振る者、振られる者
続きを書けたらいいな、と思いながら名前を付けているだけのため、基本的に一話は主人公と(辛うじて丹村)という女の子以外の名前は流してもらって支障ありません。
夜空に敷き詰められた満天の星々を、真っ白な雪が彩る十二月のある日。
俺たちにとって思い出深い公園。もう体格的に不釣り合いな滑り台の上で。
橙色な長髪を揺らしながら澄んだ瞳で空を仰ぎ見る彼女は不意にこう言った。
「ねぇ、剣山てさ。あまり指摘してこなかったけど、滑舌悪いよね」
ささくれたことを言う彼女は幼馴染で、同じV‐sports専攻の中学一年。
十三歳であり――現在、俺は人生の分岐路であろう場所に立たされていた。
なにせたった今思うままに好きだの愛してるだの、抱き締めたいだのキスをしたいだのと、確かな熱量を持ち、彼女の目を見て心を言葉にしてみせたばかりなのだ。
「それはそうかもしれないが。で、どうなんだよ。告白の返事は」
ぐらつく心をどうにか踏み留まらせ、告げた想いに対する返答を促す。
「奈那子、それってあまり良くないことだと思うのよね」
奈那子が向き直り、俺を見下ろして。さながら教師のような調子で続けた。
「たとえば、能力的にそれほど変わらない人たちがいたとして。いざ! というときになんて言ってるのか全然わかりません。じゃ、お話にならないでしょ? コミュニケーションが大事なのはもちろんだけど、同じくらいそこにストレスがないのも大事よね」
「一理はあるな」
「それなのに面倒よね。何度も聞き返したりするのは。あと同じくらいコミュニケーションは性格も大事よね。隠れてばかりで自己主張がないのも奈那子は問題視するわ。けれども性格は環境が作るもなのだから、環境さえ変われば人も変わっていけるものでしょ。わかる?」
再び相槌を打つ。彼女は暗がりの中、小さく口端に笑みを浮かべる。
「うん、よろしい。でも滑舌は違うと思うの。だってね、わざわざそのためだけに時間を割く必要があるでしょ? 短所を潰していく労力で長所を伸ばしていく方が人生の正しい費やし方だもの。つまりね、それが子供に遺伝するかもしれないのは嫌なの。だから……」
曖昧に言葉を区切り、滑り台を立って滑り降りる。スカートの雪をはたいて正し、奈那子はそのままブランコの方へ歩き出した。向かう先には両手で耳を塞ぐ大きな人影が一つ。
もう一人の幼馴染だ。震えながら耳を塞ぐ手を取り、彼女がはっきりと口にする。
「だから、ごめんね。奈那子は剣山じゃなくて、則隆を選ぶよ」
「え……」
呆然、唖然。本音を言えば、振られるなど微塵も考えてはいなかった。
自分には彼女に認められるだけの才能があるし、結果もある程度は出している。
もちろん、俺にとっての奈那子も同じ。だが、告白の結果――見事玉砕。
後のやり取りはあまり記憶にないが、彼女は則隆に告白し、翌々日には婚約。
いつも俺の後ろに隠れていた泣き虫を連れ、春の訪れとともに蓋世学園へ転校した。
つまりそう、彼女は俺の人生という物語のヒロインではなかった。
ただそれだけのことであり――それだけのことが、俺に深い傷痕を遺したのだった。
*
「須方君、あたくしと付き合わないかしら」
「す、須方くんっ! わ、私と付き合ってくだひゃいっ!」
それは中学二年生の頃。広大な敷地を持つ一貫校、その噴水広場でのことだ
二人の同専攻生から呼び出された俺、須方剣山は同時に告白を受けていた。
だが驚くこともない。これまでいくつかの大会で上位の成績を残したのだから、こういったイベント自体はこれまでにも多く経験がある。というよりあって当然だった。
凛然とした態度で髪を払う前者――大原絵理奈。
ウェーブのかかった亜麻色の髪の乙女という感じで、正しく美人と呼ぶに相応しい。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込む。胸はわずかに控えめながらも尻や太ももの肉つきは男が好むそれ。容姿で他者に劣ることもまれであり、そこに不満はない。
兄妹が多く、口調の割に面倒見も良いと評判。彼女の性格を嫌う人間などこの学校ではごく僅かだろう。学業においても申し分なく、むしろ俺より良いはずだった。
一方で可愛らしく言葉を詰まらせる後者――田中芳子。
緑髪の三つ編みおさげ、そばかす、眼鏡。顔はお世辞にも良いとは言えない。
