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境界線上の裏と表 1

 人類史に記された最後の戦争において、地球総人口はおよそ六〇〇万人にまで減少した。

 人間の重みで地球が潰れることはなくなり、ここに至ってようやく人類は自らが増えることだけを求めた、というのは現代における一般常識の範疇である。


 おのずと多夫多妻は恒常化し、比例して世界人口は爆発的なまでに増加。同時にその過程で芽生えた生命礼賛主義が、強い反戦意識を根づかせたらしい事実は奇跡と思う他にない。

 だが、ともすれば別の問題が生じるのもまた当然のこと。


 それは流れていく時の中で〝多くの尊い命が生まれてくる現実に慣れた〟ことにあった。

 生命を礼賛するだけでは、幸福を感じられなくなりはじめたのである。


 人は誰しも一度自らが手にしたものを手放せない。

 地位や名誉、財産に環境。それらが与える全ての幸福は得たその瞬間、自分を構成する血肉へと変わってしまう。ならばその喪失は一種の怪我で心の傷だ。


 人が傷を癒そうとするのは、生体内の反応としては至極自然のことである。

 だから手放せないし、そもそも傷はないのが普通だろう。


 ――停滞。それは、首をゆっくりと締め上げていく一本のロープのようなものだ。

 際限なく新たな刺激を、今を超える幸福を求める。それこそが本能。

 結局のところ行き着いた先が、闘争への回帰だというのだから笑い話にもならない。


 けれど最低限の反省はあり、これこそが生命礼賛主義の賜物だった。

 多様性という使い勝手のいい理念の元、ただひたすらに戦争の火種であり続けたゲノム編集ではなく、より単純な結論へと身を任せたのである。


 それが命を奪い合う以外で、無限に幸福を得られる可能性を孕んだ現代の苛烈な競争社会が生まれたきっかけ。ともすれば誰より上へ、先へ行くためには競い合える他者が必要だった。


 すぐに多夫多妻制は廃止となり、元々〝殖えるにあたっておよそ邪魔でしかない〟同性愛やトランスジェンダーなどは劣等遺伝子として忌避されるようになり、処分対象となった。

 そんな歴史から続く歪な時代を――俺、須方剣山は今日も生きている。


「――ふわぁあ、ねむ……」


 寝ぼけた瞳が、ショーウィンドウに映る制服姿の自分を見た。

 身長一八〇センチ、体重六〇キロ。贅肉こそ少ないが、控えめに言っても貧弱。

 顔は整っているほうで、黒髪に赤メッシュは自分で言うのも何だが似合っていると思う。


 しかし、昨晩は妹の特訓に付き合わされたせいで寝不足。登校は億劫だった。

 乱立する背の高い建物。その壁に映し出された広告の数にもうんざりする。

 ふと馴染みのメロディーが耳に届いた。街中の時計を確認すればジャスト七時。


 街頭ホログラムビジョンの一部が切り替わり、〝昨日(さくじつ)の最終報告〟という見慣れたテロップが中空を流れていく。続いて浮かび上がるのは派手な衣装の少女だった。

 桃色のツインテールを揺らし、白、黒、紫、桃で全身を固めたゴスロリ縞ニーソ。


「みんな~、おはろはろーっ! 毎度おなじみおはようからおやすみまでっ、いつもあなたに寄り添う超スーパーアイドルっ! ナデシコちゃんが五月九日の月曜日、午前七時をお知らせしちゃうよ~。あっ、いつも応援ありがとうね~。愛してるよ~」


 称して超電脳アイドル――あざとかしこいラブリーゴッデス、ナデシコちゃん。

 彼女は国が運営する人工知能であり、愛嬌をふりまきながら手を振っていた。


「というわけで早速っ、毎朝お馴染み昨日の最終報告いっくよ~。まずは~事故発生件数――まあまあ。事件発生件数――ちょいちょい。犯罪者数――ゼロ。処分者数も――ゼロ。ふふ、さっすが王国民……じゃなかった、日本国民っ! 優秀だぁねぇ~」


 この世界において、重度の罪を犯した者の人権はその瞬間に剝奪される。

 だから前半はともかく後半は、常にゼロであり続けていた。

 そのため気にすべきは発生件数の方で、今日の言い方だと二桁に届くかだろう。


「は~いっ、それじゃあ本日も一日ぃ~、張り切って結果を出していきま、しょうっ! ――以上っ、ナデシコちゃんから、昨日の最終報告でしたぁ~。それではでは~、お次は〝おれ、わたしの歌を聴け〟のコーナーっ! の前にお待ちかねっ! ナデシコちゃんの新曲――」


