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境界線上の裏と表 3

「い、いきなり呼び捨て……」

「別にいいだろ。なんなら、つぐつぐとかでも俺は別に構わないが」

「…………」


 適当かつテキトーな物言いがお気に召さないらしく、しかめっ面が俺を刺していた。


「不満を溜め込むと老けるぞ? その尻が重力に負けるにはまだ早――」

「なら言うけどっ、ですけど! 仲良くしないのに、初対面で呼び捨てって何?」

「何って……あぁ、悪い。言ってなかったな。俺、泳げないんだよ」

「え、だから何よ?」

「ん? これから先、間違いなく関わらない相手に気を遣うのも面倒だって話だろ」

「そんなの、わからないでしょ」

「いやわかるだろ。あんたの専攻は競泳。大会成績は知らないけど獅子堂に転入できるくらいだ。プロになれる程度は優等遺伝子持ちなんだろ? なら、運動音痴で泳げない俺とは間違いなく関わることが――人生が交わることは、ないってことだろ」


 世界総人口が四百億を超えた現代、他者との繋がりなんてものは自然と増えていく。

 それなのに高等部時代の顔見知り程度の関係が何の役に立つのか、俺にはわからない。


「……えぇ、ありがとう。実にありがとうね。とーってもよくわかった! あなたも遺伝子と結果が好きで好きでしょうがない、くだらない人間なんだってことがっ、ねッ!」

(……ふぅむ、どうやらこいつ。今からソフトクリームをぶん投げようとしているらしい)


 それがわかるのは単に目が良いからだ。動体視力や周辺視野だけでなく、純粋な視力も数字にすると最低でも一〇。これは、五〇メートル先のパスタの本数が余裕で数えられるほどだ。

 僅かな隙間のパンツも見逃さないし、中指を立てられてもキレることができる。


 なので言うまでもなく彼女の挙動は全てお見通しなのだが、肝心の搭乗した肉体(マシーン)がポンコツではどうにもしようがない。。それに妹の機嫌を取るため、手提げ袋の死守が必須!

 しかし抱えて回避なんて芸当、やる前から確信する。無理だ。


 そもそも俺は何も間違っていない。だから自身のソフトクリームを剣に見立て、刺し違える勢いで前へ駆け出した。空中分離した二段ソフトクリームが顔面を直撃する。

 小さな奇声があがり、胸部型の眼鏡を掛けたような間抜け面が真っ直ぐにゆく。


「えっ? ちょ、まっ――」


 あの女も虚を衝かれたのか、「ぐうぇ」と品性の欠片もない呻き声を漏らす。

 世辞にも端整としか言えない小綺麗な顔に、白いものをぶちまけてやった。


「なっ。ん、ぐぅっ!?」


 視界が閉ざされていようが関係ない。迷いなくコーンの包み紙を捨て去り、彼女の声を頼りにして先端をみっともなく開いた口へ捻じ込んだ。しかし慢心で気が緩んだ――その、直後。


「あっ」

「んー、ん……っ!?」


 運動神経の鈍さで足がもつれ、倒れた。もちろん、彼女の方へ。顔に伝わる冷たさに加え、それなりに柔らかい感触はどうにも気分が悪い。好きな女ならともかくこんな女じゃな。


「ぅ……」


 ゆっくりと顔を上げる。どうやら甘利つぐみに馬乗りになっていたらしい。

 ソフトクリームの大半も彼女の制服に付いており、視界は正常。


 口端から白いものを零しながら、ねっとりと白塗りな顔は愉快ではあった。

 軽く鼻で笑った後、追い打ちとばかりに彼女の腹に手を着いて立ち上がる。

 んぐっ、と何か聞こえたが全て無視した。ベンチに振り返り、無事な手さげ袋を見る。


「ちょーっと。私とお話し、しましょうか」


 背後からバリバリとコーンを食らう音と難癖が飛ぶ。懲りない奴だ。


「いつもみたいに壁とお喋りしてろ。俺と同じでまともに友達いないだろおまえ、どうせ」

「う、ぐっ……い、いつもみたいにって! どうせって! な、何よっ!」


 表情を見るまでもない。わかりやすく図星だろう。箱を手に取り、帰路につく。

 この際、顔が汚れていることはどうでもいい。早く立ち去りたかった。


「あ、待ちなさいよ」


 首根っこを掴まれ、「んげぇっ!」と情けない声が出てしまう。


「お、思ったより軽いのね。あなた」

「見ての通り貧弱なだけだろ、嫌味かよ」

「む。まぁ、とにかく顔拭かない? もう最悪。べたべたのでろでろよ」


 文句を垂れつつも顔についたものを舐めている。意地汚いのか、元々は俺のだということを忘れているのか。結局、売店の奉仕ロボに温かいタオルをもらい、顔を拭うことになった。

