マッチングアプリで出会った色々な人たち
今流行りのマッチングアプリを体験した事
私はある日、娘がスマホでぽちぽちと怪しいそぶりをしているのを見つけた。「何してるの?」と聞くと最初は言いたく無さげだったが「マッチングアプリ」をしてると言った。「そんなSNSなんて危ないから辞めなさい」と言うと「ママもする?」と言って私の言う事など聞かずパシャっと私の写真をとり投稿し始めたのだった。
最初は嫌だったけど今まで親1人子1人で行きて来て
娘がもし嫁にいったら私は1人ぼっちになってしまう。
一緒にご飯に行ったり映画に行ってくれる人がいたらいいなーと思う様になった。でもこのころはマッチングアプリがこんなにも難しいものだとは思いもしなかった。
マッチングアプリの中では、私はまだモテると錯覚するくらいいいね!がくる。最初に会ったのは30代の男性で会ってもこの写真があなたですか?というくらい写真が違う人だった。写真の何倍も太っていた。
どこに行くかとか計画もなく何処かお茶をするとかもなく、車でそこら辺をウロウロするだけだった。
私の名前は加代子。その男性が「加代子さんと会うの緊張して昨日寝れなかった」と言って車を止めそのまま寝てしまったのである。えーマジか!と思って1時間くらい待っていたのだが段々腹が立ってきてそのまま車を出て歩いて家まで帰った。そのままブロックした。
2番目の人はマスクをした写真だったけどカッコよさげだったのでマッチした。名前は周平という。
メッセージはお互いはずんで楽しかった。メッセージを続けるにつれ私は周平への理想がとても膨らんでいった。しかし周平はなかなか会ってくれない。ずっと仕事だと言いクリスマスも会えないと言う。
そんな中、年末にやっと会えることになって私は正直嬉しい思いしかしなかった。ウキウキワクワクで待ち合わせの場所に向かった。待ち合わせの場所に行ったのだがその人の姿は見当たらずその場をウロウロしていると後ろから加代ちゃんと呼ばれた。振り返ると周平らしき人が立っていた。プロフには身長170㎝と書いてあったのに私は167cmで見ると158㎝しかない。
しかもマスクを外した顔は全然カッコよくない。
私は大きな石が上からガーンと落ちてきた衝撃があり動けない。もう帰りたい。と思った。2時間くらい食事をして帰った。今考えると休みの日も会えないし既婚者率が高い。
私は男運がないのか、クズ男が好きで自分からイバラの道を歩いているのだろうか?今、私は53歳だ。
26歳の時同じ年の人と結婚した。私はやんちゃ系の人が好きだ。好きという魔法にかかっているとタバコをスパーと吸っている姿もカッコいいと思ってしまう。
彼は昔ホストだったらしく女性が喜ぶ言葉を知っている。「今日もかわいい」「甘えてもいい?」
「おまえは俺の女だ」「俺にはおまえしかいない」
コンビニに行く時もおまえ1人で行くと危ないから一緒に行く。まるでお姫様の様に扱ってくれた。
おまえがいないと生きていけないと母性本能をくすぐってくる。大抵そう言ってくる人は今もたくましく生きている。その元旦那は結婚してすぐにあろう事か
寿退社をしてきた。結婚してから、いわゆるヒモになったのである。ゲームしたりテレビを見たり、これから一家の主になる人とは到底思えない素行ぶり。何回も喧嘩してやっと就職活動をするも落ち続ける毎日が続いた。あまりに落ち続くのでトラックの自営をすると言い出しトラック代と経費で一気に借金を背負う事になってしまったのである。私達は朝から夜中まで働いた。しかし、借金や他の払いものをしてしまえば、
殆どお金はなくなる。そんな中私は妊娠をした。
周りに言えば初孫であり両家とも待ち望んでいたものだったのでとても喜ばれた。私は悩んだ。
しかし子供を生む事を選んだ。
私は働きながらつわりがとても酷かったが新しい命の為頑張った。そして、娘が誕生した。名前は由希、希望を持つ様に名付けた。とてもかわいい。この子の為ならなんだって出来る。尊い魂の塊でしかない。愛するということはこんな感情なのかとこの子に教わった一つ目の事だった。由希はよく熱を出したり痙攣を起こしたりし、夜中は夜中中、夜泣きをして旦那と私は
へとへとな毎日を起きて、自分の仕事をして、寝るの繰り返しがあわただしくすぎる一方だった。
