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雨を想う君にキク  作者: いしだ
8/12

彼が教えてくれたこと

 引っ越しが終わり、バタバタしていた日々がやっと落ち着き、新生活がスタートした。静岡から引っ越してきた裕子さんもやっと落ち着いた様だ。あれから裕子さんと毎日のように連絡を取っている。お店は裕子さん夫妻が継いで、しばらくは前さんと3人でやっていくらしい。バイトを募集すると言うから、私が手伝うと言ったけど、大学にいく勉強をしろと許可してくれなかった。私は社会人になるまで、せっちゃんのすねをかじることになりそうだ。

8畳1Kのこの家は一人暮らしには十分な広さだった。学校までは一駅で着くし不便はないけど、家事が不得意な私はすでに洗濯物をため込んでいる。登校にかかる時間は減ったがその分家事をすることになるので起きる時間は変わらない。机に置いた写真立てにはせっちゃんと紫苑さんが映っている。行ってきますと挨拶をし、駆け足で家を出た。せっちゃんの死を乗り越えられた訳じゃないけど現実のものだと受け止められてはきた。これが新しい日常だ。

 電車に乗ると同じ制服の人が何人かいた。

(あ、おはよ)

 目が合った彼は右耳にそら豆がついている。

(何でこの電車?)

(引っ越したの。一人暮らししてる)

(大変そうだね)

 そう言えばこの駅は彼と前に来た駅だ。彼の弟の学校は私の家の近くだった。彼と会うのは葬儀以来で10日ぶりだ。だからテレパシーでこの10日間のハイライトを説明した。

 教室につくと、颯がいた。少し怒っているようだ。

「引っ越したってほんと?」

「あ、うん。」

「なんで言ってくれなかったの?」

「ごめん。バタバタしてて。急に決まったから。」

「…。」

「ごめんって。なんかおごるから。」

「遊び行ってもいい?」

「いいよ。」

「なら許す。」

「私もいい?」

 由紀横から入ってきた。

「もちろん。」

 少し残念がる颯を横目に由紀は遊ぶ計画を立て始めた。きっと元気づけようとしてくれている。

「みんな、ありがとう。」

 2人は微笑みながら頷いた。

 放課後、電車は最寄り駅に着き、ホームに降りて歩いていると、一人の女子高校生とすれ違った。髪の毛はボサボサで血色がない顔。だが他の誰でもなく、杏奈だった。紺色の制服は杏奈のだけくすんで見えた。

(もう死のう)

 杏奈は私に気付かずゆっくりと階段を降りて行った。私は彼女が気になり、人の流れに逆らって、階段を下った。杏奈は重い足取りで歩いてホームのベンチに座ったので、私は自動販売機の陰から杏奈の様子をうかがった。

「次は9番線渋谷行きの電車が参ります。危ないので黄色の…」

 駅のアナウンスが鳴ると杏奈は立ち上がった。周りの人は床に引かれた線にならって列をつくっていたが杏奈はその列に並ばなかった。手には何も持っていない。さっきまで持っていた鞄はベンチに取り残されている。電車が来ているのを確認するためか一瞬私がいる方に顔を向けた。

(今か)

 私は走った。リュックを投げて走った。杏奈をめがけて走った。

「危ない!」

 列の先頭に立っていた女の人が叫んだ。電車はすごい勢いで私の前を通過した。倒れかけた私の上に重い物体が乗っかり、私は地面に尻餅をついた。周りの人が私を囲む。

「大丈夫ですか?」

 サラリーマンが私に手を差し伸べた。有難くつかんで立ち上がると、杏奈が倒れていた。私は杏奈の腕を掴み強引に持ち上げた。

「何であんたが。」

 杏奈は驚いていたし、掴んだ手は震えていた。

「駅員呼んだ方がいいんじゃない?」

「やっばー飛び込みじゃん。」

「ちょ、お前写真撮っとけよ。」

 周りが騒ぎ出して杏奈は下を向いた。私は声をかけてくれたサラリーマンにお礼をして杏奈の手を取り走った。杏奈の鞄と自分のリュックも忘れずに拾った。改札まで走って、鞄についていた杏奈の定期と自分の定期をかざして駅の外に出た。人混みを避けて走り気が付けば港近くの緑地にたどり着いた。芝生の前の路地にちょうどいいベンチを見つけ、杏奈を座らせると彼女は息を切らしていた。私も喉が渇いていたがリュックから開けていないペットボトルを杏奈に渡した。

