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雨を想う君にキク  作者: いしだ
11/12

春紫苑の花言葉

「じゃあ彼は私を助けるために事故を起こしたって事ですか?」

 新井先生は首をたてに振る。

「その後深山は手術を受けた。上手くいったはずなのに意識は戻らなくて。岩崎が目を覚ました日に昏睡状態になった。」

「同じ日に?」

「あぁ。信じらんないよな。俺だって予知夢とか未だに信じられないよ。」

 しばらく沈黙が続き、先生は気を遣って病室から出ていった。

「予知夢…。」

 おもむろに口に出した現実離れなその言葉は、現実離れした能力を持っていたせいかその存在を疑えなかった。

 彼は私の知らないところで助けてくれていた。

 私は静かに涙を流した。

「起きてよ。」

 私は膝を立てて椅子に体育座りをした。

「起きてよ。」

 段々と不甲斐なさがあふれ出し、腕で漏れる声を抑えた。私は誰にも聞こえないように泣き叫んだ。

 病室に誰かが入ってきた。看護師は特に中を確認することなく部屋の電気を消した。カーテンで死角になっていたせいか私の存在に気づいていなかったようだ。面会時間はとっくに過ぎている。

外はすっかり明るくなり、朝日がカーテンの隙間から私たちを照らした。気が付いたら寝ていたようだ。時刻は朝の5時半前。誰かに見つかる前に出ることにした。何気なく彼を見るとまだ眠っていた。早く起きろと怒って椅子を片付ける。

「ん?」

 何かが変だ。何かに違和感を覚えた。

「え…?」

 布団から点滴で繋がれた彼の右腕が出ていた。眠る前まではずっとしまってあったはずだ。

(私が引っ張ったんだっけ?)

 手をずっと凝視していると微かに指が動いた。

(うそ…)

