がってなかったけど一ヶ月不機嫌モードのペナルティ食らってたんだよ。最悪だよ、ショックだ……辛い、泣きそう」

「は? な、何の話?」


 理解していないとぼけた顔が見下ろしていた。何故、この悲壮感がわからないのか!


「ナデシコちゃんのカーナビAIの話に決まってるだるぅうぉぉっ!?」

「え、そんなことで?」

「ナデシコちゃんはなぁっ、ゲームの次に大事なことなんだよぉぉっ!?」


 ずざざざざっ、と。彼女の足元から這い上がるようにしがみ付き、目前に迫る。


「ひゃうっ!? ちっ、ちちち近いちか、いっ!」


 勝手にテンパっていようが関係ない。両頬をつねってぐねぐねと何度もこねくり回す。

 ふにゃふにゃと文句を言っていたが、解読不能で――不意に視界の端へ焦点が向く。


(こいつ、やっぱいい尻の形してんなぁ。まぁ、直で見ないと正確性に欠けるが……)


 くねくねと身をよじり、軽く突き出された輪郭がプリーツパンツに浮かんでいた。

 とはいえ凝視していると面倒なことになるので、ここは話題を逸らすに限る。


「ん? おまえの肌、陶器みたいだな……あとなんかこう、よく伸びるのがいい」


 自分でも言っていて随分とテキトーな褒め言葉だなぁ、と思う。だが、


「え。そ、そう? ぬへへ……はっ! ちょ、調子のいいことばっかり言って、もうっ」


 照れ隠しにべしべしべしっ、と背中をはたかれ、肘で小突かれた。い、痛いよぉ。

 どうやら日頃から手入れをちゃんとしているらしい。だいぶご機嫌な様子だ。


「でもあれだよな、割と足太い土偶体型なのに陶器肌ってクソ笑える――」

「おどりゃあ、去ねよやぁあああーッ!!」

「ぐぇええええっ!?」


 回し蹴りが、腹部に炸裂する。土偶の体重を乗せた一撃は、ただただ重い。

 勢い良く吹っ飛び、路上清掃に励んでいた奉仕ロボのポコマルへと突っ込んだ。


「アイテー!」


 走る衝撃。彼が必死に集めたゴミが散らばり、そこへ俺も転がる。


「わ、悪いな……ポコマル」


 ゆっくりと身体を起こしつつ、ぶつかってしまった彼の犬耳をさすった。

 不規則な電子音と目の色を赤くすることで、感情らしいものを再現している。


「アイヨー、イイヨー。ケド、ゴミハ拾ッテー」

「はいよー」

「真似スルナヨー」

「ごめんよー」

「イイヨー」


 チョロい……好き。折り畳み式の箒を手渡されて、せっせとゴミを掃いていく。

 俺が手伝わないほうが早く片付いただろうが、それはそれである。

 ややあって、ポコマルは相変わらずピロピロと電子音を鳴らしながら去っていった。


「……おまえ、最低限のマニューバもできなかったら絶対泣かすからな?」

「ふんっ、あなたより運動神経が抜群に良いんだから、チョロいもんでしょっ!」


 したり顔で胸を張る美肌土偶が果てしなくウザい。


(つーか、チョロいのはおまえの性格じゃねぇの……?)


 思いつつも口にはせず、昨日と同じように二階へ向かい――三〇分後。


「――だーかーらっ。もう少していねいに操縦しろって。それじゃゲージ献上マシーンだろ。棒立ちの方が被弾率低いんじゃねぇーの? チョロいんじゃなかったのか、優等生」


 見渡す限りに広がる、空を敷き詰めたような大海原。踊り狂う姿を目にし続け、堪らず嘆息混じりの愚痴をこぼす。わかっていたことだが、現実はいつも想像の上をいくものだ。

 複雑に設置されたダミーバルーンをくぐり抜ける。それが彼女にはできなかった。


「そ、そんなわけがないでしゅうぅおわ、わっ、わっ」


 いやらしくも陽光を背にする慌ただしい声が、高高度よりコックピットに届く。


「何度目だ。それ。スラスター系統の切り換えが遅いんだよ。ほら、墜ちる」


 それはいかにも量産型らしい灰色の(ヴェイル)(ドレス)――《レヴ》と呼ばれる空戦仕様の機体だ。

 飛行のための翼を持つ機械は重力に従い、真っ逆さまに落ちていく。大気中の空気を圧縮・膨張、推力とする背部ユニットのスラスター噴射も加速を後押ししてもいた。


「……やぁあああっ!」――ばしゃんっ!


