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青い肌のイロナと人狼ヤーノシュ  作者: 木下森人
第三章

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22/37

 イロナがこの修道院へ連れて来られたのは、今から十年前だ。そこから五年間におよぶ地獄のような修練に耐え、マーシャルアーツの免許皆伝を受けた。初めた年齢にもよるが、普通は十年かけても免許皆伝に至れる者は少ない。実戦で通用する最低限の技術を身に着けるのがやっとだ。同世代と比べて、頭ひとつ抜きん出ていると言っても過言ではない。

 対してエーディトはというと、聖フーベルトゥス女子修道会歴代最強との呼び声高いマーシャルアーツ・マイスターだ。多くのシスターたちは、対人狼に特化した聖銀水の力に少なからず依存しているが、エーディトの場合は違う。比喩でも何でもなく、彼女の拳は岩を砕く。イロナが十年に一人の逸材なら、彼女は百年に一人の天才だ。

 とはいえ、エーディトの肉体はすでに全盛期を過ぎており、修練長として人狼狩りの現場からも離れている。一方イロナはこの五年間で、多くの実戦経験を積んで来た。今一番脂が乗っている時期だ。普通に考えて、勝てないはずがない。

 そのはずなのに――

「どうした? さっさとかかって来い」

 イロナは攻めあぐねていた。付け入るスキがまったく見つからない。ステップや視線など、あらゆるフェイントを駆使して反応を誘うが、どのエサにも食いついてくれない。動かざることモンブランのごとし。逆にこちらがあやうく釣られそうになる始末だ。

 かと言って、強引に攻めるわけにもいかない。確かに年齢という優位性を鑑みれば、息もつかせぬ怒涛の攻めで疲弊させるのは、一見有効に思える。だが、そもそも自分たちのマーシャルアーツは、肉体的に不利な対人狼に特化している。まともにやりあえば力負けするし、爪や牙も脅威だ。ゆえに回避とカウンターに重きが置かれている。安易な攻めは、逆に自身のスキを生じさせてしまう。ましてや相手はシスター・エーディトだ。

「おいおい、教えを忘れたかい? アンタはいちいち考え込みすぎる。しかも大抵考えが足りない。ならいっそ、何も考えないほうがまだマシだ。考えるな。感じろ」

「そんな安い挑発には乗りませんよ」

「そうかい。だったら――こっちから行くよッ!」

 そう宣言するのと同時に、エーディトの右ジャブが顔面にまっすぐ伸びて来た。まだギリギリ届かない間合いだったはずだが、誤認させられていたようだ。基本的な技術のひとつで、うしろ足をわずかに引きつけて足幅を狭めるだけで、攻撃の届かなかったはずの距離が届くようになる。ほんの小さな一動作かつ身体の影に隠れるので、敵に気づかれにくい。じゅうぶん警戒していたつもりだったが、おそらく考えすぎるなと忠告したときだろう。挑発にまんまと乗せられてしまった。

 だがイロナは焦らず、上げていた左足のかかとを地面に下ろした。こうすることで、瞬時に身をのけ反らせることができる。間合いを盗まれたとはいえ、だからこそわずかな動作で逃れることは可能だ。ここで下手に大きく後退すると、後手にまわることになる。しかし最小限の動きだけでかわせば、すぐさま反撃へ転じられる。

 しかしその瞬間、エーディトが拳を開いて指を伸ばした。フィンガージャブだ。狙いは目つぶしか。指一本分長さが伸びたことで、このままではかわせない。たとえかすっただけでも耐えがたい痛みを受け、視界を一時的にさえぎられる。

 イロナは身をよじってかわし、必死に逃れたように見せかけた動作から金的蹴りを放った。女でも股間への一撃は痛打になるし、とにかく当てるだけでもダメージになる。

「甘い」

 だが読まれており、エーディトに左足で難なく阻まれた。弾かれた勢いでよけいに体勢が崩れるが、その力を逆用し、地面に着地した反動と合わせて、今度は腹へ目がけて左の蹴りを繰り出す。

