《刑事課長・朝見陽一の事件簿》 第三話 義を果たす者
《刑事課長・朝見陽一の事件簿》
第3話 義を果たす者
義を果たす者1;プロローグ
2013年7月14日の夕刻 東京有楽町の喫茶店・ゴッホ
夕方6時過ぎに桜田門の警察庁庁舎を出た朝見陽一は皇居外苑のお堀端をJR有楽町駅方面に歩き、喫茶店・ゴッホに入った。
ウェイターにコーヒーを頼んでから、1996年7月14日の祇園祭宵山の夜に京都で発生した暴走族によるひき逃げ死亡事件の事を陽一は思い出していた。
それは京都と奈良を結ぶ国道24号線、俗に竹田街道と呼ばれる道路の伏見区内の交差点区で発生した。そして、ひき逃げをした暴走族のリーダーだった男は年が明けた1997年の1月1日の未明に殺された。暴走族のリーダーを殺した犯人は逮捕されていないままであった。
「今日、7月14日は祇園祭の宵山が始まる日だな。あれから17年が経過したのか・・・。2010年4月27日までに公訴時効が成立していない刑事事件で最高刑が死刑に相当する殺人事件の公訴時効が廃止された。国会での議案が可決した2010年4月27日、その日に公訴時効延長が公布・施行された。しかし、2005年1月1日から施行された刑法等の一部を改正する法律では、従来は15年だった時効期限が25年に変更されていた。したがって、『2010−25=1985』年4月27日以後に発生した殺人事件については公訴時効が無期限となると云う事だったと考えられたが、『2005−15=1990』年以前に発生した殺人事件では2005年時点で時効は成立しているから、1990年1月1日以後に発生した殺人事件の公訴時効が無期限となると判断された。いずれにしても、地方自治体の警察本部では対応する捜査本部の人員配置が難しく成った。タダでさえ必要経費が乏しい地方の警察本部の苦労が倍増した。そして、初動捜査の精度がますます重要になった。」と思った時、朝見陽一は店内に流れていた有線放送の楽曲が変わったのに気が付いた。
「確か、この歌曲はTHE JAYWALKの『君の声が聞きたくて』だったな・・・。作詞はリーダーの知久光康。作曲はボーカルを担当していた馬渕英将とか云ったな。道玄組と堺連合が打合せ場所にしていたクラブ『C』で張り込んでいる時、ステージでJAYWALKが歌っているのをよく聞いたな。」
♪・・・・・・・・・・・・・♪
♪変わっていく景色に消えた恋♪
♪・・・・・・・・・・・・・♪
♪俺の知っている君が 俺の知らない君になり♪
♪・・・・・・・・・・・・・♪
♪あの日見上げた空の下で♪
♪・・・・・・・・・・・・♪
♪たとえどんなに年月が 矢のように流れようと♪
♪・・・・・・・・・・・♪
♪あの君でいてほしい あの君を消さないで♪
♪・・・・・・・・・・・♪
♪唇に触れてるみたいに♪
♪胸の奥に君の声が聞こえてる♪
♪・・・・・・・・・・♪
♪同じ空見上げて 並んで♪
♪・・・・・・・・・・♪
♪織りなす景色の絵の中に小さく♪
♪描かれた二人を見つけたよ♪
♪君と 俺を♪
「そして、その後の数年間に、全国で同じような殺し方をした殺人事件が3件あった。しかし、あれは本当に不思議な体験だったな・・・。」と京都府警にいたころの殺人事件を陽一は思い出していた。
義を果たす者2;ひき逃げ事件
1996年7月15日の午後9時ころ 朝見陽一の自宅
二人の子供を寝かせた朝見陽一と和子夫妻がTVのニュース番組を見ている。
「7月14日の午後11時50分ころ 竹田街道・伏見深草の交差点で
青信号で国道24号線を横断していた歌舞伎役者の市川團七朗こと常盤三郎さん29歳がひき逃げされて死亡しました。市川團七朗さんは路上に跳ね飛ばされて頭部を強打した模様です。病院に運ばれ緊急手術を受けました頭蓋骨折で本日、朝11時頃に死亡が確認されました。
市川團七朗さんは京都南座で行われている『鬼一法眼〜魔境奇談〜』の夜の部の公演に主演されており、公演終了後、伏見深草の交差点近くにある自宅のマンションへの帰宅途中に事故にあったものと警察では判断しています。
轢き逃げ犯はそのまま逃走しまたが事故の目撃者はいなかった模様です。
事故当時、暴走族『鴨南連合』の乗用車やオートバイが暴走行為を行っていたのが近隣の住民によって目撃されていますが、その車に跳ねられたかどうかは不明です。なお、『鬼一法眼〜魔境奇談〜』は人気が爆発して一年前からのロングラン公演が続いていましたが、市川團七朗の死亡で公演は中止されることになりました。」
「私、この前に南座でこの歌舞伎を見たばかりよ。」と和子が言った。
「おもしろかったかい?」と陽一が訊いた。
「ええ、面白い演技をされていたわ。」
「それは良かった。」
「あなた、やはり暴走族が犯人なの?」と和子が陽一に訊いた。
「さあね。これからの捜査一課の捜査によってそれは判明するだろう。事故現場に残されている自家用車の塗料片などから車種が判明すれば、犯人の特定に結び付く可能性は十分にあるが・・。」と陽一が言った。
しかし、警察は道路交通法第68条の共同危険行為等の禁止違反及び傷害致死容疑で暴走族を任意で取り調べたが、人を跳ねた形跡がある証拠車輌を見つけることが出来ず起訴に持ち込めなかった。『鴨南連合団』のリーダーである関山幹太郎をはじめ団員たちもひき逃げを否定した。暴走族は陸運局に登録されていない車輌を運転していることが多く、どこかに運んで処分したと判断した警察は、京都周辺にある廃車を分解し裁断処分する工場などを調査したが発見には至らなかった。その後も捜査活動は続けているが事件当初に比べて専任の捜査員は縮小された。
義を果たす者3;殺人事件
年が明けた1997年1月1日の午前5時過ぎ 円山公園
冬の午前5時ころはまだ暗い。
円山公園は祇園八坂神社の東に接してある散策用の公園である。公園と八坂神社の間には神宮道と呼ばれる北へ向かう通りに出られる通路がある。また公園内には食事ができる料亭などもある。春には大きなしだれ桜が花を咲かせるので有名である。
四条東山にある祇園八坂神社に『おケラ参り』をして、神社で貰った火縄をクルクル廻しながら帰宅の途についていた夫婦二人が円山公園前の通りを北に向かって歩いている時であった。
『おケラ参り』とは、正月に御雑煮を煮焚きするための火種とする火を貰らうために八坂神社に参拝することを謂う。1mくらいの長さの細い縄を神社境内の露店で購入し、邪気を払うとされる乾燥植物『おけら』を焚いた神前の篝火から火を縄に移して家に持ち帰るのである。
『おけら』はキク科の多年草で正月に飲む『お屠蘇』酒に入れる生薬の一つとして使われる。
「ギャー」と云う喚き声が公園内の暗がりから聞こえてきた。
声のした方向に歩いて行った夫婦は外灯から少し離れたところのやや薄暗い所で血を流して倒れている男を発見した。そして、神宮道通りに出た所に在った公衆電話ボックスから110番に通報をした。
1997年1月1日の午前6時30分ころ 円山公園
空に青みがかかり始め、やや明るくなってきた。
刑事たちが鑑識課員たちの現場検証に立ち会っている。
「凶器は日本刀か肉を切る長めの包丁と思われますが、斬り口の鋭さから見て日本刀でしょう。私も居合稽古を遣っておりますから判ります。厚手のジャンパーの上から確実に背中の肉を切り裂いています。犯人はかなりの手錬と思われます。」と検死官が言った。
「刀剣が凶器か?」
「背中を上段から斬りつけ、返す刀で膝の後ろ側を斬り上げ、仰向けに倒れた被害者の心臓を一突きで刺殺したと思われます。被害者は倒れた際に後頭部を地面で打っていますので頭から少し血が出ています。しかし、被害者は心臓を刺されたショックで即死したものと思われます。直腸内の体温から推定して、死亡時刻は1時間から2時間前くらいです。犯人は多少の返り血を浴びたと思われます。」と検死官が言った。
「『ギャー』という声を聞いた第一発見者が110番通報してきたのが午前5時過ぎだった。その少し前くらいに心臓を刺されて死亡か・・・。」と捜査一課の遠藤係長が呟いた。
「第一発見者の夫婦の話では、気のせいかも知れんが少し離れた所にもう一人誰か倒れていたように思ったそうです。しかし、公衆電話ボックスから110番通報して戻ってきたらその人物はいなかったそうです。」と山口刑事が言った。
「何処に倒れてとったんや?」と遠藤係長が訊いた。