2年ほどたった頃、旦那が友達と遊びに行って来ますと言った時から違和感が発生した。仕事から帰ってきたらおしゃれをして出て行く様になり、「本当に友達?」と聞いても「友達」と言うだけで夜、遅く帰ってきたり仕事から家に帰らず夜遅くに帰ってくる事が続いた。旦那が寝てる時に携帯を見ようとしたが、暗証番号がわからない。
ある日の夜中、話声がするので私はふと起きた。
旦那が他の部屋で誰かと話している。内容は女性であろう相手に「早く会いたい」「好き」という内容だった。暗闇にわたしは仁王立ちで後ろで聞いていた。
電話が終わって振り向いた瞬間ワァーとあとっずさり
をして「なにも言ってない」と訳わからない言い訳をしたので私も「もう出ていって」「帰って来ないでもいい」と荒い口調で怒りをあらわにした。
結婚する前は仕事が終わったら毎日会い喧嘩もするけど中のいい楽しい2人だった。おじいちゃん、おばあちゃんになっても手を繋いで歩こうねって約束していた。私が我慢すればいいのか…また元に戻りたい。
子供が出来てからストレスが溜まり怒鳴りまくる事が多かったのはたしかだ。
しかし、旦那から出て行くと言ってきた。
娘が3歳になった時だった。旦那に娘が18歳になるまで養育費を払う事を公正証書を書いて貰ったが今、思えばそれも1年で終わったのである。
旦那が出て行く時「行かないで」と号泣して土下座して頼んだ。娘もまだよくわからないのに、私と一緒に号泣していた。それを見て旦那は「バイバイ」と言ってさっさと去って行った。
私は涙が止まらなかった。ずっと涙が枯れ果てるまで
泣いた。借金する為に結婚したのか、誰もが幸せになる為に結婚するんじゃないのか?昔、叔母さんに「結婚って幸せ?」と聞いたことがある。叔母さんは小さい声で「地獄の始まり」と呟いた事を思い出した。
思いっきり泣いて涙がもうこれ以上出ないとなった時に、ああ。私はこの子を育てて生活をして行かなければならないと思った。私も自分だけが大変で自己中心的だったことを反省し人の役に少しだけでもなれる様に右も左もわからないが介護士になろうと思った。
前向きな考えに変えると運は上がってくる。
大学卒でもここで働きたいと思う人が多い国が運営している施設に受かったのだ。夜勤があるので、実家の母に子供をあずけて行っていた。由希は私がいないと寝ないらしい。母は毎回、「ママが働かないと由希ちゃんと一緒に暮らせないでしよ?」といって宥めていたらしい。だから、由希は私に対してわがままは言わなかった。
毎日を忙しくしていると元旦那のことは、忘れていく。のだが…元旦那の借金の保証人になっていたのが、ふりかかってきたのである。やっと自分で働いたお金で娘と2人で暮らせるお金が出来る様になったのになぜこんな事になるのだろう?人は誰しも重い苦しい悩みを背負って生きているのだろう。悩みは人それぞれ違っても這いつくばって生きて行くしかない。
自分達はお金を使いたくても我慢して生きていく。
そんな中、母が甲状腺のガンになった。私達が住んでいるところは熊本だが手術が出来るのは大分にしかないと言われて大分に入院した。仕事が休みの日は娘は叔母にあずけて大分に通った。八方塞がり、やらなくてはいけない事をただただ動く毎日だった。
母がやっと治り帰ってきた。髪の毛は抜け落ちていたが、「大丈夫、大丈夫また生えてくるから」と明るく言った。母は明るい性格だ。だが私はネガティブな性格だ。子供の頃褒められた記憶がない。祖母や親戚から悪いところしか指摘されなかった。子供は褒めて育てる方がいい。
マッチングアプリは男性から褒めて貰えるのが、女性扱いして貰えるのが嘘でも嬉しい。
3番目に出会った人は最初は真面目で話もよく合うし、好きな食べ物も一緒だったしおなじ年でもあって
毎晩LINEでお話しをした。身長が183㎝なところも気にいっていた。今度会う事になった。でもその人が言うには「会う時はノーパン、ノーブラで来てほしい」
えー!今まで話していたのはなんだったんでしょうか?その後も「俺はEDなんだけど加代子と身体の関係は持ちたい、彼女は前マッチングアプリで付き合っていた人がまだ忘れられないから作れない」と言われた。ひえー私にEDなのにセフレにするんですかー?
私は行くのを辞めてドタキャンした。
50年生きて来て色々な体験をし、学んだ事が多くあるということ