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雨を想う君にキク  作者: いしだ
3/12

死ぬ意味

 沢山寝ていたせいか、目覚まし時計よりも早く目が覚めた。ストーブの電源をつけて、毛布にくるまる。まだベッドからは出たくない。今日からまた学校に行く。自分で決めたことなのに全然気が進まない。杏奈も、牙を向けた教師も学校にはいない。それでも周りの反応や自分に向けられる視線が気になってしまう。

(大丈夫、私には特殊な能力がある)

 そう自分を奮い立たせて布団を脱いだ。ベージュの無地のスカートに、黒のブレザー。高等部の制服は中等部の制服よりも気に入っていた。右胸のガンパッチは銃を撃つときの衝撃から体を守るためにあるらしい。銃を持たない私たちにとってただの飾りでしかないけれど、今日は私を守ってくれる気がする。全身鏡に映る制服を着た自分を見つめた。机の引き出しから赤いリップを取り出す。ポンポンと唇に塗り、顔は血色がよくなった。杏奈に合わせるためにしていた化粧も、今日は自分を強く見せる仮面のようだ。

 一階の居間に行くと、ちょうど朝ごはんが完成したところだった。

「ちょうどいま起こしに行こうと思ってたの。もう着替えたのね。」

 せっちゃんは制服姿の私を見て「似合ってる。」と前にも聞いたセリフをくれた。朝食は焼いた鮭とお味噌汁に漬物といういつものメニューだった。久しぶりのいつもに新鮮味さえ感じる。

「今日そんなに寒くないみたい。」

 せっちゃんは朝の情報番組を見ながらお味噌汁をすすった。

「冬なのに?」

「暖冬だって。」

 他愛もない会話と熱い味噌汁で、冷えた体がじんわり温かくなった。

ピンポーン

 テレビの時計は、家を出る時間を指していた。3か月ぶりの日常は時間の感覚がつかめない。チャイムの音に焦って残りわずかなご飯をかきこんだ。歯磨きをしようと洗面所へ走る私の代わりにせっちゃんがインターフォンに話しかける。

「今歯磨きしてるから~」

 私は高速でうがいをし、リップを塗りなおし、リュックを持って玄関のドアを開けた。

「怜待って。これ。」

 せっちゃんは黒色のウィンドブレーカーを持っていた。白いラインが入ったそれは私が毎年冬になると制服の上から着ていくものだった。

「暖冬っていっても冬なんだから。」

「ありがとう。」

「気を付けてね。」

 私は静かに頷いた。せっちゃんの言葉に込められた意味をしっかりと受け取り、「行ってきます」と外に出た。

「はよー。」

 少し眠たそうな颯の頭には寝癖がついていた。

「おはよ。」

 私は階段を下りて門を開けた。

「頭それでいいの?」

「ん?」

(なんのこと?)

 寝癖に気付かない颯を放っておいて、最寄り駅に向かって歩き始めた。

「いや別に。ていうか、チャリは?」

 颯は最寄り駅までいつも自転車で通っている。朝は一緒に行っているけど、部活に入ってる颯と入ってない私は下校時間がバラバラだし、恋人でもない人を待つことはないから帰りは別々。颯は朝私の家までと、帰る時は自転車に乗っている。私の家から最寄り駅までは徒歩圏内だ。

「あー今修理中。」

(一緒に帰りたいとか言えないや)

「今日部活ないの?」

(最近行ってないこと怜にバレるかな)

「今日は…無くはないけど。」

「終わるまで待ってるから。」

 颯の目を見ることが出来なくなった。部活が大好きな颯が、部活に行っていないことは衝撃ではあったけれど、何となく気づいていた。最初にお見舞いに来てくれた時、抱きついてきた颯から、抱きつかなくても漂っていたプールの匂いが一切しなかった。きっと私のせいだ。

「えっ…でも…」

「授業の遅れ取り戻さないといけないから図書館で放課後勉強しようと思ってたの。」

「そっか、分かった。終わったら連絡するね。」

「うん。」

 ちょうど駅の改札に着いたからよかったが、話題を変えずにこのまま颯と話すことはできなかった。 駅のホームには案の定同じ制服の生徒が十数人いた。競泳日本一をとった颯は、ただでさえこの町で有名で、颯と一緒にいると知らない人からじろじろ見られたり、話しかけられることもあったけど今日は違った。颯ではなく明らかに私が注目を浴びていた。

(あれ自殺した奴じゃん)

(えっネットに出てた人だ)

 赤の他人の聞こえるはずのない聲に脅え、私はじっと自分のローファーを見つめた。

「ねえ、あれ前に自殺した人だよね。」

「うわーほんとだ。幽霊じゃん。」

 そう遠くないところから聞こえてきた女子高生の会話を聞いて、私の視界は真っ暗になった。というのも、誰かに着ていたウィンドブレーカーのフードをかけられたからだ。

「かぶってて。」

 フードの上から私の頭を抑えつけた颯の手は電車が来るまで離れることはなかった。最寄り駅が始発の駅なので、電車の中はいつも通り空っぽ。フードをかぶったままの私と、競泳部のウィンドブレーカーのチャックを口元が隠れるまで上げた颯は並んで座席に座った。

学校の最寄り駅から学校まではすぐで、駅についたら校舎が見える。久しぶりに見た光景に、懐かしさと緊張が走った。

「行ける?」

 心配そうに見つめる颯に「うん。」と小さく返事をした。

 正門前の橋のところまで来た。私が飛び込んだところだ。私は勇気を振り絞って、フードを外した。周りの生徒はジロジロ私を見る。

(えっ飛び込んだ人じゃん)

(岩崎転校したんじゃないのかよ)

「えやばくね?」

(大丈夫かな?)