 そうしていつものように宣伝へと移っていく。街の各所でサイトへの誘導コードが浮かび、脳内にインプラントされた生体端末が網膜投影により反応した。


 デフォルメされたナデシコちゃんが現れ、是非の二択を迫る。ひとまず宙を弾いて一旦保留しようとし、その指を今にも泣きそうな顔に止られる。反則だった。

 ナデシコちゃんの口癖のように〝ゴミはゴミ箱へ〟ともし辛い感じだ。


 諦めて新曲のサイトへ飛び、購入しようとするも通常版と限定版共に〝購入済み〟の表示が出た。すると彼女は慌てた様子でぺこぺこし、ばいばいして消えた。可愛い。

 そんなこんなで最寄り駅へ着き、残高の確認をすべく脳内に起動の意識を走らせた。


 すると瞬間的に視界前面へ半透明の枠が表示される。ずらりと並ぶ項目欄の中から財布型のアイコンを選び取り、確認。今度は停止の意識を高めて電源を落とした。

 残高は十二万六五〇〇円で通学に支障はなく――と、今になってその理由を思い出す。


(あぁ、妹の入賞祝いで少し下ろしてそのままだったか)


 何をかざすでもなく改札区間を抜け、支出を合図する電子音とともに先を急ぐ。

 遥か昔は定期なるものがあったらしいが、能力基準ではない優遇など信じ難い。


 ホームで待つこと数分。音も無くやって来た超電導の海底リニアへ乗った。

 適当な座席に腰を下ろす。到着まで一〇分もないが、仮眠は取りたい。

 なのでインプラントに〝停車二〇秒前に交感神経を刺激〟と設定をした――そのとき。


 俺は端整な顔立ちの大学生らしい女を見て、思わず顔をしかめた。

 女は細首の頸椎に接続されるチョーカーから有線を引っ張り出し、その端子をあろうことか直で座席に備わる小型のポータル――その差込口に差したのだ。


(うげぇ。公共のサブポータルに追加アダプタなしでターミナルぶっ差すなよ汚ねぇ……)


 俺も黒いチョーカーを身に付けているが、追加アダプタは既に装着済みである。

 このチョーカーはあくまで、独立した端末に過ぎないインプラントの機能を拡張するためのものであり、各種ポータルとの中継役を担っている。

 そしてポータルは他者との発信・受信を目的とする装置であり、分類は主に四つ。


 一つ、街の様々なところに設置されるサブ型。通称SP。

 接続により不特定多数との交流や、あらゆるサイトの閲覧がはじめて可能となる。

 二つ、各企業などが保有するSPよりも上位権限を持つメイン型。通称MP。

 俺の身近なところで言えば、ゲーセンの筐体SPから接続するのが主な接点だ。


 三つ、各国が自国民のインプラントと一方的に同期するアドバンスド型。通称AP。

 通話や精算等は全てここを経由し、〝APからお知らせ〟として連絡が来る仕組みだった。

 そして四つ、それら全てを統括するコア型。通称CP。


 一言で言えばこの世の絶対である。規則は善を守るために存在せず、悪を排するために存在すると。幼少期までの誰もがその身をもって知っている常識だろう。


「――――――――」


 気づけばいつの間にか寝落ちしていたようで。癖になる刺激を感じて目を覚ます。

 二〇秒後に停車し、見慣れた風景の中を行きながらやがて辿り着いた。三本の連絡橋と海底リニアでのみ接続され、首都近海にある天蓋――人工島。そこに獅子堂学院はある。


 堂々と浮かぶ学院の敷地面積はおよそ百三十万平米。ちょっとした街が三つは収まる程度に広大だ。高等部だけでも三学年合わせて六〇〇〇人余りが在籍しており、一学年で五〇クラスが存在する。大学まで一貫校のため、数字酔いとなってもおかしくはない。


 正門では巨大な有角の獅子像が存在を主張しており、それを横目に見ながら俺は九階建ての第二高等部校舎へ向かう。時計表示は既に八時。七時半には敷地内にいてもこれだ。


「おはよう」


 一年三十七組の教室へ入り、いつものように声をかけるといくつかの返事。

 それから最後列で左から二番目の席につく。机に取りつけられたSPにチョーカーの端子を刺し、伝達事項や校内電子掲示板等々を隅々までチェックしていった。


(ん。なんか、学力の校内順位が一つ落ちてるな。転入生でも来たか?)


