ある日の酒場での事
季節によって発行される依頼の量は、大きく変動する。それは獣の群れの大移動や、その時期にしか摘むことの出来ない薬草が変化するからだ。
そして、日の沈む時間が早くなる今の季節では、現獣の活動時間が変わることから大きなトラブルを引き起こしやすい。
そのため、一般の依頼とは別に協会が存在を確認した現獣の討伐公募を行うのだ。
すなわち、冒険者にとっては今が稼ぎ時であり、同時にプレジスのとっては長い休みにもなる事が多い。
だというのに今月に限って剣と斧を二つ、短剣を十二本無くし、挙げ句の果てには金属疲労による装備の新調が必要となってしまった。
無駄遣いするなよ――と、余分にもらっていた筈のランツェの貯金は、それによって十日も経たずに底をついていたのだ。
「金……」
酒場のカウンター前の椅子に腰掛け、憂鬱そうに呟く姿を見ていたモグラは、いつもよりも明るい声で返す。
「不運だと思いな。協会が間違えて、お前が潰した団の賞金を別の所にやっちまったんだ。言ったところで返してなんかくれねぇだろうよ。」
今にも魂が飛び出てしまいそうな絶望的な顔をしているランツェの頭をポンポンと叩く。
「ボーナス。」
「それとこれとは別だな。」
モグラはニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべる。その様子から少なくともモグラに対してはなにかが支払われたのだろうと思うと、どうにも納得のいかない怨めしさがランツェの瞳を据わったものにさせる。
「俺がどのくらい稼いでると思ってる。」
「俺がどれだけお前の仕事を減らしてると思ってる。そもそもプレジスには成功報酬なんて払われねぇだろうがよ。」
不毛なやり取りさえもする気力もなく、席に突っ伏す姿に呆れ声をだす。
「物を新しくしたんだろ? なら、領収書を寄越せ。経費で落としてやる。」
「あれは俺の買い物。プレジスには関係ない。」
「バカ言え。プレジスとしてなら生きるって理由だけで全部必要経費だ。お前は裸で龍を殺せるか?」
何も言わず頭を揺らす。真剣に悩んでいるランツェの何時もの仕草に、大きくため息をついた。
「挑戦しようとすんな。お前の尺度じゃなくてそこで飲んだくれてる奴等が龍を殺すと思え。」
中央の大型テーブルで下品に酌み交わす冒険者達を顎で指し示す。どこか見慣れたような呆け顔が酒で更に台無しになり、今この場で龍が現れたらと考えると答えは直ぐに出た。
「アメルキス国の撃龍艦が一隻?」
「だろ? 小さい村なら買える程度の費用なんてプレジスが……ましてやお前がやると考えれば安いもんだ。」
モグラの顔つきが僅かに強ばり、彼の鬱陶しい無精髭が逆立つ。
「そもそもプレジスなんて金を稼ぐ為じゃねぇ。正義の味方って訳でもねぇし、それはお前が一番わかってんだろ?」
「プレジスは元々善意で始めた事。組織化された今であっても、プレジスの行動は善意で行われる必要がある。」
「だったら経費で全部落とせ。その善意を続けたいならなおさらな。」
モグラの目は僅かな殺意を感じ取れるほどに真剣だった。ランツェはそれに押されるように頷く。
「……ん。なら今後はモグラの名前で領収書を切る。」
「店の名前で領収書作れ。俺のポケットを使うな。」
「店。……?」
ランツェは辺りを見回す。モグラはそのしぐさの意図を直ぐ様理解し、声を荒らした。
「お前まだ店の名前覚えてねぇのか!?ア・ナ・グ・ラだって言ってんだろ!?」
店の中に響く怒号にランツェはどの感情もない表情のまま――
「覚えづらい。」
火に油を投げ入れたのだ。
「四年も働いててそれか!? お前にはその程度なのか?!」
「モグラ屋さんはだめ?」
「いいわけねぇだろ!! というかお前この間も店聞かれた時にそう言ったって聞いたぞ!?」
「……? いつ。」
「東側の店で所属店を聞かれたんだろうが!!」
口を開けたままない記憶を辿る。本人からしたら真剣なのだが、モグラにはふざけてるようにしか見えなかった。
「お前なぁ……、もうちょっと仕事以外のことも覚えとけよ……」
「努力する。」
「努力の必要ねぇだろうが?!」
