夢への嫉妬
「今日面談あるね。怜は内部進学?」
由紀とは仲直りしてから以前よりも仲が良くなり、友達と言える関係になった。もう女子と群がるのは勘弁だと思っていたけれど、由紀といると楽しくて群がるのもなかなか悪くない。昼食はいつも由紀と教室で食べるが、今日は天気がいいので彼には悪いが由紀を特等席に招待した。許可はとってないけれど、彼は最近ここに来ないから許してくれていると解釈している。
「うん。そのつもり。」
今の成績じゃちょっとやばいけど。
「そっか。一緒だね。学部は?」
「うーん。まだ決めてないんだよね。由紀は法学部?」
「うん!」
由紀の満面の笑みに圧倒され、夢がない自分が情けなくなった。
「確か親が弁護士なんだよね?」
「うん。でも私は検察官になりたい。」
由紀はどこか寂しそうだった。
「弁護士、弁護士ってうるさいから、私なりの親への反抗。」
「偏差値高い反抗だね。」
由紀は「言えてる」と悪ガキのように笑った。
「怜は将来何になるの?」
聞かれて困る質問ランキング1位の問いに私は言葉が詰まってしまった。。
「ごめん。今はまだ先の事なんて考えられないよね。無神経だった。」
「ううん。気を遣わないで。」
由紀は優しく頷いた。
「でも羨ましいなぁ。なりたいものが決まってるって。」
「しょっちゅう気持ちが揺らぐけどね。」
「そうなの?」
「うん。刑事ドラマを見れば警察にあこがれるし、医療ドラマを見れば医者になりたくなる。そんなもんだよ。」
「意外。」
「ほんと?そう見えてるんだったら成功かな。後戻りできないように自分に暗示をかけてるから。私は検察官になるんだ!って。これが本心なのか自分でもわかんないけど。」
由紀はボソッと「別の道に行くのが怖いの」とつぶやいた。
「怜は怖いもの知らずだから何か大きなことをしそうだね。」
「怖いもの知らず?私が?」
「うん。怜は…強いじゃん。私だったら逃げちゃうな。」
由紀が自殺未遂のことを言っていることは何となくわかった。
「逃げたからこうなってるんだよ。」
「ううん。逃げてたらこの学校になんて来ないし、私ともこうやって話せないよ。」
逃げてないんじゃない。立ち向かっているんじゃない。ここにきているのは、ただ彼が…
由紀の後ろで何かが動いた。
(俺が何?)
「えっ」
「ん?」
由紀は不思議そうな顔をした。
「あ、いやに由紀にそんなふうに思われてたなんて初めて知ったよ。」
由紀は微笑んで、おにぎりを頬張った。その後ろで大きな物体がこちらを向いていた。
(何でいるの?)
(僕の縄張りに入ってきたのはそっちでしょ。お友達もご一緒で)
(屋上はみんなのものでしょ?)
(あーやだわーそういうこと言ってくる奴)
彼はまた屋上の屋上みたいなところで寝っ転がった。
いつもは普通に開ける教室のドアをノックして開けると、生徒の席に座る疲れた表情の担任がいた。
「失礼します。」
「おー入れー。」
担任は乱雑に重ねられたプリントの束を漁って一枚取り出した。私は担任の目の前の席に座り面談が始まるのを待った。
「どうだ?久しぶりの学校は。」
(楽しい訳ないか)
「まぁ何とか。」
「そうか。」
「岩崎は内部進学だよな。学部は?」
「特に決まってないです。」
「将来の夢とか、やりたい事はないのか?」
「…ないです。」
「まぁ今は考えられないか。」
担任は私の進路希望書を裏返した。
(十数年しか生きてない人間に今後数十年のことを決めろなんて酷な話だよな)
「じゃぁ経済とかにしとくか?」
「そんな簡単に決められないです。」
「でもいつか決めないといけない時が来るぞ。言っとくけど俺はゆっくり考えろなんて優しい事言わないからな。」
(綺麗事を言うのは無責任な人間がすること)
その聲に先生の本当の顔が見えた気がした。
「先生はどうして担任になったんですか?」
先生は一瞬困惑した。
「別に俺が決めた訳じゃないよ。」
(立候補なんてただの気まぐれ。興味本位で近づくなんて俺はただの野次馬か)
先生の興味は、野次馬が私に向ける冷たい興味とは違うものに感じた。先生がついた嘘はきっと優しい嘘だ。