「この遺体から4、5メートル離れたこの辺やったらしいです。」
「それは男か、女かどっちや?」
「さあ、暗かったんと、慌ててたんとで男か女か判らんかったそうです。黒っぽい服を着ていたような記憶があるそうです。」
「そうか・・・。そいつが犯人か、それとも被害者の知り合いで関わりになるのが嫌やったのか・・・。」と遠藤係長は考えるように呟いた。
「係長、この男の顔に見覚えがおます。」と藤田刑事が言った。
「誰や?」と遠藤が訊いた。
「暴走族『鴨南連合』のリーダーの関山幹太郎です。」
「去年の夏の歌舞伎役者ひき逃げ事件の暴走族か・・・。」
「殺しの動機は暴走族の内紛か、誰ぞの恨みでっしゃろか? それとも暴力団からみの・・・?」と刑事になって2年が過ぎた若い藤田刑事が言った。
「まあ、そう慌てるな。藤田、初動捜査を間違えたらあかんで。捜査は慎重かつスピーディに対応することが肝心や。」
「はいな。判ってまんがな、係長。」
「ほんまか・・・?」
義を果たす者4;美濃屋竹山楼
1997年1月3日の午後1時半ころ 三条粟田口上ルにある京懐石料亭・美濃屋竹山楼
南禅寺近くの橘別邸の庭園散策をした後、朝見夫妻と橘徳七は三条粟田口上ルにある京懐石料亭・美濃屋竹山楼で昼の懐石料理を食べている。
22畳の畳敷きの中広間に4人掛けのテーブルが12セット設置され、家族連れや夫婦などが食事を楽しんでいる。テーブルを2台接しておいたテーブルには6人家族が座っている。
「本日は美しい御庭を拝見させていただきありがとうございました。お正月の良い思い出になりました。」と朝見和子が言った。
「むさい庭でしたが喜んでいただけたのなら、私もご案内した甲斐がありました。」
「本当に心が洗われました。ありがとうございました。」と朝見陽一が言った。
「まあ、礼などそのくらいにして、食事を楽しみましょ。」
その時、3人が座っている座席の横に立った50歳前後の男性と20歳代と思われる女性が橘徳七に挨拶をした。
「橘様、あけましておめでとうございます。」と男性が立ったまま会釈をしながら言った。女性は会釈だけをしている。
「ああ、三条はん。おめでとうさんどす。親子でお食事どすか?」と徳七が言った。
「ええ。いま、食事を終えて帰りがけどす。御客様どすか?」と朝見夫婦を見て男が言った。
「そうどす。お願い事でお世話になる方どすよって、食事にご案内したところどす。」と徳七が言った。
「そうどすか。おめでとうさんどす。」と男が朝見夫妻に向かって会釈した。
「これはどうも。あけましておめでとうございます。」と席を立ち上がって陽一と和子が会釈した。
「食事のお邪魔になったらいけませんよって、ご挨拶だけでお先に失礼させてもらいます。」と親子は会釈した。
「これは、どうも。」と徳七が座ったままで言った。
そして、父娘は出口の方へ向かって歩いて行った。
「あの方はどなたですか?」と陽一が徳七に訊いた。
「粟田口派の刀鍛冶で三条虎蔵と云う御方どす。数年前に刀剣を作って頂いた方どす。美しい日本刀を作ってもらいました。刀剣に彫られた銘は寅光どした。十二支の寅に光と云う字を書きます。光は歳月を意味しますから、寅年生まれの刀鍛冶と云う意味ですかな。そう云えば娘さんも寅年生まれとか言うてはりましたな。」
「寅年親子の三条さんですか・・。」と陽一が呟いた。
「三条粟田口の交差点から南に3分くらい歩いたところにご自宅があります。鍛治場はご自宅の敷地内にお持ちどす。」
「最近は刀鍛冶の方も少なくなったと聞いていますが、お弟子さんは居られるのですか?」
「いえ、お弟子さんは居はらしませんので、虎蔵さんの代で刀鍛冶は終りにするそうどす。寂しい事どすわ。」
「相槌を打つ方はどうされているのですか?」
「大刀を打つ時は岐阜県関市の刀鍛冶の方が手助けに来られるようどす。関市の刀鍛冶の方はこの美濃屋竹山楼の御主人が紹介したそうどす。小刀の場合は娘さんが相槌されているようどす。」
「力持ちの女性ですね。」
「槌を振るのにはコツがあるそうで、それほど力は要らないそうどす。体力は必要でしょうがね・・・。」
「コツですか・・・。」
「まあ、朝見はん。奥様も居られる事ですから、刀剣の話はこれくらいにして料理を楽しみましょか。」
「はい。そういたしましょう。」
義を果たす者5;捜査会議
1997年1月3日の午後1時半ころ 京都府警本部・「円山公園殺人事件捜査本部」
「遠藤係長、被害者の事件当日の足取りを説明してくれるか。」と指揮を取る捜査一課長が言った。
「関山幹太郎は12月31日の午後10時ころに住居であるマンション『キャッスル桃山』を出ました。これは、マンションの玄関にある監視カメラの記録映像で確認しました。『キャッスル桃山』は伏見区西町におます。それから、京阪電車の丹波橋駅から乗車して祇園四条駅で降り、河原町通りにある喫茶『古城』で暴走族のサブリーダー若月君雄と午後11時から打ち合わせをした後、祇園南にある建仁寺で暴走族仲間と年越参拝で除夜の鐘を撞きに行ったようです。その後、午前1時から寺町通りにある居酒屋『おぼろ』で団員たちと酒を飲んで、午前4時頃に解散し、団員たちと別れてます。その後の動きは判っとりませんが、午前5時頃に円山公園で刺殺されたことになります。以上の事は、サブリーダーの若月君雄から聞いた話どす。」
「若月は関山からどこそこへ行くとかを聞いとらんかったんか?」
「若月いわく、たぶん女の処へ行ったんとちゃうかと云う事どした。」
「女いうて誰や?」
「若月も知らん女らしいどす。最近に見つけた女がいるらしいどすわ。」
「その女が、関山の遺体のそばで倒れていたんとちゃうのか?」
「その判断はできません。」
その後、捜査員たちとの質疑応答が行われた。
そして、捜査一課長が捜査方針を話した。
「それでは、『鴨南連合団』と『北山極道一家』の暴走族どうしの抗争の筋を洗うグループと『鴨南連合』が暴力団の縄張りを荒して報復を受けたと考える筋を洗うグループに分けて捜査を進める。各位の所属グループは配布した表を確認してください。何か質問は?」
「はい、遠藤です。関山幹太郎に対する個人的な恨みからの犯行とする筋は考えないのですか?」と遠藤係長が訊いた。
「遠藤君。それが気になるか?」
「はい。」
「そうか。私は暴走族どうしの抗争の筋を洗う線から縁恨の筋が見えてくると考えているが、それやったら、藤田刑事と君で個人的な縁恨の筋に絞って追っかけみるか?」
「はい。お願いします。」
義を果たす者6;捜査1
1997年1月3日の午後2時ころ 京都府警本部・捜査一課室内
「係長、どっから手を着けますねん。」と藤田刑事が訊いた。
「そら決まっとるがな。『鴨南連合』の奴等からリーダーの関山幹太郎に関する情報を集めるこっちゃ。それと、関山が過去に起こした傷害事件や婦女暴行事件が無いかを調べるこっちゃ。」と遠藤が言った。
「それは判りますが、具体的にはどう行動するんでっか?」
「まづは捜査一課から捜査4課までの過去の事件記録を調べることや。それから、さっきの捜査会議で配布されたこの『鴨南連合』のメンバーリストに載ってる奴から順伴に話を聞きにいくのや。傷害事件や婦女暴行事件があったら、それがどんな状況で行われたのかなどを訊き出すのや。まずは、そこからやな。」と遠藤は左手に持っているA4サイズの資料を右手で叩いた。
「そしたら、これからこの表の一番上に名前がある青木五郎の住所へ行きましょか?」
「まあ、まて。全員の住所をチェックして、どの順伴に行ったら効率的かを決めてから動くんや。」
「なるほど。係長、頭よろしおますな。」
「あほ。そんなん当たり前やろ。藤田、しっかりしてや。」
「はい。」
義を果たす者7;組織犯罪対策1
1997年1月4日の午前10時過ぎ 京都府警本部・組織犯罪対策国際課の室内
遠藤係長と藤田刑事が朝見陽一と話している。
「朝見課長、そう云うわけどすから当分の間お手伝いはできませんので、ご了解下さい。」
「はい。承知いたしました。祇園界隈の問題は私だけで対応します。円山公園殺人事件に専念して、良い成果を上げて下さい。」
「ありがとうございます。」
「ところで、初動捜査の方針は決まったのですか?」と陽一が訊いた。
「はい。3本立てどす。」と遠藤が言った。
「その3本とは?」
「暴走族間の抗争、暴力団からの報復、個人的な縁恨どす。」
「暴走族間の抗争とは?」
