境界線上の裏と表 5
あいつらと入れ替わるかたちで筐体の影から向かってきたのは、甘利つぐみだ。
「え、と……話を推測すると。利害の一致で組んだけど裏切られたってこと?」
「まぁ、そういうことだな」
「けどさ? あんなのとよく組もうと思ったよね。不思議」
「今回の応募条件には『G3』以下でアマチュアの縛りがあるんだよ。だからよっぽどの雑魚じゃなきゃ誰でも良かった。まぁ、だとしてももう少し考えるべきだったか」
「ふーん? そういう言い方ってことは、普段はプロも参加してくるんだ?」
「当たり前だろ。だってサビーヌ杯は元々――……」
元々サビーヌ杯は、天才中学生プロゲーマーによる婿探しだったはずだ。
(そうだ。チャンスだって浮かれてた。今回、趣旨が全然ちがうじゃねぇか)
今回は明確にアマチュアで限定されている。既にD帯目前の彼女からみれば、G帯なぞ全員等しく「ざぁこ、ざぁこ❤」と煽っても文句を言われる立場にないのにもかかわらず、だ。
(もしかしなくても所属するチーム……つまりは〈Esmeralda〉へのスカウトが目的なのか? それなら、あいつらが俺を強引に選考から弾こうとしたのもわかる)
とはいえ誰に頼むにしても今から合流して有線接続し、記入事項を入力しなければならないとなると移動を考慮してもあまり現実的ではない。今ここで相方を探すことが現状の最善。
しかし、下手に弱いのと組めば選考を通るかさえ一気に怪しくなる。
一度だけ『G4』まで上げているから他よりは優位なはずだが、逆にランクを維持できない程度の実力とも取れる。変に悪目立ちをするわけには――……。
「いいの、そんなボーっと考え込んでて。出場するの、諦めたならいいけど」
隣から届く声を耳にした瞬間、脳内を凄まじい閃光が駆け抜ける。
結局のところ雑魚は雑魚なのだから、面白そうな雑魚を選ぶのが人間的感情というものではないだろうか? いや、そのはずだ。俺にだって似た覚えはある。
要するに今から手早く説得でき、非常に都合の良い下手くそであろう者は――
「ところで癖毛がキュートなつぐみちゃんさ、今月末暇だったりするかな。するよね?」
彼女の肩にポンと手を置き、精一杯の爽やかな作り笑いを浮かべた。
「ふ、へ? え……も、もしかして私に出ろって? ゲームなんてしないわよ私」
「そのもしかして、だ」
「あ、呆れた……ほら人生、何があるかわからない。これに懲りたら猛省なさい」
つぐみちゃんは、置かれた手を払ってそっぽを向く。
「いや、俺は自分を正しいと思ってるから反省する気はない。だからこうするんだ」
「ちょ、ちょっと……な。や、やめなさいよ! 見てるっ、皆こっち見てるからっ!」
「知らん。俺には床しか見えない」
こんな些細なことで集まる視線に、俺が怯えるはずもない! それにろくな人間関係を構築しようとしない奴が、他人に何かを頼む手段は限られるんだから仕方ないだろう!
