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雨を想う君にキク  作者: いしだ
6/12

背負い続けた十字架

 4時間目はお腹の音が聞こえないようにするのに必死だった。今日は恐らく人生で初めて寝坊してしまい、朝ごはんを食べ損ねた。いつも自分で起きれないとせっちゃんが起こしてくれていたが、今日はせっちゃんも寝坊した。珍しいことだったがそんなことを考える間もなく急いで登校した。ギリギリ登校時間には間に合ったが私の空腹度は限界を越していた。

ガラガラ

 いきなり教室のドアが勢いよく開いて息を切らした新井先生が入ってきた。数学の先生もクラスメイトもみんな驚いている。

「岩崎荷物をまとめろ。」

 いきなり名前を呼ばれて動揺したが注目を浴びることが最近多すぎて割と慣れてきていた。新井先生は数学の先生に耳打ちをし、数学の先生も納得したようだった。

「岩崎。」

(はやく)

 もう一度新井先生に名前を呼ばれて慌てて教科書をリュックに突っ込んだ。

「ついてこい。」

 廊下に出ると先生は早足で階段のほうに向かい、廊下を曲がったところで足を止めた。ちょうど教室から死角になるところだった。

「いいか。落ち着いて聞け。」

「なんですか。」

「お母さんが倒れた。」

「え……」

 一瞬頭が真っ白になった。そして朝のせっちゃんの顔が頭に浮かんだ。せっちゃんは寝坊しちゃったと苦笑いで私を起こした。でもその顔は、今思えば青白くて体調が悪そうにも見えた。どうして気がつかなかったのか。何で行ってきますってせっちゃんの顔を見ずに行って家をでたのか、後悔が押し寄せた。

パンッ

 担任が私の顔の前で手をたたいた。

「聞いてた?命に別状はない。でも手術をしてるから病院に行こう。前田さんって分かるか?」

「…はい。母のお店の人です。」

「そうか。今その前田さんが下まで迎えに来てるくれてるからお母さんのところに行こう。先生も一緒に行くから。」

「はい。ありがとうございます。」

 命に別状はないと言われても手術をするほどの病気なのかと思うと心臓がバクバクした。

「いいか。大丈夫だから。」

(お前のせいじゃない)

 先生に心を読まれているように感じた。


「怜ちゃん!」

 生徒玄関に前さんがいて気持ちが少し楽になった。前さんは私の頭をなでながら「大丈夫、大丈夫」と繰り返した。

「私も一緒に行きます。」

「先生、ありがとうございます。私が運転するので乗ってください。」

「いえ、私がします。岩崎さんの隣に。」

 普段やる気のなさそうな担任が別人に見えた。

「せっちゃん仕事中に倒れたの?」

「いや、開店時間になってもお店に来なかったから家に呼びに行ったら倒れてて。」

「そうなんだ。朝、元気無さそうだったのに、私急いでて。」

「怜ちゃんは悪くないよ。誰も悪くない。それに手術って言っても難いものじゃないって。」

 前さんが気を遣っていることは目を見なくてもわかった。

 せっちゃんが運ばれた病院は私が入院していたところと同じ病院だった。私たちは救急病棟に行くと脳神経外科に案内された。脳神経外科という事は、

「笹塚先生。」

「怜ちゃん。」

 集中治療室から出てきたのは私の担当医だった笹塚先生だ。

「先生が担当だったんですか?」

「うん。いい縁ではなさそうだけど。」

「せっちゃんには会えますか?」

「いや、中は入れないよ。窓越しなら。」

 先生に手招きされて、近づくと窓越しにせっちゃんの姿が見えた。髪の毛が見えなくなるほど頭に包帯を巻かれ眠っていた。

「命に別状はないんですよね?」

「手術は成功したよ。ただ…」

「ただ?」

「あっちで話そう。お二人も一緒に来てもらえますか?」

 先生の診察室に来るのは久しぶりと言うわけではないが、初めて来るように感じた。私たちは椅子に座り先生の言葉を待った。

「怜ちゃんには言うべきだと思って。ショックを受けずに聞いてほしい。」

 先生は脳のエコー画像をホワイトボードみたいなところに貼った。

「ここに影があるのわかる?」

「はい。」

「これが腫瘍って言うんだ。」

「脳腫瘍ってことですか?」

「そう。節子さんの場合はこれが悪性なんだ。」

「でも手術は成功したんですよね?」

「うん。でも今回の手術は腫瘍を取り除く手術ではなくて、頭をぶつけたことによる外傷を治したに過ぎないんだ。」

「腫瘍は取り除けないんですか?」

「残念ながら至るところに転移していて、全部を取ろうとなると節子さんの体がもたないんだ。」

 一度は自分からせっちゃんとの別れを選んだのに、今は命乞いをしている。罰が当たったんだ。命を軽く見た罰が。いや罰なら私に与えるべきだ。

「それでもしてください。助かる可能性があるならしてください。」

 先生は口を開くのを渋った。

(本人が望んでないんだからできないよ)

 本人が?せっちゃんは手術をしたくないの?死んでもいいの?私が死のうとしたから?