とはいえ甘い声や豊満な双丘、陰気さを含まない性格は気持ちの良いものだ。
幼い頃に両親と祖父母を病で亡くした施設育ちなこともあってか、彼女は他の誰にも劣らず涙脆く献身的で、情熱的な心を持ち合わせていた。それが好ましいと俺も思う。
仮に告白を受け、手を取るとするならば。絶対的に――田中芳子のものだろう。
同情などではなく、理由は至ってシンプル。それは――圧倒的なゲームセンスの差である。
しかしそれも奈那子には劣っており、返事も最初から決まっていた。
「ごめん。俺は、おまえたちのどっちとも付き合……――」
言いかけ、瞬間。かつての光景が脳裏にフラッシュバックする。そして、
「うッ、おげぇえええええッ!!」
「「いやぁあああああああああっっっ!?」」
断りの代わりにゲロを二人の頭上から浴びせてしまったのだった。
〝外道、須方剣山は語る。才無き者にはゲロを吐け〟なんて見出しで後日、何の取材もなしに好き勝手あることないこと校内電子掲示板に書かれる始末である。
そう、あの玉砕以来。俺は告白アレルギーなるものを獲得してしまったらしい。
するされるに限らず告白に関わっていれば嗚咽が込み上げ、蕁麻疹が出てしまうのだ。
「――ということが、あって、だな……」
「へぇ、凄いなぁ」
七階建て中等部校舎の屋上。三重の鉄格子にだらりと身を預けている、あくび混じりの声が応じた。長い黒髪を風になびかせるのは、丹村夏海である。
彼女は国内トップレベルのこの学院だけでなく、歴代卒業生やプロ、海外勢を含めても群を抜いてゲームの才能に満ちあふれる少女だった。俺よりも格段に上である。
死に物狂いに挑んでなお、足元にも及ばないかもしれない。それほどの絶対性すら感じる。
しかしだ。奈那子に振られた俺が、彼女の才能に惹かれてしまうのも当然だった。
「な、夏海。おまえ……俺がこんなになって、一生懸命に事情を話してぅうぼぼがが」
「うわぁ汚いなぁ、実に汚い。だけどいいよ。もっと出しちゃえ、出しちゃえ」
数メートル離れた位置で、黒ビニールに吐きながら上目遣いで睨む。
「嫌だなぁ、ボクだってちゃんと聞いてたよ? でも確かに文大さんが言う通りキミの滑舌が悪いから半分くらいしか伝わらなかったけどねぇ」
確かに聞いていたらしい。その一言は的確に心に効く。
春らしくまだ僅かに冷ややかな風が頬を殴り、糸目が楽しげに笑って続けた。
「それにキミ。吐いてるってことは、ボクでラブ感じちゃってるってことだろ?」
「そう、だ! 俺はおま――おごぼげがおあおあおあっ」
「あははははっ。ちゃんと言葉にしないと意味ないぞ、お間抜けさん」
跳ねるようにひるがえり、健康的な太ももを露出するホロプリントスカートから何かを取り出す。チュッパチャプスだ。それをくわえ、からかうように言った。
「まぁ、もちろん。わざわざ口にする必要もないことだと思うけど、その告白にはノーを突きつけざるを得ないところが、ボクと今のキミとの悲しき運命というわけだねぇ」
「…………っ」
「たしかにボクへ迫る才能の片鱗は感じる。けど色恋の度に蕁麻疹が出て、嘔吐をするなんてアレルギー。劣等遺伝子以外の何ものでもないんだよ。それはわかるだろ?」
劣等遺伝子。その認識にはまったく同意だった。自分より格上の異性が持っているのならばともかく、俺は彼女より明確に格下なのだ。返す言葉などありはしない。
夏海が傍まで近づいてくる。彼女は赤い瞳を光らせ、耳元でそっと囁いた。
「もしボクが今のキミの精子で孕んだ赤ん坊の顔を見たら、それこそ吐きそうだよ」
侮蔑というより落胆や失望を含んだような声に聞こえた。くわえていたチュッパチャプスをゲロまみれの口に突っ込み、軽く手を振って夏海は屋上から去っていく。
「うげぇ。レバニラ炒め味じゃねぇかよ、クソまじぃ……」
嫌いなのですぐに吐き出し、よろよろと鉄格子の方へ向かう。
学院の敷地でそれぞれ励む生徒たちが見え、俺は彼らに届かせる気持ちで叫んだ。
「俺は絶対っ、おまえらよりいい女を彼女してやるんだからな覚えてろよぉおーッ!!」
こうして再び玉砕と相成り、二年後。欠陥を抱えたまま中等部を卒業。
一方でいい笑顔で振った夏海は在学中に海外へ留学。当然結果を出し、そのまま戻ってくることもなかった。そして、五月。獅子堂学院高等部に進学し、早一ヶ月が経った頃。
俺は――――あの女と出会ったのだ。