(よくこれるよな)

 たまにある心配した声を聞き逃さないように、目を逸らさないことにした。颯は黙ってついてきてくれた。橋の下の大きな用水路は不気味なくらい青い。意外にも現場を直視できた自分に驚いた。飛び込んだことが他人事のように橋を渡り切った。生徒玄関で靴を履き替えた私は物静かに待っている颯に向かって言った。

「私校長室行かなきゃいけないから、先に教室行ってて。」

「ついてくよ。」

「大丈夫。ありがと。」

 颯の目を見ないように足早に校長室へ向かった。

「失礼します。」

 校長室に入ると、見ず知らずの大人が4人並んでいて、簡単な自己紹介でそれぞれ校長と副校長、教頭、そして担任だということが分かった。校長に「まぁまぁ座って。」と促され、ふかふかそうなソファーに座ったけど座り心地は微妙だった。御三家プラス1に向かい合った私は、能力のお陰で緊張しなかった。

「まず、我が校から転校しないでくれてありがとう。」

(いい迷惑だよ)

 笑顔の校長に私は呆れた。

「こちらこそ、退学かと思いました。」

 嫌味たっぷりに返すと御三家は顔を見合わせた。

(できるもんならそうしたいよ)

(何で転校しないかな)

(普通やめるだろ)

(強気だな)

「岩崎さんに対する教員の対応は極めて悪質なものだったと反省しており、今の我々が出来ることは何でもしたいと思っています。相談室や保健室は自由に利用して構わないし、希望するならクラス替えも…」

「クラス替えも相談室も結構です。病院でカウンセリングは受けたので。これ以上迷惑はかけないようにします。お気遣いありがとうございます。」

 厄介者は静かに暮らすことを望んだ。

「そうか。困ったことがあれば担任の新井先生に相談してください。」

(丸投げかよ)

 新しい担任は校長に呆れているようだった。

「新井です。よろしく。」

(やっと会えた)

 担任は20代後半から30代前半くらいの男の人で、棒読みの言葉からやる気のなさそうな人だと感じたけれど聲の意味が分からず不思議に思った。

(やっと?)

 御三家の中身は自分のことしか考えられない醜い大人だった。前任と何が違うのか分からない。教師は聖職なんかじゃない、人間なんだからしょうがないと諦めるしかなさそうだ。それからは「留年はしなくて済む」と一言で終わる話をこの学校の良さを交えながら説明されたけど、本人が思ってないことには話が入ってこなかった。長い話は予鈴が終わらせてくれた。

 教室の前まで来て立ち止まってしまった。予鈴の後だから廊下に生徒はあまりいなくて、いきなり大勢の中に入るんだからそりゃあ緊張するけど、ここに来るまで能力のお陰で強気だった自分が前の自分に戻ってしまって情けなく感じた。この能力は麻薬なのかもしれない。それでも学校に来て、校長室にまで行った訳だから入らないわけにも行かず、勇気を出してドアを開けた。騒がしかった教室が一瞬凍りついたのが分かった。クラスメイトの心無い心の聲はザクザクと刺さった。でも私に飛んできた矢の中に何本か先端に吸盤が付いていて、ピタッと心に留まるものがあった。佐野さんからだ。

(よかった)

 一瞬佐野さんと目があったけど、お互いすぐに逸らしてしまった。

 席に着くと、後ろに座る颯が「お疲れ様」と小さく声をかけてくれた。まだ始まったばかりの今日がなんだかもう終わるような気がした。

 スーッとドアを開けて入ってきた担任は私をチラッと見て目を逸らした。

(触れない方がいいけど、話さないわけにもいかないしなぁ)

「今日は朝礼の前にみんなに話したいことがあります。えーみんな知ってる通り、今日からまた岩崎が登校できるようになった。授業の遅れを取り戻せるように協力してあげてほしい。」

 たった十数秒の言葉に私の3ヶ月はまとめられ以前と変わらない日常が始まった。一限目は英語で、担任がそのまま授業を始めた。授業の遅れを取り戻してほしいという担任は「前回の続きから始めるぞー」と私をいない者として扱った。私は当てられることのない授業についていくどころか興味も沸かず担任の声をBGMに、同じく当てられることのない彼を見ていた。教室の右端の列の前から二番目。聞こえない振りをしている彼は、机の左側に置いた教科書を見るときに、私の視線に気がついた。

(そんなに熱い視線送らないでくれる?)

(どうせ暇でしょ)

(節穴なの?)

(耳が?)

(目に決まってるでしょ。笑えないよ。まったくデリカシーが無いんだから)

(しょうがないじゃん。思ったことそのまま出ちゃうんだから。それに君は節穴のフリしてるだけだからね)

 彼は「何にもわかってない」と言いたげなため息をついた。

(にしても今の担任ひどいね)

(もともと1年の副担任だったらしいよ。やっと副担任になって楽できると思ってたのに、君の一件で後任を任されて、乗り気じゃないんだよ)

(詳しいね。読んだんだ?)

(聞いても教えてくれ無さそうだから仕方なく)

(でも担任のほうがやりがいありそうだからいいじゃんね)

(自殺しかけた生徒を立ち直せたらそりゃやりがいあるだろうね)

(デリケートなのに)

(なるほどデリケートな人ほどデリカシーが無いわけだ。日本語って難しい。よしじゃあ英語を勉強しよう)

 彼はそう言い残して授業に参加してしまった。彼がいなきゃ退屈すぎて、3か月も寝たのにまた眠くなってしまった。

 休み時間になっても私に話しかけてくる人は颯以外いなかった。よくよく教室を見渡せば、空気が以前と格段に変わっていた。杏奈がいないからってこともあるけど、茜莉が異常に静かだった。私のことを見る気もないと背中が訴えている。杏奈がいなくなり茜莉がトップに着いたであろうクラスは私が来たせいで茜莉が大人しくなり、カーストの中間層にいた女子達が地位を高めて威張っていた。その生き生きとした姿に弱肉強食という自然の摂理に逆らえない人間の愚かさを感じた。

 昼休みはいつも颯は部活のみんなとご飯を食べるから、私は一人で食べることになる。颯は一緒に食べようと誘ってくれたけど、内心北沢君になんて説明すればいいかわからず困っていたから、断った。私は一刻も早く教室から出たくて、勢い余って教室棟からも出てしまった。大学並みに広い敷地内をウロウロしていると、旧校舎の方についた。

 まだ取り壊されていなかった旧校舎は、そこだけ時代に取り残されたみたいに人の気配がなく、それが私を安心させた。学校で一人になれるところを常に探している私にとって絶好の場所を見つけてしまったかもしれない。

中は流石に入れなかったが外階段は普通に登ることができ、屋上まで続いていた。しかし屋上自体は立ち入り禁止の看板がかかっていて、おそらく鍵もかかっているから入ることが出来ない。私は仕方なく最上階の踊り場で、せっちゃんが作ってくれたお弁当を食べることにした。今日はおかずに梅しそとんかつが入っているから気分がいい。

「へっくしょん」

 誰かのくしゃみで私はとんかつを落としそうになった。いや、正確には落としたんだけど、お弁当のご飯の上に着地した。

 そのくしゃみは上の方から聞こえた気がした。でもここより上の階は屋上しかない。

(…屋上?)