 彼の長い睫毛が動いた。そして光を吸収した茶色の瞳が左右に動き、私を直視した。

「嘘でしょ?」

 彼はにやりと笑う。私は近づいて声をかけた。

「気付いたの?わかる?自分の名前分かる?」

 数か月前の看護師みたいな行動をした私に彼は呆れたように笑う。

「れい。」

「それは私の名前でしょ。」

 彼はまた笑った。

「先生呼んでくるから。待ってて。」

 私は急いで立ち上がると彼はそれを止めた。

「待って。いいから。」

「なんで?」

「いいから。君と話を。」

 私は彼の言う通りにした。

「説明してよ。何が起きたの?予知夢って何?」

 彼は自分の手を見つめた。ゆっくりと動き出した手は彼が生きていることを証明するようだった。だから、私はその手を握った。

「そういうことじゃないのに。」

 彼はまた呆れて微笑む。

「もう大丈夫なの?」

 彼は笑ったままで否定も肯定もしない。

「なんか言ってよ。」

「また君の顔が見れてよかったと思って。」

「何それ。人格変わったの?」

「そうかもね。」

 彼はとぼけて見せる。

「夢じゃなかったんだよね?私と君が一緒にいた時間。」

 彼は夢の中の彼のまんまで、自殺未遂をする前の彼ではなかった。そのことが私が過ごしていた時間を彼も過ごしていたと感じさせた。

「夢だよ。君の予知夢。そこに僕も入り込んでいたんだ。」

「ありえないよ。」

「そうだね。でもまぁ楽しかったよ。」

 彼の声は今にも消えそうな声だった。

「もう終わりみたいな言い方しないでよ。」

 私は不安から涙が出た。

「泣かないで。君のその顔は見飽きた。笑ってよ。」

 私は無理やり口角をあげた。

「ははは、何その顔。」

「ふざけんな。」

 私は久しぶりのこの感じに幸福感を覚えた。

「時間がない。言いたいこといっぱいあるけど…あーそうだ。明日はいい天気になったよ。」

「どうゆう意味?」

 彼は笑ったままゆっくりと目を閉じた。その瞬間彼の心拍数を波打つ画面が直線になり、大きな機械音とともに「0」という数字が映し出された。

「は…?」

 私は目の前で起きた現実を何も処理できず、ぼーっと突っ立っていると。何人かの足音が近づいてきた。

「何があった?」

 白衣の医者は緊迫した表情で指揮をとり、看護師は必死に指示を全うする。

「廊下に出てください。」

 病室から締め出された私は看護師が軽く肩を押しただけで廊下の壁にぶつかり崩れ落ちた。

 何も考えられなかった。頭が真っ白になり、ただただ時間だけが過ぎたが時間は何も解決してくれなかった。

「岩崎。」

 気付くと廊下の向こうから新井先生の声がした。急いできたのか寝起きの顔だ。

「深山は?」

 私は病室のドアを見つめた。

「新井先生。」

 新井先生の背後に笹塚先生の姿があった。

「岩崎さんも。」

 私たちは廊下で病室のドアが開くのを待った。

ガラガラ

 重い足取りで病室から出てきた医者は先生たちに目を合わせると首を横に振った。

(嘘だ)

 心の中でそう叫んだ。

 先生たちは中に入っていくが私はそれを拒否した。開けっ放しのドアの奥に彼のベットが見える。二人の背中が彼の死を物語ったが、私は全力でそれも拒否した。信じられない訳じゃない。信じないという決断をしていたのかもしれない。私はどうしてもその場から逃げたくなった。彼の死をこれ以上現実のものにしたくなかった。だから私は廊下を走った。寝てないせいか、疲れているせいか、足元がぐらぐらした。

 無意識に目的地を決めていたかのように辿り着いたその場所は病院の中庭だった。取り壊されている西館が目の前に見える。朝なのか夜なのか分からないような空の下で、花壇に並べられた美しい花々は私の心を嘲り笑っているようだった。その中で、花壇には植えられていない雑草の花を見つけた。花弁は白く、中心は黄色のその花は確かキク科の植物だ。どこで得たかわからない知識を記憶の中から掘り起こし、気持ちを落ち着かせた。一種の自己防衛反応だったのかもしれない。そして昔の記憶を掘り起こしたついでに私は何かを思い出した。

「この景色…」

 前にも見たことがある。いつだ?入院していた時じゃない。それよりももっと前…。

「あの日。」

 それに気が付いた時私の視界は鮮明なものへと変化した。

 12年前。あの事故の後、私は救急車で運ばれてこの病院に来た。気がつくと病室のベットで眠っていて隣には彼がいた。彼は無言で私を見つめていた。

「なに?」

 彼は手招きをした。その手に誘われて私は彼について行った。そしてたどり着いたのがここだった。あの日はたしか雨が降っていて花壇の花は萎れていた。

「いい天気。」

 彼の声を聞いたのはそれが初めてだった。

「雨だけど?」

「うん。知ってる。でもいい天気。」

 私も雨は嫌いじゃなかった。特にその時は自分の状況にぴったりの空模様だと思ったからだ。

「雨が降らないと困るのに、悪い天気なんていわれて可哀そうだと思わない?」

 彼はその理不尽さに自分を、あるいは私を当てはめているようだった。

「それに雨だと花が立派に見える。」

 花壇の花々は花びらが散ったり、茎が折れ曲がったりしていた。

「どこが?」

「そっちじゃないよ。」

 彼は花壇の近くに生える雑草を指さした。背の高い葉っぱの中に揺れながらも上を向いて折れない花があった。その姿は逞しく、雨を喜んでいるようだった。

「春紫苑。菊の一種なんだって。」

 お母さんの名前が入ったその花を彼はずっと見つめていた。その寂しそうな横顔は今思えばお母さんの死を受け入れようとしていたのかもしれない。そして彼の横顔を見ていた私は彼の耳がガーゼで覆われていることに気がついた。