「京都市北部を縄張りにする『北山極道一家』と京都府南部の『鴨南連合団』とのいざこざですわ。」と藤田が言った。
「『鴨南連合団』と云えば、昨年の夏にひき逃げ容疑があった集団ですね。」と陽一が言った。
「はい。そのリーダーの関山幹太郎が殺された被害者です。」
「それは新聞で読みました。『北山極道一家』と云うのは?」
「北山通りや白川通り、岩倉の国際会議場周辺を縄張りにしとる暴走族どすわ。8、9年前にひき逃げ事件を起こした時のリーダーが4年前に監獄から出所したんどすが、すぐに首つり自殺しよりました。新しくリーダーになった山田卓郎と云う奴が策士で『鴨南連合団』にいちゃもんを着けよりまして、二つの集団で抗争が続いとります。『鴨南連合団』に警察が捜査の手を入れて弱体化することを狙ったようどすが、警察が動かんもんどすから、自分らで始末をつけるつもりの様どすわ。」
「どのような言い分なんですか?」
「山田いわくどすが、前のリーダーだった坂崎研二は自殺したのではなく、『鴨南連合団』に殺されたと言い張っとります。」
「理由はあるのですか?」
「坂崎が出所してきた時、『これからもガンガン走りまくる』と息巻いていたそうどす。そんな人間が自殺する訳が無い、と云う事どすわ。それと、坂崎が首を吊った場所の周辺で鴨南連合団のジャンパーを着た人間がうろちょろしていたと云う訳ですわ。」
「それは事実なのですか?」
「一課で調査しましたが、そのような目撃情報はありませんどした。」
「首を吊った場所は何処ですか?」
「鞍馬から花背へ抜ける街道沿いの山林の樹木で首を吊っとりました。道路脇には坂崎のオートバが転がっとりました。」
「遺書はあったのですか?」
「いいえ、おませんどした。ただ、囚監中にノイローゼの症状を呈したことが度々あったとの情報で、捜査一課では自殺と云う結論になりました。軽いうつ病との診断だったようどす。」
「そうですか・・。」と陽一は考えるように言った。
「こんなところでよろしおすか?」
「あっ。ありがとうございます。お二人とも捜査を頑張ってください。」と陽一が言った。
「ちょっと朝見課長はんのご意見をお聞きしたい事があるんどすが、よろしいおすか?」
「はい。何でしょうか?」
「第一発見者の証言では円山公園の殺人現場に、被害者から4、5mくらい離れて処に人物が倒れていたそうなんどすが、110番通報して現場に戻った時にはその人物の姿が無かったと云う事どした。この姿を消した人物が殺人犯人と考えた場合、何故に現場に倒れてとったんどすかな?」
「殺人犯が現場に倒れていたのを第一発見者が目撃していたのですか・・・?」
「いえ、犯人とは限りませんが、犯人と仮定して、と云うことどす。」
「うーん、そうですか・・・。被害者は日本刀で刺殺されていたのですよね。」
「はい、その通りどす。」
「発見した現場は暗がりだったのですよね。」
「はい。朝の5時過ぎですから、まだ暗かったようどす。」
「犯人としては、確実に絶命しているかを確認したかったたが、確認しようとした時に第一発見者が姿をみせたので、慌てて倒れているふりをして身を隠したつもりだったのではないでしょうか。そして、第一発見者が現場を離れた時に死亡を確認してから逃走したのではないでしょうか。」
「なるほど。死んだかどうかを確認するために現場に残っていた訳どすか・・。度胸のある奴どすな。」
「昔の戦場などでは、死にそこなっている相手の武士や兵士に止めを刺したと謂います。それが武士の情けだったのでしょう。今回の場合は、犯人が被害者と顔見知りであったので確実に死んでいないと犯人が判ってしまうと思ったのかも知れませんね。」
「顔見知りが犯人どすか・・・?」
「あくまでも、一つの推理で、可能性です。」と陽一が念を押した。
「はい。一つの可能性ですね。初動捜査に役立てます。」と藤田刑事が勢い込んで言った。
「おい、藤田。そんなに焦るな。」と遠藤がたしなめた。
「焦っとるとちゃいますがな。係長、初動捜査方針の一方向性が判ったんと云う事ですがな。」
「まっ、それはそうやが・・・。」と遠藤が呟いた。
「それでは課長はん、これで失礼させてもらいます。」と遠藤が言って、遠藤と藤田は部屋を出て行った。
「さて、遠藤さんと藤田さんは充てに出来ないとなると、祇園祭の山鉾巡行の順番騒動対策には私ひとりで動くしかないですかね。さて、どう動きますかね・・・。表面上は山鉾巡行の順番騒動だが、裏では暴力団の縄張り争いが関係しているとなると厄介だな。まずは、祇園甲部を縄張りとする会津虎徹組と会津山城会の動きを調べるとして・・・。そして、京都の的屋に影響力を持っているとされる神戸・山菱組の動きを確認する方法は・・・。山菱組と関係がある会津山城会に出入りしていた『東山的屋会』を調べる必要があるな。的屋が関係すると云えば、渋谷中央署の足立刑事の話では東京の堺連合も京都進出を狙っているようだが・・・。ホストクラブ『桜』の滝口徹が殺害された事件は堺連合の京都進出が関係しているのだろうか?警視庁に協力依頼が必要になるかな・・・。ホストクラブ『桜』がある祇園東を縄張りとしているのは大津組だったな。大津組は堺連合と関係があるのかどうかだが・・・。さてさて、山菱組と堺連合の争いに首を突っ込む事になるのかどうか・・・。単刀直入で行くのが一番無難かな・・・。」と朝見陽一は考えを巡らせた。
そして、会津山城会に電話を掛けた。
「はい、山城商会。」
「京都府警本部の朝見と申します。会長の山城誠一さんはいらっしゃいますか?」
「京都府警が何の用や?」
「会長さんにお願したい事がありましてお電話しました。」
「ちょっと待っとれ。」
暫らくして、会長が電話に出た。
「会長の山城です。」
「京都府警本部の朝見と申します。」
「朝見はんどすか。それで、私に何の用事どすか?」
「祇園祭の山鉾巡行の順番の件で御相談があります。」
「警察がそんな事にちょっかい出すんどすか?」
「いや、都市の安全維持も警察の大切な役割です。」
「そうどすか。それで、どんな相談どすか?」
「この電話ではお話しできませんので、そちらの事務所にお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「よろしおます。それで、何時に来はりますか?」
「一時間後ではいかがですか?」
「よろしおます。どうぞ。」
「それでは、11時頃にお伺いします。」
義を果たす者8;
1997年1月4日の午前11時過ぎ 九条大宮近くの会津山城会事務所
九条大宮近くにある『山城商会』と看板の掛った3階建ての小さなビルが会津山城会事務所である。その事務所の3階にある応接室のソファに朝見陽一と山城誠一と組員二人が話している、
「組織犯罪対策国際課の課長はんどすか。うちの者の話では、以前にもこの事務所に来はったそうどすな。」と山城誠一が朝見陽一の名刺を見ながら言った。
「ええ、あれはこの近くにある竹中産業の様子を見に来た時でした。藤田刑事が警ら巡査時代にお世話になったそうで、有難うございました。」
「そうそう、あれは竹中産業の拳銃の密輸事件の時どしたな。しかし、組織犯罪対策のあんたはんに礼を言われようとは思わなんだわ。まあ、治安を守る警察官にお茶くらい出すのは善良な市民のお役目でどすよってな。」
「ありがとうございます。」
「それで、山鉾巡行の順番の件でお願いがあると云う事どすが、どう云う事どすか?」
「国際観光都市・京都の安全確保のお願いです。」
「それと山鉾巡行の順番がどのように関係するんどすか?」
「現在、長刀鉾などの数基の鉾については順番が固定され、他の鉾はくじ引きになっています。しかし、くじ引きではなく、すべての山鉾巡行の順番を年ごとに持ち回り順に変更する要請が山鉾を所有する町内会から提出されているとの事です。」
「それが京都の安全確保にどう問題があると云うのどすか?」
「町内会を裏で動かしている暴力組織があると私の調査で判って言います。誰とは申しませんが、祇園界隈の町衆の方々が心配されています。」
「この『山城商会』が裏で動いているとでも言いはるんどすか?」
「そうではありません。祇園界隈は会津虎鉄組と会津山城会が縄張りとしている地域です。」
「祇園の町内会は山鉾を持っとりまへんで、課長はん。そやから、我々が山鉾巡行の順番に文句言うことはあらしまへん。まあ、花傘巡行では花街踊りを舞いますがね。」
