盲信フェドランタ
視線の先には上にいた魔術団と同じ衣装を着たやや年季の入った白髪の男が、ランツェに対して笑みを浮かべていた。
「歓迎した覚えはないが……まぁ彼らよりも利口そうだし、君だけでも見ていってくれ。私の研究成果を。」
リェラを囲う防衛魔法にはその効力を大きく高めるために血を使っていた。見たところリェラには出血痕はなく、眼前の男は服に隠され痕を見つけることはできないが、それでも血を依り代に使うことは当人が生きていることを条件としているため、ランツェは男に向かって問いかける。
「この血陣はお前か。」
「ああ。」
男は隠そうともせず頷く。途端、ランツェは腕に装備していたクロスボウを男に向けた。矢は装填されているが男は焦るような素振りもせず両手をあげた。
「まぁ落ち着け。少し話そうではないか。」
「時間ない。さっさと死ね。」
「あぁそうだ。もう時間がない……これから私は旧時代の力を手にし、君はそれを見届ける名誉を貰えるのだよ。」
「旧時代?」
男は得意気に笑う。
「そう。約400年前に起きた天魔大戦。その時代が生んだ奇跡の力……、私はその力を今甦らせようというのだよ。」
「そうか。」
興味なさげなランツェの反応に白髪の男の眉はピクリと動く。
「ふむ? その様子だとあの役立たずは全て喋っているようだな?」
「ティンクトゥラは戦争時代の基本。」
ランツェの言葉にわずかに驚いたのか目を丸くし、また笑った。
「なんだ知っていたのか。その年で博学なら今日の授業はきっと素晴らしいものになる。何故ならこれから君は、目で見てティンクトゥラの製法を学ぶのだから!」
白髪の男はまるで家に友達が来たかのような浮かれ気分で続ける。
「此方においでもうすぐ月が昇る。昇ってからは時間との勝負だ! まずは――」
「生きたまま血を抜く。骨に火をつけて内部から焼き殺し、できた灰に血を流し込んで焚き続ける。半日もすれば鍋底には小さな赤い石が出来る。当時は魔力が月の満ち欠けで変化すると信じられ、満月の夜に行うこの製法が最も基本型となっていた。」
「おぉ! 製法までも知っているのかい? 君はとても博識なんだね!」
「使うものの始まりを知ろうとするのは、人間の欲求の一つ。」
手を叩いてランツェを喝采する。
「素晴らしい!! 君は将来有望な人材だ! だが、言い方はちゃんとした方がいい。それではまるでティンクトゥラを普段から使っているように思われてしまうぞ?」
「そう言った。」
男の動きはピタリと止まる。聞き間違いをしたのかもしれないと、尋ねる男の声は僅かに下がる。
「……すまない。よく聞こえなかったみたいだ。何て言ったのかな?」
「ティンクトゥラを普段から使っている。」
男は唖然とし、それから大笑いした。目の前にいる子供が顔色一つ変えずに嘘をついている。いや、彼の中では嘘ではないのだろう。博学などではなく盲信をしてしまっている子供にたいして、お世辞とはいえ囃し立ててしまったことによる自らの無責任さに呆れて笑いが出てしまったのだ。
同時に男は興味をもった。規則を重んじるプレジスだというのに盲信をしてしまった子供。あまりにも特殊な存在と話すのは初めてであり、そしてどこまでその嘘を貫けるのか。男は息を整えてこう言った。
「そうかそうか。ならばこの齢にティンクトゥラを見せてくれないか?」
ランツェは腰にあるポーチの中を探る。男はどんな偽物が出てくるのだろうと楽しみでその姿をただ見ていた。
「――ん。」
ランツェはポーチから"石"を取り出して男に見えるように掲げた。それは両指で足りる程度に小さく、中には小さな青が発光していることが一目でわかるほど透き通っていた。
男の顔から笑みが消える。
「それが君の言うティンクトゥラかな?」
ランツェは頷く。
「そうか……。君はその、"青い魔宝石"がティンクトゥラだと言うんだね?」