「耳…」

「君のせいじゃないよ。」

 それから私たちは手術中と書かれた部屋の前に行き、警察が来るまで共に過ごした。

話してたんだ。何でこんなこと忘れてしまっていたのだろうか。悔しさと懐かしさでいっぱいになった。このことを彼に伝えたい、彼と話したい。

「岩崎?大丈夫か?」

 振り向くと新井先生がいた。

「大丈夫じゃないよな。」

 先生は心配してきてくれたようだ。

「病室から移ったけど、会えそうもないよな。」

「行きます。会いたいです。」

 先生は困った顔をして、私を彼の元へ案内してくれた。『霊安室』と書かれた部屋のドアは自分で開けた。彼に会うことだけを考えて後は何も考えないことにした。真っ白の布に覆われた体はせっちゃんのものより小さく感じた。

 彼の顔を覆う布をとる。その顔は間違いなく彼のものだった。でも、なんというか、怖さは無かった。死体に向き合う怖さは感じられなかった。二回も向き合ったせっちゃんの死体にさえ感じた恐怖は彼の死体にはない。ただただ悲しみだけが押し寄せた。もう話せないし、彼の声も聞こえない。私の話を聞いてくれる彼はもう死んだ。彼は死んだんだ。

「何だったの?さっき言ってたこと。意味わかんない。」

 彼はにやりとも笑わなかった。

 私はこの日一日中何も手につかなかった。霊安室の前で座り込む私に新井先生は一日中付き合ってくれた。昼過ぎに現れた彼の母親は特に悲しむ様子もなく淡々と手続きをしていた。

 次の日彼の葬儀が行われた。式場には彼の親戚らしき大人たちと、クラスメイトの訃報にも関わらず友達と楽しそうに話す生徒がいた。この会場に彼を想って涙する人間なんていない。人と深く関わることを避けてきたんだから当然と言えば当然なのかもしれない。でも…こんなの違う。

「怜大丈夫?」

 心配そうに見つめる由紀は私と彼のことは何も知らない。

「話したことあまりないけど、知ってる人が亡くなるってなんか…辛いよね。」

 由紀には良識があり安心した。

 席に座り御経が始まる。後ろの方の席だったが親族の席に座る彼の家族が目に入った。取り乱すことなく、平然とお坊さんを見つめている母親。何なら清々しさまで感じる程で、とても息子を亡くした母親には見えなかった。父親は見覚えのある顔だった。せっちゃんの葬儀の時に彼と一緒にいた人。彼がせっちゃんの孫だという事実が現実味を帯びた。父親の表情にも息子を亡くした喪失感は感じられなかった。周りの人からすると気丈な佇まいに見えるのだろうが、悲しさを堪えているわけじゃない。息子が死んでも悲しめない自分を必死に隠しているだけだ。彼は耳が聞こえることを親に言わなかったと言っていたけど、多分言えなかったんだ。

彼の両親の表情が私の心臓を傷めつけた。

 長い御経は何人かの生徒を眠りにつかせて、ようやく終わった。ぞろぞろと彼の遺影の前に列ができ私もその列に並んだ。隣には由紀がいてお陰で平然を装えた。彼の遺影に使われた写真は恐らく生徒手帳用に撮ったものだ。引きつった作り笑いと目の開き具合がベストなタイミングで撮っていないことを容易に想像させた。

 いよいよ私たちの番になり前の人を見習って手を合わせた。ここまで前に来ると、棺の中が少し見えた。色とりどりの鮮やかな花で埋め尽くされていた。彼に似合わない花ばかりだった。

 彼は誰かに気にかけてもらった事があるのだろうか。

 少しでも彼を想った人はいるのだろうか。

 彼に愛情を向けた人はいるのだろうか。

 彼のことを知っている人はいるのだろうか。

 誰も、ここにいる誰も、彼の事はなに一つ知らない。血が繋がっていても、彼の事を知らない。彼はずっと独りだった。それでも彼は誰のせいにもしなかった。こんなに優しい人間なのに何で死んでもこんな扱いを受けなきゃいけないのだろうか。