「それは承知しております。今日、ここにお願いに来たのは、裏で動いている組織に関する情報をお持ちではないかと云う事で、ご存知なら教えていただきたいのです。特に、縄張り争いに関係する組織の動きを知りたいのです。神社やお寺の縁日に出店する的屋組織の縄張りに関係することでもいいのですが。」
「そう云う事どすか。それやったら、祇園東の大津組の『島』どすな。東京の堺連合が祇園東を狙ろとります。堺連合は滋賀県にある高城組を傘下にして京都進出を狙とるんどすわ。祇園東にあるホストクラブのホストが東京で殺されたのも大津組と堺連合の戦やと云われとります。」
「どういう事ですか?」
「殺された奴は『桜』と云うクラブのホストやったんどすが、大津組から依頼されて堺連合の動きを調べに行きよったとの噂どす。それを見破られて殺されたと云う事どすわ。あくまで噂どすがね。」
「噂ですか・・・。」と陽一が呟いた。
「そのクラブ『桜』のオーナーと大津組の関係は深いのですか?」
「さあ、どうどすかな・・・?よう知りまへん。」
「そうですか。」
「こんなとこでよろしおますかな。」
「やはり、山城会としても堺連合の動きは阻止したいですよね。」と言って陽一は山城誠一の顔色を窺がった。
「まあ、よその『島』でも祇園ですから、気になりますな。ドンパチ撃ち合でも起こらんに越したことはあらしませんどすからね。警察から堺連合によう言うといてくださいな。」
「神戸の山菱組はどうですか?」
「現在のところ、山菱組は京都にはちょっかいは出さんと言うとります。まあ、組長が変わるとどうなるかは判らんどすがね。それで、堺連合が京都の的屋を動かして、祇園祭連合会に影響力を持とうと動いとりますんかいな?」
「それはどうですかね・・。これからの調査活動で判ってくると思いますが・・。いや、本日はありがとうございました。」
「どういたしまして。おい、客人はお帰りや、出口までお見送りせい。」
会津山城会のビルを出た朝見陽一は竹中産業ビルの方向に歩きながら考え事をしていた。
「ホストクラブ『桜』のオーナーは『平安土建』の社長の上村雄一郎だったな。そして京都市会議員の玉木茂蔵を支援していると云うことであった。玉木市議の地盤は丹波篠山地区だったな。玉木市議に会って見るか・・・。それと会津山城会の企業舎弟である雑誌社『鳥羽出版社』の雑誌『京都フォーカス』の汚職記事の件に対する意見を聞くとするか・・・。」
義を果たす者9;
1997年1月4日の正午過ぎ 九条大宮近くの竹中産業ビル近く
朝見陽一は物陰から竹中産業ビルの入口を40分程度見張っていた。
「あれは新しく社長になった菊川信司だな。」
菊川は竹中産業ビルの前にとまった黒塗りの乗用車に乗り込んだ。
「和泉ナンバーか。大阪から来た車とすれば、大阪の暴力団『龍昇会』の組長が隠れている処へ行くのかも知れないな。尾行するか。タクシーは居ないかな・・。」と思って陽一は道路を見渡した。
その時、一台の乗用車が陽一の前に止まった。
「課長。急いで乗ってくれ。」と、車を運転席に居る会津山城組の八坂が言った。
朝見陽一はその車の後部シートに乗り込んだ。
車は和泉ナンバーの黒塗り乗用車の尾行を始めた。
「君は八坂さんだったね。」
「覚えてはりましたか。」
「記憶力は良い方でしてね。」
「それはどうも、お見それしました。」
「ところで、竹中産業を見張っていたのですか?」
「会長の命令ですわ。」
「そうですか。山城組も龍昇会の動きを気にしているのですね。」
「当たり前やがな。大阪の暴力団に京都を荒されて黙っとれまへんで。」
「まあ、そうですね。」
「それから、組長が『これは噂や』と言うたやろ。」
「はい。そのようにおっしゃいましたが、それが何か?」
「儂等、やくざ者の世界では、『これは噂や』と云う事は、『俺がしゃっべったんやない』と云う意味ですわ。そやから、警察へ帰っても『組長から聞いたとは言わんといてくれ』ということや。そのことを誰ぞが聞いてどこぞの組とトラブルになるのはゴメンやさかいにな。警察の中に大津組や堺連合のスパイが居るかもしれんからな。」
「成程、そう云う事ですか。承知しました。」
「判ったらええわ。ちょっと黙っといてもらえまっか。尾行するのに気が散るよってな。」
「これは、すいませんでした。」
黒塗り乗用車は京都南インターから名神高速道路に入り名古屋方面に走り続けた。
そして、彦根インターを出た。
「彦根か・・・。」と八坂が考えるように呟いた。
「彦根には何があるのですか?」
「彦根は高城組の本部がある処ですわ。」
「高城組とは堺連合の傘下の?」
「そうや。この辺の的屋に顔が効くよって、堺連合が目つけよったんや。大津市内にも事務所をもっとるから大津組も気をもんどるわ。しかし、この道は本部のある彦根市街から離れる方向やが、あいつら何処に行く気かいな。」
「龍昇会の組長が隠れている場所と違いますかね。」
「まあ、ついて行きましょか・・。」
「走っている車が少なくなっていますから、尾行に気づかれないようにお願いします。」
「もうちょっと離れて追いかけますわ。見失しのうたら会長から奴突かれるよってな。」
そして、黒塗りの乗用車は多賀大社近くにある民家の敷地に入って行った。
「ほんまに、ここに龍昇会の組長が居てるのか?」と車を止めて八坂が呟いた。
「私が調べてきます。」と言って陽一が車から出た。
義を果たす者10;捜査会議
1997年1月6日の午後1時半ころ 京都府警本部・「円山公園殺人事件捜査本部」
「暴走族どうしの対立の線からは何か出ましたか?」と捜査一課長が訊いた。
「『北山極道一家』の連中からの聞き込みではこれと云った動きはなかったみたいです。年末から正月は特に活動はしなかったらしいです。リーダーはハワイへ女と旅行しとったようです。その他の団員も帰省したり、自宅でのんびりしとったとの近所の人の話でした。これと云った問題は出てきていません。」
「そうか。『北山極道一家』の犯行ではなさそうか・・・。暴力団関係はどうでしたか?」
「『鴨南連合団』が活動しとる地域は会津山城会と桃山稲荷組の『島』ですが、組員に会たりましたが、暴走族は相手にしとらん様です。暴走族も暴力団とは問題起こさんように気をつけているようです。こちらもこれと云った問題は浮上しておりません。」
「そうですか。まだ訊いていない連中もいるでしょうから引き続きの聞き込みをお願いします。関山幹太郎に対する個人的な恨みからの犯行とする筋はどうですか、遠藤係長。」
「昨年の『鴨南連合団』が起こしたと思われるひき逃げ事件の被害者の関係筋を洗ってますが、これと云った線は出てきてません。」
「被害者は歌舞伎俳優の市川団七朗だったな。」
「はい。市川団七朗、本名・常盤三郎さんの親戚筋を当たりましたが、日本刀を所有している人物は見当たりませんでした。併行して『鴨南連合団』リーダーの関山幹太郎が過去に起こした事件を調べました。ちょっとした窃盗や傷害事件や婦女暴行未遂などがありましたが恨むほどの事ではなさそうでした。」
「ひき逃げ事件も証拠が出てき無いから関山を恨んで殺害する決断をする人物がいるかどうかやが・・・。暴走行為を行っていた時刻から見て、ひき逃げは『鴨南連合団』の仕業に間違いないやろ。殺害を決心するような人物は居らんかったんか?」
「はい。少なくなくとも親戚筋の人物にそのような方は見当たりません。」
「市川団七朗の知人、友人はどうなんだ?」
「はい。これからそのあたりを調査する予定です。」
「そうか。しっかり頼むで。」と捜査一課長が言った。
「任しとくなはれ。」と遠藤係長が言った。
義を果たす者11;捜査2
1997年1月6日の午後2時半ころ 京都府警本部・捜査一課室内
「係長、どっから手を着けますねん。」と藤田刑事が訊いた。
「さっき捜査会議で言うた通りやがな。」
「常盤三郎さんの知人・友人の所在は誰から聞きますねん。」
「そんなもん決まっとるやないか。親類を含む歌舞伎関係者に訊きに行くこっちゃ。」
「知り合いの所在だけでよろしいんでっか?、それに、知り合いから何を訊きますねん。」
「決まっ取るやないか。『鴨南連合団』をどう思うとるのかや。」
「それだけで良ろしおますのか?」
「まずはそこから始めるだけや。」
「儂、何か不安ですわ。そや、朝見課長はんに何か良え考えないかを訊きに行きましょか?」と藤田が言った。