「余命はどれくらいなんですか?」

 前さんが割って入った。

「もって半年かと。」

「半年…」

 頭が真っ白になり、自分だけこの一瞬に取り残されている感覚に陥った。周りだけ時間が進み、どこにもピントが合わない。目の前の白い服の人は何か話しているが霞んで聞こえない。時空が歪んだような感覚だった。

 誰かに支えられて部屋から出た。待合室のベンチに座らされようやく地に足が付く。

「大丈夫?」

 前さんの呼びかけがやっと耳の中に届いた。

「あ…うん。」

「ずっと反応ないからびっくりしたよ。気分悪い?」

「いや、大丈夫。」

「今日はうちに帰って休もうか。」

「いや、残る。せっちゃんの傍にいたいから。」

「でもまだ目を覚ますのに時間がかかるって。」

「目を覚ました時に誰かいないと寂しいじゃん。傍にいたいの。何も恩返しできてないからこれくらい。」

「わかったよ。一般病棟に移ったら傍にいよう。とりあえずご飯食べて節子さんの着替えとか持ってきて準備しないと。さっきからお腹鳴ってるし。」

 こんな状況でも生理現象は空気を読めない。

「先生もよかったらお昼どうです?」

「えっ…あ、いやー…」

(学校戻りたくないな)

「いいじゃないですか。お礼です。うちのご飯美味しいですよ。」

「んーじゃあ、お言葉に甘えて。」

 

「すぐできるんで適当に座っててください。」

 久しぶりのお店は何も変わっていなかった。前さんはそそくさと厨房に入って支度を始める。テーブル席に先生を案内して、お冷を持って向かい合わせに座った。

「いい店だな。創業してどれくらい経つの?」

「60年くらいです。せっちゃんの旦那さんが三代目なんで。」

(旦那さん?)

「あぁ父…ですよね。」

(複雑なのは知ってるけど父親と仲悪いのか)

「あ、いや、なんというか私がここに来る前に亡くなっているので会ったことが無くて。何て呼んだらいいのかわからないんです。」

 お父さんって呼んでいいのかわからなくていつも濁していた。このことだけじゃない。せっちゃんに本音を言わなかった事はいっぱいある。 

いろんな記憶がよみがえって、苦しくなった。疲れているせいか、新井先生がいつもより優しく感じるせいか心を閉じ方をさすれてしまった。

「12年も一緒にいるのに、大好きなのに、本音を言えないっていうか、嫌われたくないから何も相談できなくて…心を開いてなかったから、せっちゃんも私に病気のこと言えなかったんですかね。」

(なんだ)

「いい親子じゃん。」

「え?」

「お互いに想い合ってる証拠だろ?岩崎がお母さんに嫌われたくない、傷つけたくないって思ったから何も言えなかったのと同じで、お母さんも君を傷つけたくないって思ったから病気の事言わなかったんじゃないか?言えなかったんじゃなくて言わなかったんだと思う。本音をぶつけ合うだけが家族じゃないよ。」

(何言ってんだ俺)

「言わなかった…」

せっちゃんは私のために本当の事を言わない選択をした?

「君はお母さんに本音を言えなかったなら、言うか言わないかまだ決める余地があるよ。生きているんだから。」

「先生って…やっぱり大人なんですね。何でも知ってる。」

「そんなことないよ。大人のフリした成り損ないだよ。」

 先生はお水を一口飲んだ。

「それに、家族に血のつながりは関係ないよ。つながっていてもそこに愛情が無ければ家族とは言えない。」

 先生の言葉には怒りがこもっている様だった。

「俺は両親と縁を切ったから。あ…ごめん…こんなこと君に話す事じゃないよな。」

「いや、聞きたいです。」

(なら)

「うちの両親は仲が悪かったんだ。父親は稼ぎが少ないのにギャンブル好きだったから、お金がなかった。そのせいで両親の仲は最悪で親子の仲も。貧乏ってだけでいろんなこと諦めさせて、お金を作る努力もしてくれなかった。そんな親が大嫌いだったよ。本当は通訳者になりたかったんだ。それを話したら夢は叶わないし、お金がないから大学に行かせられないって言われた。その時にもう限界だって思って家を出た。縁を切ったんだ。」

 先生の過去の話にどう反応していいか分からなかった。

「借金と奨学金で何とか大学に行ったけど結局夢は叶わなかった。親の言うとおりになったよ。悔しいけど自分の実力で夢を叶えられなくて、言い訳もできない。情けないよ。」

(あ…反応に困るよな)

「教員の資格を取ってたから教師になったけど、生徒に教えられることなんて何もない。『夢は叶う』なんて気持ちを込めなくても言えないんだ。」

「簡単に言う人よりいいじゃないですか。」

(生徒に気を遣わせてどうするんだ)

「なんとなく先生のこと分かった気がします。」

「え?」

 先生は自分が辛い思いをしてきたから家族や友人関係で悩んでいる私を見過ごせなかったんだろう。先生は不真面目で生徒に興味が無さそうに見えるけど、熱血な教師ほど世間体とか自分の地位しか考えない裏の顔を持っていることを知っていて、裏切られてきた私にとって先生が一番信用できたし、いい教師だと思った。