 でも、そうさせたのは、私だ。

 気が付いたら足が動いていた。由紀が自分を呼び止めているのが分かった。でも、止められなかった。

 私は仏壇を飛び越えて棺桶の前についた。彼を囲む花を棺の中から取り出して辺りにまき散らした。静かな会場にどよめきが走ったのを背中で感じたがそれどころじゃなかった。

 彼にこんな花は似合わない

 私は警備員に取り押さえられ、あっけなく会場の外に連れて行かれた。泣いているせいで視界はぼんやりしていたが、廊下に締め出されたことは分かった。きっともう中には入れない。

「あーあ。」

 壁に寄り掛かって床に腰を下ろした。後悔は1ミリもしていない。形式だけの、心ない葬儀に何の意味があるのだろうか。私はサッと起き上がり、式場から出ることにした。

「君」

 背後から声がした。警備のおじさんに説教されるのかと思って振り向くとそこには彼の父親がいた。

「何ですか?説教しに来たんですか?」

「さっきのはもういいよ。ただ話をしたくて。」

「話すことは何もないですけど。」

「教えてくれないか息子の事。親として恥ずかしいことに息子の事何も知らないんだ。君は仲が良かったんじゃないのか?」

 この人は彼のために私と話しているんじゃない。自分のためだ。このままだと自分の良心が傷つくから、自分を肯定するために、私に話かけているんだ。

「何で今なんですか?何で生きている時に、本人に聞いてあげなかったんですか?」

「…慎樹は耳が聞こえないから、何を聞いても意味がないんだ。」

「声が聞こえなくても、話せなくても会話は出来ますよね?耳の障害を言い訳にして歩み寄らなかったんじゃないんですか?」

「…。」

「それに…彼は聞こえてましたよ。」

「え?」

 父親は言葉も出ず動揺していた。

「右耳は補聴器を着ければ聞こえてました。」

「そんな…なんで。わたしには一言も。」

「分かってたからです。聞こえないほうがあなたにとって都合がいいって。」

「言ってる意味が」

「彼は聞こえすぎてたんです。あなたをずっと見てきたから、心の声が聞こえてたんです。だから、あなたの為に自分は聞こえない方がいいって思ったんじゃないですか。」

「私の為って。意味が分からん。」

「彼と話したいって思った事ありますか?」

「…。」

「彼の声を聞きたいって思った事あったんですか?」

「あるに決まってるだろ。」

「それは彼の為ですか?自分の良心を傷つけないようにするためじゃないって言えますか?」

「…。」

「あなたが彼と話したいって思うのは自分の為ですよね?離婚して引き取った彼の父親に…本当になりたかったんですか?仕方なく引き取ったんじゃないって彼に言えますか?」

 父親は泣いていた。泣いて、泣いて、泣き崩れた。罪悪感と後悔が一気にこの人を襲った。

 傷つけたい訳じゃなかった。懲らしめたい訳でもなかった。ただ彼のことを知って欲しかった。彼を愛して欲しかった。

「でも彼は…あなたの事を恨んでませんでしたよ。」

 聞いた訳じゃない。でもきっと彼ならそう言う。だから私は嘘をついた。これが嘘じゃないと分かっていたから。

私は彼の父親を置いてまた歩き出した。するとまた誰かに引き留められた。

「あの!あなたですよね。岩崎さんって。」

 その言葉に反射的に振りかえると彼の弟だった。父親の次は弟かと、涙を拭って近づいた。

「うん。」

 弟は学ランのポケットから白い封筒を取り出し、私に見せた。封筒には『似た者同士の君へ』と書かれている。

「何これ。」

「兄の病室に置いてありました。これあなたの事ですよね?」

「え?」

「すみません。中、読んじゃいました。」

「もらっていいの?」

「はい。でも一つお願いがあります。いつかでいいんで、兄の事教えてくれませんか?」

 父親と同じことを言いだす弟の目は真剣で、憔悴した顔をしていた。そう言えば、葬儀中、弟は泣いているように見えた。弟はきっと気を遣っていたんだ。母親と父親を気にして彼に話しかけられなかったんだ。だから自分を悔やんで彼の死を悲しんだ。いたんだあの中にも彼を想う人が。