「それもええな。あの人は頭ええからな。今から行くか。」
「ほな、課長はんに電話してみますわ。」と藤田が受話器を取った。
義を果たす者12;
1997年1月6日の午後3時ころ 京都府警本部・組織犯罪対策国際課の室内
遠藤係長と藤田刑事が朝見陽一と話している。
「と、謂うことで朝見課長さんのご意見を聞かせてほしいのどすが?」と遠藤が言った。
「親類を含む歌舞伎関係者以外の聞き込み方法ですか・・・。そうですね・・・。常盤三郎さんが殺害される直前の行動範囲などを調べることですね。どのような行動をされていたか、歌舞伎関係者や親戚の方からで訊いてみる事ですね。市川団七朗こと常盤三郎さんは1年前からロングラン公演をされていましたよね。」と陽一が言った。
「はい。『鬼一法眼〜魔境奇談〜』どす。大変な人気だったようどす。」
「確か、鬼一法眼と云う人物は平安時代の陰陽師ですが、刀鍛冶でもあり剣客でもあった人物ですよね。」
「そうどすわ。『鬼一法眼〜魔境奇談〜』の中で太刀回りが面白いと評判どす。」
「その太刀回りを指導した人物がどなたかですね。」
「なるほど・・・。『鴨南連合団』リーダーの関山幹太郎は日本刀の達人に斬られ、刺殺されていたんどすわ。」
「太刀回りを指導した人物が犯人とは限りませんが、何かヒントが浮かぶかも知れませんね。」
「そうでっせ、そうでっせ。」と藤田刑事が興奮して言った。
話を終えて遠藤と藤田が帰りかけた時、陽一が言った。
「殺人事件でお忙しいと思い、お話ししなかったの事があります。」
「何どす?」と遠藤が訊いた。
「『龍昇会』の吉本組長の居処が判りました。」
「どこでっか?」と藤田が言った。
「滋賀県の多賀大社の近くにある民家です。」
「ほんまでっか。」
「事情は省略しますが、会津山城会の八坂さんの運転する車で竹中産業の菊川社長の車を尾行して発見しました。4課には連絡したのですが、遠藤さんと藤田さんは殺人事件の捜査の方が大切ですから、お知らせするのを控えておりました。」
「気を使こうてもろて恐縮どす。まづは、関山幹太郎殺害犯を捕まえることが先決どす。」
「頑張ってください。」
「それでは、失礼さんどす。」
義を果たす者13;
1997年1月6日の午後9時ころ 朝見陽一の自宅
帰宅して夕食を終えた朝見陽一がTV番組を視ている妻の和子に訊いた。
「和子は確か歌舞伎の『鬼一法眼〜魔境奇談〜』を観ていたよね。」
「ええ。市川団七朗さんがひき逃げで死ぬ前の去年の6月ころだったかしら。あなたに子守を頼んだ日曜日に観劇て来ましたわ。でも、突然にそんな話をするなんて、何か事件でもあったの?」と和子が訊いた。
「いや。ちょっと興味があってね。」
「そうを。」
「それで、どんな内容だったのかな?」
「まあ、話せば長くなるから、歌舞伎公演のパンフレットを買ってあるから持って来るわ。ちょっと待っていて。」と言って和子は自分の部屋に入って行った。
そして、和子から手渡された『鬼一法眼〜魔境奇談〜』の演劇写真も掲載されている演劇パンフレットの『物語の概要』を朝見陽一は読んでいる。
『物語の概要:
平安時代末期、一条堀川に大きな屋敷を構える陰陽師・鬼一法眼が鍛治場で太刀を打っている。そこに鞍馬山で剣術修行を行っている牛若丸(後の源義経)が訪問してきた。牛若丸は鬼一法眼に分身の術を教えてほしいと頼むが、断られる。陰陽師・鬼一法眼は霊能者であり、霊が見える。牛若丸の背後に居る天狗の霊を視た鬼一法眼は不安を覚える。牛若丸の背後霊の天狗は鞍馬山に住む護法魔王尊から鞍馬山天狗境を破門された渡世天狗であった。その後、牛若丸は五条大橋で侍から太刀を奪っている武蔵坊弁慶に打勝ち家来にする。牛若丸は元服して源義経となり平氏を滅ぼした後、兄の源頼朝を倒して荘園武家の棟梁になろうと野心を抱き、源頼朝と対峙するが敗れて北陸道を奥州陸奥国の平泉に向けて旅立つことになる。一方、源義経の背後霊となっている渡世天狗の動きが心配である魔界を支配する護法魔王尊は、鞍馬寺の僧侶たちに剣術を教えていた鬼一法眼に源義経を見張るように依頼する。鬼一法眼は坊主に変装して常陸坊海尊と名乗り、源義経に同行する。魔王尊から破門を言い渡された渡世天狗は義経の行く先々で悪事を働こうとするが、常陸坊海尊によって悉く妨害をされ、イライラが募っていた。そして、下野国の古峯ケ原峠を越え、日光に到着した時に渡世天狗は暴れ出した。日光の地侍に憑依して常陸坊海尊を襲わせたのである。常陸坊海尊は太刀を抜き、地侍を峰打ちで倒した。更に密教に伝わる不動明王霊剣呪法を使って渡世天狗を抑え込んだ。
そして、古峯岳天狗たちに渡世天狗を引き渡した。渡世天狗は上野国の妙義山に送られて天狗界裁判所で有罪判決を受け、浅間山で禁固刑に服した。一方、鬼一法眼は源義経と平泉まで同行した後、平安京の都に戻り、平穏な生活に還った。』
「やはり、鬼一法眼の歌舞伎には太刀回りがあったな・・。しかし、不動明王霊剣呪法のようなものが実在するのだろうか? 密教には様々な呪法・呪文があると聞くが・・・。鞍馬山の鞍馬寺か・・・。」と陽一は思った。
「和子、鞍馬山には行ったことがあるかい?」とテレビを視ている和子に陽一が訊いた。
「鞍馬山にある鞍馬山は鞍馬寺の事よ。」
「ややこしい話だな。」
「そのパンフレットに書かれている鞍馬山は牛若丸が剣術修行をした山。鞍馬寺は奈良時代に鑑真和上のお弟子さんが毘沙門天を祀る小さな御堂を建てたのが始まり。その後、平安時代の初期に藤原伊勢人と云うお公家さんがその御堂のある所に千手観音と毘沙門天を祀るお寺を平安時代初期に創建したのよ。そして、信楽香雲と云う住職が昭和22年に天台宗から鞍馬弘教の総本山に改宗したのが現在の鞍馬寺。この時、毘沙門天と千手観音に加えて護法魔王尊を本殿金堂に祀り、三天神を三尊天と呼ぶようにしたのよ。」
「よく知っているね。」
「学生時代の夏休みに2回も参拝に行ったから、その時に勉強したのよ。」
「また、何故に2回も行ったのだい?」
「私の父が寅年生まれで、夏の写経会に同行したのよ。ついでに、貴船の川床料理が食べられるので喜んで京都まで来たわ。旅費、宿泊費が父親持ちで京都見物もできたしね。」
「鞍馬寺は寅年生まれの人にご利益でもあるのかい?」
「鑑真和上のお弟子さんが鞍馬山で鬼女に襲われ、毘沙門天に助けられたのが寅の年の寅の月の寅の日だったらしいの。それで、本殿金堂の前にある狛犬は犬ではなくて虎の像なのよ。その狛虎を阿吽の虎と呼ぶそうよ。」
「なるほどね・・・。」
「ああ、鬼一法眼社という御堂も魔王の滝の横にあるわよ。」
「鞍馬山って、おもしろそうなお寺だね。」
「一度、真夏に行ってみたら。」
「真夏にかい?」
「本堂に参拝してから護法魔王尊を祀る御堂の横を登って行くと奥の院に出るのよ。奥の院から更に進んで山を下ると貴船川に出れるわ。そこで川床料理を食べてきたら。夏でも半袖だと涼しいと云うよりも寒いくらいよ。」
「ふーん。」
義を果たす者14;
1997年1月7日の午前11時ころ 四条大橋東詰にある京都南座・芸能事務所
歌舞伎の公演が始まる前にじっくりと聴き込むために遠藤係長と藤田刑事が南座芸能事務所を訪問している。
「市川団七朗さんに立ち回りや殺陣を指導した人物を知りたいのどすが。」と遠藤が訊いた。
「歌舞伎の立ち回りはテレビや映画の殺陣と違いますからね。立ち回り自体は団七朗さんが自分で考えて演技されていました。ただ、殺陣に関しては映画の殺陣師をなさっている上野山隆太郎さんに指導を受けていたようです。それから、鬼一法眼は鍛冶師でもありましたので粟田口派の刀工で、お名前は・・、確か、三条虎蔵とか云う人に刀鍛冶の実演を見せて頂いたと聞いています。」と中年男性の事務課長・大谷謙二が言った。
「その人物等の住所は判るかな?」
「上野山さんは東山五条近くにお住まいです。詳しい住所は松竹映画社に聞いて下さい。三条さんのお住まいは三条粟田口近くと聞いておりますが、こちらも詳しい住所は判りません。」
「そうか、住所はこっちで調べるわ。名前を漢字でこの手帳に書いてくれるか。」と藤田が事務課長に手帳とシャープペンシルを渡した。
「それで、上野山隆太郎さんと三条虎蔵さんは真剣の技量はどうどすか。」と遠藤が訊いた。
「上野山さんは居合抜刀術の6段で居合道場の師範をされていると聞いてます。」とペンを動かしながら事務課長の大谷が言った。
