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雨を想う君にキク  作者: いしだ
9/12

彼の正体

 春休みになっても、授業の遅れと出席日数を取り戻すために学校に行く日々が続いた。日数が足りていない私と成績が足りていない颯、何人かの運動部の生徒そして彼が参加していた。そんな私たちにもようやく五日間の休みが与えられて、春休みがやってきた。1日目は裕子さんが招いてくれたから実家に帰ることにした。片道30分の実家は、数週間しか離れていないのに懐かしさを感じた。

 実家には裕子さんの子供が帰ってきていた。長女の由美さんは20代後半くらいでお腹に赤ちゃんがいる。次女のの奈々さんは幼稚園の先生で、長男の恭也さんは大学2年生だ。せっちゃんの葬儀のときに会ったけれど、ちゃんと話すのは初めてだった。由美さんも奈々さんも恭也さんも裕子さんに似て明るくて、幸せそうで、理想の家族そのものだった。話に出てくる人は知らない人だらけだったけれど、私にわかるように説明してくれて、会話に混ぜてくれた。その気遣いがすごく有難かった。みんなで昼食をとった後、各々ゆっくりしていると、食卓にまだ残っていた私に裕子さんが声を掛けてきた。

「怜、ちょっといい?」

 いつからか呼び方が変わっていたが、それはそれで嬉しかった。

「一つ聞きたいんだけど、紫苑ちゃんの息子さんのことで何か姉さんから聞かなかった?相続のことで会いたいんだけどどこに住んでいるかわからなくて。」

 紫苑さんの息子…あの事故の時同じ病院に運ばれていった男の子は私よりも年上に見えた。

「何も聞いてないです。」

「そうだよね。姉さんさぁ、この子にも遺産残してたんだよね。」

 そう言えば遺書にそんなことが書いてあったような気がした。

「戸籍の書類とかに載ってないんですか?」

「名前は分かるんだけど、住所変わってるみたいなの。」

 裕子さんは大きい封筒から何枚か書類を取り出した。ぺらぺらとめくり「あった」と一枚の紙を差し出した。

「ここ。あれ?この子、怜と同い年じゃない?」

 裕子さんが指さした欄には見覚えのある漢字がふたつ並んでいた。

「え…これ。」

 私は目を疑った。

「これでまさきって読むみたい。」

 慎樹と書いてまさきと読む人間を私はよく知っている。その人は同い年で、耳が聞こえない振りをしている。そして父親の欄には深山とある。ありふれた名前だがミヤマと読むのは珍しい。

彼が紫苑さんの…息子?あの時の男の子?

 頭が回らず視界が滲んだ。

「どうしたの?泣いてる?」

「えっ。ちょ、ちょっとコンタクトが。」

 私は急いで立ち上がり洗面所に行き、誰も入ってこないようドアを閉めた。

彼が紫苑さんの息子だったとして、あの時の男の子だったとして…

昔の記憶が蘇った。忘れていた記憶。

 あの事故の後、頭を打ったせいで意識を失い、目が覚めたのは病院のベットの上だった。横のベットには男の子がいて、私よりも先に起きていた。

 彼はベットから降りて私のもとへ来た。

「なに?」

彼は無言で私を見つめて手招きした。その手に誘われて病室を出て手術中のランプが光る廊下までついて行った。

「母さん、死んじゃうのかな。」

 彼がぼそっと呟いた。私は何も言わなかった。あの時の私に罪の意識があったのかどうかはわからない。多分まだ理解していなかったんだと思う。ただ、彼が握った右手の傷が痛んだ。

「血、出てるよ。」

 彼は私のひざを見ると、ポケットに右手を突っ込み、ゴソゴソと手探りで何かを探した。ポケットが大人しくなると、彼は繋いでいた左手を離した。一瞬寂しさを覚えたが、彼がしゃがんで私の膝に絆創膏を貼ってくれたお陰で、すぐに寂しさは消えた。