「父には俺から話します。」

 弟の目は覚悟を表していた。きっと家族を変えようと、立て直そうとしている。兄が生きた証を残すために。

「わかった。また。」

 弟が頷くのを見て私は式場を後にした。

 行く場所は決まっていた。電車に揺られ自分の家の最寄につくが向かうのは反対方向。彼の弟と杏奈が通う高校の前を通って、行きつけの花屋が出てくる。

「いらっしゃい。」

今日はバイトの若い人ではなく店長らしきおじさんがいた。

「あの、お金払うのであの花だけくれませんか?」

 店長は不思議な顔をした。レジ前に並ぶ白くて小さなキクの花は、サービスで付いてくる花。

「ただの雑草だからね。お代はもらえないよ。」

「雑草なのに何で配ってるんですか?」

「ここの裏にね霊園があるんだけど、そこのオーナーに頼まれて時々草刈りをしてるんだよ。でも一緒に採れちゃうこの花はどうしても捨てたくなくてね。この時期だけ配ってるんだよ。」

 花屋だからと自慢げに語るおじさんはあっと何かを思い出した。

「そう言えば君と同じことを聞いてきた子がいたよ。」

 多分それは

「もしかして私と同じ制服でしたか?」

「あ、そうそう。知り合い?」

 やっぱり。

「はい。彼も同じことを?」

「うん。頑固だったから折れてタダで渡したんだよ。そうしたらそこの募金箱に10円入れてってね。それを毎日。いい子だったなぁ。」

「毎日?」

「うん。あ、花を買うのはこの時期だけじゃないよ。一年中。他の時期はちゃんとお店のもの買っていくから特別にあの子のはあげてたんだ。君は最近常連になったばかりだから許可できないよ。」

「毎日墓参りに…?」

「え?なんだ知ってるんだ。お母さんの事。」

「知ってたんですか?」

「うん。そりゃあ気になるからね。なんでこの花にこだわるのか聞いたら話してくれたよ。亡くなったお母さんの墓参りにお母さんの名前が入った花を供えたいって。花言葉がぴったりだって話してたんだ。今元気にしてるの?」

 言うか迷った。でも伝えるべきだ。

「今…彼の葬儀の帰りなんです。」

「えっ。…そうだったんだ。」

 店長は目を潤ませた。そしてレジ前の花を手に取った。

「持っていきなさい。」

 私はお礼を言って店を出た。外に出ると晴れていたはずの空に灰色の雲がかかり始めていた。私は白い花を手に彼の母親が眠る丘へと走った。

 『深山家』と書かれた墓石の前に花束を置いた。そのまま私は腰を下ろしてポケットから白い封筒を取り出す。

『似た者同士の君へ』

 私を名前で呼ばないのはきっと前の苗字が同じだからだろう。中には手紙が入っていた。これは私への遺書なんだ。だとしたら彼は自分が死ぬことを知っていたのだろうか。

『手紙を書くのは柄じゃないけど、君に疑問を抱かせたまま逝くのは気持ち悪いし成仏出来なさそうだから手紙を書きます。遺書でも落書きでもどう受け取ってもらっても構わないよ。君の好きにして。』

 書き出しは彼らしいものだった。

『謎解きをすると、まず君が見ていた夢はただの予知夢だよ。でもどういうわけか君のその夢に僕も入ることが出来たんだ。しかも君の心の聲が聴こえるという特典付きで。あ、僕は一つ君に嘘をついたんだった。僕が心の聲が聴こえたのは君の夢に入ったときだけだから、ジャングルジムから落ちたっていうのは咄嗟についた嘘。これが夢だと悟られないようにしたんだと思う。でも自分の聲はコントロールできたから嘘つかなくてもよかったかも。嘘ついてごめん。

君が生死を彷徨っていた間、僕は毎晩君の夢の中にいた訳だけど、君のいない現実と君がいる夢を行き来する生活はなかなかすごいものだったよ。あ、言っとくけど、君が予知夢を見れるのは、多分僕のせいなんだ。僕は君が見るずっと前に予知夢を見ていたからね。最初に見た日は12年前のあの日。母さんを失って君と出会った日だ。』

 彼はずっと前に予知夢を見ていた…?