 とはいえ俺のほうがよっぽど軽傷である。さっさと拭いて、一足先に逃げ出す――が、


「洗いたい気持ちが(まさ)ったから色々失念しちゃったけど、ねぇ……」


 早歩きで追い付いて来た甘利つぐみが、呆れ混じりに一つ息をつく。

 あまりの体力の無さが災いし、角を三つ曲がった裏路地でもう追いつかれたのだ。


「泳げないってだけじゃないのね、あなた。ちょっとくらいは鍛えたらどう?」

「た、いし、つなん、だ……見事なまでに劣等遺伝子、だよな。ははは……一〇〇メートルもまともに全力疾走、出来やしない……本当、妹にはこんなの……なくて、良かったよ」


 たった数十メートル走っただけで、肩で息をする俺は小さく自虐した。


「そう。はいこれ」


 差し出されたボトルを掴んで水をあおる。砂漠でようやくありつけたような気分だった。


「あとこれも」


 息一つ切らさない彼女から目を逸らし、すっ転んで手放した手さげ袋を受け取る。

 それから何も言わず俺は歩き出す。AT車ではなく、ゲーセンに向かって。

 一勝はして気持ちを清算したい。なのに甘利つぐみは後ろをついて来ている。


(どうせ逃げられねぇし、もう二度と会わない……なら、いっそ――)


 諦めてため息をつき、振り返ることもなく。ただ虚空へ言葉を投げる。


「俺の父さんと母さんもゲーマーでさ。と言ってもアマチュア止まりで、だから今は誰にでも出来そうな仕事を掛け持ちしてる。幼稚園の頃だ。適性検査あったろ?」

「えぇ」


 幼少期の三年間はあらゆる適性を測るためだけに費やされ、小等部へ進学すると同時にその適性検査の結果を踏まえて各々が専攻を選ぶということになっているのだ。


「そのとき。あまりの運動能力の低さに父さんと母さんが嘆いてたのはよく覚えてる……二人は覚えてないかもしれないけど。俺は、今でも……たまに同じ日の夢を見る」


 こんな……こんなはずはないッ! 父が叫んだ。

 あ、あれは……私たちの息子なの? 母が泣いた。

 私より、君の方が運動神経が鈍いからッ! 父は怒った。

 何よ、大した結果を出してもない癖に偉そうにしてっ! 母は怒鳴った。

 あのね、ぼくね。がんばって走ったよ。お父さん、お母さん……とは言えなかった。

 ごめんなさい。お父さん、お母さん。うんどうおんちに生まれてごめんなさい……。

 ――だから、ぼくは笑った。


「実際、笑っちゃうくらいの劣等遺伝子だろ? なにせおまえが自販機で飲み物を買ってから追いかけてもどうにかなるくらい、のろまなんだから。はははっ」

「別に笑わないわよ」

「……さっきから気持ち悪い奴だな」


 心の底の底からそう思う。けど別に。どうせ上辺だけのそれとか、相手の機嫌を窺うようなあれだとか。駄々をこねるだけで何にもならない、ただ自堕落なだけの構ってちゃんみたいなくだらない泣き言が言いたいわけじゃない。感傷も干渉も求めていないだけだ。


「あなたが言うの、それを?」

「だけどさ、俺にも二人から生まれたとは思えないほどゲーム適性があるってわかった。よく言われたよ。おまえは運動が出来ない分、ゲームの才能が与えられたんだって」


 今でもふと胸を締め付けられるがときがある。もし……ゲームの才能さえなかったら、と。


「そう……でも、泳ぎが必要になるゲームもあるはずよね?」

「泳げなくて困ることなんて、本当にごく一部のシチュだけだ」

「プロになれば、それでは困ることもあるかもしれない。ずっとそのままでいる気?」

「そのときは誰かを頼る。けどそれは、おまえである必要がない。ただ泳げるというだけならゲーマーにだって普通にいる。わかれよ、俺の人生にいらないんだよ。おまえ」


 世界は新しい生命を祝福するだろう。けれどその全てへ平等に椅子を与えたりはしない。

 ねだって与えられるものなどない。誰かに譲ってもらえるものなどない。


 だからこそ、一つでも多く勝たねば――いや、勝ち続けなければならない。

 この世界で俺という存在を証明するために……俺が、俺であるためにもだッ!