「出られないと困ったことになる。だから、おまえさえよければ手伝ってくれ!」
当然、ぴたり床に額を擦りつける――土下座しかない。
狼狽えたような声が聞こえてくるが、断るなら早くして欲しい。今は時間がないのだ。
「そうか。じゃあさっきの言い合いはなかったことにしよう! 丸く収まったな、よし!」
「お、収まるかぁっ! 大体、頭を下げたくらいで――」
「そういえば。苦手なものへの接し方で人間性がわかるらしいな」
「う、それは……いやけど、今は関係な――」
相手の言葉を用いるのは口論における基本戦術の一つだ。もちろん、相手が真面目な必要はある。そこで俺は手早く説得するための切り札を、おもむろに見せびらかした。
「あー、しかし手首が痛いなぁ。誰のせいだろうなぁ、なんでだろうなぁ」
「ぐ、むっ……」
バツの悪い様子で顔をしかめるつぐみちゃん。よし、とっとと屈して欲しい。
「他の言い分はともかく、コレは一〇〇で誰かさんが悪い気がするなぁ」
「……ぐ、むむむむっ」
とても悔しいらしく僅かに涙を溜め込みながら下目遣い? で睨んでくる。
思わず笑みが零れ、つぐみちゃんの視線がより鋭さを増す。
「じゃ、そういうことで。当日までよろしくな、つぐつぐっ!」
ポンポン、とひねった手で肩を叩いて親睦を深める。いやぁ、友情って素晴らしい。
「しゃ、釈然としない……それに! なかったことにしたなら、私の発言だってな――」
「知るか! とにかく、ほら。時間がないこっちだ、行くぞ!」
都合の悪い発言は全て、強引に勢いで押し通すしかないのは百も承知。
俺は迷うことなく彼女の手を取り、〝オバクロ〟の筐体があるほうへ駆け出した。
「ふ、へ? ……あっ、ちょ、ちょっとぉ!」
で、たった十数メートルの移動で息を切らしてしまう情けない俺である……。
しかし何故だか一向に振り払ったり、追い越したりをされる気配もなく。
「な、何をもじもじしてんの、おまえ?」
「い、いいでしょ別にっ、もうっ!」
髪を弄くり回しているのを指摘すれば、無意識だったのか髪に触れる指を離す。
それから呼吸を調えつつ、さっきから少し思っていたことを口にした。
「おまえ、もうって微妙に口癖か? 牛女さんか?」
「ふ、へ? い、いやどうだろね」
「確かに人によっちゃあ、デブに含めそうな肉付きだが……」
競泳専攻なのだから、自然と筋肉質で健康的な身体つきになるのだろうな。
「しゃ、しゃべる背脂……? そ、そりゃあね? 大して胸も大きくないのにとは思うだろうけどね? でも私、身長が一七〇超えてるから体重が六〇オーバーなのはむしろ適せ――」
「あぁ、俺より重いんだな」
思わずそう口にした刹那、ぴしゃりと何かが軋むような音が聞こえた気がした。
つぐつぐは目を見開いたまま心を手放している。その姿を不安に感じて恐る恐る、
「……お、親方?」
「あぁ~、ちゃんこうめぇー。これ、何のおダシを使ってるの? ……え、デブの素? はぁどすこいどすこい――って、ぐぬぬぬぅぉおお! おどりゃちくしょうめぇーっ!」
「うぉ、なんだこいつ!? いでででででッ! すぐに怪我するぞ俺は、やめろ!」
乱心した親方がノリツッコミの流れで自然に関節をキメてくる。い、痛てぇ。
「威張るようなことじゃないでしょ、もう! ……って、ああもう――ぬわああっ!」
というか体型なんぞどうでもいい! 人間は才能が全てみたいなものだよっ!
まぁデブとぽっちゃりをあえて定義するなら顔が悪いのが前者、良いのが後者だろうけど。
「――ほら、時間がないんでしょ。それで? サビーヌ杯とやらで出るゲームは?」
「いきなり平常心になるな、怖えーよ」
今までの会話を一切なかったことにしたらしい。いきなりだったので流石にビビった。
「〝OCC〟……名前くらいは聞いたことあるだろ」
「あー、なんだっけ。確か、オバなんとかみたいな略称よね」
「オーバー・センチュリー・クロニクルで〝オバクロ〟な」
「そうそう、それ。で、とりあえず中に入って後は指示通り? 間に合っ――うぅ……」
頷きを返しつつ背脂の手を筐体の認証センサーへ導き、プレイヤーとして認識させる。