 人がいるはずのない屋上は誰かの縄張りなのかもしれない。あるいは進んでいない旧校舎の工事の人なのかもしれない。あるいは…。とんかつを元の位置に戻し、弁当箱の蓋を閉め、立ち入り禁止と書かれた鉄の扉を思いっきり引いた。開くはずないと内心思いながらも、ギーギー音を立てて開く扉に驚きはしなかった。扉の向こうの階段を登ると、この町を一望できるほど見晴らしのいい空間が広がっていた。少し廃れた感じの屋上には錆びたベンチと補聴器をつけた彼が置いてあった。なんとなく彼がいる気はしていた。彼は私が来たことに気づいていない。私は目を瞑って眠っている彼に近づき、足を軽く蹴った。

「雑に扱わないでくれる?」

 目を瞑ったまま彼はしゃべった。

「死んでるかと思って。」

 彼は目を開けた。

「僕はしぶとい人間だから、耳がおかしくなったって、死なないんだよ。」

 彼は笑いながら上半身を起こした。

「さっきはデリカシーが無いとかなんとか言ってたくせに。それだけ聞こえてれば十分だよ。」

 私は彼の隣に腰を下ろした。柵の向こうは教室棟が見える。

「何でここがわかったの?」

「そっちこそ。何で立ち入り禁止のドアが開くの?」

「あーそれはこれがあるからだね。」

 彼はポケットをゴソゴソして、変なキツネのキーホルダーが付いたカギを取り出した。カギは2つ付いていた。

「何それ。」

「ここの鍵。」

「じゃなくてそのキツネ。」

「あーこれね。新井先生が鍵と一緒にくれた。」

「その話やばそうだからこれ以上やめとくわ。」

(先生かわいそー)

 それから数秒静かな時間が流れた。

「転校しなくて正解だった?」

「まだわからないよ。でもせっちゃんにこれ以上迷惑かけない正しい選択だとは思ってる。」

「せっちゃん?」

「あぁ、私の戸籍上のお母さん。」

「本当のお母さんは別にいるの?」

「うん。5歳の時に捨てられたけど。」

 普段誰にもしない話を彼の前では何の躊躇いもなくしてしまうのは、彼に私と同じ匂いがしたからかもしれない。

「お父さんは?」

 彼はまっすぐ前を向いた。私の聲を聴かないように配慮しているのだろうか。それでも自分の聲を聴かれることを拒む様子はなかったから私は聴き続けた。

「いないよ。離婚してシングルマザーだったから。」

「一緒だね、僕と。」

やっぱり。そんな気がした。

「聞いてもいいの?」

「大して面白くないけど。」

 彼は屋上から見える景色に過去の記憶を重ねるように話した。

「僕の母さんもシングルマザーだったけど3歳の時に病気で死んだ。今は父さんに引き取られて新しい母親と暮らしてる。」

(嫌われてるけど)

「お父さんには好かれてるじゃん。私立なんて贅沢な。」

「見栄だよ。父さん官僚だから、優秀な息子じゃないと。」

(前妻の息子の挙句に耳聞こえなくて、でも縁切るわけにもいかないから汚物に蓋してるんだよ)

「やっぱり僕ら似てるね。こんな能力があるのも何か関係あるのかな。」

(いや違うか。君には大切な人がいるんだから)

「一緒だよ。せっちゃんは大事だけど、大事だからこそ本当のこと言えないから、本音を話したことあんまりない。」

「嫌われたくないから?」

「そんな感じ。私が最低な人間だって知られたくない。」

「だから飛び降りたの?」

 私はしばらく黙り込んだ。私の目を見ればその答えを聞けるはずの彼は、まだまっすぐ前を見ている。私の言葉を待っていた。

「それもあるかな。でも何ていうか、もう逃げたくなった。死ねば全部終わりにできるって。一番の近道だって。」

「近道ね…。」

「生きてる意味あるのかな。」

「死ぬ意味ならあるの?」

 気付くと彼は私の目をじっと見つめていた。返す言葉が見つからなかった。というより分からなかった。死ぬ意味なんて考えたことない。

(意味が無かったら生きられないなら、意味が無かったら死ねないんじゃないの?)

 彼のまっすぐな言葉に呆気にとられ、思わず彼から目を背けた。

「ごめん。困らせるつもりはなかったんだけど、ただ僕は死ぬ理由がなくて、仕方なく生きてるだけだから聞いてみたかっただけ。」

 仕方なく生きる。彼の言葉は腑に落ちた。誰とも関わろうとせず、ひっそりと息をしている彼はまさに仕方なく生きているようだった。

(仕方なくって、何のために)

(何のために…か。僕にとって生きることは目的だから、手段として考えたことがないよ)

「目的?」

「生きるのに必死だからね。」

「私は必死になれないや。生きるのって疲れるし逃げ出したい。」

「死んだら逃げられるの?」

「…うん。」

「一度死んだ君が言うなら正しいよ。」

 私は自殺したことで、逃げた。死ぬことが、嫌な現実から解放される近道で逃げ道だった。

「でも逃げられなかった。逃げちゃダメってことだよね。人を傷つけたんだもん。そう簡単に」

「逃げちゃダメって誰が言ってんの?神様?」

(たしかに誰だろう)

