夜襲
その日の夜。つまり疾斗が自分の住む世界とは違う世界、レヌァスンに来た日の夜。
疾斗は異世界にいるにも関わらず、安心していた。
なぜならここに来て最初に話しかけた原住民の家族の厚意で、しばらく居候させてもらう事になったからだ。
心の中で3人に感謝していると、死角から声をかけられた。
「ハヤトはどんなとこからきたの?」
そう尋ねたのはこの家の一人息子、アズーだ。
難しい質問に、「うーん」と唸る疾斗。その隣でアズーが、今か今かと返答を待っている。
そんな様子を見かねたのか、アズーの父でこの家の主の、イルヤが注意してきた。
「こらアズー、あまりお客さんを困らせるものじゃないぞ」
その言葉は頭ごなしに叱りつける、というより、産まれたての赤子を抱きかかえるような心地よい響きを宿していた。
こんな父と子の平穏な光景をアズーの母、グリシャは微笑みながら眺めている。
この時疾斗が思ったことは、どんな場所でも家族は“家族”なんだということだった。
それはそうと、アズーの質問は的確である。
自分がどこから来たのか。それがはっきり分からないと元の世界に戻ることもできないかもしれない。
そのためには今いるレヌァスンという世界を知る必要があるのではないだろうか。
そう考えた疾斗は早速アズーに、「この周辺を案内してもらいたいんだけど…」と伝える。
アズーは日に焼けた顔をニカッとさせて、大きくうなずいた。
「いいよ。ここらは見るものなんて何もないけど」
笑ってアズーは駆け出し、その後を追って疾斗も走り始めようとするとグリシャに呼び止められた。
「外は暗いからそこに置いてあるランプを持って行って。あの子はいいけど…」
最後の『あの子はいいけど』が気になったが、足元に置いてあるランプを掴んで急いでアズーを追いかける疾斗。
すこし走るとゆっくり歩くアズーに追いついた。
それからしばらくは2人とも無言で歩いていたが、ふとグリシャが言っていたことが気になった疾斗は質問をしてみることに。
「グリシャさんがアズーに明かりは要らないようなこと言ってたけど?」
「あー。それはね、僕が変だからだよ」
「変?」
どこも変には思えない。ただの少年だ。だがその言葉には異様な説得力があった。
「体質、か?」
「うん。体質…」
アズーは自分が特異だということに相当のコンプレックスがあるようで、絞り出すようにして言葉を繋げる。
「僕ね、生まれつき目が見えないんだよ。でもね、しっかり障害物が分かる。それに普通の人には感じ取れないことだって分かっちゃうんだ」
「それは……」
「気持ち悪いんだ。知りたくない事まで分かる、って」
このアズーの言葉を聞いて初めて、疾斗はなんとなく彼の気持ちが理解できた気がした。
しかしそんな、やっと心が通ったような気がしていた時、こんな何もないところで聞くなんて思いもしていなかった音が。
ズダァァァン
「銃…声?」
しかも、聞こえてきたのは1発ではない。2、3発でもない。
とにかく沢山の銃弾が飛び交っているようで、その音が聞こえる間、疾斗の体はピクリとも動かず、それに加えて思考までもが完全に停止してしまった。
しばらくして元の静けさが戻り、疾斗の体も動くようになっていた。
しかし、あの凄まじい銃声の後に襲う静寂は不気味としか思えない。
「アズー、大丈夫か?」
そう言おうとしてアズーの方を見てみると、アズーはさっきの銃声が聞こえた方角へ顔を向けていた。見えないはずの眼をこれでもかと見開き、どこか一点をじっと見つめている。
そしてアズーは自分の言葉を自分が一番信じたくないとでも言うかのごとく、苦しげに声を発した。
「村の……方だっ!」
アズーの言葉が耳を通過し、脳に到達すると同時に駆け出していた疾斗。
「アズー、お前はそこにいろッ!」と肩越しに叫ぶ。
「待って、僕も!」
銃声の聞こえた方へ行く。明らかに危険なことではあるが、疾斗には今ここでアズーを連れて行かなければいけないような気がしてならなかった。