「先生はいい人ですね。」

「どこが?」

「担任をしてくれたのも納得できました。私の事本当に助けようとしてくれているんじゃないですか。」

(助けようとしてる…か)

「そんなことないよ。俺は周りにやれって言われたから担任をしてるだけだよ。」

 前は自分が決めてないと嘘をついたのに今のはニュアンスが少し変わっている。嘘をつくならちゃんとやれとツッコんでおいた。そのせいで少し笑ってしまった。

「先生が教師に見えてきました。」

「もともと教師だよ。」

 先生の顔に笑みが浮かんだ時、昼食ができあがった。前さんが笑顔で運んできたのは親子丼だった。結局せっちゃんが一般病棟に移動したのは翌日で、その日はせっちゃんに会えなかった。


 今日は土曜日で学校はない。あっても休んでいたんだけどこれ以上勉強が遅れるとせっちゃんをより心配させてしまうからラッキーだった。朝からせっちゃんの着替えを鞄に詰め近所の花屋さんにお見舞いの花を買いに行った。どの花にしようか迷っていると見覚えのある花があった。淡い紫色の花は、超能力を持つ彼がお母さんのために買っていた花だ。それと、うちの庭にも同じ花が咲いている。せっちゃんがよく水やりをしていたから、なんとなくせっちゃんも好きなんじゃないかと思った。

「気になりますか?」

「なんという名前なんですか?」

「白色がデイジーで、この紫色の花がシオンといいます。」

「シオン?」

「菊の一種です。」

「へぇ~」

(えっと…花言葉なんだっけ)

 若い女の店員さんは焦りを必死に隠して、何とか平然を装った。

「最近入ってきたんです。」

「じゃあこれを。」

 花言葉が気になったが後で調べることにした。

 病室につくと、まだせっちゃんは目を覚ましていなかった。すぐに目を覚ますと言われたけど、すぐとはどのくらいなのか疑問だ。四人部屋だったが他に患者はいなかった。窓辺のベットに眠るせっちゃんは、安らかな表情をしていて、もう生きていないんじゃないかと怖くなった。着替えを棚にしまい、花を生けるために花瓶をもって廊下にでた。長いことここで過ごした私は水を汲めるトイレまで迷わず足を進める。

「あ。」

 迷ったからじゃない。足を止めたのは通路を挟んで向かいに特殊能力をもつ彼がいたからだ。

(何でいるの)

(こっちの台詞)

(せっちゃんの看病)

(何があったの?学校来てないけど)

(せっちゃんが倒れたの)

(そうだったんだ。君も大変だね)

(そっちは?)

(定期検診だよ)

(耳鼻科はここじゃないよ)

(耳じゃなくて脳の。耳とつながってるからね)

(なるほどね)

(それは?)

 彼は私が持っている花瓶に視線をずらした。

(お花生けようと思って)

(そうなんだ。いいね、生けてくれる人がいてせっちゃんは幸せ者だ)

(君がせっちゃんって呼ぶの違和感しかないんだけど)

(じゃあ何て呼べば?)

(私のおかあ…もういいよそのままで)

(勝った)

 彼はにやりと笑った。その時私と彼の間を何人かの人が通って行った。

(少ししゃべらない?暇なんだ)

 彼はそういってどこかに向かって歩きだしたから私は彼について行った。話すところと言えばここだろうなとは思ったがやっぱり西館の屋上だった。

「それで?」

「え?」

「話があるんでしょ?」

「いや、別に。」

「はい?じゃあなんでここに来たの。」

「いや、君がしゃべりたそうだったから。」

(えどういう事?バカなの?)

「ちょっと寒いねここ。」

 話を聞かない彼はそう言いながら大の字に寝転んだ。私は呆れて彼の隣に座った。前にも似た光景を見た気がする。

「せっちゃんってどんな人?」

 いきなりの質問に本当に興味があるのか疑問だったが、場をつなぐための会話なんて私たちはしない。必要ない。

「心配になるくらい優しい人。いつか悪い人に騙されるんじゃないかってヒヤヒヤしちゃうくらい。」

「親をそんな風に言えるなんていい娘だね。」

「そんなことないよ。いい娘なんかじゃ」

 いい娘。その言葉に引っかかったのは昔の記憶がべっとりと頭にまとわりついているからだ。

「どうかした?」

「私はいい娘でもいい人間でもない。だって…」

「命を粗末にしようとしたから?」

「しようとしたからじゃなくてしたの。それも人のものを。」

「どういう意味?」

 この話をするのか迷った。言ってしまえば本当にせっちゃんと会えなくなる気がするから。

「君を尊重するよ。言いたくない話なら聞かない。」

 いつもに増してデリカシーがある彼に、安心感を抱いた。

「せっちゃんに隠し事してるの。12年も。」

「どんな?」

 せっちゃんにも誰にも言わなかった私の過去。口に出す事さえも怖くてできなかった。

「…人を…殺したこと。」

 彼は驚かなかった。

「どうして殺したの?」

「事故なんだけど。私のせいで人が死んだ。」

 彼は黙ったままだった。

「12年前に私を生んだ母親が家を出て行って、その後を追いかけた私は道路に飛び出したの。それで車に轢かれそうになって、私を突き飛ばしてくれた女の人と、急ハンドルをきった運転手の人が…死んだ。」