途端に筐体シートのロックが解除され、ゆっくりとシートに身を預ける牝牛。
妙に黙り込んでいたが、緊張することもないだろうに。
「五分も掛からないから間に合うはず……なに、それは?」
「み、見ないでよ……見下ろすのは好きだけど、見上げるのは恥ずかしいのっ」
「なにそれ。まぁいいや。こっちも外側の筐体SPに繋ぐから、ちゃんと承認しろよ」
耳まで真っ赤な情緒不安定女が、両手で顔を隠しながらドーム状の膜に覆われていく。
それから外付けのSPに黒チョーカーからコードを伸ばし、ターミナルを接続。
ややあって承認がされ、内部との情報共有状態へ移行していった。
「個人情報の読み込みが終わって、チュートリアル方式の選択画面に――」
「うわ、脳みそに直で響く感覚しゅきぃ……あ、終わったよ。これ、五分も掛かるの?」
「いや、だいぶ早い。アップデートされ続けてるんだろうな」
一瞬だけ変なのが顔を覗かせていた気もするが無視する。
それともちろんゲームを起動しているため、どすこいの肉声は聞こえてこない。
初期設定では機械音声だが、俺は有料のナデシコちゃんボイスを採用していた。
「あー、一回きりだもんね。それで……となになに。チュートリアルを開始しますか?」
「絶対にスキップだッ! クソ難易度で、下手くそがやったら何日掛かるかわからん!」
「んぁっ、怒鳴り声の響き方がちょっと癖になりそうぅ……」
「一人で気持ち良くなってるとこ悪いが、おまえ絶対に押すなよ?」
ナデシコちゃんボイスでなければ、筐体を叩き割っているところだった。
「はぁい。あ、ざっくりな基本操縦マニュアル出たけど……うわぁ、意外と大変そう」
「見てないで飛ばせ! 睡眠学習で叩き込め!」
「あ、機体の【開発・建造】を開始しますかだって」
「その辺も俺が考えるから後回しだ!」
はいはぁい、と色っぽい力士の声が飛んでくる。不快だ。しかし握った拳もナデシコちゃんの声を耳にすればふやけてしまうのだから声の偉大さをリアルに感じてしまう。
「飛ばし終わったよーぅ」
返事の通りしばらくすると接続が切れ、筐体が勝手に開きはじめる。
「ん、ご苦労ご苦労」
「ふ、へ?」
仕方なく義理で差し伸べた手に向けられる、きょとんとした眼差し。しかも縮こまって唸るばかりで一向に手を取る気配はなかった。チッ、さすがにご機嫌取りだってバレるか……。
強引に二段ほど高い位置に立つ彼女の手を掴み、俺はエセ紳士を演じきってみせる。
「き、気安いのどっちだ……ってぇ、ちょちょっ、ま――」
何故か慌ただしく動揺して段から足を踏み外す。受け止めてやろうとは思うが、
「あ、重い。無理だ」
「は? ……んぐうぇっ!!」
たかが親方一人、非力な俺で押し返せるはずもない。揃って思い切り落下し、汚ねぇ濁声で重量級が鳴いた。やはり妹とは違う。普通に積載オーバーもいいところだった。
「う、うぅ……わざとだ、絶対にわざとだ。出てあげるつもりなのにひどい男だ……」
「まぁ、今のは俺が悪いな。すまん」
「ふんっ! そんな素直さ、須方剣山の名折れでしょうに!」
身を起こして向き合うなり、乱れた衣服を整える甘利つぐみがぷりぷりと怒り出す。
多少の可愛げはあるのだろうが、別に俺の心は何も感じなかった。なので、
「あー、はいはい。どすこいどすこい」
「何か言ったッ!?」
「デブ」
「細身しね!」
一方的な制裁の後。気を取り直したレスラーが、すっきりしたいい顔で続ける。
「えぇい、そんなことより今はとにかく応募が先だ。有線接続だろ、ほら!」
「ふ、へ? そ、それって絶対に。ひ、必要なこと……なの?」
「当たり前だろ。締め切りまで十五分もないんだから早くしろって」
親方のくせに「う、うぅ……」人差し指を擦り合わせて女子みたいに下を向いている。
ナデシコちゃんなら尊いけど、こいつにやられても遅延か煽りにしか見えなかった。
「うぅ、じゃない! ちょっと顔は可愛いからってぶりっ子しやがって!」
「や、やめてよもうっ。お、煽てたって乗せられてあげないからねっ!」
「えぇ……」