 前日まで九〇位だったはすだ。とはいえ俺が在籍するV‐sports専攻内の順位は不動なので問題ない。まぁ、三百六位という現状には不満はあるが……。

 運動神経の悪すぎる俺は、リアルの身体能力に左右されやすいFPSなどの成績が絶望的に悪いのだ。それこそ一〇番台から三桁台まで叩き落とされるまでに。


 やがて予鈴も鳴るかという頃。クラスメイトが教室に駆け込んで来て、俺が普段校内でよくつるんでいる連中も四人ばかり近くに集まっていた。

 全員もれなく運動部であり――ピクトグラムABCD。共通項はかなり少ない。


 これは一種の共存。そう、彼らは誰一人としてゲームの才能を持っていないのだ。

 そして、HR開始までの時間。話題はやはり時期外れの転入生についてだった。


「バカ共に教えてやろう! その転入生がどういう女なのか!」


 他人に関心がないせいか、ピクトグラムに見える友人の一人が嬉々として言う。


「なにっ! 知ってるのか!」

「おうとも。見かけない女がいたから声掛けて色々聞いて写真も撮った。だから、ほれ」


 チョーカーからコードを二本引き、俺たちは輪になって一つとなる。

 インプラントの表示枠は、基本的に他者が勝手に覗き見ることはできない。


 そのため立体写真を共有するには、転送するか有線で繋がる他になかった。

 中空に映し出されたのは、けしからん尻をしているに違いない女子。

 足も良い感じで、顔も凛々しさと可愛らしさを兼ねた、醜さとは無縁の薄笑いだった。


 髪型はやや内巻きの癖がある薄い水色ショートボブ。紫の双眸で、身長も推定一七〇センチちょい。間違いなく尻はデカい。胸はまぁ普通でケツが丸そう!

 何よりハイレグが映えそうな尻だろう、というのが最終的な印象だった。


「今日から一年三組に転入したらしい、甘利(あまり)つぐみちゃんだとさ」

「へぇ、結構可愛いじゃん」

「何言ってんだよ。顔とか性格より才能だろー?」

「あぁ。可愛けりゃ何でもいいなんて、大昔のクソみたいな価値観だ」

「うほぉ、相変わらず剣山辛辣ぅ! もうちょい肩の力抜いて生きよーぜ」

「それな。で、彼女。なんか話聞いたら獅子堂に来たのも不本意だとか何とか」


 友人Dが「ハァ?」と首をかしげる。その反応はもっともであり、俺も同じ気持ちだった。


「どうにも大会の成績は普通らしい。けど、自主練でプロ顔負けのタイムをうっかり出しちゃったらしくてな。それを顧問に見つかったから獅子堂の競泳専――」

「――あっ、もうHRだから席に戻れよ。おまえら」

「結論がはえーよ。剣山」

「つっても、恋愛で考えたら妥当な反応だろ」

「運動音痴極まって泳げねぇんだからよぉ、どうしようもないって話だぜ」


 一瞬で転入生への関心を失い、思いきり机に突っ伏した。

 ちょうど担任がやって来て、友人たちも散っていく。時間を無駄にした気分だ。


 ――そう、俺はまったく泳げない。母方はともかく父方の家系は例外なく泳げないのだ。


 やがてぼーっとしていれば、簡単なHRが終わる。まぁ、いつもと同じ朝だった。

 九時から専攻ごとに異なるカリキュラムをこなし、いつも通りに時間が過ぎていく。


 体育会系連中も二時頃には部活動に消え、俺たちV‐sports専攻学生も三時には共通カリキュラムが終了。そこから各々活動を開始する運びで、俺は校外活動が中心の帰宅部だ。


「やっぱ飛び入りできる大会はどこもいまいちな感じがなぁ」


 自席のSPと有線接続し、俺は全国で開催中の大会を確認する。

 ゲーセンに行けば数少ないゲームは全て網羅されているため、筐体SPから各公式・非公式大会にエントリーすることは容易だ。もちろん、大規模な公式大会ともなれば現地集合を求められる場合がほとんどだが、今日はそれをするつもりもない。というよりもできなかった。


(サビーヌ杯のエントリー条件に〝開催当日まで本大会以外の参加を認めない〟なんて余計なものがなければ参加できたが……ま、ぼやいてもしょうがないか)


 インプラントの電源を落とし、登校時と同じように手ぶらで教室を後にする。

 廊下の窓から遠くのウォーターアリーナが目に入り、ふと転入生を思い出した。


(しかし、良い尻を期待させる奴だったな。写真でも撮らせてもらうか、覚えてたら……)


 まぁ、俺とは縁のない人種だろう――と。このときはそう、思っていたんだがな。

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