「何で。」

「最近こっちに引っ越してきたの。」

「そうじゃなくて。」

「3か月眠ってたけど、もう元気になったの。」

「そうじゃなくて!」

 杏奈は怒鳴った。

「なんで助けるの?」

 杏奈は私を睨みつけた。

「死なせてよ。私はあんたを殺したんだよ。怜だけじゃないみんな私に死んでほしいに決まってる。」

(人を見下して傷つけることでしか心が満たされない。劣等感を感じたら自分でも制御が効かない。もうどうすればいいの)

「こんな怪物もう殺してよ。殺して。」

(助けて)

杏奈はいつも幸せそうで何もかもうまくいってる人間だと思っていた。でも違う。杏奈はずっと苦しんでいたんだ。自分の行いが正しくないと分かっていながらも自分の中の怪物とずっと闘っていた。私はそんな杏奈をずっと隣で見てきたはずななのに何も気が付かなかった。彼女の叫びをきくことができなかった。

「ごめん。助けてあげられなくてごめん。」

私は思わず杏奈を抱きしめた。杏奈は私の肩で震えながら泣いている。

「苦しんでるの何も気付かなかった。ずっと一緒にいたのに杏奈の心の声聞いてあげられなくてごめん。」

 杏奈はそっと顔をあげた。

「軽蔑されてるの…分かってた。分かってて何とか怜を離したくなくて、力尽くで傍に置こうとしてた。逆効果だったけど。」

(どうしたらよかったの)

 杏奈はいわば暴君だった。嫌がることをしたら仲間外れにされる、いじめられるという恐怖でクラスを支配していた。そうやってみんなを縛り付けていた鎖は杏奈自身も縛っていた。後を引けないように、正しいことをしていないと気付かないようにしていた。そうやって杏奈はぼろぼろになっていた。みんなに突き刺していたナイフは諸刃の剣だった。

「私の怪物は人の幸せを喜べない。みんな不幸になれって思うし、素直に優しさを受け取れない。優しさの見返りは何なのか考えちゃう。軽蔑した?」

(何が言いたいの)

「私も杏奈と一緒なの。醜い怪物がいてそれが出てこないように必死に抑えてる。」

(怜も苦しんでたの?)

「私も杏奈と一緒に人を傷つけた。だから一緒に償おうよ。自分の罪に正面から向き合えないならその罪背負って一緒に逃げよ。それが償いになってもいいと思う。」

「逃げたから、死のうとしたんじゃん。」

「違う。死のうとしたのは逃げたんじゃなくて逃げられなかったんだよ。」

(逃げられなかった?)

「私も死ぬのは逃げ道だと思ってた。でも私は本当は死にたくなかった。怖かったよ。それなのに死のうとするのは逃げてるからじゃないでしょ?杏奈は死にたいの?」

(生きたい)

 杏奈の目から大粒の涙が溢れだした。こんな姿を見るのは初めてなのにどこか懐かしさを感じた。

(死にたくない)

「死にたいよ。」

 その言葉が脳内に響き渡った。

「どうして?」

「生きてたらまた人を傷つける。」

「変わろうって思わないの?」

(変わりたいよ)

「人はそう簡単に変わらない。」

「杏奈なら変われる。杏奈はまだ悪人じゃないから。人の気持ちも、自分の弱さもちゃんと分かってる。だから周りを傷つけて、許してもらいながらちゃんと変われる。」

(傷つけてもいいの?)