「それは君が殺したことになるの?」

「何度も母親のせいにして、自分は悪くないって言い聞かせたけど、私が追いかけなかったら…誰も死ななかった。」

 気がつけば泣いていて、彼も泣いているように見えた。

「そんなことない。君を捨てた母親が悪いに決まってる。五歳の君に責任があるだなんて誰も思わない。」

 寝ていた彼はいきなり起き上がり、私を抱きしめた。彼の行動にびっくりしたが、すぐに安心感が私を包み、心臓が熱くなった。

「君は悪くない。せっちゃんもそう言うはず。もうそんな過去に囚われなくていい。君は十分苦しんだ。」

 彼の同情の言葉に私の中の何かがほどけて泣きじゃくった。ずっと誰かにそう言ってもらいたかった。話を聞いてもらいたかった。呪縛を解いてほしかった。

それからどれくらい経ったのだろう段々と落ち着きを取り戻し、彼の右肩が私の涙でびちょびちょになっていることに気が付いた。

「会ってもいい?」

 彼はそういって私を抱きしめていた手をほどいた。

「え?」

「せっちゃんに。会ってみたい。」

「まだ意識戻ってないよ?」

「うん。その方がいい。」


 病室のドアを開けると、ちょうど看護師さんが点滴を変えているところだった。

「もう終わるからね。お友達?」

「あ、はい。」

(青春だなぁ)

 看護師さんはそういい残して病室を出て行った。

「青春らしいよ、僕ら。」

「どこが。」

「付き合ってるように見えるのかな。」

「は?」

「悪いけど僕は普通の女の子がいいな。心の聲聴こえる人は勘弁。」

 彼は真顔で手を合わせた。

「いや、聞こえないふりしてる奴なんかこっちが嫌だわ。」

 私は彼の手を挟むようにして叩いた。

中に入ってせっちゃんのベットの前の椅子に座ると、彼はじっとせっちゃんの顔を見つめた。私は視界に入ってきた手の中の花瓶に水を入れるのを忘れたことに気づき「ちょっと待ってて」と言って病室を出た。女子トイレの洗面所で水を入れていると、鏡に映った自分の顔が泣いたせいで腫れているのに気がついた。彼に抱きしめられた感覚がまだ残っている。その感覚はせっちゃんと初めて会った日に抱きしめられた感覚を喚起させた。

 病室に戻ると彼はまだせっちゃんを見つめていた。

「そんなに見ても心は読めないよ。」

「…うん。」

 彼はまた泣いているように見えたが、気のせいだ。

「あ」

「ん?」

「今、一瞬動いた気がする。」

「えっ、嘘。」

 せっちゃんの手がぴくっと動いた。

「ほら。」

「ほんとだ。」

 もう一度手が動いた。そして瞼もぴくぴく動いて、瞳が見えた。

「せっちゃん?聞こえる?」

 せっちゃんは小さく口を動かいた。何度も動かしてようやく声が聞こえた。

「れ…い。」

「そうだよ。」

「怜だよ。」

 せっちゃんはにこっと笑った。彼は先生を呼んでくると言って病室から出て行った。

  

 検査が終わってようやく面会が許された。彼は空気を読んだのか何も言わずにいつの間にかいなくなっている。

「さっきの子は?」

「えっとクラスメイト。さっきばったり会ったの。」

「体悪いの?」

「体っていうか、聴覚障害持ってて。」

「そう。苦労してるのね。」

「人の心配はいいから自分のこと考えてよ。」

「年寄なんだから自分の心配はいいの。ちゃんと食べてる?」

「良くないよ。」

 せっちゃんは私の表情が暗くなったせいか慌てて謝った。

「ごめんね。心配かけて。苦労かけたくないけど、怜より早く天国に行くことになるわね。」

 せっちゃんの表情が曇った。なぜだかわからないけど私の超能力は、せっちゃんには効かない。それでも、せっちゃんが私が先に天国に行きかけたことを思い出しているのはすぐに分かった。

「まだ行っちゃだめだよ。」

「そうだよね。大人になった怜を見ないと。」

 せっちゃんは優しく頭を撫でた。

「そうだよ。成人式も花嫁姿も、孫も見たいって言ってたじゃん。」

 口癖のように言っていた台詞を最近聞かなくなったことに気がついた。

「そうね。」

 諦めている様に言うせっちゃんに腹が立った。

「諦めてないよね?」

 せっちゃんは何も言わなかった。それが余計私を腹立たしくさせて、口に出してしまった。

「半年って何?何で言ってくれなかったの?何で隠してたの?」

 せっちゃんは私の手をぎゅっと握りしめた。

「ごめんね。どうしても言いたくなかったの。怜が悲しむ顔見たくなかったから、言わないでおこうって決めてたの。」

「でも…」

「怜が眠っていた三か月間、毎日、今日が命日かもしれないって思うと、生きた心地がしなかった。大丈夫、助かるって、前向きになる余裕すらなかった。そんなこと怜にさせたくない。これ以上、怜を苦しめたくない。だから倒れるまでは、秘密にしてほしいって先生にお願いしたの。」