 飛沫と甲高い悲鳴に耳が痛み、通信を切断。ほどなくして浮上と上昇を繰り返す酔っぱらいのような《レヴ》は、一度俺を通り過ぎてから停止。再び回線を繋げる。


「本当に雑な奴だな……三〇分もあれば、ある程度は慣れるだろ普通」


 俺が搭乗しているのも同様に練習機のVDだが、あれをやるのは逆に難しい。


「う、うるさいわね。初心者なのよっ! あなたにも同じ頃があったでしょうに!」

「はぁ? 確かに初心者だった時期はあるが、操縦がそんなに鈍かった時期はねぇ」

「は、腹立つ……大体、まだたったの三〇分よ? 短気よ短気、横暴よっ!」

「挙動一つひとつが極端なんだよ、叫んでるだけで上達するわけないだろ少しは頭使え」

「あ……あなたって、人を褒めたりとかってできないの? そういう趣味?」

「はッ、くだらない責任転嫁はよせよ。そうするに値しないおまえがいるだけだろ」


 映し出されたモニターの先。パイロットスーツの考えなしが、ぐぬぬぅと唸っていた。


「それにしても、座りっぱなしで結構キツいわね。全然、慣れない。暑いし」


 抗議を諦めたつぐみはスーツのジッパーを下げ、インナーをぱたぱたと仰ぐ。

 汗かきなのかモニター越しでもモヤが見え、確かに暑そうだ。


「数秒もジッとできない幼児か……ま、その辺は錯覚というより思い込みだな。現にあれだけぐるぐる回っても、視界がぐらつくだけで吐き気の一つもないだろ?」

「あ、確かに。ならここに浸水したら、溺れると思い込むの? 怖いなぁ」

「そうなるな」


 呼吸こそ可能だが、一応は仮想肺が水で満たされた時点で死亡扱い。敗北であり――


「……おまえ、今の自分がどういう状態か知らないのか」


 だとすればその疑問もわかる。きょとんとした間抜け面もそうだと応えていた。


「人格の複製だよ。今ここにいるおまえも俺も単なる仮想体でアバター」

「ふ、へ?」

「たとえばFPSのプレイ中に腕を撃ち抜かれて現実に戻ったときに、感覚を失ったりしないようインプラント内で構築した仮想領域――テラリウムをまずAPに送信しているわけ。んでテラリウム用の仮想人格と身体、機体とかも生成されて対戦相手と共有。それで――」

「つまり、今この瞬間。私とあなたは同じ夢を見ている状態……で、終わるとこの人格は心的外傷になりそうな要素と一緒に消えて脳に転写。それ以外は後から思い出すの?」

「そんなとこだな。だから対戦で負けたときなんかは、それこそ死んだ夢から覚めるってのが一番近い。ま、もちろんゲーム的にあった方が良いリアリティは残ってるがな」


 先程のように多少の汗をかいても、ビームの直撃で熱は感じないなどがそうである。


「で、話を戻すとだ。どうしてもシートを変えるならバイク型だろ」

「あっ、やった! 操縦方法も変わらないでしょ、私そっちにする!」


 キラキラとした眼差しをこちらに向けて、素人がはしゃぐ。


「あ、そう。変な奴……」


 バイク型の方が姿勢維持は辛い。だがまぁ、好きにすればいい。理由はもちろん尻だ!


「あ、一応聞くけど。おまえ、幼稚園の頃にやった適性だといくつだった?」

「え、ぎりぎりプロでも通用するかもねって感じのCだけど。あなたは?」

「即答かよ。よく覚えてんな」


 正直、なにも見ず即答するとは思ってもみなかった。少なくとも俺には無理だ。


「俺は……S-だ。つか、これでCかよ」

「え! 逆にS-なのにまだアマチュアなの? それこそ検査ミスじゃ……というか言わせてもらいますけどねっ。あなた、言うこと為すこといちいち自分に刺さりまくりよ?」

「……うるさい、ほっとけ。ランキング上位のチーム以外、誘いを蹴ってるだけだ」

「ただの逃げでしょ。それに一応、刺さってる自覚あったのね。意外――わ、わっ!?」

「はんッ!」


 小突いた瞬間。姿勢制御を乱され、精彩を欠いた《レヴ》はあっという間に飛んでゆく。


「ちょ、ちょっとやめなさいってばぁーっ! いじわるぅーっ!?」


 逆さまの声が言い、十数秒で持ち直して笑えるくらい息を切らしながら続ける。


「ぜぇ、ぜぇっ……ぐぐぐっ。ど、どうしてあなたみたいに、動けないのよっ?」

「何度も言わせるなよ、繊細さが足りてないんだよ! おまえ昨日、私ってあなたが思うよりずっと繊細なんですぅ~、優しくしてぇ~、お願ぁい。うふっ。みたいなこと言ってたろ!」