 彼に何度も論破されて、手の中で転がされている気分だった。

「まだ死にたいの?」

 まっすぐすぎる彼の疑問は深く突き刺さった。

「生きていたい訳じゃないけど死にたい訳でもない。私が死んでも世界は何も変わらなかったから。」

「変わったよ。少なくとも君の周りは。」

 確かに教師はクビになって杏奈は退学、茜莉は居場所を失った。私の周りは変わったといえば変わったのかもしれない。でもそれは、自分の命を危険に晒してまで得たかったものなのか。そうでもしないと得られないものなのだろうか。あの大人たちはクビになってもどこかでのうのうと生きているかもしれない。まだ教師をしているのかもしれない。杏奈だって退学とはいえ転校先でまた誰かをいじめているかもしれない。私が自殺未遂をしたことで苦しんでいる人はいないのかもしれない。私がしたことは意味がなかったのかもしれない。

「確かめに行く?」

「何を?」

「君が自殺した意味があるのか確かめようよ。」

「どうやって?」

「明戸さんに聞いてみればいい。」

「無理だよ。会えない。」

「見るだけで、会わなくていいよ。」

(せっかくある能力使おうよ)

「聲を聴くって事?」

「そういう事。放課後、4番ホームね。」

「えっ今日?」

 彼はにやりと笑い、その場を立ち去った。


 放課後、先に帰ると颯に連絡をして、3ヶ月前の日常と変わらず、学校の最寄り駅まで歩いて行った。朝も通った道は帰り道になるとまた違った一面を見せる。

 駅の改札を通って、私は足を止めた。

(見るだけ)

 私はいつもと反対方向に進み、4番線のホームに向かった。

 ホームは結構混んでいて、翠蘭の制服を着た人が沢山いた。

(こっち)

 人混みの中に私を呼ぶ聲を見つけた。私は彼に近づく。

(本当に行くの?)

(行きたいから来たんじゃないの?)

(気にはなるから。でも杏奈の居場所わかるの?)

(うん。弟と同じ学校だからね)

(弟いたんだ)

(2つ下に一人ね。血はつながってないけど)

(そうだと思った)

(もう驚かなくなってるね)

(だいぶ免疫ついてるから)

「ははははははは」

(補聴器つけてるんだから、建前は守りなよ)

(大人しそうに見える奴ほど叫びたくなるんだよ)

 立ち話をしていると4番線の電車が来るアナウンスがかかった。乗車してからも中身のない話で静かに盛り上がった。そのせいで駅に到着するまで何をしに行くのか忘れてしまっていた。

「次、川崎駅」

(降りるよ)

 改札を出る前にICカードにお金をチャージした。定期の範囲外だとお金がかかるけど彼はチャージせずに待っていたからここら辺に住んでるのかとふと考えた。

「お待たせ。」

 彼はスマホで地図を開きながら歩きだす。

「どこの高校?」

「南陽学園。翠蘭と同じ中高一貫だけど聞いたことある?」

「ない。」

「結構有名だよ。名門私立。」

「君の家本当にお金持ちなんだね。」

「ぼんぼんだよ。」

(自分で言うんか)

「本当のことだから。」

 彼はふざけた真顔をした。

「でももう帰っちゃったかもね。部活とか入って無さそうだし。」

「それならそれでいいけどね。」

「見れるまで毎日来るから。」

「毎日!?」

「当たり前じゃん。交通費安く済むといいね。」

「私に決定権無いじゃん。」

「ここ左。」

 彼は私を無視して足早に歩きだした。彼の歩くスピードについていくために競歩していると目的地に着いた。

「ここだけど、どうする?ここで待つ?」

 校門の前だった。下校時間ってこともあって複数の紺色の制服を着た生徒が行き交い、黒色の私たちをジロジロと見ていた。

「どこか目立たないところ行こうよ。」

「んーじゃあ、あそこは?」

 彼が指さしたのは、ちょうど校門の前にあるコーヒーショップで、カウンター席から下校する生徒がちょうど見える位置にあった。私は迷わず賛成して、中に入った。

 彼はアイスココアとイチゴのドーナツを頼んで、私はカフェラテとチョコレートのスコーンにした。甘いもの尽くしの彼のチョイスを見て、子供だなと思ったけど彼はこっちを見てなかったから恐らく聴こえていない。店内は空いていて、カウンター席には誰もいなかった。私たちは横並びに座って、張り込みの刑事みたいに、杏奈を探した。だけど30分経っても知ってる顔は現れなかった。

 食べ終わったドーナツのお皿が回収された時だった。

「あ。」

 彼が一点を見つめて声を出したので慌てて杏奈の姿を探した。お皿を回収していた店員さんも気になったのか一瞬窓の外を見たけれどすぐに業務に戻ってその場を去った。外には杏奈どころか、女子生徒の姿さえなかった。

「弟。」

「ねぇ。紛らわしいことやめてくれる?」

 またふざけている彼に呆れたけど、彼は切なそうな顔で窓の外を見つめていた。つられて私も彼の視線の先を見た。5、6人の中学生が仲良くしゃべっていて、輪の中心の男の子はなんとなく彼に似ていた。

「赤いリュックの子?」

「よく分かったね。」

「ちょっと似てる気がした。」

 顔つきは似ているけど彼とは正反対のタイプだ。人気者でひねくれて無さそうな感じ。

(よかった。ちゃんとやっていけてるんだ)

 彼は我が子を見守っているかのような表情だった。

「あ。」

「今度は何?」

「明戸さん。」

「えっ。」

 私は慌てて杏奈を探した。そして彼の弟がいる集団の横から見覚えのある顔が出てきた。顔は杏奈だけど血色がなく、別人みたいだった。いつもクルクルに巻いてた髪はストレートになっていた。前髪は伸ばしっぱなしで目にかかり、風が吹かなかったら顔が見えなかったかもしれない。そして杏奈は一人だった。近くにいた女子の集団は杏奈を見てニヤニヤしている。

(うわ)

(お化けいるじゃん)