せっちゃんは私に病気のことを言わないという選択をしていた。新井先生の言葉が脳裏をよぎる。

「そんなこと…そんなこと言われたら何も言い返せない。」

「今まで通りで、そのままでいいの。怜の笑った顔を見ることが私の最後の願いだから。でもちょっと、泣いた顔を見るのも嬉しい。怜は強がりで優しいから、心配かけないように私の前では泣かないでしょう?弱さを見せてもいいんだよ。家族なんだから。」

 私は堪えられず泣いてしまった。ひたすら泣いてしまった。今まで我慢していた分も全部。

そして私も決断した。自分の過去をせっちゃんに話さないと。もう何かに苦しんで乗り越える時間なんてない。知らない方が幸せな事もある。

 それからは学校と病院を往復する日々が始まった。本当は学校を休みたいんだけど休んだらせっちゃんに怒られるのでそこは妥協した。

「怜、今日も病院?」

 終礼が終わり、机の中の教科書をリュックにしまっていると由紀が心配そうに見つめていた。

「うん。そうだよ。」

「なんか最近痩せたんじゃない?ちゃんと食べてる?」

「んー食べてるよお母さんのお店の人が作り置きしてくれてるし。まぁ昼はパンだけど。」

「そっかぁ、大変だね。私に何かできることあったら言ってね。」

「ありがとう。でも大丈夫。」

「お母さん、早く良くなるといいね。」

 奇跡でも起きない限り病気は治らないとは言えなかった。先に行くと言って生徒玄関へ向かうと颯がいた。一瞬目が合ったけど、気まずい空気が流れて目を逸らしてしまった。仲直りは多分出来ない。

 いつもはせっちゃんの着替えを持って家を出て学校に行き、そのまま病院に直行するのだが、今朝寝坊して着替えを持ち忘れてしまったから一度帰宅することにした。せっちゃんのいない我が家は、すぐに散らかり、洗い物も洗濯物もすぐに溜まる。そして持っていくせっちゃんの着替えがないことに気付いた。仕方がないので洗濯機を回したが、乾くまで時間がかかる。このままでは面会時間に間に合わない私は最終手段として二階にある物置から服を探した。数えるほどしか入ったことのない物置は、たんすが並んでいて、亡くなった娘さんや旦那さんの服や思い出の品が並んでいた。開けていいのかわからなかったが、仕方がない。私は泥棒になった気持ちで引き出しを開けた。何か所か開けると、女性ものの靴下が入っていた。中を物色していると、引き出しの底から封筒が出てきた。茶色の封筒の表には『遺書』と書かれている。私は驚いて手を止めた。旦那さんのものかと思ったが、せっちゃんの字だ。開けるべきか迷ったが恐る恐る封を開けると中から4枚の便箋が出てきた。

『怜へ』

 その文字を見て封を開けてしまった罪悪感はどこかへ行ってしまった。

何でもう書くの?何でもう見つけちゃうの?苦しかった。それでも続きを読むのをもう止められなかった。

『怜へ

 まず初めに、また一人にしてしまってごめんね。そして生まれてきてくれて、この家に来てくれてありがとう。沢山言いたいことはあるけれど、怜には感謝しかありません。

怜にひとつ言わなければならないことがあります。隠し通すつもりだったけれど、怜には知る権利があると思うからここに書きます。怜のお姉ちゃんの話。紫苑って言うんだけど怜が五歳の時に亡くなりました。病気って嘘をついたけれど、本当は交通事故なの。』

 5歳。交通事故。私にずっとへばりついていた言葉が手紙に書かれていてまさかと思った。

『娘は孫と二人で散歩をしていた時に目の前の道路に飛び出したあなたを助けようとして命を落としました。』

 嘘だ。そんな…。

『夫はショックで持病が悪化し、後を追うように亡くなり、当時私はあなたを恨みました。それからあなたがどんな子か気になって双葉の家を訪ねました。両親が離婚していること、虐待を受け、育児放棄をされていたこと。想像もできない環境にいたことを知りました。それを聞いてあなたを責めることはできなかった。そしてあの日、あなたはただ、お母さんを追いかけただけという事も知りました。許すことはできなかったけれど、少しだけ救われたような気がした。それから数十年ぶりに働いて、つらい経験を思い出さないようして生きて、何とか二人の死を受け入れることが出来た。でも、あなただけが忘れられなかった。あの子はどうやって生きていくのか、今まで以上につらい環境に置かれるのではないかってずっと考えてた。自分でもおかしいっって思う。でも紫苑が死んだのはあなたのせいじゃなくて、あなたのためだと思った。それであなたの母親になるって決めたの。周りに反対されるのは目に見えてたから前田君にだけ打ち明けた。もちろん彼にも反対されたけど最後は理解してくれた。