「い、言ったけど言ってない! 私、ニブチンじゃないもんっ!」


 わざとらしい身振り手振りと声真似に、かーっと顔が赤くなっていた。

 VDもその瞬間だけ器用に動かすので、できる奴なのかできない奴なのか判断に困る。


「ニ、ニブチンとか古語だろ……大体、それを言うならおまえはデブチンだ」

「あなた、私が筐体から出たら覚えときなさいよ?」


 低い声で威圧されるが、言葉だけでプレッシャーを感じるはずもない。


「都合の悪いことは仮想人格が引き受けてくれると言ったろ、ファットガール」

「嘘をおっしゃいなさいよ、ばかっ!」

「なら……あぁ、なるほど。先に筐体から出て、自重で動けないように――」

「細身しねぇええええっ!!」


 加速し、速度を得た《レヴ》が高周波ブレードを迷いなく抜剣。突貫してくる。

 射撃に頼らない性格だろうな、と。そんなことを考えつつ、単調に振り下ろされた実体剣に仕返しの意図を持って、ゲーセン前で受けた回し蹴りの通りに打ち込んだ。


「なんでっ!?」


 鈍い衝撃が渡り、驚愕に鳴く。高周波ブレードが明後日の方角へ弾き飛んだのだ。

 俺は一息で足元へと潜り込み、両脚部をマニピュレータでがっしりと掴む。

 両脇に抱え込んで振りかぶり、機体を乱暴に回転させると唸るような音が空に響いた。


「え? うわぅわ、あぁああっ!?」


 《レヴ》はスカート部を抑えながら抵抗を続けるが、お構いなしに放り投げる。無防備な姿を晒すが、操縦にも慣れてきたようでとっさに減速。しかしその判断は間違っているだろう。


「ぐっ、うわぁあああああっ!?」


 ここは加速して距離を取るのが正解で、俺は流れるように距離を詰めていった。

 散々蹴られたり殴られたりした怨念を込め、同じく高周波ブレードを抜剣。


「そぉ、れ……ッ!」


 鈍色の刀身を《レヴ》の背部ユニットへ躊躇なく叩き込んだ。金属の潰れる音にからからと空回りする耳障りなタービン音が響く。VDは推進剤を吐き出しながら空に沈んでいく。


「ぬぅああッ!? ちょ、ちょっとは手加減しろぉおおおおっ!!」


 それは片翼を叩き折る一撃でもあり、《レヴ》の滞空能力を奪うには十分だった。

 装甲やユニットの破片は激しく飛散し、遠のいていく。


「ふ、ははははっ! その悔しさがおまえを強くしてくれるんだよ、おデブちゃん!」

「ぐぬぬぬぬぅっ! み、見てなさいよっ! 今に飛んで……あ、あれ?」


 それにしても状況把握が疎かなことは頂けない。ずっとアラートも鳴りっぱなしで、警告も出ているはずなのだ。どれだけ頭に血が昇りやすいタチなんだ、あいつは。


「モニターちゃんと見ろよ。パイロットの重量オーバーが原因だって表示、あるだろ」

「出てないッ! ……って、わっ! ね、ねぇ? こ、これどうしたらいいのっ!?」


 距離が開き、《レヴ》の背部ユニットが小さな爆発を生じさせる。

 一気に黒煙を噴き出し、そこでコントロールを失ったにちがいない。

 初心者らしく、見事なまでにアラートで動揺しきっていた。


「おまえはどうしたいんだよ」

「びゅーって飛んでって、無抵抗な須方剣山を一方的に泣かせてやりたいっ!」


 赤く光るコックピットで、無邪気にもそんなことを平然とのたまう。


「無理無理。大人しく南無三でも叫べ」

「嫌よそんなの! いい? ここで私が倒れようとも、いずれ第二第三の私があな――」


 真面目な眼差しをこちらに向け、子供を叱りつけるような声だ。

 しかし背部ユニットが限界を迎えるとともに呆気なく火球に呑まれ、藻屑となった。

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