 これに対してエーディトは金的蹴りを弾いたときの勢いのまま、左足を後方に下ろすことでバックステップし避けた。最初にイロナがやったものとほぼ同じだ。このようにマーシャルアーツでは、不安定になった体勢を利用して素早い動作へとつなげる。

 蹴りを空振りしたイロナに向かって、エーディトがななめ右に踏み込んだ。脇腹へのボディーフックがえぐり込むように放たれる。間違いなく浸透勁だ。まともに食らえば胃の腑が裏返り、昼食を吐き出すハメになるだろう。

 イロナは蹴りの勢いに逆らわず身体を回転させ、今度はうしろまわし蹴りに変化させた。フックごと強引に蹴り飛ばす狙い。するとエーディトはフックを中断し、飛んできたイロナの右脚を右腕で抱え込んだ。そのまま持ち上げられて、地面に転ばされそうになる。

 そうなる前にイロナは自分から跳び、左脚をエーディトの右腕に絡める。体重でエーディトの身体も引き倒しつつ、関節を極めようとする。

 けれどもエーディトが崩れない。なんと右腕一本でイロナを持ち上げているではないか。なんという筋力。尼僧服のそでに隠れて気づかなかったが、触れている部分からたくましい筋肉のふくらみが伝わってくる。五年前よりも明らかに仕上がっている。

 驚愕したのもつかの間、イロナはそのまま近くの壁にたたきつけられた。「ぐはっ!」

 さらに追い打ちをかけるように、右腕から浸透勁が放たれる。胃の腑が裏返って未消化の内容物がこみ上げる。

 しかし、ただではやられない。吐瀉物をエーディトの顔めがけて吐きかけようとした。

 だがあいにく、その行動は読まれていた。エーディトは余裕でかわし、最後の力を使い切ったイロナは地面に転がる。顔面を吐瀉物に突っ込んで。

 その背中に腰かけ、エーディトは高笑いを上げた。「まだまだカンフーが足りてないな」

「だからイヤだったのに……」イロナは息も絶え絶えに訴えた。

 シスター・エーディトとスパーリングすると、いつもこうなる。まったくひどいありさまだ。ついさっき水浴びしたばかりだというのに、すっかり汚れてしまった。

「だいたい、何ですかその筋肉は? 人狼と腕相撲でもする気ですか」

「腕だけじゃないぞ」

 そう言って、エーディトはスカートのすそをまくってみせた。大腿が膨張した筋肉で張りつめている。コリンダのウエストくらいありそうな太さだ。いや、それはさすがに言いすぎだが、丸太のように太くて強靭だ。昔から筋肉質だったが、今はその比ではない。

「憶えておけ。老いは筋肉で補える」

「素直に老いぼれてくれませんかね……」

「やれやれ、情けないったらありゃしない。いいか? アンタには自分で思っている以上の実力がある。人狼相手にかぎらず、大抵の道理を力ずくで粉砕できる程度にね。だから何も考える必要はない。ただ目の前の障害をぶち壊せ。それでだいたい何とかなる」

「ええー……そんな、ひとを腕力だけのバカみたいに……」

 イロナがそうぼやくと、エーディトはハトが豆鉄砲を食らったような顔をして、「そうだよ。おまえはバカだ。気づいてなかったのか?」

「初めて言われましたよ!」

「そうだったか? ……ああ、そうか。あのころは、アタシの汚い言葉が若い修練士にうつったらぶち殺すって、院長に脅されてたんだった」

「それ、院長のほうが言葉汚くありません?」

「今の話、アタシから聞いたって言うなよ? それにしても、まさかアンタにバカの自覚がなかったとは……。ヤーノシュの行方を伝えていいものか、本気で不安になるよ」

「えっ? 勝たないと教えてくれないのでは?」

「ンなこたァ一言も言ってない。……できればそうしたかったけどな」

 イロナは困惑した。こんなふうに気弱なエーディトを初めて見た。ついさっきまで、ひとを容赦なくボコボコにしたとは思えない。年齢相応に老けて見える。

「教えてください。あの子は今、いったいどこに?」

 するとエーディトは苦虫をつぶしたような顔で、その地名を告げた。

「――アメリカ合衆国だ」

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