「そうですか。」
新井先生は他の教師と同じだと思っていたがもしかしたら違うのかもしれない。面倒くさそうな、教師なんてすぐ辞めてしまいそうな態度とは裏腹に熱いものを持っているのかもしれない。そう考えてるうちに新井和輝という人間に興味が湧いた。
「じゃあ先生はどうして教師になったんですか?」
(質問ばっかだな)
「俺の話はいいよ。しょうもない人間だから。手本になんかならない。」
(いっそ反面教師になるくらいでかいことしてたら良かったのに)
「今で精一杯かもしれないけど目標を持てば気が紛れて気持ちも晴れるんじゃないのか?」
この人もきっと夢があった人なんだと思った。夢や目標がないと道はないのだろうか。
「考えてみます。」
今日は朝から雨が降っていて学校に行くのがいつも以上に億劫ではあったが、留年する訳にもいかないので行くことにした。雨が降ってるから朝練がないという理由で、屋内プールがある学校に颯と一緒に登校した。
席に着いてふとスマホを見ると、珍しい人からメッセージが来ていた。
『放課後話せない?』
告白かと思ったが送り主に北沢海斗とあるので、そうではないことがすぐに分かった。
『颯の事?』
『うん。』
『分かった。』
口止めをされたわけではないが、颯には言わないことにした。
放課後、由紀と千宏別れて北沢君に指定された待ち合わせ場所に向かった。学校の近くのハンバーガーショップで、もう到着していた北沢君はジュースを飲んでいた。
「ごめんね。急に。」
「ううん。珍しいね。私に連絡するなんて。」
(緊張したー)
「確かに。」
「颯が部活に行ってないことでしょ?」
(単刀直入すぎるでしょ)
「まぁ…うん。」
「ごめんなさい。」
北沢君は驚いていた。
「え…」
(なんで謝んの?)
「だって私のせいでしょ?」
(そんなはっきり言われると何て言えば)
「…」
しばらく沈黙が流れた。
「あの日何があったか知ってる?」
「うん。大体は。」
「俺もあそこにいたんだ。」
「そうだったんだ。余計にごめん。」
私は謝ることしか出来ず、目を見ることが怖くなり、下を向いた。
「あの日、大会が終わって、颯が早く岩崎さんにメダル見せたいっていうから学校に行ったんだよ。そうしたら途中であんなことが起きて…」
「うん。」
「颯は、岩崎さんに喜んでほしくて競泳してるんだよ。」
「…うん。」
「でも、あんなこと起きたら、トラウマになるし、水に入るの怖くなるでしょ。」
段々北沢君の言葉に怒りが表れていた。
「うん。」
「それで颯、この前溺れたんだ。」
「え…」
思わず顔をあげた。北沢君の目からは涙が出ていた。
「颯が…溺れた?」
「うん。それから部活に一切来なくなった。」
「…」
何も言えなかった。北沢君は怒りのぶつける先がわからず苛立っているようだった。
「俺、悔しいんだ。岩崎さんも颯も悪くなくて、岩崎さんを追い込んだ人間が悪いことなんてよく分かってる。でも…悔しいんだよ。どうすればいいのかわからなくて。颯になんて声かけていいのかわからなくて。なのにあいつ岩崎さんに何も言わずに、平気な顔してて、余計ムカついて、だから酷いこと言っちゃって…」
北沢君がこんなに感情的になっているところを初めて見て、何と声をかければいいのか分からなかった。
「…ごめん。」
北沢君は手で顔を覆い、しばらくの間黙り込んでしまった。息が荒くなっているのを見ても謝ることしか出来なかった。しばらくして落ち着きを取り戻した北沢君はジュースを一口飲んでまた口を開いた。
「俺も中学までは選手だったんだ。」
なんとなく知っていた。
「そうなんだ。」
「俺もまぁまぁいい記録出してたんだ。でも県大会で颯を見た時、化け物かと思った。こいつと一緒に戦いたいし、こいつに勝ちたいって思って翠蘭を受験した。でも入部してすぐに腰の故障で、颯に勝つどころか泳ぐこともできなくなって、何のために親に無理言ってここに来たんだろうって思って退部しようとしたんだ。」
北沢君にそんな過去があったなんて知らなかった。