 外の声は全く聞こえなかったけど特殊能力で杏奈が避けられていることが分かった。いや、能力なんてなくても明らかだった。

「別人みたい。」

 彼がボソッと呟いた。

「自分がしたことが返ってきたというより、明戸さんは、自分がしたことを受けようとしてるみたい。」

「どういうこと?」

「弟からきいたんだ。転校してきたとき、中学生の弟の耳に入るくらい明戸さんの噂は広まったって。翠蘭でしたことみんな知ってるから、怖がられて、避けられてるらしい。」

「杏奈のそんな姿、想像できない。」

「うん。そこなんだよ。明戸さんなら逆にいじめる側に回れたんじゃないかな?みんな怖がってた訳だし。」

「確かに。」

「今だって僕の知ってる明戸さんなら睨み返してたと思う。でもそうしなかったのは、いじめられようとしてるんじゃないかな。」

「杏奈がそんなことするとは思えないけど。」

「まぁ僕の意見だから実際のところは本人しかわからないよ。」

「そうだよね。」

「本人に聞いてみれば?」

「無理だよ。そんなこと。」

「まぁそうだよね。」

 彼はストローを口にくわえて一気にココアを吸い上げた。ゴォーとストローが音をたてたので、彼は口から解放してあげた。

「これを知らせるために連れてきたの?」

「半分正解。僕はきいただけで、実際に見たのは初めてだから半分。自分の目で見たものしか信じられないからね。」

(君もそういうタイプかなと思って)

(そうなんだ)

(違った?)

(わかんない)

 彼は氷を口に入れた。ゴリゴリと砕きながら私に言った。

「死んでも世界は変わらないって言ってたけど、今もそう思う?」

(わかんない)

「君の周りは変わったって僕の意見、理解した?」

(まだ納得できないよ)

「素直じゃないねぇ。」

 彼は呆れたように席を立ち、私たちは店を後にした。

「駅まで送るよ。」

「いいよ。来た道覚えてるし。それになんか悪いし。」

(悪い?)

「君関係ないのに、私に付き合わせちゃってなんか悪いなって思って。」

「あぁ君にもそういう感情があったんだね。」

「私を何だと思ってるの?」

「超人にも人間味を感じられて感動したよ。」

(君の方がよっぽど人間じゃないよ。)

「じゃあ人間さん。僕の行きたいところついてきてもらってもいい?」

「行きたいところ?」

「行きたいところっていうかよく行くところ。この近くなんだ。」

 杏奈の学校から10分ほど歩くと彼は花屋の前で立ち止まった。彼は「ちょっと待ってて」と言って中に入ると花屋の店員さんに話しかけた。店員さんは彼を見て表情が明るくなり、用意してあったみたいにすぐに花を渡してお金を受け取る。ただの客という雰囲気ではなく、知り合いみたいに立ち話をしてから彼は出てきた。

「お待たせ。」

 彼の手には透明のフィルムで簡易的に包装されただけの紫色の花があった。

「何それ。」

「あげないよ?」

 彼はおどけた顔で花を背中に隠した。

「行きたかったところってここ?」

「違う違う。これはそこに行くための準備。」

「いい加減どこに行くか教えてよ。」

「しょうがないなー。母さんに会いに行くんだよ。」

「…ん?お母さん?」

(死んでるんじゃ?)

「まあね。」

 曖昧なことしか言わない彼はまた歩き出したので仕方なくついていくことにした。花屋の横の路地を進んでいくと開けた空間になっていて、芝生が青々と生い茂っていた。緑色の丘の上には一本の大きな木がたっていた。

「ここ。母さんのところ。」

 彼は躊躇なく急な斜面を登り、木の下で立ち止まった。私も途中まで上がると彼の前に墓石があるのが見えた。近づいていいのかわからず、斜面から彼を見守ることにした。彼はお墓に添えられていた紫色の花を取って、さっき買った花を置いた。それから何かお母さんに話しかけていたけれど内容までは聞こえなかった。

「お待たせ。帰ろっか。」

 彼はすぐに戻ってきてそのまま私の前を通り過ぎた。彼の手にはさっきとは別の、でも同じ種類の紫色の花があった。まだ綺麗に咲いているのをみると、最近もここに来ていたことが見て取れた。

「私、来てよかったの?」

 先を歩く彼の背中に疑問をぶつけた。彼は前を歩きながら話した。

「僕の母さんさ、すっごく優しかったんだよね。自分の事よりも人の事ばっかりで。僕は母さんの事今でも尊敬してるし、忘れた事ない。それを君にも知ってもらいたくて。」

「…そっか。」

それから駅に着くまで沈黙が流れた。縦列に歩くことに違和感を覚えたけれど、私は彼の隣に行かないことにした。

「駅まで送ってくれてありがとう。」

「じゃあまた明日。」

 私たちは別れの挨拶を交わし、私は駅の改札の方へ向かった。すると彼も同じ方向に進み定期を改札の機械にかざした。

「は?」

「え?」

「何で改札来るの?」

「何でって電車乗るから。」

「え、家ここら辺じゃないの?」

「あと二駅先だけど。」

「いやさっき駅まで送るよって言ったじゃん。」

「言った。」

「送るじゃないじゃん。自分も行くんじゃん。」

「あーそうだね。」

「はっ?」

 彼は天然なのか本当にヤバい奴なのか、恐らく後者だ。彼はにやにや笑っているので私も呆れながら笑ってしまった。


 6時間目の授業が終わり、トイレに行くと茜莉が手を洗っていた。ばっちり目が合い、私たち以外誰もいない女子トイレに嫌な空気が流れた。

(うわ最悪)

 無視するのが一番だと思い、何もなかったように茜莉の後ろを通った。

「ねぇ。」

 話しかけられるとは思わず背筋が凍った。

「えっ何?」

 振り向くと茜莉は手をハンカチで拭きながら洗面台に腰かけた。

「あんたさぁ、よく学校来れるよね。」

(さっさと転校しろよ)

「…」

「悲劇のヒロインにでもなったつもり?」

「そんなつもりじゃ。」

「じゃあ何?」

「…」

「自分が悪いくせにうちらに擦り付けて満足?」

(悪いのはお前だけなのに)