迷いを振り切り、アズーのところまで駆け戻ってしゃがむ。
疾斗のあまりの機敏さに戸惑いながらも、アズーは目の前の背中に飛びつき、叫んだ。
「ハヤト、おねがい!」
その必死の願いに「任せろ」と一言返し、青年は地面を蹴る。
星ひとつない真っ黒な空の下を時々よろめきながら走り抜けていくと、
「ハヤト、とまって」
あと30メートルほどで住居群という所でアズーが言った。
「なんだよ、一刻を争うんだぞ?」と、焦る疾斗の口をアズーの柔らかい手が塞ぐ。
「しっ。この少し先から気配を感じる。嫌な感じだよ……」
それを聞いて首を傾げる疾斗にアズーが続けた。
「来るよ。とりあえず隠れよう」
アズーは疾斗を引っ張り、近くの茂みに飛び込んだ。
「何人だ?」と、状況を飲み込んだ疾斗が表情を変えて尋ねる。
「正確には分からない。けど5、6人てとこかな」
「……なぁ、」
疾斗はさっきから気になっていたことをアズーに聞くことに。
「お前の体質って本当に体質なのか?」
「え、ど……どうゆうこと?」
「いや……」
重たい空気が漂いはじめようかというとき、沢山の“何か”がこっちへ来る音が聞こえてきた。そして、その“何か”がしゃべり出したので茂みの陰の2人は息を殺してその声に聞き耳をたてる。
「おかしい。ここらから声が聞こえたはずだ」
最初にしゃべったそれは野太い声でそう言った。
「私も聞こえました。ゼント サントウセイ殿」
次にしゃべった者は始めの者よりも階級が低いようで、声に畏敬の念が感じ取られた。
『サントウセイ』とは多分『3等星』と書くのだろう。だが、おかしい。こいつらがイルヤの言っていた“賊”だとするならば、こんな、『等星』なんていうきっちりとした階級が存在するものなのだろうか。
そう疾斗が疑問に思っていると、服の袖をぐいっと引っ張られた。
「ハヤト、手を出して」
アズーの声だ。
疾斗が言われた通りに右手を差し出すと、アズーはそれを取って自分の額に当てた。
「これでよしっ」
「何したんだよ?」
「僕の見えてる景色を見れるようにしたんだ」
そう言われても特に何かが変わった気がしなかった疾斗は首を傾げたが、不思議と勇気だけは湧いてきた。
「なんだか知らねーけどやってやる!」
その言葉と共に草むらから飛び出し、叫んだ。
「お前らが賊か! 俺が相手するからかかってこい!」
「賊? ハッ、笑わせるな」
そう言ったのは野太い声の主、ゼントだった。その身長は推定3メートル。黄緑色の髪がはるか高い頭頂部に雄々しく生えている。
まさに巨人と呼ぶにふさわしい風格だ。それに見合った筋肉もついているし筋肉隆々の左胸には3つの星型バッジが輝いている。
だが彼の肩にはさらに大きな棍棒が背負われていた。その長さはゼントの身長ほどもあり、叩く部分には見なれない文様が彫ってある。
あまりの迫力に目を奪われていた疾斗がハッと我に帰ると自分の脚がガクガクと震えていることに気づいてしまう。
そんな彼をゼントが笑った。
「フン。その様子では俺の相手は務まらんな。お前たち、ちゃっちゃとあいつを片付けてこい」
アズーの予想通り、ゼントと手下は合わせて5人だった。
そしてゼントのこの命令に、黒いマントを羽織り、黒い仮面を付けた手下たちが短く「了解」と答え、疾斗に向かって一直線に突っ込んできた。
今日までサラリーマンだった身で武術の心得などあるはずもなく、手下たちのマントの隙間からキラッと光る物が見えた時にはすでに諦めていた疾斗。
しかし次の瞬間、驚くべきことが起きた。
疾斗が1人目の体当たりを綺麗に受け流して蹴りをお見舞いしたかと思うと、その2秒後には別の手下の刃物を持つ腕を掴み、もう片方の手で首の付け根に思い切り手刀を食らわせていたのだ。
ほぼ同時に2人の仲間が地面に倒れ込んだので残りの2人は怖気づいて後ずさりをしている。
「アズーか。あいつ…」
疾斗はぼそっと呟いた。
実はこの時、疾斗にはあるものが見えていたのだ。足をつくべき場所に光る足型が、相手の体の攻撃すべき所に光る足跡と手形が浮かび上がっていた。