「三条さんは?」
「さあ、それは知りません。」
「そうか。」
義を果たす者15;
1997年1月7日の午後3時前 烏丸御池交叉点近くの玉木茂蔵市会議員事務所
京都市会議員の玉木茂蔵の事務所は烏丸御池の交差点から御池通りを東に少し入ったところの5階建ての小さな雑居ビルの1階にある。玄関扉を入ると八畳の広さの部屋があり、更に奥にある八畳の部屋が玉木茂蔵の応接室兼事務室である。
朝見陽一は玄関扉を開けて中に入った。
事務机に一人と秘書机に一人が居る。
「お邪魔します。」と陽一は言った。
事務室兼応接室前の秘書机の前まで歩いて秘書に言った。
「3時にお約束している京都府警本部の朝見と申します。」と言いながら名刺を差し出した。
「はい。御苦労さまです。生憎ですが、先客がお話し中ですのでしばらくそこのソファ席に座ってお待ちください。」と言って、秘書は壁際のソファを指差した。
「ありがとうございます。」と言って、陽一はソファに座った。
応接室の中から話し声がかすかに聞こえる。
「それでは、社祠の修理の方はお願いしますよ。」
「判っております。支援団体の取りまとめの方はよろしく。」
「判っ取りますがな。まかして下さい。」
「そろそろお時間ですので、あと何かございますか?」
「いや、無い。」
「それでは。」
応接室から初老の紳士が出てきた。
「忌部様、御苦労さまでした。」と秘書がその紳士に挨拶した。
「やあ。いつもお世話掛けますな。それではな、高山さん。」と、紳士が手をあげながら言って、出口に向かった。
そして、秘書は応接室に入って朝見が到着していることを玉木議員に告げた。
それから、応接室から出てきて言った。
「浅見様、もう少しお待ちください。」
「はい。」
5分くらい待たされてから、陽一は応接室に案内された。
陽一は改めて名前を名乗り、用件を話し始めた。
「京都府警本部刑事部国際課とはどのようなご担当ですかな?」
「はい。京都は国際観光都市でありますので、京都の治安を守ることを主眼として2年前にできた部署です。」
「治安維持ですか。御苦労さまですな。それで、私に何を?」
「はい。2年くらい前の『京都フォーカス』の贈収賄の記事について調査をしております。」
「ほう。それで?」
「調査は捜査ではなく、事件の発生前にいろいろと確認するための行動です。捜査は事件発生後に容疑者などを特定するための活動を謂います。」
「で、今日は調査ですか。」
「はい。記事にあった某建設会社は調査の結果、平安土建であることが判明いたしました。そして、平安土建の上村雄一郎社長は玉木議員の後援者であると伺いまして、訪問させて頂いた訳です。」
「どのような内容でしたか、その『京都フォーカス』の記事は?」
「ご存じありませんでしたか?」
「もちろんですよ。私には関係ない事ですからね。」
「実は、祇園祭の山鉾巡行に関して変更を要求する町衆の動きがあり、その背後で議員に便宜を図ってもらう動きがあるとの記事でした。」
「ほう、そうですか。まあ、山鉾巡行の順番を決めるクジ取り式の抽選会は京都市役所の市議会場で実施しますからな。それで、私に何の訊きたいのですか?」
「あの記事に関して、暴力団などから脅迫などはありましたでしょうか?」
「無実の私が何故に脅迫されるのですか。そんな事はありませんよ。」と、玉木は憮然として言った。
「失礼致しました。」
「いや、構わんですよ。あなたは警察ですから、訊くのが仕事ですからな。」
「実は、あの記事を書いたのは松崎重成と云うフリーのジャーナリストです。」
「それで。」
「その松崎重成は1994年秋にスイスで死にました。」
「1994年秋と云えば、今から2年ちょっと前ですかな・・・。」
「はい、左様です。贈収賄の記事が載ったのが1994年10月1日発売ですからその約2ヶ月後の事です。」
「なるほど。あんなデタラメ記事を書くから天罰が下ったんでしょうな。」
「殺人事件の可能性もある死に方でした。」
「まあ、デタラメ記事を書くような輩ですから、恨んでいる人は多かったんでしょうな。まあ、しかし、選りによってスイスですか。」
「はい。それで、玉木議員は1994年秋に海外旅行でもされていたかどうかを確認したいのですが。」
「2年前の秋ですか・・・。私の記憶では海外には行ってませんな。秘書に確認しますか?」
「はい。お願いします。」
秘書が部屋に入ってきて報告している。
「2年前の秋のスケジュール表では京都と東京以外はご旅行はありません。海外へは3年前の夏にカナダへご旅行されているだけです。」
「と、謂う事ですわ。よろしいかな。」
「はい。ありがとうございます。それで、あと一つご質問をよろしいでしょうか?」
「どうぞ。」
「平安土建の上村雄一郎社長が祇園にあるホストクラブ『桜』のオーナーであることはご存知ですか?」
「ええ、知っとりますが、行ったことはありませんよ。その趣味はないですからな。あっはっはっは。」
「実は、そのホストクラブがある場所は滋賀県の暴力団・大津組の縄張りでして、上村雄一郎社長から何か大津組に関することはお聞きになったことはありませんか?」
「大津組の事ね・・・。何も聞いとりませんな。」
「東京の暴力団の事などは・・?」
「あなたね、私は議員ですよ。暴力団の事など何も知りませんよ。」と怒ったように玉木が言った。
「失礼いたしました。実は、祇園祭の山鉾巡行に絡めて、東京の暴力団が京都進出を画策しているとの情報があるものですから、失礼な質問をいたしました。お容赦ください。」
「まあ、そう云う事ですか。警察もいろいろと大変ですな。」
「はい、全く。」
「まあ、以前から市議会では暴力団の京都進出問題には頭を悩ませております。」
「と言いますと?」
「数年前にあった拳銃発砲事件ですよ。」
「神戸の山菱組組長狙撃事件ですね。」
「そう、それです。」
「それで、市議会では何か動きがあったのですか?」
「暴力団を取り締まるための新しい条例が必要ではないかとの意見が出たのですが、まあ、いろんなしがらみがあって、立ち消えに成りましたわ。」
「そうですか。」
「こんなとこでよろしいかな。えーっと、朝見さんでしたっけ。」
「はい。ありがとうございました。それでは、これで失礼いたします。」
「はい。御苦労さんでした。」
応接室を出た朝見陽一は秘書に声を掛けた。
「先ほどは議員のスケジュールを確認していただきありがとうございました。」
「どういたしました。」
「それで、」ちょっと訊いてよろしいでしょうか?」
「はい、何でしょうか?」
「私の前に玉木議員とお話しされていた方ですが・・。」
「ああ、忌部さんですね。」
「あの方はどのようなお人ですか?」
「丹波篠山町にあるの今宮神社の宮司さんです。お名前は忌部神時さんです。」
「玉木議員とのご関係は?」
「忌部さんの家系は、明治時代から今宮神社の神職をされています。玉木議員のお父上とあの方のお父上が友人であったことから、何かと玉木議員の支援を頂いております。戦時中は特務機関のお仕事で京都の要人とのお付き合いがあり、その人脈で多くの方からご支援を頂いくことができております。」
「特務機関に居らした方ですか。」
「戦時中は東京の登戸とか云うところで何か活動されていたと聞いております。」
「えっ。登戸ですか・・?」
「はい。確か、陸軍登戸研究所とかに所属して居られたように訊きましたが。」
「そうですか。『いんべ・しんじ』とはどのような漢字ですか?」
秘書はメモ用紙にボールペンで『忌部神時』と書いて陽一に手渡した。
「また変わったお名前ですね。神の時ですか・・・。」
「お父様が神社の宮司さんでして、例大祭の御祈祷の時にお生まれになったので神時と名付けられたそうです。子供が生まれてきた運命を考えたと謂う事のようです。ご本人も笑っておられました。」
義を果たす者16;
1997年1月7日の午後2時ころ 京都府警本部・捜査一課室内
「もし、上野山隆太郎と三条虎蔵のどちらかが関山幹太郎の殺害犯だったら直接に事情を訊くのはもう少し先にせなアカンな。」と遠藤係長が言った。
「何んでですねん。」と藤田が言った。
「考えてみ。警察が自分を疑っとると知ったら、証拠隠滅やアリバイ作りを考えよるやないか。」「そんなら、何処から訊き込みをはじめますねん。」
「上野山と三条の周辺や。」
「周辺云うて、何処ですねん?」