ランツェが持っていたのは魔法を使う際に自身から放出される魔力の肩代わりをしてくれる魔力を持った石だった。
男は消沈する。例え目の前の子供が盲信に囚われていたとしても許されない領域に足を踏み入れていたからだ。
「……君は、ティンクトゥラがどれだけ素晴らしいものか、分かっていないようだね?」
男の発言にランツェは首をかしげた。
「素晴らしい?」
「そうだ。いいかい、ティンクトゥラとは――」
と、男が自分の知識をひけらかし始めようとしたがそれはある一言で止められてしまう。
「200年前に研究が終了した物。」
男の話を遮ってランツェは続ける。
「戦争の終了後、復興の際には魔法が使われた。だが戦争によって失った魔女の数では足らず人間はティンクトゥラを作り、それをあてがった。」
「……何を言っている?」
「元々ティンクトゥラに込められた魔力など僅か。一度二度使えば壊れてる代物だというのに戦争中ではそれを問題視する者はいなかった。
戦争中に生まれた魔法イメージは魔力効率が悪く体内の魔力だけでは足らない。ティンクトゥラを使うことでようやく使える程度だったがそれでも人一人を犠牲にして使うことには変わりない。
ティンクトゥラの製法に疑問をもったのは戦争が終了してから数十年後。材料であるマナタンクが確保できなくなった人間は奴隷を代わりの材料にしたところ、同じものが出来上がった。材料に問題があることが分かった彼等は人間以外でも同じものが出来るのかを何度も実験した。
結局、生物を材料にすることで混ざりものによる阻害が出ると分かり研究はそこで終了。それが約200年前であり、その副産物によって出来上がったティンクトゥラが"魔宝石"と呼称された。」
一通り聞き終えた男が口を開く。
「……君は本当にそれがティンクトゥラの正しい歴史だというのかね?」
「三人の学者、及び過去のレポートによって書かれた著書――魔宝石の歴史。"信頼性"はある。」
途端、男の顔色が変わる。
「信頼性だと? 違う……違う違う、違う! アイツらは恐れているんだ! ティンクトゥラの本当の力を! 世迷い言を並べてバカなやつらを信じさせようとしたんだ!」
「根拠は?」
「"私"がそういっているのだ! それ以上の根拠が何処にあるという!」
まるで自分自身が望んだ展開しか待ち受けてないように言葉を並べる男に、ランツェはある言葉を思い出す。
「――盲信フェドランタ。」
「……何?」
「フェドランタ・クレイブス。自分自身でしか結果を確かめることが出来ず、結論を根拠もなく否定し続けた元学者。資格や身分を剥奪されても同じものに固着して先に進もうとしないその姿を学者達は盲信と愛称を――」
それは突然だった。
「デストラクト・ボルト!!」
男は手のひらから破壊の矢を放った。高速で向かってくる魔法にランツェは後ろに飛びはねて避ける。クロスボウを改めて向けようとすると男はまた叫んだ。
「私を盲信だと!? 貴様ごときが私を侮辱するな!!」
両手から破壊の矢が放たれる。ランツェはもう一度後ろに飛び、壁に手をついた。
「"私"を……本人か。」
乱射される魔法の矢に対してランツェは地面を蹴りあげ壁を昇って避けていく。体を捻りクロスボウを男に向けて放つがフェドランタの前で弾け飛ぶと、お返しとばかりに破壊の矢が足元を掠めていった。
「無駄だ! 私はこの両手に魔法を扱える。貴様のような魔具に頼らなければ魔法も撃てないガキとは違うのだよ!」
「リロード――、ファイア・ボルト――」
フェドランタは片方の手で破壊の矢を放ちながら、もう片方で防衛の魔法を使いランツェ放った矢を弾いていく。杖に持ち替え炎の矢を何度か撃つが、結果は変わらなかった。
「無駄だ!」
怒号混じりの叫びが破壊の矢の発射間隔を狭める。その合間を立体的にかわしていく中で反撃の体制をとろうとする。
「清める塵 全てを奪いし幻惑の――」
氷の大砲を撃つための詠唱を始めるが、それよりも早くフェドランタは両手を天から振り下ろして叫んだ。