初めて話した怜は、野生の動物の様で、人のことを敵を見るような目で睨みつけていた。だから思わず話してみたくなった。5年しか生きてないあなたに愛情というものを教えてあげたいと思った。あれから怜は立派に成長してくれた。小学5年生の時に学校に呼び出されたの覚えてる?私は忘れたことはない。幸せな日だった。怜が同級性に暴力を振るったと聞いて、すごく悲しくなったけれど、母親が年寄りっていうのを馬鹿にされて、いつも何言われても言い返さなかった怜がやり返したって知って、思わず喜んでしまった。学校の先生にも呆れられたけれどすごく嬉しかった。でも、私にいじめられていることを相談してくれなかったのは少し寂しかったな。あの時ちゃんと相談する事を言っておくべきだったって反省しています。怜は人の気持ちに敏感で気を遣い過ぎるってこと、もっと気にかけるべきだった。親戚や近所の人の前で孫ですって自分から言うような怜に甘えてしまった。怜が自ら命を絶とうとするほど思い詰めているとは気がつかなかった。紫苑は学歴が無くて、シングルマザーで苦しんでいたから怜にはそういう思いをさせまいと塾とか習い事とか沢山させたね。怜は私の期待に応えようと必死に頑張ってくれてたけれど、それが怜を追い詰めていることになるとは思わなかった。周りの目を気にしていたのは自分のためだったんじゃないかって後悔した。ごめんなさい。怜が川に飛び込んでからは私はまた深い悲しみを味わった。その悲しみを時間は解決してくれない。自分の余命なんかよりもあなたの命が救われることだけを願った。だから怜の意識が戻って本当に心から嬉しかった。もしかしたら紫苑がまたあなたを助けてくれたのかもしれないね。

怜が昔のことをどこまで覚えているかわからない。でももし、あの事故が忘れたくても忘れられない苦しい過去で一生背負っていく十字架のように感じているのだとしたら、もうそんなふうに思わなくていい。あなたに罪はない、あなたは幸せになっていいの。

もうひとつ、怜に伝えたいことがあります。怜のお母さんの事。ここに連絡先を載せておくから会ってきなさい。親子の縁は切っても切れないだろうから。お母さんって呼んでほしかったけれど、あなたにはお母さんって呼ぶ人がいるから、その権利を奪う資格は私にはありません。それなのにお母さんと会わせたら怜が遠くに行ってしまうのではないかと思って、言い出せなかった。ごめんなさい。

最後に、もう一度、生まれてきてくれてありがとう。怜には明るい未来しか待っていないから、存分に生きなさい。幸せになりなさい。これが最後の願いです。』

読み終えると全身の力が抜けた。放心状態になり、涙があふれた。せっちゃんの娘さんは、紫苑さんはあの時の女の人。せっちゃんは私のせいで家族を失った。なのに私を家族にしてくれた。どうして。震えが止まらなかった。そしてせっちゃんの言葉が聞こえてくるようだった。

『紫苑が死んだのはあなたのせいじゃなくて、あなたのため』

『紫苑がまたあなたを助けてくれたのかもしれないね』

 あの時の女の人の顔が浮かんだ。仏壇に添えられた写真の顔じゃなくて、血だらけで倒れたあの時の顔が…思い出した…あの時、救急車が来るまで紫苑さんは私を見て言ってた。

「生きててよかった」

 手紙を片手に倒れこみ、気付けば日は落ちていた。面会時間ももうすぐ終わる。それでも私は手紙をじっと見つめた。情報量が多すぎて頭がつかれた私はそのまま眠ってしまった。


朝日が眩しくて目が覚めた。全部夢だったんじゃないかと思ったが、手の中の紙が現実だと言う。一階に降りて時計を見ると朝の6時。封筒を学校のリュックに入れ、洗濯機の中でしわしわになった服を見てもう一回回すことにした。制服を脱いでシャワーを浴び、湯船にも浸かった。頭を整理しようとしてもぼんやりして何も考えられない。お風呂を出ると時刻は6時半。寒くてストーブをつけた。居間に流れる朝の情報番組は暖冬だということをオーバーに騒ぎ立てる。そんな冬があってもいい。

洗濯機から取り出した洗濯物をストーブの前で乾かして朝ごはんの準備をした。昨日食べ損ねた生姜焼き。前さんのは絶品だった。ご飯を食べながらスマホの電源を入れると、着信が5件も入っていた。メッセージにはせっちゃんから『連絡つかないけど何かあった?』と心配の連絡が入っていた。『ごめん、寝ちゃった』と返しておく。

 さっき脱いだ制服をもう一度着てからせっちゃんの着替えを鞄に入れ、やっていない宿題を持ったか確認した。

 いつもより早く家を出ると、なんと颯がいた。

「え。」

「あ、おはよう。」

「何でいるの?」

「節子さんが、連絡つかないって電話かけてきたから。」

(まだ怒ってるかな)

「あぁそうだったんだ。ごめん。寝てた。」

「うん。ならいいよ。」

(一緒に行ってくれないよな)