「住居がある近所の食堂とか飲み屋。それに衣料品店などや。それに、刀剣販売店にも当たる必要があるな。」
「刀剣類の所持免許を持っとるかどうかも調べまっか?」
「もち論や。藤田、やってくれるか?」
「はい。承知しました。」
「しかし、周辺の訊き込みでは正月元旦の早朝のアリバイは確認はできんやろな・・・。困ったな。また、朝見課長はんにお知恵拝借せなアカンのんかな・・・。」と遠藤は思った。
義を果たす者17;
1997年1月7日の午後4時ころ 京都府警本部・組織犯罪対策国際課の室内
藤田刑事が刀剣類の所持免許所持者の調査をしている間に、遠藤係長は組織犯罪対策国際課の朝見陽一に話を聞きに来ていた。
「映画やテレビの時代劇で殺陣師をしている上野山隆太郎が剣劇の指導を、刀鍛冶の指導は三条虎蔵と云う人物が市川団七朗に教えたそうどす。しかし、当人に直接、警察が事情を訊きに行くと、もしもそいつが犯人どしたら証拠隠滅されるおそれがおまっさかい、どうしたらよろしいのかと、御相談に上がった次第どす。野山隆太郎は居合の達人と云う事らしいどす。三条虎蔵については剣術の技量については調べがついとりません。」と遠藤係長が言った。
「三条虎蔵さんは三条粟田口に住んでおられる方ですね。」
「課長はんは三条さんをご存知でしたか。」
「いえ、知り合いではありませんが、つい先日に知人からお名前だけ聞きました。お顔は拝見しています。」
「そうどしたか。それで、どないしたらよろしいどすかな?」
「そうですね。上野山隆太郎さんに関しては周辺の映画関係者から聞き込むとして、映画雑誌社の依頼で記事を書くことになっているフリーのジャーナリストに成りすまして市川団七朗さんとの親密さを訊き込む事ですね。三条虎蔵さんに関しては私の知り合いに周辺の人物にどのような人が居るのかを訊いてみます。それから動き方を考えましょう。明日までお待ちください。」
「よろしくお願いします。」
義を果たす者18;
1997年1月8日の午前11時ころ 京都市左京区の橘別邸
「美濃屋竹山楼でお会いした三条虎蔵のお知り合いにどのような方々が居られるかを知りたいのですが。」
「何か事件でも?」
「はい。ご当人を含め、他の方々には内密にして頂きたいのですが、円山公園での殺人事件に関しての調査です。」
「ああ確か、刀で刺殺された暴走族のリーダーの事件ですね。」
「はい。真剣を使った剣術の達人を探しております。」
「三条さんは多くの方に刀をお作りになっておられますからね。その中には剣術の達人は沢山いらっしゃるでしょう。私の知る限りでは、京都では殺陣師の上野山隆太郎さんと神田武彦さんくらいですか。ああそれから、千葉県野田市に忍者道場を開いている方が居ましたね。お名前は忘れましたが・・・。」
「三条虎蔵さんご自身は如何ですか?」
「ああ、三条さんも居合抜刀術の道場に通っておられますよ。上野山隆太郎さんが師範をされている五条東山にある東山武人会館道場で、確か三段の腕前と聞いとります。」
「居合抜刀術の三段ですか・・・。」
「三条虎蔵さんのことなら美濃屋竹山楼の御主人がいろいろとご存じだと思います。」
義を果たす者19;
1997年1月9日の午後4時ころ 宝が池にある国際会館の周辺道路
『北山極道一家』の団員たち数人が車道にオートバイを止めて屯している。
「警察やが、ちょっと訊きたい事がある。」と言いながら柄本刑事と時田刑事が警察手帳を見せた。
「刑事か。この前も来てたそうないか。話すことは何もないで。」と兄貴風を吹かしている男が言った。
「まあ、そう言うな。『鴨南連合団』の関山幹太郎の事で訊きたいのや。」
「元旦に殺されたそうやな。天罰やな。」
「お前等『鴨南連合団』が前のリーダーを殺したと言うとったやろ。お前等が覆讐したんとちゃうんか?」
「あれか。あれはリーダーの考えた作戦や。『鴨南』の奴等が儂らの縄張りを横取りしようと狙とるから、そう言うて抗争してるように見せかけたんや。警察の連中が儂らと『鴨南連合団』を監視するやろ。そしたら、『鴨南』の奴等かて妙な動きはでけへんやないか。それが狙いや。今のリーダー山田さんは頭がええんや。『鴨南』の関山は北山通りに車止めて儂らを観察しとったことが何回もあったわ。」
「そういうことか。それで、『鴨南連合団』の関山について何か知ってることないか?」
「何もないわ。」
「殺される前にどっかで出会うたとかはなかったか?」
「ああ、クリスマスの日に浜大津で見たな。」
「浜大津で何しとった?琵琶湖のクルーズ船にでも乗り行っとったんか。」
「女を連れとったな。タクシーで雄琴の方へ行きよった。ラブホテルへ行きよったんとちゃうか。」
「相手は商売女か?」
「あれは素人女やな。商売女はもっと厚化粧しとる。薄化粧やったし、雰囲気が商売女とは違うとった。」
「何歳くらいやった?」
「若かったで。20歳代かな。マブイ女やった。」
「どんな服を着とった?」
「そんなもん覚えとらへんわ。もうええやろ。」
「ああ、すまんかったな。」
義を果たす者20;
1997年1月10日の午後1時半ころ 円山公園殺人事件捜査会議
柄本刑事が捜査会議で報告している。
「『北山極道一家』の男の証言では、20歳代の関山幹太郎には20歳代と思える素人女がいたそうです。クリスマスの日に浜大津で二人でタクシーに乗るのを目撃した様です。」
「素人の女。どんな女ですか?」と捜査一課長が訊いた。
「それ以上の詳しい事はわかりません。」
「『鴨南連合団』の団員からはそんな話はなかったのでは?」
「はい。改めて関山の女に関して『鴨南連合団』に訊き込みましたが、特定の女は居らんかったそうです。」
「その女が死んだ関山に近くで倒れとった人物やったら犯人を見とる可能性があるな・・。」
「まあ、そうですが・・。」
「しかし、素人の女性が何でまた暴走族のリーダーなんかと付き合っていたのですかね?」
「万引きの現場でも見られて、脅されてたんと違うか?」
「それでは、その素人女にも関山を殺す動機がある訳や。」
「動機があっても真剣で男を殺せるか?」
「殺しは誰かに依頼したとか・・。ちょっと真実味に欠けますが・・。」
「犯人かどうかは別にして、取り合えず、その素人女を何とか特定するように努力してください。何かの証言が得られるかも知れませんからね。」と捜査一課長が言った。
「遠藤係長の方は何か進展がありましたか?」と捜査一課長が訊いた。
「殺された市川団七朗さんと関係があった剣術の達人を調べました。」
「犯人の可能性がある人物ですね。」
「はい。立ち回りの指導をした殺陣師の上野山隆太郎と云う人物を調べましたが、海外旅行をしていたというアリバイがありました。刀鍛冶の仕方を指導した三条虎蔵についてはこれから調査します。」
「その二人だけか?」
「現在のところはそうです。」
「そうか。」
義を果たす者21;
1997年1月10日の午後4時半ころ 烏丸御池交差点近く
刀工・三条虎蔵と云う番組を放送したことがるKBSテレビの放送局を訊き込みで訪問した後、遠藤係長と藤田刑事が京都府警本部に戻る道すがら、烏丸御池交差点近くを歩いていた。
その時、写真機を肩にかけて歩いて来た男とすれ違った。
すれ違い様、その男が「どうも。」と言って遠藤と藤田に会釈した。
「今のん誰や?」と遠藤が藤田に訊いた。
「さあ、私は知りませんが。」と藤田が言った。
「ちょっと、あんた。」と遠藤が振り返り、すれ違って行った男に声を掛けた。
「はい?」と、男が振り返って言った。
「すまんが、あんたは誰どすか?」
「いややなあ、以前、私の勤めている雑誌社に来てはりましたやろ。」
「雑誌社云うて?」
「『京都フォーカス』の鳥羽出版社ですわ。」
「ああ、平安土建の贈収賄記事の件で出版社に言った時か。」と藤田が呟いた。
「あの時に刑事さんのお顔を拝見しました。横山治郎と言います。」
「カメラ下げて、スクープを追いかけてるんか?」
「ええ、まあ。カメラマンが仕事ですから。」
「そうか。」
「スクープ写真の対象は政治家、俳優、企業重役など、それなりの有名人ですわ。」と横山が言った。
「暴走族も入るか?」と遠藤が訊いた。
「ええ、まあ。」
「『鴨南連合団』の関山幹太郎を追いかけたことはあるか?」
「この前、円山公園で殺されましたな。」
「そうや、そいつや。」
「関山が死んでせっかく取った写真がパアになりましたわ。居らん人間はスクープにでけませんからね。」