そうして少し得意気になった疾斗は残りの手下たちに向かって叫ぶ。
「俺は達人並みに強いぞ。怪我したくなかったらとっとと帰れ!」
手下たちはこれを聞いてジリジリと後退りを始めた。
が、ゼントの近くまで引き下がった時、なんと彼らは凄まじい轟音、衝撃、粉塵とともに跡形もなく潰れてしまった。
ゼントが逃げる彼らの頭上からまっすぐあの巨大な棍棒を振り下ろしたのだ。
「敵に背を向けるような愚か者、死んで当然だ」
そう言ったゼントは疾斗の方に向き直り、棍棒を構える。
「さあ、勝負だ、怪しき者よ!」
ゼントの声は空気を震わし、大地を震わし、疾斗の心を震え上がらせた。アズーから借りた力を使っても、勝てるという確信は持てない。
だが……
「……イルヤさんたちの所に、行くッ!」
そう叫んで、疾斗は鉄砲玉のようにゼントに向かって走り出した。2人の距離は20メートルほどで、その間に遮るものは何1つない。そんな道を走っていると、さっきと同じ光る足型が見えた。
しかし、それはゼントから5メートルも離れている辺りで途切れている。とにかく疾斗は途切れている場所まで足型に従って走った。
そして次の瞬間、疾斗はその足型の意味を理解する。右方からゼントの棍棒が風を切りながら迫ってきているのだ。
疾斗は最後の足型を踏み、背面跳びで棍棒を避けようとした。が、足型の意味に気づくのが遅れたためにうまく跳ぶことができず、跳躍が少し低くなってしまった。
そこへ容赦なくゼントの棍棒が襲う。
ズガッ
棍棒は疾斗の左腕に当たり、疾斗の体は空中で回った。回転したまま地面に叩きつけられた疾斗は「うっ」と一声あげて、気を失ってしまう。
一方その頃。
アズーはというと、自分の能力が戻ったことに気付き、疾斗の身に何かがあったことを悟っていた。しかし急いで立ち上がろうとしたせいで散らばっていた小枝を踏んでしまう。
パキッ
乾いた小枝が折れる音が、すっかり静まりきった闇に響いた。
五感が鋭いゼントがこの音を聞き逃すはずもなく、「何者だ、隠れているのは!」と吠えて音がした茂みの方に歩み出し、この足音を聞いたアズーはもうダメだと腹をくくって立ち上がった。
「子供、か」
ゼントは最初と変わらぬ野太い声で、しかし、最初よりも暗さを含んだ声で、そう言った。
「……おじさんは、なんで僕の友だちを傷つけるの?」
澄み切った心から放たれた疑問の矢はゼントの中で枯れかけていた良心の木にたしかに突き刺さったように見えた。が。
「それは……俺にはどうしようもないのだ!」
一瞬の迷いを振り切り、考えることを放棄したゼントは棍棒を振り上げる。
「俺の呪具、『金剛棍棒』に叩き潰されろ! 『金剛粉砕打』ァッ!」
今にもアズーの頭に棍棒が振り下ろされようというまさにその時。
「……ぅあァアァァアアアァァァァアッッッ!!」
2人のいる周辺に、地獄の底から鬼が這い上がってきたと錯覚するような呻き声が響き渡った。
ゼントは正体不明の声に警戒の色を見せ、金剛棍棒を下ろし、そして必死に目をこらして声の正体を暴こうとしている。
異能の力がなければ、アズーも今のゼントと同じ状態に陥っていたことだろう。しかしアズーには呻き声の主が疾斗であることが分かっていた。
疾斗は折れたと思われる左腕をかばいながら一歩ずつゼントとの距離を縮めていく。
「アズーには……何もさせないッ!」
疾斗が痛みを必死にこらえる様子でゼントに叫んだその瞬間、疾斗の内ポケットからまばゆいほどの光が放たれた。
その光にゼントは目を閉じ、アズーは何が見えているのか、まばたきもせずに疾斗の内ポケットをみつめている。
そして、この現象に一番驚いているのは疾斗だった。内ポケットに何が入っていたか懸命に思い出そうとしてみたが、こんな光を発する物など持っていた記憶がなく、おそるおそる光の正体を引っ張りだしてみる。
それはお守りだった。
「これは、じいちゃんが昔くれた……」