『その夢は僕の葬式だった。そしてどういう訳か、自然とその夢が現実になる予感がしたんだ。だからそれまで、あの夢が現実になるまで生きようって決めて僕は今まで生きてきた。でもどこで運命の歯車がおかしくなったのか、君と放課後教室で偶然会った日にまた葬式の夢を見たんだ。会場も参列するクラスメイトも12年前に見た予知夢と一緒なのに飾られた遺影は君だった。君の葬式だったんだ。そしてその夢はきっと正夢になるって感じた。そしてその勘は当たったんだ。その数日後に君が飛び降り自殺をする予知夢を見たんだから。僕は必死にその運命を変えようとした。ここからは新井先生に聞いたと思うけど、まぁ一応成功に終わったよ。今この手紙を書いている僕の前で君は眠っているわけだけど、僕は君を助けるために事故に遭って意識を失った時、12年前と全く同じ夢を見たんだ。僕の葬式は形式的なもので、静かな会場に鼻をすする音すら響かなかった。誰も僕の死を悲しんではいなかったんだ。ただ退屈で時間が過ぎるのを待つ人間しかいなかった。そりゃそうだ。僕は社交性もないし、家族の誰も僕に興味なんてない。ずっと独りだったからね。こんな葬式にさせてしまう自分が情けないし、寂しかった。でも一人だけ、僕のために泣いている人がいたんだ。初めてこの夢を見た時はその人は知らない人だった。でもその女子生徒が、その日母さんが助けた君だったらいいなと思ったんだ。それが本当に君だと知ったのは中学生になって君と再会した時だった。

 あんなしょうもない葬式で君はその場にいた全員分の涙を僕にくれた。その光景は僕の人生の全てを表していた。そして君は会場をめちゃくちゃにしたんだ。色とりどりの花を散らかして「この花じゃない」って訴えていた。僕のしょうもない人生がそうではないと否定されてるみたいで嬉しかった。君はそんなことするタイプじゃないのに。こんな未来が待っていると知って僕は嬉しかったんだ。今まで何度も死のうと思った。でもそのたびにこの夢を思い出した。僕は君に救われたんだ。でも君の予知夢に入って、僕は少し欲が出てしまった。出来ることなら君と生きたいって。叶わないって分かっていたけど君と生きてみたかった。君といた時間はすごく幸せで、僕の宝物だから。

 あとあれも嬉しかった、父さんに言ってくれたこと。間違ってないよ。僕は父さんのことを恨んでない。恨めないんだ。どんなに嫌な事をされても、悲しい思いをしても親は親だからどうしても恨みきれないんだ。それは君が一番よく分かってることだから。代わりに言ってくれてありがとう。僕の代わりに父さんを叱ってくれてありがとう。弟にも君から言ってくれると助かるよ。僕は素直じゃないからね。

 君は僕に後ろめたい気持ちがあるんだろうけど、それはもうここで忘れて。僕にとって君はいい思い出でしかないのに、君の悪い思い出にされるのは心外だからね。

 僕は君が好きだ。でもそれは恋愛感情でも友情でもない。そんな感情よりもっと大きいなんかだ。気持ち悪いって思ったでしょ。まぁいいよ。僕の人生は君だけだったし、僕はそれで十二分。耳の聞こえないフリをしている僕の声を聞いてくれたのは君だけで、僕の枯れきった人生に雨を降らしてくれたんだから。

 最後にこれだけ。そこにまだ僕はいないんだから母さんの前で泣くのはどうかと思うし、君の泣き顔はもう見飽きたから、笑っていいよ。

     1月9日(4月5日) 深山慎樹』

 この日付は私が目を覚ます前日。夢の中で彼が死ぬ前日。彼は自分がその夜に死ぬと分かっていてこの手紙を書いたんだ。涙が止まらなかった。笑ってと言われても笑えなかった。それほどに私も彼が好きだった。恋でも友情でもない。そんなありふれた感情じゃない。それを何と呼ぶべきか分からなかった。