「私が悪いの?」

「そうに決まってんじゃん。お前が杏奈を裏切らなかったらこうはならなかったでしょ?」

「裏切ることが正しいことだと思う。全部終わりにしたかったの。」

「何それ、綺麗事ばっかりじゃん。あんたっていつもそうだよね。可哀そうな私っていつも悲劇のヒロインぶってさ。」

「そういう訳じゃ」

「それだけじゃない。あんたはいつも茜莉の事見下してた。」

(杏奈と仲良くしようと必死になってるのを嘲笑ってたでしょ。気づかない訳ない)

 否定はできなかった。

「…ごめん。」

「ごめんじゃねーよ。言っとくけど杏奈よりお前の方がよっぽど醜いからね?杏奈の後ろに金魚の糞みたいにくっついてさ。杏奈がいないとダメで杏奈と同じことやってきたのに何で急に責任放棄するわけ?お前の方がよっぽど立ち悪いのに、自殺未遂した自分は被害者ですって…なんなの?自殺したら偉いわけ?」

「逃げてごめん。でも、」

 怖かった。茜莉に逆らったことなんてない。杏奈に怒ったときは勢いに任せて言うことができた言葉も、怒りで冷静な判断も出来ない状態ではない今は何の勢いもない。それでも、 

 それでもなぜか勇気が湧いた。

「自分が被害者だなんて思ってないよ。二人と一緒にずっと加害者やってきたって思ってる。」

(は?うっざ)

「二人って何?結局人のせいじゃん。」

「人のせいっていうか…3人でしてきたことでしょ?私だけの責任なの?」

(お前が犠牲になればいいんだよ)

「何?自分は正しいですみたいなその目。また見下してるんの?うざいんだけど。」

「…」

 目はしょうがないだろ。

「そういうところだって!あんたのそういうところがずっと嫌いなんだよ。」

茜莉は感情に任せて大声をあげた。真正面から言われた悪口は思いの外私にダメージを与えなかった。好きの反対は嫌いじゃなくて無関心なんだと実感した。

「私にどうしてほしいの?」

「謝れよ。」

「謝るよ。今まで傷つけた人たちには、許されなくても謝り続ける。」

「杏奈にも謝れよ。」

「…それは出来ない。」

「は?謝るって言ったじゃん?」

「先に謝るのは杏奈だと思う。」

 声が震えていた。杏奈本人がいるわけではないけれど杏奈に話しているような気がした。

「私はあの時杏奈が仕組んだカンニングペーパーを取ったこと後悔してない。あそこで踏み止まれてなかったら一生抜け出せなかったから。佐野さんをもっと傷つけて…もしかしたら川に飛び込んだのは佐野さんだったかもしれない。」

「そういうのがうざいんだって。」

「無意識でも茜莉のこと傷つけてたなら、ごめん。」

「偽善者ぶるな。」

 過去にも何度も言われた言葉。

「偽善者にしか…なれないの。」

(何開き直ってるわけ?)

「もういい。今後一切茜莉に関わらないで。お前と仲良くするつもりないし。もう友達じゃないから。」

 茜莉はそういって女子トイレから出て行った。そのせいで茜莉の後ろに会った鏡に自分の顔が映った。

(泣いてない)

 ギリギリ涙は出ていなかった。自分の言動には自分でも驚いた。こんなに茜莉に思いをぶつけられてのは心の聲が聴こえたおかげかもしれない。茜莉はやっぱり苦手だ。もう関わるなと言われて安心している自分がいる。

 結局当初の目的を果たすのを忘れてトイレを出てしまった。

「この前の小テスト返しまーす。」

 終礼後の担任の言葉で教室中からブーイングが飛んだ。

「受けてない奴と再テストって書かれてる奴は放課後居残りでーす。」

「えーーーーー」

 テストを受けてない私は彼の方を見ると白目を向いていた。

「全部で6人か。反論は受け付けませーん。」

 あとの4人は誰だろうと考えていたら、案の定後ろの席の颯が「うわー」と声をあげたのでそっと無視しておくことにした。ほとんどのクラスメイトが帰る準備をする中、私たち6人は教科書を広げ再テストの用意を始める。続々と教室が空きはじめ、私は驚いた。佐野さんが座っているからだ。あの佐野さんが小テストで残されるなんてことがあるはずもなく、そんなわけないと思っていたが、問題用紙は佐野さんの机にも置かれた。私以外の人はこの異様な光景に驚いていない。颯に話かけようとしたが、テストは早々に始まろうとしていたので、気だるそうに座っている彼に聴いた。

(期末テストも赤点だったらしいよ)

(だから何で?)

(勉強してないからじゃない?)

(何で?)

(授業中も板書写さずにボケーっとしてるし)

 彼からは何も答えが出なかったが、なんとなく悟った。きっと私のせい。

(君のせいかはわからないでしょ)

(じゃあ他に何があるの?)

(さあね本人にしか分からないんだから聞いてみれば)

(それが出来たら苦労しないよ)

 私はまだ佐野さんと目を合わせることさえ出来ていない。テストが始まっても佐野さんが気になってまた散々な結果となってしまった。

「怜、帰ろう。」

 テストが終わってすぐに後ろから聞こえた声は隠れて練習を怠けている颯だ。

「部活あんでしょ。」

「えーーーー。」

「ほら、北沢君に怒られる前に行きなよ。」

「…わかったよ。」

 颯はしぶしぶ重い腰を上げた。颯が教室を出ていくのを見送って私も帰る支度をする。教室にはもう誰も残っていなかった。廊下を歩いていると正面にたらたらと歩く彼がいた。私は彼を後ろから驚かしてみた。

「わ!」

 彼はびくりともしなかったけど、周りの生徒が声に驚き、弱い者いじめをしている私を見て険しい顔になった。

(罰が当たったね)

(はめられた)