もらったお守りは、健康祈願、交通安全、縁結び、厄除けの4つだったのだが疾斗がみつめているうちにみるみる見た目が変わっていく。それらは恐らく大半の人が想像するであろうお守りの形から、もっとペラペラした、札のような物になった。
「なんでハヤトがそんな物を……?」
アズーがそれを見てつぶやいた。
先ほどまで目がくらんでいたゼントもそれを見て、信じられないという顔をしている。
「ハヤト、なんでもいいから天にかざしてみて!」
冷静さを取り戻したアズーは声が裏返りながらも叫んだ。
その必死の叫びを聞いた疾斗は直感で4枚の中から1枚を選ぶ。その札にはゼントの金剛棍棒に刻まれている文様に似たものと、日本語で『頑強符』という文字が描かれていた。
疾斗がそれを天高く掲げると頑強符は紅色の光を放ち、というより、それ自体が光となって疾斗の胸へと吸い込まれていった。するとみるみるうちに疾斗から眩いほどの紅色の光が。
「俺は、俺の体はどうしたんだ?」
誰に尋ねるわけでもなく疾斗はつぶやいた。
ゼントは戸惑う疾斗を見てチャンスだと思い、その巨体を宙に浮かせ、
「光ったところでなんだと言うのだ! 『金剛粉砕打』ァッ!」
そう叫ぶと金剛棍棒を空中で振り上げ、力の限り疾斗に叩きつけた。
ゼントが彼の手下たちを潰したとき以上の轟音、衝撃、砂塵が周囲に拡散する。
アズーは声も出さずに棍棒の先の方を見ていたがしばらくして、「すごい…」とだけ言って笑った。
疾斗は生きていた。あのゼントの全力を受けて。
しかも、ただ生き延びただけでなく、全くの無傷でその場に立っていた。その代わり、なんと金剛棍棒は疾斗がぶつかった部分から砕け散ってしまった。
「なん……だと?」
驚きを隠せずに後ずさりをするゼントにずいっと寄って、
「もうこれ以上時間をかけるわけには……」
青年は拳を引いた。
「や、やめろ!」
巨人はわめいた。
「いかないんだァッ!」
青年は引いた拳を、空気を裂きながら目の前の巨人の腹めがけて放つ。
「『鉄拳』ッ!!!」
巨人は倒れた。
息を切らす青年の手の中には、元の姿に戻った頑強符が握られている。そんな彼がふと顔を上げると段々日が昇ってきて、景色が白い光に染められていく。
「アズー、行くぞ!」
疾斗はそう言うとアズーを背中に乗せて、あと少しのところにあるルァヴィンに向かって走った。
住居群に着いた2人はその光景に思わず息を飲む。撃ち殺された人々の骸が地面に置き去りにされていたのだ。
その中にアズーの両親、イルヤとグリシャがいた。
2人が駆け寄って見ると幸い2人ともまだ息があった。
「お父さん、お母さん!」
アズーの顔を見た2人はほっとしたような表情を浮かべる。
「アズー、俺たちの大切な息子……。無事だったんだな」
「うん。ハヤトが守ってくれたんだ。お父さん」
「ありがとう、ハヤトさん。……ぐッ!」
急に両親の呼吸が不安定になった。
よく見ると何発もの銃弾に撃たれた痕があって、今まで生きていたことが不思議に思えるほどの状態だった。
「お父さん、お母さん?」
「いいか、アズー。よく……聞くんだぞ」
「うん……」
「み、都に……。都に…………。」
「みやこ? 都がどうしたの?」
この問いかけにイルヤが答えることは、なかった。
そして、疾斗がハッとして隣を見ると、グリシャも一緒に息を引き取っていた。
「お父さん、お母さん……? う、うあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
この親子の最後の会話を、疾斗は黙って見届けた。
そんな彼に、アズーが声を絞り出すようにして尋ねる。
「ハヤト、僕、お父さんの顔も、お母さんの顔も、見えないんだ……。ねぇ、2人は、どんな顔してた?」
「2人ともアズーを見て笑ってた。俺たちの子どもはこんな立派になったんだ、ってな」
アズーはこれを聞いて、さっきよりも大きい声で、子どもらしく泣いた。
この時、疾斗の心の中に1つの決意が生まれる。
——アズーを、守る。