「もういいか? 大体おまえさ、遺伝子なんて興味もないですー、人は才能じゃなくて物事に対する姿勢なんですー、みたいな態度をしてるけど。おまえが競泳を好きでいられるのも才能だろ? 遺伝子だ。普通に泳げば自然とタイムが出て、勝てるから好きなんだ」

「そ、それは……それは違う! 得意不得意は好き嫌いじゃないッ!」


 よっぽど気に障ったのか、右肩を掴まれて向き合うことになった。

 しかし、ただまっすぐに。俺は、俺自身の言葉を彼女にぶつけていくだけ。


「違わないだろッ! 必死に努力しても勉強できない奴が勉強を好きになるか? 必死に練習してもゲームで一度たりとも勝てない奴が、ゲームを好きになると思うのか? できないことなんて何も面白くないし、そんなの時間の無駄でしかないんだよ! 短所をどうするかよりも長所を活かす! それが普通だろッ! 無能の遠吠えなら笑って終わりだけどよ、才能があるらしいおまえが上から物言ったって単なる嫌味でしかない! それくらい、わかれよ」


 勝てるまでやるのは勝手だろう。けどそれは悔しさで、ただの感情に過ぎない。

 勝つという成功がない限り、悔しさは好きという感情に届くことなどありえないのだから。


「自分の感情を世の中の価値基準に測られるなんておかしいでしょうっ!? 嫌いなものとか苦手なことにどう接するかで人間性も感性も色もわかる! ただ自分の家系が泳げない程度で俺も泳げないんだと決めつけてッ、生まれ持った欠点の一つや二つごときで挑戦さえもしない玉なし野郎っていうだけでしょッ! あなたがッ!!」


 こいつも案外、口が悪い。そうだ、敵はこのくらいわかりやすい方がいい。その方がずっと楽でいられる。しかもほとんど感情で喋るから、話の噛み合いも微妙だ。笑える。


「……おまえ、あれだ。勉強ができるだけで実は道徳的に馬鹿なんだろ? 物差しには目盛りがあって、目盛りは比べるためについてるんだろうが。笑わせん――」


 な、と言いかけた直後。痛烈な平手が俺の頬を打ち、快音が裏路地に響き渡った。

 身体が宙を舞う。しかし伸びてきた彼女の手が胸倉を掴み、その回転を止めた。


「遺伝子に人生を枠にハメられて、それでいいやと感じる心しか育てていないからそうやって思考を止めて生きている。えぇ、みっともない! 楽でしょうね、恥知らず!」

「初対面のくせに散々な物言いだな、甘利つぐみ?」

「須方剣山の態度が言わせるのよッ!」

「そもそもズレてんだよ。俺は努力を馬鹿になんか一切してねぇ。そんなことは当然すぎて、それしか主張できないおまえの浅はかさに呆れ果てているのですよ、俺は」

「だから……っ!」

「う、がッ」


 突き放され、尻餅をつく。しかも手首を軽くひねったらしい。それでもアドレナリンの分泌によるせいか痛覚は鈍く、しかし思考は冷静だ。ゆっくりと身を起こし、相対する。


「古い歴史書にもあったはずだろ。学生時代は結果が伴わずとも努力だけで認められることはままある。なのに社会に出てそれが通用しないのは何故か? それは、努力するなんてことは大前提だからだってッ! そもそも他人に劣ってるってわかってるのに努力さえできねぇ奴は何なんだッ!? 才能がないからってか? 嘆いたって自分の持ってる武器は増えたりしないんだよッ! そんなに世界が不満なら……自分に絶望して生まれたことを呪うなら! どうぞ首吊って死ねばいい。それでも続くさ人は、世界は――ッ!!」

「そんなの、古代の価値観が言った言葉でしょう。今を生きてみせなさいよ!」

「よく言う。できない分野を少しできるようになるための努力と、他よりも才能のある分野でより上を目指す努力を一緒くたにするな。だから話がややこしくなる!」

「努力は努力よ。それをどう受け取るかまであなたに揶揄される筋合いはない!」

「はッ、さぞ羨ましい人生経験がそれを言わせるんだろうな。くだらねぇ」

「……別に。ただ、普通に生きていてふと疑問に思っただけよ」


 冗談を笑い飛ばすこともなく、口論は白熱していく。

 吐息が交わりそうな距離になろうとも、お互いに譲れぬ意志だけがある。


「チッ、十数分で二度と会いたくないと思ったのは人生ではじめてなんだよ。とても有意義で建設的な時間だった。俺の一生の思い出だ。どうもありがとう、さようならッ!」

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