「でも颯が、退部しようとした俺に、マネージャーをやってくれって頭下げてきたんだ。」
「え、颯が?」
「うん。練習についていけなくて退部する奴なんて沢山いたし、特別仲が良かったわけでもないのに俺が必要って言ってくれたんだ。一緒に日本一になろうって。だから俺、颯のために心を鬼にして死ぬ気で頑張った。それでやっと日本一になったんだ。」
(なのに)
私のせいと言い切れない北沢君の心は複雑な感情で入り混じっていた。
「颯と北沢君にそんなことがあったなんて初めて知った。」
「岩崎さんには言わないんだよ。あいつ格好つけたがるだから。」
「それはあるね。」
北沢君の緊張した顔が少し和らいだ。
「今日は急に呼び出してごめん。岩崎さん何も悪くないのに、感情的になって本当にごめん。俺自身も何がしたいのかもうよくわからなくなって、岩崎さんにぶつけるしかなかった。」
「うんん。話聞かせてくれてありがとう。私に何ができるかわからないけど、模索してみる。だから颯を見捨てないであげて。颯には水泳しかないから。」
(お母さんみたい)
「見捨てるわけないよ。早く仲直りしないと。」
「うん。颯の友達は北沢君だけだから。」
(岩崎さんもでしょ)
「なんか…変わったね。」
「え?」
(自殺しようとしたなんて思えない)
「なんか前より明るくなったというか…雰囲気が違う気がする。」
「いろいろあったからね。」
それから北沢君と颯の昔のエピソードで盛り上がった。北沢君みたいな友達がいる颯を羨ましく思う。
家の最寄り駅から歩いていると、道沿いの公園に颯をみつけた。この公園に行くと小さい時を思い出す。
小学生の時、颯はいじめられっ子だった。体が小さくてよく転んでいた。颯と仲良くなったのは二年生の時プールの授業で颯が溺れた時だ。颯は使っていたビート版をいじめっ子たちに取り上げられて溺れた。バシャバシャと水しぶきをあげて手足を動かしても、溺れていると周りには気づかれなかった。その時たまたま私が颯の近くにいてそれに気がついて颯を助けた。弱虫で泣いていた颯に、泣くなら溺れないように練習しろと言ったけれど、まさかここまで練習するとは思っていなかった。学校の帰り道にあるこの公園は私たちのたまり場で学校であった嫌な事を互いに報告した。6年生の時に私は別の小学校に転校したけれどほぼ毎日颯とこの公園で会っていた。
颯はベンチに部活のバックを置いて枕にし、青向けに寝ていた。
「何サボってんの?」
颯の顔を覗き込むと驚いて飛び起きた。
「な!何でいるの?」
「こっちの台詞。部活サボって何してんの?」
(バレてたか)
「私が知らないと思ってたの?」
「…」
颯はベンチに座りなおした。
「北沢君心配してたよ。」
「あいつとなんか喋ったの?」
(あいつ怜に言ったのか?)
「うん。颯が部活サボってるって言ってた。」
「他には?」
「え?あー溺れたことも聞いた。」
(まじかよ)
「言わない方がよかった?」
「別に。」
颯は不機嫌になった。
「とにかく部活行きなよ。颯には水泳しかないでしょ?」
(誰のせいだよ)
「えっ…」
颯の裏の顔が見えた気がして、目を見れなくなった。
「…私のせいだよね。ごめん。」
颯は何も言わなかった。
「怖かったよね。ごめんなさい。」
これ以上どんな言葉を投げかけても颯に負わせた傷を癒すことはできないとわかった。
颯は立ち上がってリュックを背負った。
「私が帰るよ。邪魔してごめん。」
「怜ってさ。何でいつも俺には何も言ってくれないの?」
「何もって?」
「相談してくれてもよかったじゃん。飛び込む前に。」
「…」
「怜はいつもそうだよな。本当のことは何も言ってくれない。俺に本心見せたことある?小学生の時、俺の事助けてくれた日からずっと怜の事かっこいいなって思ってた。学校で他の奴に何言われても怜は強くて、でも俺の前では弱いところ見せてくれた。でも中学生になってから怜は怜らしくなくなって、かっこ悪くなった。俺にさえ嘘つくようになって、俺が傷つかないとでも思った?」
(馬鹿にしてるの?)
