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アンの祝日

善き父、ヨセフ

作者: 民間人。

 家に帰ると母が泣いていた。

 玄関からリビングへ向かうまでの短い時間、仕事終わりの爽快感に浸っていた僕は、扉を開けた途端に現実に引き戻された。


 鞄を放って慌てて駆け寄ると、母は父とのメールを見せてくる。そこに映っていたのは、父からの離婚の申し出だった。


 整頓されたリビングには、母専用のマッサージチェアがポツンと置かれている。母の日の、兄からのプレゼントだった。


「クズなお母さんでごめんね……」


 母は、そう言って再び机に突っ伏してしまう。僕はただ、彼女の背中を摩ることしかできなかった。

 あの呑気な返事が聞けることが、どれだけ有難かっただろう。ほんの数時間前まで、僕と並んでお菓子を片手に一緒にアニメを見ていた母の背中は、僕よりずっと小さくなっていた。


 母への労いの言葉や慰めの言葉、父への怒りの言葉をかけられれば、どんなに良かった事だろう。彼女の悲しみを幾らか慰められたかもしれない。


 それでも、僕は彼女の背中を摩って、側にいる事しかできなかった。


 暫くして落ち着きを取り戻した母が、僕に着替えてくるようにと声をかける。真っ赤な白眼が痛々しくて、僕は、ただ頷いて階段を登った。

 ネクタイを緩める。首筋の嫌な拘束が解けても、開放感を得られなかった。

 小さい頃、突然の発作で病院に搬送された僕は、「てんかん」という診断を受けた。毎日必ず薬を飲むように言われて、言われた通りに食後に飲んだ。


 子供用のシロップの飲み薬が嫌いで、必ず飲んでは吐き気を催して吐いた。医者が粉薬を出してくれてからも、甘い粉薬だけはなかなか受け付けなかった。


「言われた通りにする」


 僕が薬を飲んだ一番の効果は、多分それだったと思う。言われた通りにすれば間違いない。少なくとも嫌われない。酷い目にあわない。そう勝手に信じることができた。


 スーツのボタンを外し、ハンガーに掛け直す。自分の小さな領域の中で、唯一毎日繰り返す習慣だった。

 仄暗い室内で上着のポケットを探る。スーパーで予約したギフトの予約票が乱暴に突っ込まれていた。


 病気はそれほど嫌ではなかった。母と病院へ向かう時間は、僕にとってはちょっとした遠出だった。

 思い起こせば、このときに引かれた手が父親の血管が浮き出た手だったことはない。いつも、アカギレの出来た、母のグローブみたいな手だった。

 待ち時間に子供達に自分より小さい泣き声や、売店で買い与えられたおもちゃを片手に手を引かれる子供を見るのが好きだった。

 自分はそれほど、注射が嫌ではなかったから、そういう子供達に心の中で頑張れと言っていた。


 だって、その頃から僕は、学校に行くのが嫌だったから。

 小学校から中学校までの長い間、僕の周りには常にいじめがあった。「僕が受け入れさえすれば」他の子達は泣かずに済んだから、僕は休み時間や登校中の僕へのいじめには、目を瞑っていた。昼休みは職員玄関へ行って掃除をして、内申に響くから、そういういじめっ子が手を出さないようにと対策をした。友人との遊ぶ時間も、それで返上した。


 いじめられていた事を親に話したくなかったけれど、ランドセルが傷ついていた時は流石にバレてしまった。学校に単身乗り込んで行ったのは母だった。

 父は、小学生の途中で単身赴任して、それからは育児どころか顔すらほとんど合わせなかった。別に嫌いになったわけではなくて、多分彼は、その時から「客人」になったのだと思う。


 服を着替え、机の上を眺める。大学時代の法律の専門書と、六法全書が並んでいる。

 大学院に無理を言って進学したとき、頭の中は焦りでいっぱいだった。内定をもらった企業は一つで、なりふり構わずとりあえず説明会に座った時のもので、全く望んでいない職種だった。

 そんなときに、父が「誰かしら大学院に行って欲しい」と思っていると聞いた事を思い出した。長兄は成績優秀でその力もあったが、自分の夢を叶えた。次兄は高卒で立派な公職に就いて、今も県内を駆け回っている。