テキトーに返したつもりが、急に謎の反応をされると逆に困るからやめて欲しい。
「いや、まぁ。けどほんといいからそういうの。ほら」
呆れ混じりにチョーカーからコードを引き、追加アダプタ付きの端子を取り出す。
それを見て一歩後ろに下がった乙女気取りが、もぞもぞと小声で言った。
「は、はぅ……い、やその。私ね、同級生の男の子と有線で繋がったことないから……その」
「――はぁ?」
あまりのくだらなさに全身が脱力しかけた。というか今の時代になって、そんなこと言える奴がいるなんて誰が想像するだろうか。ある意味で称賛に値する。そもそも、
(繋いだことないはありえないだろ、学校でペアでなんかするときどうしてんだって話)
ややあってようやく何かを諦めたのか、大きく深呼吸をする力士。
水色チョーカーのコードを引き出して、差すための穴をこちらにずいっ、と向ける。
受け手側だけ追加アダプタを未装着らしいが、気にしない変な奴なんだろう。
「わ、私。はじめてなんだから……その、ゆ、ゆっくりね?」
「え。時間ないし嫌だ」
即答し、受けの差し込み口へ端子を強引に挿入。直後、全身を微弱な電流が走る。
「え、あっ、ちょっ――や……ぁ、んっ」
「いや、ね? 確かにちょっとはピリっとくるけどさぁ……」
思い切り身体が跳ねたあたり、経験自体は少ないらしい。もしくはただの敏感脳か、本当に友達がいないのだろう。あー、可哀想な横綱。本場所でも行けばいいのに。
俺は受け側端子を外付け筐体SPに繋ぎ、気にせずサビーヌ杯のサイトを開く。
すぐに代表者を自分に設定し、必要事項を打ち込んで画面を彼女に投げた――のだが、
「……じめてだったのにはじめてだったのにはじめてだったのにはじめてだったの……」
ずいずい近付いてきて、裾を引っ張りながらうつむき加減に呪文を唱え出し――今度は拳を握って腹をぐりぐりしながら頭を押しつけてくる。なんだ、この生き物。
「い、意外と陰気臭いんだな。おまえ……」
「くさくないもん……わたしくさくないもん……くさくないもんくさくないもん……」
「はいはい。てか微妙に痛いんだが。それと入力、早くやってくれ」
「……う、うん。ごめんね、今やるね」
「は? い、いやその。やってくれるならそれでいいけどさ」
不意にしおらしくなるのって反則だと思う。まぁ、一ミリも罪悪感はないが。
そうしてつつがなく入力が完了。今度こそメールをきちんと確認し、小さく安堵した。
「つーか、そんなに嫌なら追加アダプタくらい使えば良かっただろ?」
「ふ、へ? え……あれ、え? ぁ……」
「おいおい。まさかとは思うが、忘れてたのかよ」
「わ、忘れてなんかないのよっ! 別にドキドキしてたとか、ひゃーひゃーしてたとか。絶対そんなことっ、これっぽちもないったらないんだからねっ! いいわかったっ!?」
「さっきからなんなんだ、その温度差の激しい感情表現は。風邪引きそう」
「うぅっ、気づいてたならどうし――はっ! も、もしかして私と直で繋がりたくて、わざと黙ってたの……? し、信じられないっ! だっ、だから強引に中に差し込んで……変態!」
途端に正気に戻って、たくましく暴論を展開する彼女にため息をもらす。
「いやさ。俺は普通に追加アダプタ、付けてたからな」
そう答えた瞬間に彼女の顔が〝え、私だけ生?〟みたいな呆け顔になる。
あぁ、なるほど。アダプタに対する感覚は俺と大して変わらず、普通にバカらしい。
「え、嘘。あ、ほんとだ……って、なおさら信じられない! 馬鹿じゃないの!」
「確かにおまえより学力は劣るらしいな、俺は」
「そういう話じゃ――わ、私あなたが思うよりずっとずーっと繊細なんだからねっ!?」
「繊細ぃ? 単なるお花畑で、敏感ピンク脳な勘違い有頂天女の間違いだろ」
「なっ、うぅ……そ、そういう感想は――めーっ、でしょうがぁっ!」
暴力系女が感情のままアッパーを繰り出す挙動は、手に取るようにわかる。
だがわかるだけなので直撃を受け、宙を舞った。ほんと容赦ねぇ。
けどまぁ。後になって振り返ってみれば、大半は俺が原因だなぁ……と思ったりもした。