颯の言葉に唖然とした。
「別に嘘はついてないよ。相談しなくなったのは、颯に女子の世界なんて理解出来ないと思ったから。」
「本当にそれだけ?男だからってだけ?」
核心を突かれた気がした。颯はじっと私の目を見つめる。
「…うん。」
(嘘だ)
颯には見抜かれていた。
「じゃあどうすればいいの?本当の事言ったら傷つくと思うから言わずにいるのに、言わなかったら言わなかったで傷つくんでしょ?どうしろって言うの?」
私は嫌気がさした。バカにしてる訳じゃない。ただ颯との関係を壊さないようにしてきただけだ。なのにこれ以上どうしろって。
「傷ついてもいいから言って。」
「何でわからないの?」
鈍感な颯にイラつくことは何度もあった。
「何が?」
「颯には私の気持ちを理解できないってこと。何でわからないの?」
「どういう事?」
「順風満帆な人生を送ってる人に私の気持ち理解できる?」
「俺が何も苦労してないって言いたいの?」
どこかのネジが外れたように私は思ったことを躊躇なく口にした。もう止められなかった。
「そういう訳じゃないけど。血の繋がった家族がいて、夢があって、才能があって、みんなから好かれてる颯に私の苦しみは理解できないよ。幸せそうな人をみると苦しくなって、惨めになって、そんな感情しか抱けない自分が嫌になる。夢がある前提、好きなものがある前提で進む世界に付いていけなくて、苦しいの。こんな感情理解できないでしょ?だから言ってもしょうがないの。家族の話、友達の話、将来の夢の話、全部聞いてて辛かった。生きる世界が違うって思い知らされてる気がしてた。」
気づいたら私は泣いていて、怒りもこみあげていた。今までたまっていたものが一気に出たからだろう。私はこれ以上この場にはいられないと思って立ち去ることにした。颯は感情を爆発させた私に呆気にとられ、真っ白になった頭には返す言葉は生まれなかった。
家に帰るとせっちゃんが夜ご飯の支度をしていた。
「おかえり。もうちょっとでできるから。」
「うん。」
私は二階の自分の部屋に行ってドアを閉めた。
颯に言ったことを少し後悔した。ずっと思っていたけれど、隠していた感情を自分でも不思議なくらい簡単に表に出してしまい、驚いた。今までの自分はこんなことが出来ただろうか。頭を打ってから感情が出やすくなったみたいだ。
颯にいろいろ言ってしまって、自分でもやっぱり家族に対するあこがれというか嫉妬があることに気がついた。せっちゃんには感謝しかないし、顔色を窺ったり無理に気を遣うことはないけれど、自分の汚れた部分を知られたら見放されるのではないかと時々考える。
「ご飯できたよ。」
何でもかんでも自分の感情を晒せるわけではないけれどせっちゃんといると安心する。その事実が私の心を平常に戻してくれた。
「颯と喧嘩した。」
今日は早めに昼食を食べ終えて由紀と千宏に適当な口実をつくって屋上に来た。塩むすびとクリームパンという変な組み合わせを楽しむ彼に愚痴をこぼす。
「なんで。」
「上辺だけでうまくやってたのにあっちが壊してきたからつい。」
「宇ノ沢君の事嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、一緒にいると時々辛くなる。」
「確かに君とは正反対な性格だよね。」
彼は大きな一口でクリームパンを完食した。
「君の気持ちわかるかも。宇ノ沢君の悩みなんて君のに比べたらちっぽけなもので、そんなことに悩めるのかって自分が惨めになる感じ?」
やっぱり彼は分かってくれる。
「まぁでも仕様がないよね。君も宇ノ沢君も望み好んで今の環境に生まれてきた訳じゃないし、身分の差を感じても、宇ノ沢君の悩みも君の悩みも本人にとっては同じ価値なんだから自分の価値で人の悩みを計るのは違うんじゃない?」
そんなこと私だって分かってる。
(なーんて綺麗事、本気で思ってる訳ないでしょ)
彼はまたからかうようににやりと笑う。
「一緒にいて辛いなら離れればいい。無理に自分を追い込む必要なんてないでしょ。距離を置いてそれでも一緒にいたいって思えるのは劣等感を感じる以上に別の魅力があるからでしょ?宇ノ沢君にその魅力を感じたら一緒にいればいいと思う。」
(魅力か)
「それが分かったら仲直りでもしたら?」
彼は私の求めていた答えをくれた。
「いつになるかな。」
彼は「さあね」とスマホでゲームをし始めた。