 僕にはこれしかないと思った。


「わがままを、聞いてくれますか?」


 そう言って頭を下げた時の父の内心までは分からなかった。それでも、一端の人間として生きている感覚だけは、僕も得ることができた。

 研究自体は凄く楽しかった。卒業するまでのほとんどの時間を、休みも取らずに論文の執筆に没頭した。


 就職活動の傍ら論文を書き終えると、他の同期達のテーマに関する相談を聞いたり、その人の取り扱う判例について考察をしたりもした。


 それでも、結局僕は、中途半端なままで未来を目指す事はできなかった。博士課程に入ることは、それ以外の道を潰すことだ。「もし失敗したら……」脳裏をよぎった現実に、僕は普通の就職活動を選んだ。


 それで手に入れたのが、望まない仕事と腰痛と、よれたネクタイだけだったのだから、本当のクズは僕の方だった。


 階段を降りて、パックのご飯と冷凍食品を温めて、母と黙って食事をした。今、母に何かをさせるべきではないと思ったから、お互いにお風呂に入ってすぐに布団に潜った。


 その夜は眠れなかった。いま、給料が高いのは兄ではなくて僕で、全く出世の見込みもないけれど家計を支えるべきは僕だった。これまで、望まない仕事をこなしてきたけど、自分を雇ってくれる場所なんてもうないと分かっていたから必死にしがみついていた。


 家賃程度のお金を入れれば、あとは全部貯蓄に回せたし、使うものもなかったから、そのまま老後の蓄えにできた。今度は、家庭を支えなければいけない。固定資産税、水道光熱費電気代、母の生活費……。怖くて体が震えた。自分にできることをしなければ、だけどそれは、呼吸すら辛い僕には耐え難い苦痛に思えた。


 翌日は、仕事も全く手につかなかった。ずっとぼんやりとした頭のまま、言われた通りの仕事をして、2時間半残業をして、そのまま家に帰った。


 母から、「できるだけ早く帰ってきてね」とメールが来る。それが耐えられなくて、すぐに車を走らせた。


 父のメールを思い出す。

 何が「解放してほしい」だ。母があれだけ、一人で家庭を支えてきたのに。老後の自由な時間のために、父に自由にさせていたのに。


 青信号が黄色になり、ブレーキをゆっくりと踏む。赤信号になったとき、心の内から、仕舞い込んでいた嫌な言葉が脳裏をよぎった。


『お母さんさ、実はお兄ちゃんまで子供が産む予定だったんだよね』


 高校時代に何気なく母に言われた言葉だ。余分、無駄。耳元で僕が囁く。「お前には、何の価値もないのだ」と。


 父が解放して欲しかったのは、母ではなくて僕だったのではないだろうか?僕は本当に余分な存在で、実際「病気」で迷惑をかけて、「いじめ」で母の余裕を奪って、「大学院」で父の老後の生活費を奪って、「仕事」で母のゆとりを奪ったのではないか。青信号に変わっても、クラクションが鳴らされるまで動けなかった。


 家に戻ると、母がいつものようにテレビを見ていた。僕の帰宅に気づくと、紅茶を飲みながら「おかえり」と笑った。


 暫く母を見つめる。母がこちらを見ながら、首を傾げて見せた。


「どうしたの?」


 首を横に振りながら、涙を抑えられなくなった。涙腺からあふれ出る大粒の涙を見て、母が僕を抱きしめる。


「兄や……お母さんが大変な時に……僕が、泣くわけにいかないじゃんか……」


 何かを背負うということ。何かと向き合うということ。そんなこと、誰からも教わったことはなかったよ。僕は、どうすればいい?どこに向かえばいい?『正解』はどこ?


「うん、うん。お前が泣いてると、私まで悲しくなってくるじゃない」


 母は、静かに僕の背中を摩る。「辛いね」と互いに囁き合って、涙が枯れると、今度はお互いに黙ってその場を離れる。


 母は静かにキッチンへ、僕はクローゼットへと向かう。玄関を横切ると、カーネーションの鉢植えギフトが、下駄箱の上に置かれていた。

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[一言] ……辛いですね。
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