デュリオス
「もうこんな時間か」
そう呟いたのはこの物語の主人公、倉持疾斗。スポーツ刈りにスーツ姿、身長は170センチ前後で、体型は細マッチョという外見の彼はオフィスを後にする。
自動ドアが開いた瞬間、クーラーの効いた社内では気づかなかった熱気を体全体に感じ、疾斗はまとわりつくような暑さに数秒でげんなりしてしまう。
そして家への近道である暗い路地裏に入った時、疾斗の目にあるものが映った。
占い師の格好をした老婆だ。老婆は疾斗の顔を見るなりしわがれた声で誘う。
「こちらへおいでなさい。あなたは特別にタダで見て差し上げましょう」
こんな怪しい人物とは関わりたくないと思った本人の意思とは反して、疾斗の体は占い師の向かいに置いてあるパイプ椅子に座っていた。
それから数秒の沈黙の後、「手を」と促され、疾斗は素直に手を差し出す。
老婆はもともと閉じているのか開いているのかわからないような目をさらに細くして疾斗のふっくらとした手に、自分のしわくちゃな手を添えた。
その一瞬、ほんの一瞬だ。
老婆の呼吸が止まったのが分かった。
それに疾斗が気づいた直後、老婆はさっきの細目からは想像もつかないような、不気味なほど見開いた目で彼の顔を覗き込んだ。そしてまた手に視線を戻す。
それを5、6回繰り返したのだろうか。
老婆はゆっくりと、とても低い声色で疾斗に尋ねた。
「“デュリオス”という名前を、聞いたことはないかい?」
その名前を聞いた瞬間、疾斗は背すじがゾクッとするのを確かに感じた。
「……ごめんなさい。用事があるので」
椅子をガタッといわせて立ち上がった疾斗は一礼をして、逃げるようにその場を去った。
それから数分後。
ふと老婆の言っていたことを思い返してみた疾斗。
『12回目もうまくいけばいいのじゃが……』
別れ際にそう言っていたのが妙に引っかかったが、それをふりほどいて、疾斗は老婆ではない1人の女性の笑顔を思い浮かべた。
3年間同じ部屋で暮らし、疾斗の身の回りの世話をしてくれている富沢愛結のニコッとした顔だ。
彼女と疾斗は大学生時代に共通の友人の紹介で出会い、色々と話すうちに気づいたら同棲していた、というような関係だ。
最初はぎこちない様子の2人だったが、2、3カ月で遠慮がちな態度もなくなり、今では言いたいことを言い合えるようになっている。
そして今日の疾斗には急いで家に帰って彼女に伝えたいことがあった。
——結婚してください。
これまで我慢してきたそのひと言をまさに今日、愛結の誕生日に言おうと決心していたのだ。
疾斗は鼓動が早まっている自分の左胸の辺りに右手を当てた。紺色のスーツの内ポケットに指輪があることを確かめ、彼は笑顔で駆け出していく。
目の前にある三叉路を右に曲がって3分くらい走れば愛結が待つ『コーポひぐらし』が見えて来る。
もう少しで我が家だと思った時、さっきの老婆を思い出した。
「デュリオス、か」
そう呟いた瞬間、体がふっと軽くなり、疾斗はキャンプファイアーの炎のようなオレンジ色の光に包まれ、跡形もなく消えてしまった。
作者のニシキメサイコです。ここまで読んで頂きありがとうございます!
実はこの作品は数年前に連載していて途中で挫折したものになります……。当時読んでくださっていた方々に約束をしたので、時間はかかってしまいましたがこうして復活することになりました!
今回はきちんと完結まで書き上げるつもりですのであの時の方も初めましての方もお付き合いのほどよろしくお願い致します!!