 私は恥ずかしくなり彼をおいて早足でその場を去った。

「何がしたいわけ。」

 下駄箱の前で彼は私に追いつき、人の不幸を笑いながら靴を履き替えだした。

「君がボロを出すところが見たかっただけ。」

「そんなに暇なんだ。」

 不本意ながら彼に馬鹿にされて、もう話しかけないと自分に誓っていると、彼は忘れ物を思い出したかのように「あ。」と下駄箱に叫んだ。

「そう言えば、三好さんとなんかあったの?」

「え…聴いたの?」

「嫌でも聴こえてきたんだよ。彼女聲でかいから。」

「そうなんだ。」

 私は外履きに履き終えたが、話の途中だったから下駄箱に寄り掛かって彼を待った。

「どうでもよさそうだね。」

(私性格悪いのかな)

(どうだろう。僕も三好さんは苦手だから)

「へぇ意外。」

「そう?」

「人間みんな苦手だと思ってた。」

「君はほんと性格悪いよ。」

 私は思わず笑ってしまった。

「女子トイレでね、ちょっともめたの。」

(偽善者ぶるなって言われた)

「傷ついた?」

「んーもちろんいい気はしないけど、そこまで傷ついてないかな。」

(佐野さんとかに言われたときは傷ついたけど)

「強がってる?」

(そうなのかな?)

「強くなったのかも。」

(そうかな)

「元が豆腐みたいに弱かったからね。」

 彼も外履きに履き終えて一緒に外へ向かった。

「まぁいいんじゃない?絶交だか何だか知らないけど、合わない人と一緒にいてもお互い苦しいだけだよ。」

「そうだよね。」

外に出ると小雨が降っていた。

「まじか。」

(君は天気予報を見ないわけ?)

 彼は傘立てから黒い傘を一本取り、傘を持っていない私に差し出した。

「貸してくれんの?」

「折り畳み傘持ってるからいいよ。」

「優しいじゃん。」

「購買のクリームパンで妥協しよう。」

「一番高いじゃん。」

 彼はにやりと笑って裏門の方へ歩いて行った。と思ったら忘れ物でもしたのかまた戻ってきた。

「これ、濡れるから。」

彼はリュックサックから何かを取り出し私に向かって投げた。受け取ったものをみるとそれはタオルだった。どういう意味か分からず聞こうとしたが彼はもう遠くに行ってしまっていた。

ありがたく受け取った傘をさして正門の方へ歩いていると、佐野さんの姿があった。一瞬目が合い、思わず逸らしてしまった。でもまたすぐに彼女を見たのは、傘を持たずにずぶ濡れだったからだ。私は反射的に彼女のもとに駆け寄った。

「傘持ってないの?」

(ごめんなさい)

「何でこんなに濡れてるの?」

 彼の傘は二人で入っても窮屈にならないほど大きい傘だった。そして雨が当たっていない佐野さんを間近で見て初めて気がついた。

「もしかして泣いてる?」

(ごめんなさい)

 彼女は俯いてしまった。私は手に持っていたタオルを彼女に渡したが、受け取ろうとしないので彼女の頭の上に置いた。

「とりあえず校舎に戻らない?」

 返事をしない彼女を校舎に連れて行こうとしたが、沢山の生徒が校舎から出てきて、これでは佐野さんのずぶ濡れの姿をさらすことになるので学校に戻るのをやめた。どうするか考えていると、佐野さんと行った喫茶店を思い出した。


 カランコロン

「おおお、そんなに雨強かったか。」

 オーナーはずぶ濡れの佐野さんに驚いて、親切にタオルとドライヤーを貸してくれた。ストーブに一番近い席に座ると、ホットココアが出てきた。私はタオルを広げ、また佐野さんの頭の上にのせた。

「どうして。」

 温まってココアをすすっていると佐野さんがやっと口を開いた。

「え?」

「何で助けたの。」

(裏切ったのに)

「何でって、そんなに濡れてたら風邪ひくでしょ。」

「私は助けなかった。」

 佐野さんの声は震えていた。寒いわけではなさそうだ。

「…うん。」

「ごめんなさい。」

 佐野さんは頭を下げた。

「あの日からずっと後悔してるの。何であんなことしたんだろうって。私が怜ちゃんを殺したんだって…。」

「それは違うよ。」

「違わない。あの日はっきり、怜ちゃんに殺意がわいたの。」

 佐野さんは深呼吸をしてからあの日あったことを話し始めた。

「あの日、初めて明戸さんに我慢できなくなった。私と怜ちゃんで取った賞が明戸さんの手柄みたいになって、どうしても許せなかった。怜ちゃんが褒めてくれて、手伝ってくれたから明戸さんに取られたことが本当に悔しくて、本人にはっきり言おうと思ったの。」

 佐野さんはゆっくりとあの日起きたことを話してくれた。


 みんながテントの準備をしている中、調理室に明戸さんと三好さんの姿を見つけた。私は今まで感じたことのない怒りを抑えながら二人のもとに近寄った。

「何?何か用?」

「何であなたが表彰されるわけ?」

「は?実行委員なんだから当然でしょ?」

「でも作ってないじゃん。」

「だから?あーそういうことか。杏奈に嫉妬してるんだ?」

「嫉妬?あなたが羨ましいって思ったことなんて一度もない。ただ嘘をつかないで。自分は作ってない、サボってましたって言いなよ。」

「は?言ってもいいけど、言ったところで何も変わんないよ?あんたがみんなから称賛される訳じゃない。味方なんていないんだから。」

 勝ち誇ったように笑う明戸杏奈を見て、何かがプツンと切れた。そして思わず、秘密にすると決めていたことを話してしまった。

「…いるよ。」

「誰が?」

「怜ちゃん。」

「は?何で怜が出てくるわけ?」

「友達だから。」

 友達…。高等部に進んで仲の良かった友達とクラスが別れてしまい、一人ぼっちになった私は既に出来ていたグループのどこにも入れず、友達と呼べる人は誰もいなかった。それでもいいと自分の運命を受け入れるように、諦めるように過ごしていたけれど怜ちゃんだけは手を差し伸べてくれた。友達になってくれた。だから、独り占めしたかったのかもしれない。あなたのものではないと言いたかったのかもしれない。