「それじゃ。」

 颯はそのまま立ち去ろうとした。

「待って。方向一緒なんだから。」

 私は颯の隣を歩いた。なんて話しかければいいの分からず気まずい時間が流れる。

「あのさ。」

 沈黙を破ったのは颯だった。

「うん。」

「怒ってる?」

「ううん。」

「もう友達…嫌?」

「ううん。」

「仲直り…できる?」

「…うん。」

「良かった。」

 颯は私の目の前に手を出した。

「え?」

「仲直りの握手。」

「握手するっけ、普通。」

「するよ。」

 私は颯の右手と握手した。すると颯はニコッと笑い、手を握ったまま走り出した。颯は走りながら左手に持ち替え、私を引っ張った。駅まで走ってようやく手を解放されると息が荒いことに気付いた。

「な…はぁはあ…なんで走るの?」

「運動不足だね。これじゃあ体力持たないよ。」

「はー?」

 勝手に心配されてすっかり前みたいに話せるようになった。颯は楽しそうに笑っている。そのせいで私も呆れて笑ってしまった。

「今度の大会、怜も来てよ。」

「え?部活行ってるの?」

「これから頼みに行く。」

「そっか、分かった。いつあるの?」

「今年の夏。」

「は?めっちゃ今度だよ?」

「うん。だから今度。」

「そんな先の事、今度って言わないでしょ。」

「そんな頻繁に大会ないよ。寒いし。」

「屋内なんだから関係ないでしょ。」

 颯は「あぁそっか」と言って改札に向かって歩き出した。颯と登校するのが懐かしく感じる。仲直りは気まぐれだった。昨日の遺書の件もあって颯と喧嘩している自分がバカバカしくなったっていうのもあるし、颯に感じていた劣等感は段々と心臓の裏側に隠れていったからだろう。思い返せばいつも颯に支えられていた。小学生の時は私が助けてあげることが多かったけど、中学生になってからはこっちが助けられていた。クラスで浮くはずだった私が杏奈と仲良くできたのも颯のお陰。結果的にはいいのか分からないけど。颯は私が不幸の坩堝に落ちないように、なんとかこの世界に繋ぎとめてくれていた。そんなことを私は忘れてしまっていた。慣れというのは恐ろしいものだ。なぜ急にこんなことを思ったのか自分でもよく分からなかったけど、時間が解決してくれたんだと思うことにした。


(ちょっといい?)

 早めについた教室にはもう彼がいた。そしていとも簡単に呼び出すことに成功した。今日は雨が降っていたから使われていない第二理科室に呼んだ。

(なに。告白なら早く言ってよ)

(ある意味告白かも)

 教室の窓辺にある背の低い棚には授業で使う実験道具とかが乱雑に並べられていた。彼はその棚の空いたところに腰掛けた。

「せっちゃんさ、あの事故の事知ってた。」

「そうだったんだ。」

「知ってた…ていうより、当事者だった。」

「どういう事?」

 私は制服のポケットから茶色の封筒を取り出した。

「これ、昨日見つけちゃって。」

 彼は封筒に書かれた文字を見て唾をのんだ。

「読んでいいの?」

「うん。」

 簡単に人に見せるもんじゃないけれど、彼には見せていいと簡単に思ってしまった。

 彼は読みながら何度も目を潤ませた。なんとなく病院の屋上で泣いた時とは違って見えた。必死に何かを堪え、自分宛ての手紙を読んでいるようだった。彼の表情を見ていると、手紙の内容を思い出し、また涙がこぼれた。私は椅子に座って彼が読み終えるのを待つことにした。

「私には理解できない。家族の命を奪った人を…どうして愛せるのか、理解できない。自分の娘さえ愛せない大人がいっぱいいるのに。」

「僕は少しだけ、分かるかもしれない。せっちゃんは、君に娘さんを重ねているんじゃないかな。」

「重ならないよ。命を懸けて人を助ける心なんて私にはない。」

(あの親の血にそんなもの流れているわけない)

「血は関係ないでしょ。」

「あるよ。優しくされても純粋に受け取れなくて、心を読んで相手の思惑探してるし。頑張っても頑張っても醜い気持ちがまとわりつくの。それを誰にも気付かれないように必死に隠して隠し続けてるだけ。努力しなくても優しい人に、私はなれない。」

「君は優しいよ。」

「話聞いてた?」

「うん。君は優しくされると、どうして自分に優しくするのか相手の気持ちを読もうとするでしょ?でも君は間違った解釈をして、マイナスに捉えてしまう。そしてそれをプラスに変えようと頑張っても空回り。ずっとそれを繰り返して優しさというのを理解した。違う?」

「だから、努力しないと優しくできないってことでしょ?本当の優しさじゃない。」

「優しさではあるよ。抽象的なものを感覚じゃなくて、具体的に捉えようとしているだけなんだと思う。」

「なんでみんなと同じように出来ないんだろう。」

「ポジティブな感情が少ないだけだよ。心の聲を聴いてきた僕の持論だけど、君の思う優しい人っていうのはポジティブな感情とネガティブな感情どっちも持ってる人だと思う。」