「みんな傷つけ合って、許し合って生きてるんだよ。」

「私は許してもらえない。」

「自分の弱さを人に見せたことある?」

(弱い部分を見せたら誰も寄ってこない)

 杏奈は首を小さく横に振った。

「許してもらうには謝らないと。本当の友達ってちゃんと謝ったら許してくれて、なんの見返りも求めずに傍にいるもんだよ。」

(謝ったことない)

「そんな勇気私にない。」

「自殺する勇気そこに使いなよ。それに私もいるから。」

「何で私を助けるの?何でここまでするの?私が憎いんじゃないの?」

 憎い。確かに憎い。私は彼女に殺されかけたんだから。でも死んでほしくない。生きててほしい。自殺未遂をしてよかったと思う事はあった。そうでもしないと気が付かなかった人の優しさを知ったし、何より自殺という行為が一つの勇気でその勇気が私を変えたからだ。でも心のどこかで分かっていた。本当に死んだら死んでよかったなんて思う事も出来ない。死んで自分が得られるものなんてない。何も得られない代わりに周りの人に自分の生き様ではなく可哀そうな死に様だけを残してしまうと。せっちゃんの冷たくなった体に触れた時、後悔はあっても大きな悲しさだけが私を包んだ。でも自分があの時本当に死んでいたらせっちゃんは悲しさ以上の悔いや怒りに襲われただろう。私が残したいものはそんなものではない。杏奈にも周りをそんな感情にさせて死んでほしくない。だから自殺してほしくなかった。あぁそうか、私は杏奈にあの時の自分を重ねているんだ。弱くて不器用でぼろぼろの杏奈に。だから私は彼女を助けてしまった。

「杏奈の事本当の友達だって思ってるから。」

「え?」

「中1の時、一番初めに話しかけてくれてすごく嬉しかった。私それまで女の子の友達出来たことなかったし、クラスで浮いてたから不安だったんだよ。だから杏奈が友達になってくれて嬉しかった。そういえば何で私だったの?」

(憧れてた)

「覚えてないよ。」

「素直じゃないね。」

 私が笑うと杏奈もばつが悪そうに微笑んだ。辺りはすっかり暗くなり、ベンチの近くにある街灯がスポットライトのように彼女を照らした。その灯りは彼女を優しく包み込んでいるようだった。

 人通りが激しくなり私たちは芝生に移動した。二人とも泣いたせいで顔がパンパンだった。杏奈は芝生に腰を下ろしたと思ったら寝っ転がった。私も真似て寝っ転がったが星は見えなかった。

「親なんだろうな。」

「え?」

 急に口を開いた杏奈に驚いて彼女の方を向くと、まっすぐに夜空を見ていた。

「私がこうなった理由。私が退学になっても親は私を怒らなかった。お金で示談させようとしたし、何より謝らせてももらえなかった。」

 杏奈は寂しそうだった。

「怜の親ってどんな人?」

「優しい人。自分よりも他人のことばっかり。」

「本当の親は?あ、ごめん。」

「いいよ。最近会ったんだけど、ちゃんと最低な人だった。私を捨てたことなんとも思ってなかった。」

「辛くないの?」

「辛かったけど、他に大切な人がいれば十分。」

「お母さん?」

「せっちゃんもそうだし…まぁ。」

「あぁ宇ノ沢か。」

 頭に浮かんだのは颯や由紀そして彼だ

「怜が幸せそうでよかった。」

「私幸せそうかな?」

「うん。生きててよかった。」

「杏奈もね。」

「うん。もう死なないから大丈夫。この罪背負って生きるよ。」

 杏奈は自分の左腕を見つめた。あの日の火傷はまだ残っているのだろう。

「うん。一緒に生きよう。」

 彼が私を構う理由がやっとわかった気がした。

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