「デストラクト・レイン!」
ランツェの周囲上空から振り落ちようとするのは破壊の雨だった。その場から逃げるように転げ回ったことにより雨が身体を貫くことは無かったものの、詠唱は中断された。
「無駄だ! 何をしようともするための詠唱をさせなければいいだけだ!」
フェドランタは再度破壊の矢を放つ。その合間を縫って今度は間合いに入れようと試みるがその前を塞ぐように破壊の雨が振り落ちる。ランツェはただネズミのように走り回ることしかできなかった。
「私を盲信だと? 盲信はお前達だ! 書かれていたものが正しいと何故言える? 大勢が納得すれば本物だと何故言える? 貴様らの正しいとはなんだ!!」
怒号に合わせるようにして矢が直進していく。
「歴史だと? 伝統だと? 下らない、下らない下らない!! 信憑性もない押し付けた物事の何処に価値があるというのだ!」
魔法による猛攻に、ランツェは壁をまるで地面のように使って危なげなく矢を避けていく。
「他人の言葉や知識にどんな信頼がある? それが本当であるとどうして証明できる? 私以外の誰が常に正しく、真実を伝えているか証明する事が出来る?」
フェドランタは魔法の手をやめた。それを見てランツェは地面へと飛び降りた。
「だから私は私が見たものを正しいと判断することにした。それのどこが盲信だと言うのだ。」
ランツェの銀色の瞳にフェドランタの姿が映るが、直ぐにヒビの入った壁や地面へと興味が映る。伸ばした手で地面のヒビをなぞるとようやくして口を開いた。
「証明。」
「……何?」
「お前が正しいと判断する物を誰が証明する? お前の証明を誰が証明する?」
「バカにしているのか? それはただの――」
ランツェは地面のヒビの上に足を置いて立ち上がる。
「正しいものは、何もない。」
足に力を込める。ヒビによって周囲の石の地面はいくらかの塊として砕かれ上空に打ちあがる。そのうちの一つを掴むとそれを男に向けて投げつけたのだ。
「何……!?」
フェドランタはとっさに両手を前にだして、魔法を使う。
「我が手に宿れ! アイス・カノン!!」
両手を使うことによって素早く作られた氷の砲弾は、飛んできた大岩を砕く。その間にランツェは杖を構えて詠唱を始めた。
「粉塵と還します黒の灰 血脈の牙 集いては命の素となる熱の力――」
「……この為か! だが遅い!」
再度ランツェを標的にしようとしたが、砕けた大岩が拳程度の大きさになって振りかかっていることに気付く。
「ぐっ! デストラクト・ボルト!」
両手から発せられた破壊の矢が隕石のように降りかかってくる岩を破壊していく。その間にランツェの詠唱は第二段階へ進む。
「合わさりますは――」
「複合魔法だと? 何をするつもりかはわからないがその程度なら、――プロテクション!」
男は両手に防衛魔法を展開する。
「大気の涙 沈黙をながるる不変 集いては命の素となる静寂の力 満たさる空の矢 射抜く物の名は――」
杖の先に魔力が集まる。生まれでた炎を取り囲む水の粒は、ぶつかり音をたてて蒸発していく。気化した空気が密集し炎を飲み込むように矢の形を形成していくとランツェはその魔法に名前をつけた。
「フォグ・ボルト。」
霧の矢はまるで火薬がはじけたような音と共に撃ちだされ一気に防衛魔法に衝突する。矢は周囲に霧を蒔いて四散したが男の周囲は霧で満たされ、なにも見えなくなる。
「これは……霧か? こんなものを何故……。」
両手を下げて辺りを見回す。包むように満たされた霧によって視界は全く役に立たず、動いてなくとも自分が何処にいるかもわからないほどだった。
「だがこんなもの、風を使って吹き飛ばせば――」
靴底が地面に擦れ自分の声が霧の中に木霊する。フェドランタはランツェの聴覚に気が付くことができなかった。
「見つけた。」