「ネガティブな感情も?」

「うん。」

彼はそう言って棚の中から天秤を取り出し、自分が腰かけていたところに置いた。

「優しい人っていうのは人に優しくされる喜びを知っていて、」

 彼は天秤と一緒に保管されていた重りを天秤の右のお皿に置いた。

「傷つけられた時の痛みも知ってる。」

 今度は同じ大きさの重りを左のお皿に乗せた。天秤はぐらぐらと揺れて次第に水平に止まった。

「こうやって均衡が保たれて心にゆとりが生まれるから人にやさしくできるんだよ。でも君は辛い感情を溜めて、」

 彼はケースから重りを一つ取り出して左のお皿に置いた。

「溜めて、」

もう一つ。

「元に戻れなくなった。」

 3つの重りのせいで左のお皿は一番下まで下げられた。

「左に対して右はこの量しかない。こんな状態で人に優しくしようなんて無茶だよ。」

「なんでこんなことになったんだろう。」

(ポジティブになれないのってやっぱり血が)

「血じゃなくて環境だよ。」

(誰が産んだかじゃなくて誰に育てられたかって事?)

「まぁそうなるね。君は母親に嫌われないように、ネガティブな感情を溜めこみすぎた。その後も辛い経験をしてきたからポジティブになる方法を知らなかったのに、君はいきなりせっちゃんの優しさに触れた。それで少ないプラスの感情でその優しさというのを理解しようとして君という人間が出来上がったんだよ。」

「なんか可哀そうだね。」

「他人事みたいに言うね。」

「私の事言ってるのはわかるんだけど、なんかそれじゃあ悲劇のヒロインみたいってまた誰かに言われそうで。」

「まぁ同情ならできるけど。」

 はははと呆れて笑った。

「何ていうか、そんな綺麗じゃない。もっと汚れてるの。優しくなれないんじゃなくて優しくしたくない。本当は誰の幸せも望んでないし、キラキラしている人を見てると腹が立つ。」

 彼はにやりと笑った。

「それでいいんだよ。」

「え?」

「君は本心を口に出さずに、浴びせられた醜い言葉をためるから、どんどん占領されるんだよ。今みたいにそうやって吐き出せばいいじゃん。」

 彼は天秤の左のお皿から二つ重りを取った。

「吐き出したらほら均衡になるじゃん。」

「愚痴をこぼせって事?」

「それも一つ。でももうこんなことで悩む必要はない思う。君は自殺未遂をしてから生まれ変わったんだから。」

 彼は天秤を閉まってあったところに戻した。

(生まれ変わった?)

「うん。顔色うかがわずに自分の気持ちをまっすぐ伝えられるようになったでしょ。」

 思えば由紀とも颯とも顔色うかがわずに話せている気がする。他の人と話すときもなんだか気が楽だ。でもそれはこの特殊能力が

「なんか、俺、分かった気がする。」

「なにが?」

「君がこの特殊な能力を手に入れた理由。」

「どういうこと?」

「君が人の温かい聲を聞き逃さないようにする為にこの能力を誰かが与えたんじゃないかな。まぁ俺は神様とか信じないけど。」

彼が言っていることはあながち間違っていないのかもしれない。

「話逸れたけど、君は優しい人間だし、せっちゃんもそれを知ってるから娘にしたんだと思うよ。」

「私は紫苑さんの代わりになれたのかな。」

「そのことだけどさっき言ったこと撤回していい?」

「さっき?」

「せっちゃんは娘さんを君に重ねてるって事。代わりなんてなれるわけないって思って。」

(もち上げて落としてる?)

「そうじゃなくて。単純に君という人間と家族になりたいって思っただけだと思う。娘さんが助けた子だからって事じゃなくて、母性っていったらそれまでだけど、君を赤の他人には感じなかったんじゃ…まぁ本人にしかわからないけど。」

 彼はずっと人が変わったように私を慰めるから戸惑ったけれど、その言葉に深い意味なんかなくて彼は思ったことを言っているだけだ。

「そうだよね。本人にしか…でもせっちゃんにはこの能力効かないんだよね。最近は由紀とか颯にも。」

「僕もいるよ、そういう人。先輩の僕の経験から言うと、信用している人なんだと思う。気を遣わなくていいっていうか、心の聲を聞く必要がない人。」

 彼にもそういう人がいることに驚いたが、別に私は彼の全てを知ってるわけじゃないんだからいても当然かと思った。

「そうなんだ。考えてみればその通りかも。」

 信用してても能力保持者同士は無効なんだと考えた。

「せっちゃんに今日会いに行くの?」

「うん、そのつもり。でもどんな顔で会えばいいんだろう。」

「そのままでいいよ。君がせっちゃんに感じた感情のままで。遺書の事も隠すことないし、本音言えるうちに言わないと後悔するよ。」

「言えるかな…。」

 彼は私に遺書を返してにこっと笑い、そのまま教室から去って行った。その笑顔になんの含みも持たせていないことは明らかだった。

 その日の放課後、私はせっちゃんの病院に行ったけれど、結局遺書のことは何も言うことが出来なかった。


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