疾走符
イルヤたちを埋葬したあと、疾斗とアズーはとりあえず1日ルァヴィンで休み、翌朝イルヤが死に際に言いかけたことについて話し合っていた。
「イルヤさんが言ってた、“都”ってのはどこにあるんだ?」
疾斗は少々暗い声でアズーに尋ねた。
アズーは少し考えて、「ここから1番近いのはアブソールかな」と答える。
「アブソール?」
「うん。“教都アブソール”。僕たちが信仰してるフォルタ教の総本山、フォルタール大聖堂があるところだよ」
「“1番近い”ってことは都は1つじゃないのか?」
「そうだよ。レヌァスンには都が4つあるんだ」
「イルヤさんが言ってたのはどこだと思う?」
この問いだけは、アズーには答えられなかった。
「わからないよ。でも、」
そこでアズーは一旦言葉を区切る。
「でも、本当に行かないといけないのかな、って」
この意外なひと言に、疾斗は目を瞬かせるしかなかった。
「“行かないといけない”って言ってもよ、それが2人の遺言だったんだぞ?」
「わかってるよ。でも何かちがう気がするんだ」
ここまで話して、このやりとりにはキリがつかないと判断した疾斗。
「考えてても仕方ないな。そのアブソールってところに行くぞ!」
そう言ってアズーの背中を左手で叩こうとした彼は悲鳴をあげた。
「どうしたの?」
アズーが地面に座り込んだ疾斗に訊くと、疾斗は、「折れてたの……忘れてた」と苦笑してみせた。
それから2人は食料をできる限り集め、地図を見ながらルートを決めて、日が真上に登る頃にルァヴィンを出発した。
出発から2時間。
2人は大きな沼地にさしかかっていた。
「アブソールまではどれぐらいかかるんだ?」と、はるか前方に大きな山を見据えながら疾斗が尋ねる。
「この感じだと、30時間……くらい」
この返事に疾斗は口をだらんと開けて、ワイシャツの襟を右手でパタパタさせた。
「あぁ、暑い!」
そうして疾斗が天を仰いだ瞬間、左側にある大きな沼から何かが飛び出し、「うわっ!?」という声とともにアズーは姿を消してしまう。
慌てて疾斗は辺りを見回した。
「くそ、さっきの何かが連れてったのか? てか速すぎだろ!」
途方に暮れていると、前方の沼から複数の何かがゆっくりと這い出してきた。そのおかげで疾斗は何かの正体が絵本の世界に出てくるような半魚人だということに気づく。
そんな彼に、半魚人たちの中でも少し格が違う様子の個体が起こり気味に問いかける。
「きしゃま、この沼地は俺しゃまたち、半魚人のナワバリだと知っていて入ってきたのか?」
「そんなの知ってたわけないだろ」
面倒くさそうに疾斗が答えると、今度は最初に喋った半魚人より年上らしき個体が「いいや、隊長、分からんぞ。我らの姫を狙って来たのかも知れない」とつぶやいた。
「勘弁してくれ。薄暗い沼の中に住んでるようなお姫様をどうして狙うんだよ」
「許しゃん……! きしゃま、姫を侮辱しゅるなど許しゃんぞ!」
隊長と呼ばれた、最初に喋った半魚人はそう叫ぶと、水中で鍛えられたのであろう脚力で疾斗までの十数メートルを一瞬で詰め、頬に思いっきり拳をぶつけた。
10メートルも離れたところに落ちた疾斗は口から流れる血にかまわず、折れていた左腕をかばう。
「これじゃ動きを追うことすらできねーな。何かないか? 何か……」
疾斗は必死に考え、ゼントとの戦いの時に生まれた札の中に『疾走符』と書かれたものがあったことを思い出した。
「これだ…!」
ワイシャツの胸ポケットからそれを出し、天にかざすと札は瑠璃色に輝き、疾斗の胸へと吸い込まれていく。
体が輝く人間など見たことがなかった半魚人たちはこれに若干ひるんだが、それでも忠誠心の方が勝ったようだ。
「どんな手品か知らんが皆で束になれば勝てる。行くぞ!」
隊長がそう言うと他の5、6体の半魚人たちも咆哮して突っ込んできた。
まさに絶体絶命の状況。しかし、疾斗は目を閉じていた。
「集中しろ。タイミングを間違えれば待つのは、“死”だ」
心の中でつぶやき、疾斗は力の限り地面を蹴った。札の効果は脚力を上げることらしかったのだが強くなりすぎて向かってくる半魚人どころか沼ひとつを飛び越えて地面に倒れ込んでしまう。
「体が、追いつかない……!?」
新しい力に戸惑う疾斗を見て半魚人たちは笑った。
「あれだったら俺しゃま一人で十分だ」
隊長はそう言うと、ゆっくりと疾斗に歩み寄る。
疾斗も無理矢理に立ち上がって歩み寄ると2人は同時に拳を引いた。
そして互いの顔に拳がぶつかるというまさにその時、「やめてッ!」という女性の声が辺りに拡がった。
この声に疾斗はすかさず動きを止めたが、隊長の方は反応しきれずそのまま疾斗を殴り飛ばしてしまう。
意識が遠のく中で疾斗はアズーの声を聞いた気がした。