「覚えたくない。」
「だからって本音だすんじゃねぇ!!」
主に響くモグラの怒号による喧嘩に、最早これは恒例行事なのだろうかと、テーブルから彼らの様子を見ていた冒険者が呟く。
言ってやるな、と別の冒険者が呟いたところでその男が助け船のように大きく声を出した。
「おーい嬢ちゃん!! 酒のおかわりをくれぇ!!」
ランツェは直ぐに声の方を見て、場所と人数を確認する。
「モグラ、エール6。」
「あー? ……ちっ。まぁいい、今は仕事しとけ。」
男の声を皮切りに、他の客もいつもの要領で注文する。
「嬢ちゃん! こっちもエールくれ!」
「こっちは酒と肉だ!!」
「追加でエール4。黒エール2とラブリック豚の堅焼き。」
酒樽から最初に注文を受けたエールを木製のジョッキに注ぎ終えるとランツェの頭を撫でる。
「残りのエールはお前で用意しろ。俺は肉を用意してくる。」
軽く頷いたのを確認し奥の厨房へと姿を消す。
ランツェは注がれたエールで両手一杯にしてテーブルへと運ぶ。
挨拶も直ぐにカウンターまで戻り、途絶えぬ注文を聞き漏らすことなく対応していき、モグラに頼んだ料理の状況を報告する。
「はいエール2。そっちは黒含めて4つ――、豚はあと7分くらい、何か用意する?」
「あんがとよ嬢ちゃん。今日のナッツは?」
「今日はクグミとカルシュ。」
「おっ、クグミかぁ! あの皮の苦味好きなんだよなぁ。頼むわ。」
「ランちゃーん! こっちもこっちも!!」
別の冒険者が注文を分かるようにアピールする。
「他に欲しい奴?」
結局全てのテーブルがナッツを求めたために、一つ一つ用意するのをやめ、ナッツが入った樽を片手で軽々と運び始めた。
「はい、ナッツ。」
「おーっ! まぁーた面白いことするねぇ嬢ちゃん!」
もう片方で運ぶ受け皿をテーブルに置き、雑に樽の中身を出しながら「楽。」と答えると、店内が笑い声に包まれた。
最後に中央のテーブルにナッツを置いたところでランツェの動きがピタリと止まった。
その表情は、常連なら何か考え込んでいると気づくほど、わかりやすいものだった。
「……ん、どっした嬢ちゃん。」
先程二人の間に割って入った能天気面の大男が尋ねる。
「どうして俺を嬢ちゃんと呼ぶ?」
「あー? そんなん決まってんだろ?」
エールをのみながら大男は軽快に話す。
「飯はうまいし安い! ただなぁ……それを切り盛りしてんのは男二人、もっといやぁお前がいること事態がレアケースだったりするだろ?」
「レアアース。」
聞き返すと大男の対面にいた細身の男が答える。
「そうそう! こんだけむっさいと正直どうしようか悩むが……お前は顔は女っぽいし、酒がある店は女が欲しい! だったらせめて気分だけでも女がいる感じにしようぜってな!」
「おい、むっさいって俺達のことかよ!」
隣のテーブルからヤジが入り、店全体から笑い声が溢れる。ランツェは頭を悩ませながら問いかける。
「この店は女が足りないのか?」
「別に美人とか可愛い娘が欲しい訳じゃねぇんだよ。ただ、いるのが嬉しいーっつうか? 華やかさが欲しいんだよ。」
「華やかさ?」
「そう! とにかくフリフリ服を着た娘が料理を運ぶ姿が見たいってだけなんだよ!」
ランツェは「……ふむ。」と考え込みながら返事を返すと、後ろの方で話を聞いてた冒険者が思い出したように声を出す。
「華があるって言えば大将の奥さんだよなぁ。」
「あー、クリエさんかぁ……あれだけ綺麗な人は逆に緊張するだろ?」
「まぁな……そういや、嬢ちゃんっていつここに来たんだっけか。たしかクリエさんと一緒に来たような気がするんだが……」
と、男の一人が記憶の隅をつつこうとしたときだった。
「おいランツェ! 堅焼きあがったぞ!!」
カウンターの奥から出てきたモグラは、大きな豚の乗った皿を片手に呼んでいた。
「ん。じゃあ。」
「おうよ。」
軽く会釈し、ランツェはカウンターの方へと戻る。その後、料理を出した辺りから更に店が混み始め、その日は閉店までホールの仕事を続けることになった。
「モグラ。」
「なんだ?」
「俺が女装をすれば店は華やかになるのか?」
「……頼むから止めてくれ。」