「深山さんはどっちかね。」

 私たちの背後におじさんの警察官がいた。しゃがんでいた彼は立ち上がり、「僕です」と答えた。警察官は「そうか」と言って私を見た。

「君はおじさんと一緒に来てくれる?」

 私は首を縦に振った。警察官は私の右腕を掴みその場から私を連れ出した。私は歩きながら後ろを振り返った。彼は私をずっと見つめていた。

 あの時の男の子が彼だったら、私は彼から母親と右耳の聴覚を奪ったことになる。 

 あの時の男の子が彼だったら、彼は私をひどく恨んだだろう。

 あの時の男の子が彼だったら、彼はなぜ私を抱きしめたのだろう。

 あの時の男の子が彼だったら…

 彼はどうして憎いはずの私を助けるのだろうか。考えても考えても答えが出るはずもなく、彼にメールを打った。

『話したいことがあるんだけど、いつ会える?』

 返信はすぐに来た。

『6日、補習の後。付いてきて。』

 彼は感づいているのかもしれない。

 私の短い春休みはぼーっと過ごして終わってしまった。彼のことが気になって何も考えられなくなっていたせいだ。

 補習が終わると、彼は私に目もくれず、そそくさと教室から出て行った。朝から一度も顔を合わせてくれない。私は彼の後を追うように教室を出た。駅までの道のりも、電車の中も、近づくなと言われているような気がして、声を掛けられなかった。外は雨が降っていて傘を差しているせいで彼の目を見ることも出来ない。彼は今日もお母さんのお墓参りに行こうとしていた。

「君も来て。」

 彼は私を丘の上に誘った。頂上のお墓には岩崎家と書かれていた。

「これが見たかったんでしょ?」

 彼はやっぱり気付いていた。

「本当にあんたなんだね。」

「そうだよ。僕の母さんは岩崎紫苑。12年前に君を助けて死んだ。」

「何で教えてくれなかったの?」

「言ったところでどうなるの?君は前を向いて生きられるの?」

「そんなこと…。紫苑さんは私のせいで死んでるのに、どうして私を助けるの?」

「前にも言ったでしょ。自分の為だよ。」

 彼は自分を助けるために、私を助けたと言っていた。でもそんなの私が自分のお母さんを殺したと知ってたら出来るはずない。

「僕は初めから知ってたよ。入学した時から君があの時の子だって。」

「私が紫苑さんを殺したって知っててなんで。」

「君が殺したんじゃなくて母さんが君を助けたって何度言ったらわかるの?せっちゃんにも言われたでしょ?」

「そんなの綺麗事でしょ?大好きな、たった一人のお母さんが死んだんだよ?私のせいにするでしょ普通。」

「じゃあ僕は普通じゃないね。」

(冗談言ってる場合?)

 私は泣いていた。なのに彼はそれを慰めるように話した。でもそんなの違う、彼は私を叱って恨むべきだ。私はそれをしない彼に胸が締め付けられた。

「僕がいいって言ってるんだからいいじゃん。君が悩む必要ある?母さんの死はとっくの昔に受け入れてるんだから。」

「でも…。」

 言葉にならなかったのは彼の気持ちが理解できないからだ。

「君だけだったから。」

「え?」

 彼は傘から手を出した。雨粒が彼の上に集まっていく。

「雨にかき消されるくらい小さな僕の声を聞いてくれたのは君だけだった。」

「声を?」

「うん。覚えてるでしょ?」

 彼は私が彼の秘密を知った日のことを言っていた。

「僕が喋れないふりをしてるのは、僕の声を誰も聞いてくれなかったから。喋れない方がよっぽど楽だと思った。でもそれは自分で自分の存在を消すのと同じで、死んだように生きるってことだった。だから君が僕の声を聞いてくれた時救われたんだ。」

(聞いてたってだけで?)

(うん)

「そんなことで私がしたことを許せるの?」

「そんなことじゃないよ。僕にとってはすごく大きなこと。前にも言ったでしょ。君を救うことが自分を救うことだって。」

「君には分からないよ。でもそれでいいんだ。」

「いや、でも…。」

(じゃあ私はどうすればいいの)

「何もしなくていい。今まで通りで。君に秘密にしてたのはそうやって借りを返そうと気を遣われるって分かってたからだよ。」

(そんなこと言われたら何も言えない)