最後に聞こえた風切り音。それが首筋に振り下ろされた斧だということに気付くことができるのは、きっと自分の首が地面に転がっていることを理解したときだろう。
地面に何かがどさりと倒れる音。フェドランタはもうそれを聞くことはできない。
ゆっくりと霧が晴れる。様々なものが降り落ちてしまい瓦礫の山であふれていたが、リェラを囲っていた防衛魔法はさすがの元学者ということもあって周辺には一切の影響が出ていなかった。魔法自体は依り代をなくしたことでその役目を失っており、ランツェが近づくと同時に彼女は目を覚ました。
「……何……これ。」
「この写真の女だな。」
ランツェはポケットから彼女の写真を撮りだしそれを見せつけた。異様な光景と突然の問いかけに彼女は付いていくことはできないでいると、ランツェの興味は別の所へと動く。
「……そうか。この陣には衰弱による意識の低下に空間圧迫による内臓機能の抑圧をしていたのか。だから目が覚めなかったのか。」
ランツェは手帳を取り出し、フェドランタが書いた魔法陣を丁寧に模写していく。
「あ、あの……? あのぅ?」
「すまないが少し待て。」
「はぁ……」
魔法陣を写し終えてから、ランツェは腕章を彼女に見せる。
「プレジス・ランツェ。お前の……父、親……? からの依頼で救助にきた。」
「お父さんが?」
誰からの依頼だったか忘れていたランツェだったが、リェラの問いかけにとりあえず頷いておく。
「これからお前の町に帰る。」
「私、助かった……の?」
「ああ。要因になるものは排除した。立つことはできる?」
手を差し出す。リェラは手を取ろうとしたが直前で動きを止めた。
「私、私は……そう、だ。私の血は……」
彼女は魔術団から自身の事について聞かされたのだろう。その場にうずくまって両手で顔を隠す。
「帰れない。こんな……化け物の血……!」
自ら暗闇に逃れようとする彼女にランツェは再度手を差し出す。
「その指輪。カロンの店主が同じものをつけていた。」
「店主――、キュズ……が?」
「助けることを誓えと言ってきた。」
彼女は顔を上げる。だがその顔はどこかに喜びを捨ててしまったかのように、悲痛に歪ませていた。
「そう……そう……」
「あの様子ならお前達のことについて知っているはずだ。」
「……みんな。私が化け物であることを知っているってことよね。……それなら、私にはもう……。」
突然と聞かされた自分の正体。それはあまりにも特殊で大きな問題でありそして彼女はこの二週の間、それに対しての扱いを受けていたのだろう。しゃがんでリェラの目を見るが、その目には既に光が映っていなかった。
「帰らないのか?」
リェラは何も返さない。ふさぎ込む姿を見てランツェはある予想を伝える。
「あの町は情報の町。なら、"お前が知るよりも早くお前の事は"誰もが知っている。」
「え?」
「わかりやすく言えばあの男は"指輪を着けるよりも前に"お前のことを知っている。それが今でも指輪を着けているというのであれば、それはあの町が家族の帰りを待っているということになる。」
「……家族。こんな、化け物のことを――」
「化け物と呼ばれるのはお前の存在を否定する自称人間の方だ。お前は沢山の人に愛されている。だから俺が助けに来た。お前のことを全部知った上で、あの町は……あの男はお前を家族として受け入れることを決めたんだ。」
いつの間にか女性の瞳から力無く涙がこぼれていた。拭えば拭うほどに溢れ出る涙と感情の海に彼女は混乱し、やがて子供のように大きくわめき散らした。
「わ、わたし……わたし……!」
ランツェは再度尋ねる。
「帰りたいか? 家族のいる町へ。」
リェラは叫ぶ。
「かえりたい! かえりたいよぉ……!」
涙と鼻水でまともに聞こえはしなかったが伸ばした腕ごと掴んで離さないリェラの姿に、ランツェは不眠不休でここまで来たことへの代償をようやく受け始めながらも、仕事の終わりが近いという安堵に深く息をついた。