 なんとなく墓石の前に置いた春紫苑の花束につけられたカードの文字が目に入った。あの店はいつも花言葉を書いたカードを花束につけてくれる。

「これか…」

 彼への言葉にできない想いにぴったりだった。

(君を忘れない)

 今もまだ夢で見てくれていたなら聞こえていただろうか。確かめようのない問いに、もう彼は答えてくれないという現実にまた涙がでた。するとぽつぽつと墓石が水玉模様になり、私の靴も濡れ始めた。突然の雨に急いで花束を持ち、木の下に移動する。

「こんな時に…」

 自分の心模様を勝手に代弁してきた天気に腹が立った。これじゃあ本当に

「悪い天気…」

 彼の言葉が頭をよぎった。

『明日はいい天気になる』

 彼が死に際になぜあんなことを言ったのか、今わかった。

 私は木の屋根から身を出し、雨に当たった。空を見上げると顔がずぶ濡れになった。雨が涙を流していく。私はすべての謎解きが終わって気付いたら笑っていた。

 なんだ。そういうことか。

 私はおかしくて、悲しくて、嬉しくて、寂しくて、笑った。

「ほんと…いい天気」

 数分間の通り雨は私を逞しく輝かせた。


 彼の忌引が終わり、人より長い春休みが明けた。あれから5日。私が彼の死を受け入れる時間としては十分だった。そう、受け入れることはできた。でもそれは乗り越えられたんじゃない。むしろ乗り越えるものでもないんじゃないかと考えたらなんだか腑に落ちた。

葬儀で暴れて以来取り乱すことも無かった。それは彼がいないと分かってはいるものの、どこかで彼が見守っているんじゃないかと錯覚していたからだ。彼がただ眠っていた世界と彼がいない世界ではまるで違った。それでも彼を想う自分の気持ちには何ら変化はなかった。


 学校の最寄り駅に着くと、改札口に由紀と颯の姿があった。心配そうにでもどこか安心している様子の2人はぎこちない笑顔で私を迎えた。

「おはよう。」

「おはよ。」

 2人は明るく私に振舞った。

「おはよう。」

 みんなの気遣いに応えようと私も挨拶をした。

「じゃあ私チャリだから先行くね。怜の顔見れてよかった。」

 由紀は颯の自転車を奪って、先に行ってしまった。

「俺のなんだけど。」

 由紀は二人で話す時間をくれた。

「行こっか。」

 颯と登校するのはいつぶりだろうか。

「あのさ、聞いてもいい?」

 それが彼のことについてだというのはすぐに分かった。

「うん。」

「怜って深山と仲良かったっけ?」

「まぁ、そうだね。」

 颯が話の進め方がわからず困っているのは顔を見なくても分かった。

「甥なの。」

「え?」

「せっちゃんの娘さんの子供。」

「節子さん娘いたんだ。」

「うん。12年前に交通事故で亡くなってる。彼はお父さんに引き取られたからそれ以来会ってなかったんだって。」

「そうだったんだ。」

「私も最近知ったの。まさかクラスメイトだなんてね。」

 颯は少し沈黙してまた口を開いた。

「怜にさ、言ってないことがあって。」

「何?」

「実は、怜が川に飛び込んだ時…俺が近くにいたの偶然じゃないんだ。」

「…?」

「深山に怜のことで話があるって呼び出されてたんだ。」

 あぁそう言うことか。彼は颯を呼び出してまで私が死ぬのを阻止しようとしてたんだ。

「そうだったんだ。」

「あれ?驚かないの?」

「うん。なんとなく分かってたから。」

「…そっか。」

 それから彼の話は終わった。気を紛らわせるように、彼の話をしないように颯は他愛もない話で私を日常に戻してくれた。颯のこのみんなに愛される性格に何度も嫉妬をし、自分は何一つ叶わないと勝手に苛立って遠ざけた時もあった。それでも結局颯に救われるんだと後ろめたくなったし有難く思った。