「じゃあ何か奢って。この前のドーナツでもいいよ。」

 彼は私の傘の中棒を握った。

「ん?」

 彼はにやりと笑って走り出した。私は傘に引っ張られてものすごい勢いで坂を下った。

「ちょっ、ちょっと、ま。」

 勢いが落ち着くと彼はへらへらと笑い始めた。彼の傘も私みたいに呆気に取られてひっくり返っている。そのせいで彼の顔や髪に雨がかかりキラキラと反射していた。

 一瞬彼の笑顔が輝いて見えたがそれはきっと雨のせいだ。

「あー面白かった。」

「突拍子もないことしないでよ。」

「ごめん。君のその顔が見たくて。」

「何それ。」

 恥ずかしがっているのを聞かれたくなくて私は彼を置いて歩いた。

「ごめんって。怒らないでよ。」

「怒ってない。」

「でも歩くの早いよ。どこ行くの?」

「ドーナツ屋さん。そっちが行きたいって言ったんでしょ。」

「え、今から?」

 私も彼の真似をして突拍子もないことをしてしまった。

 私たちはちゃんと傘をさして駅まで歩くと、人がまばらに行き交っていた。私服や部活の服を着ている学生がちらほらいて、制服の私たちは少し浮いていた。

「ここもいいんだよね。どっちにしようかな。」

 駅の改札前でお店を探す彼はスマホに夢中になっている。

彼は私の罪を許しながら、さらには助けてくれた。謝ったら怒る彼にどう感謝をしていいか分からない。どうしたら彼を喜ばせることが出来るのだろうか。どうしたら彼を幸せにすることが出来るのだろうか。

そう考えていると、なんとなく一人の人間が目に入った。雨の中傘をささずにこちらを見て突っ立っている。フードを被っているせいで性別も分からない。灰色のパーカーは肩のところまで色が変わるほど濡れている。その人物を眺めているとその人はまっすぐ歩き始めた。そしてフードを脱いだ。

「ん?千宏?」

 彼女はクラスメイトの瀧本千宏だった。夏から不登校になってしまった千宏だった。

 千宏はポケットに突っ込んでいた手を出した。そこには光る何かがあった。

「死ね!」

 それがナイフと分かってから千宏が目の前に来るまでは一瞬だった。私は恐怖で逃げられず目を瞑った。

「キャーー―――――!」

 誰かの悲鳴で目を開けると地面に赤い水溜りが出来ていた。

「何してる!離れろ!」

 駅前の警察署から警官が走ってくる。私に背を向ける彼の奥に呆然と立ち尽くす千宏の姿があった。その手には赤いナイフが握られている。

(嘘…痛くない)

 自分の体から血が出ていない。どこからも。

どすん

 いきなり崩れ落ちた目の前の物体は彼だった。

「嘘でしょ。」

 仰向けになった彼のブレザーから血が出ていた。

「え?…え?嘘でしょ。誰か…誰か助けて。」

 私は彼のお腹を押さえた。

「止まって。お願い止まって。」

 止血しようにもあふれ出す彼の血液が私の手を赤く染める。

「お願い。お願い。」

 祈るしかなかった。

「誰か救急車!」

 近くにいた人はそう叫んでくれたが近づいてくる人はいなかった。

「お願い。死なないで。お願い止まって。」

 自分の手に体中の力を込めていると誰かの手が私の腕を掴んだ。その手も赤く染まっていて冷たかった。

(もういいよ)

「なんでよ。死なないで。まだなにも恩返しできてない。ドーナツでも何でもあげるから、生きて。」

(私はあんたのために生きるって決めたの)

(それはまいった)

「だから私のために生きてよ。」

涙で視界がぼやけて私は目元を手で拭った

(その手で拭いたら顔が真っ赤)

「私の事はいい。」

(なんで庇ったの?)

(本当はね、君を助けられれば自分の命なんて惜しくなかった。でも君といると楽しくて、もっと君と一緒に生きたいって思っちゃった。まぁでもそれが叶わないって分かってるから、だから僕はせめて)

「君を照らす雨になれたら…」

(それで十二分)

「何言ってんの?やめてよ。死なないでよ。」

(泣かないで笑って。いい天気なんだから)

 彼は震える手で私の頬を抓った。その手が冷たくて涙が止まらなかった。

(変な顔)

「うるさい。」

 彼は笑って目を閉じた。頬に触れていた手も力が抜けて地面に落ちた。

(嫌だ。何で。何で一人にするの)

「嫌だ。こんなの嘘。嘘って言ってよ。」

さっきまで笑ってたのに。さっきまではなしてたのに。ついさっき、君のために生きるって決めたのに。君が居なくなるなんてそんなの嘘だ。

冷たくなった彼の手を握っても握り返してくれることはなかった。

「放しなさい!」

 3人の警官が千宏を囲っていた。千宏はナイフを振り回し、警官を追い払おうとしていた。

「こいつが悪いんだよ!全部!お前さえいなければ!」

 千宏はまた私に向かって突進してきた。

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