「あーそういうことか。」

「怜ちゃんはカンニングペーパーを取って、私を守ってくれた。」

 明戸杏奈は自分のエプロンを床に叩きつけた。その時ビリッと破れる音がした。

「本当に助けてくれたって思ってる訳?」

「…え?」

「言っとくけど、全部怜が私に指示してるんだよ。んー指示っていうか直接言わずに仕向けてくるの。」

「そんなわけない。」

「どうして?いつもの事なのに。怜はね成績がいいとかで調子乗ってるあんたを懲らしめるためにカンニングさせたら?って言ってきたの。まぁ誰かに紙を取られて失敗に終わったけど、それも怜なんだね。うちらはめられたんだよ。」

「嘘だ。」

 怜ちゃんがそんなことするはずない。

「ほんとだよ。今までも今回のも全部怜の指示。うちが自分からやってた訳じゃない。」

「…嘘。」

「怜はうちらを悪者にして、いろんな人に手を貸すふりをして最後に裏切るんだよ。人の心を弄んで楽しんでるの。」

「サイコパスじゃん。」

 明戸杏奈と三好茜莉は顔を見合わせて笑った。そして三好茜莉は調理室から出て行った。

「そんなの信じない。」

「信じなくてもいいけど事実だから。千宏だってあいつのせいだからね。」

 クラスメイトの瀧本(たきもと)千宏(ちひろ)は夏休みが明けても学校に来ていない。彼女はこの2人と怜ちゃんといつも一緒にいた。3人とは違うタイプで2人には気を遣っているように見えたけど怜ちゃんにだけは心を許しているようだった。どうして瀧本さんが学校に来ていないのかはよく知らないけれど、何度か怜ちゃんが瀧本さんを避けている姿を見たことがあった。それを思い出したからか、揺るがないと思っていた怜ちゃんへの信用は少しずつ消え始めていた。

「信じないよ。だって明戸さんが怜ちゃんに従う理由はなに?」

「んーまぁ口封じかな。色々知られちゃってるからさ。例えばーんーあ、この前のタバコの事とか。」

 前に学校でタバコの吸い殻が見つかって全員の荷物検査が行われたことがあった。結局誰のものか分からず終いだったけれど。

「怜はあんたに近づくために私をはめたんだよ。でもあいつはあんたのことも裏切るよ。」

 明戸杏奈は急に立ち上がった。そして見たこともない命乞いをするような目で私を見た。

「お願い私を助けて。もう誰もいじめたくない。」


「その後怜ちゃんが来たの。」

 あの日自分がいないところで起きたことに衝撃が隠せなかった。杏奈はなぜそんな嘘がつけるのか、怒りを通り越して感心する自分がいた。

「私、明戸さんの話を信じちゃったの。でも怜ちゃんはそんな人じゃないって知って…最低だよね。」

(私なんて死んだ方がいい)

 佐野さんは泣いていた。泣いたら自分が可哀そうに見えるから、泣いてはいけないと思いながらもあふれる涙を抑えられていなかった。そんな彼女を見ていると、一つの疑問が浮かんだ。

「でもどうして私がそんな人間じゃないって思ったの?」

「えっ…。」

(盗み聞きって言ったら嫌かな)

「実は…トイレで三好さんと話してるの聞いちゃったの。わざとじゃないんだけど。」

(個室から出なかったの許してくれるかな)

 佐野さんの不安そうな表情に思わず笑みがこぼれた。

「そっか。よかった。」

「本当にごめんなさい。怜ちゃんは私を助けてくれたのに、私は怜ちゃんを裏切って、傷つけた。」

「それは私も。ごめんなさい。いっぱい佐野さんを傷つけた。自分でカンニングペーパー取っておきながら、みんなと一緒になって佐野さんを傷つけた。だからお互い様…じゃないかな?」

「お互い様?そんなわけないよ。」

(こんな仕打ちないでしょ)

「…」

「怜ちゃんが飛び込む前までは私もお互い様って思った。でも…でも…あんな事になって…こんなのお互い様じゃないでしょ。」

 佐野さんの言葉は悲鳴に近かった。

「怜ちゃんが飛び込まなかったら、お互い様、私は悪くないって思えた。でも三か月もいつ死んでもおかしくないって言われ続けて、こんなのお互い様じゃ済まされない。私が悪いに決まってる。私が怜ちゃんを殺したんだよ。」

「それは違う。殺意がわいたことが殺すことになるなら、私は殺人鬼だよ。」

(気を遣わなくていいのに)

「佐野さんが私を殺したんじゃない。本心だよ。私が私を殺したの。」

(でも原因をつくったのは私じゃん)

「佐野さんを追い込んじゃったのも、元を辿れば私のせい。杏奈といるために最低なことをずっとしてきたから。自業自得なの。だから、自分のせいだって思わないで。」

「…でも。」

 佐野さんは呪縛から解放されたように泣き崩れた。顔を力いっぱいタオルで抑えつけて涙と鳴き声が漏れないようにしていた。そんな佐野さんを私はただ見守った。数分経って佐野さんは落ち着きを取り戻し、タオルから離された顔は目元が真っ赤になっていた。

「私、今生きててよかったって思った。自分のためにこんなに泣いてくれる人がいて、すごく嬉しい。」

 私はこの感情を知るために命を懸けた。だから死ぬ意味があったんじゃないか。どちらが尊いものかなんて私には分からない。

「無事でよかったよ。この3か月生きた心地しなかったから。」

 佐野さんは立ち上がって頭を下げた。それと同時にタオルが床に落ちた。

「今日はありがとう。それと、ごめんなさい。」

私はタオルを拾って佐野さんに差し出した。

「謝る代わりに、今度こそ友達になってくれませんか。」

 佐野さんは顔をあげると驚いた顔をしていた。そしてゆっくりとタオルを受け取った。


「これありがとう。」

 登校してすぐ自分の席でのんきにスマホをいじっている彼に昨日借りたタオルを返した。

(わざわざ洗ってくれたんだ)

「どういたしまして。」

「ねぇ、わざとでしょ?」

 彼が私に渡したタオルの意味を探らずにはいられなかった。

「何が?」

(とぼけないでよ)

「佐野さんがずぶ濡れになってるの知ってたでしょ?」

(さあね)

 彼はあくびをして眠りに入ってしまった。時々彼は何を考えているのか分からなくなる。


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