「泣いてる?」

「泣いてないよ。」

「ごめん。俺の話つまんなかった?」

「ううん。聞いてなかったから。」

「それはないよ。」

 颯はまたみんなに愛される笑顔を作った。

「ありがとう。」

「え?」

「いやなんか。いつも颯に助けられてたんだなって思って。」

「…ツンデレなの?」

「うん。」

 颯は照れ臭そうに笑った。


 教室に入ると何人か私に気づいてひそひそ話をした。きっと彼の葬儀で暴れたからだろう。まーいっかと私は簡単に振り切った。

彼の席はそのままだった。花が置かれることもなく空席のまま以前と変わらない日常だった。

「席に着けー。今日は三者面談だから早く終わるぞ。進路希望調査の紙書いてない人は面談までに書くように。」

3年生になってもクラス替えがないからか、実感が湧かなかったが、進路という単語が急に現実を突き付けてくる。


「失礼します。」

 授業は午前中で終わって午後から三者面談が始まったが、三者目がいない私はただの個人面談になった。面談は二日目のようで、休んでいた私は一番最後に回してもらっていたみたいだ。

「岩崎か。まぁ座れ。」

 教室を自分の家のようにくつろぎだした新井先生は、40人分の保護者と面談して大分疲れているようだった。

「お疲れですね。」

「はは。俺の心配はいいよ。どうだ?大分落ち着いたか?」

「はい。」

「そうか。」

 先生は進路に関する資料が入った分厚いファイルを閉じた。重さのあまり机が少し揺れた。

「お前に未来の話なんて、まだ考えられないだろうから、雑談でもしようか。」

 先生と面と向かって話すと、彼の病室で話を聞いた時を思い出す。

「実は俺、教師やめることにした。」

「えっ。」

「安心しろ。みんなと一緒に卒業するから。」

「そうなんですか。」

「あぁもう一度挑戦してみることにしたんだ。」

「いいと思います。私は先生みたいな教師好きでしたけど。」

「それなら遠回りした甲斐があったな。」

 私はポケットから白い紙を取り出した。

「お世辞じゃないですよ。」

 新井先生はその紙を見て固まった。目が潤んでいるように見えた。

「そうか。決めたんだな。岩崎も前に進もうとしてるんだな。」

「はい。せっかく助けてもらった命なので。彼の分も私は一生懸命生きます。」

「そうか。よく…頑張ったな。」

「彼のお陰です。」

「そうだな。俺もお前たちに会えてよかった。有限の時間の中で自分が何をしたいのかお前たちに気付かさせられた。ありがとう。」

 しばらく私たちは彼を想って泣いた。ここにも彼のために泣いている人がいて、胸が熱くなった。

「彼に報告してきます。」

「あぁ。」

 新井先生の笑顔を初めて見た。いつもの不愛想な顔とは裏腹に、父親のような笑顔で私を送り出した。先生の夢が叶いますように。そう天に祈った。


 白いキク科の花を持って彼と彼のお母さんが眠る墓石についた。花を添えて私は新井先生に見せた紙を墓石に見せつけた。

「私決めたから。」

 内部進学者用の進路希望書には翠蘭の付属大学の名前と、学部を記入する欄がある。いつも書くことが出来なかった欄に私ははっきりと書いた。書いたのは今日の午前。授業を聞きながら私はこう書くことに決めた。

『教育学部』

「ずっと決められなかった未来の事。やっと決められたよ。」

 私は紙をポケットに戻す。

(今を捨てようとした私を君が救ってくれた。でもそれは運が良かっただけで誰しも私にとっての君のような存在がいるわけじゃない。君がいなかったら間違いなく私はここにいない。人間の心なんて脆くて簡単に折れてしまう。だから今度は私が誰かの心を支えられるような人間になりたい。きっと世の中はこんな循環で大きく変われるんだと思う。私はそう信じてこれから生きるよ。これも全部君のお陰。私は一生)

「君を忘れない。」

 その瞬間からいい天気になった。

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