「どんな写真や?」
「クリスマスの日のデート写真ですわ。」
「クリスマス云うって、浜大津か?」
「刑事さん、何で知ってますねん。」
「その写真、見せてもらえるかな。」
「ええ、まあ。会社に来てもらえればお見せしますが。どうせ没になる写真ですから良いですよ。」
「今から会社へ戻ってくれるか。」
「はい。会社に帰るとこですから、ご一緒しましょか。」
「おう、頼むわ。」
義を果たす者22;
1997年1月10日の午後5時半ころ 鳥羽出版社
横山は十数枚の写真を遠藤と藤田に見せている。
「この二人はどんな行動をしてたんや?」と遠藤が横山に訊いた。
「浜大津からタクシーで坂本の日吉神社へ行き、参拝したあと、また浜大津に戻ってきて、それから電車で四条川端まで戻ってきたんが夕方の5時過ぎでしたかな。それから河原町通リから横道に入った洋酒喫茶で一時間ほど飲んで、二人は別れよりました。まあ、ここまでの尾行は簡単でしたが、この後、関山の居処は判ってますから女の方を尾行したんですが、河原町通りの人混みをスイスイと早足で行かれて、見失いました。ほんま、うまいこと人を避けて歩く女性でしたな。」
「この女性が誰か知ってるか?」と遠藤が横山に訊いた。
「さあ、結局判らず仕舞いですわ。まあ、この写真は没ですさかい、どうでも善うなりましたがね。」
「この写真は貸して貰えるか。」
「はい、差し上げます。」
「ところで、死んだ市川団七朗のスクープ写真は撮ってないんか?」
「市川団七朗は難しかったんですよ、刑事さん。」
「何が難しかったんや?」
「南座から素顔で出てくる時は何もありませんが、何かある時は必ず変装して出て行った様です。それに、その時の出口が判らんのです。」
「何で判からへんねん?」
「どうも、楽屋か舞台のどこかに抜け道の入口がある様で、事務員も知らんそうです。」
「それでも南座を見張ってたら見つけられたんとちゃうんか?」
「それが、抜け道の出口は南座とは離れた場所と違うのかと云う、我々ジャーナリスト仲間での噂ですわ。市川団七朗からスクープ取った奴は居りませんわ。ほんま、悔しいですよ。もう、あの世へ行ってしまったんで、出口を見つけたとしても後の祭りですわ。ほんま・・・。」
「ふーん、そうか。」
義を果たす者23;
1997年1月10日の午後1時過ぎ 警視庁渋谷中央署の捜査一課会議室
朝八時過ぎの新幹線で東京に来た朝見陽一は警視庁渋谷中央署の足立刑事を訪ねていた。
朝見陽一と足立刑事が話している。
「お願いしていた事で何か判りましたか?」と朝見が訊いた。
「やはり、道玄組の安藤卓也は竹井春子の指示で滝口徹を殺した様です。安藤と竹井春子がホテル・グランドバレーのコーヒーラウンジで話しているのを対立する暴力団・児島組の浅井と云うチンピラが傍で聞いていた様です。朝見さんが推理されたように竹井春子は堺連合の祇園進出を支援するためにホストクラブ『桜』の滝口に近づいて大津組の情報を聞き出していたようです。滝口徹はそれとは知らずに竹井春子のマンションを訪問した様です。しかし、竹井春子のマンションの周辺は道玄組のボディーがウロウロしとりますから、それに気がついた滝口徹は竹井春子に問い質したようです。竹井春子の部屋の隣の住人が滝口の大声を聞いていました。その隣人は道玄組の報復が怖いので裁判での証言は拒否されました。ここで竹井春子を殺人教唆で逮捕してもメリットはありませんので我々も見逃すことにしました。」
「やはりそうですか。ホストクラブ『桜』のある場所は滋賀県大津市に本部を置いている大津組の縄張りです。堺連合は彦根の高城組と組んで大津組を追いだす算段をしている可能性があります。更に、大阪の龍昇会が加担すれば、ちょっと厄介なことに成りかねません。」
「堺連合ははどのような手を使っているのですか?」
「祇園祭の山鉾巡行の順番決め絡んで何かひと騒動をたくらんでいるようですが、手口がはっきりしていません。たぶん、的屋のグループを動かす可能性があります。東京での堺組の息が掛った的屋グループの動きに注意してくださいと4課の方に伝えておいてもらえますか。」
「承知しました。現在、大きな事件は無いので、私も注意しておきます。」
「お願いします。」
義を果たす者24;
1997年1月10日の午後6時過ぎ 銀座のステーキレストラン「マツヒロ」の個室
朝見陽一と警察庁警備局長の村越栄一がワインを飲みながら話している。
ステーキはまだ運ばれてきていない。
「これが君から依頼のあった資料のコピーです。」と言って村越警備局長が20枚ほどの資料束をA4茶封筒から出して陽一に渡した。
「ありがとうございます。」
「かなり以前に取り寄せてあったアメリカ公文書資料からの写しのコピーなので英語のままです。日本語の資料は外務省に保管されている戦前・戦中の記録から企画課総合情報分析室の吉見君に調べてもらった資料から彼が概要をまとめたものです。アメリカ公文書資料は終戦後、進駐軍が日本陸軍特務機関、すなわち中野学校の情報機関員からヒリングをした時の記録です。シンジ・インべの証言部分とそれに関係する団体やその調査結果の資料です。インべは終戦直後は姿を隠していたようですが1948年、昭和23年に長野県の松代町に隠れているところアメリカ軍の情報機関に逮捕されたようです。戦時中の自分の軍事行動を話すことを交換条件にして戦犯からは外されたようです。日本語の資料はヒットラーユーゲントが来日した時の外務省記録から忌部神時に関する部分を抜粋してまとめた内容です。」
「助かります。それで内容はお読みになりましたか?」
「読んだよ。驚くべき内容だ。」
「どのような内容でしたか、概略をお聞かせ願えますか?」
「ああ、いいよ。中野学校では日本の敗戦の時期を予想しており、参謀本部と結託して
黄金やプラチナを隠すために現在のJR南武線の稲城地区にトンネルを掘ったそうだ。主導したのは参謀本部だったようだ。現在の南武線は当時は南武鉄道と呼ばれていたようだ。南武鉄道は民間の事業者が運営していたのが、1994年、昭和19年に政府が買収して国有化したようだ。戦時買収で国有化する目的は、表向き戦時物資運搬であったが、忌部いわく、真の目的は日本銀行の地下金庫にある黄金とプラチナを稲城地区のトンネル内に列車で運びこみ、隠すためだったようだ。当時の南武鉄道は現在の東海道本線の川崎駅から登戸を通り、稲城村から現在の分倍河原を通り立川まで伸びていた。当初は多摩川で採取した砂利を稲城村まで運搬するのが目的だったが府中競馬場の開設などで旅客鉄道にもなっていたようだ。現在の南武線で府中駅を出て南下し、多摩川を渡った稲城市から川崎市の中原街道近くの向河原駅近くまで貨物列車用のトンネルが走っている。それが当時の南武鉄道だ。」
「日本に大量の黄金やプラチナが有ったのですか?」
「そう、有ったようだね。明治時代に日本海海戦で沈んだバルチック艦隊が運んでいた財宝を秘密裏に日本海軍と参謀本部が協力して戦前に引き上げていたらしい。まあ、黄金とプラチナを持っていたが、戦争に使う銃や飛行機、戦車、船、爆弾などの材料を売ってくれる国が無かったから宝の持ち腐れだったようだ。部分的には児玉誉士夫の児玉機関が戦略物資調達に動いていたようだが、それほど大量の物品調達は出来なかったようだ。参謀本部としては、残っていたお宝を隠しておいて、アメリカの占領が終わってから掘り出して使うつもりだったようだがね。結局、トンネルが未完成で終戦を迎え、お宝は東京湾千葉沖に沈めたようだ。しかし、アメリカの情報機関が漁師からその情報を得ていて、忌部が自白した時にはアメリカ情報機関が東京湾海底から引き揚げた後だった。その黄金とプラチナの存在がM資金の噂の始まりだったようだ。」
「忌部神時の役割は何だったのですか?」
「当時、忌部は登戸の陸軍研究所に居たが、上層部の指示で稲城の土地を持っていた上野家とコンタクトをとり、トンネル掘りを推進する役目を担ったようだ。上野家は明治時代から政府要人との付き合いがあったからね。トンネル掘りの発想はナチスドイツが黄金列車をポーランドの何処かのトンネルに運ぶという情報から考え出されたらしい。ナチスドイツもヨーロッパ戦線で敗戦が続き、ポーランドとチェコの国境付近の山中地下にヒトラーの総統本部移すつもりだったようだ。ナチスが略奪した絵画なども一部はトンネルから見つかっている。現在、黄金列車はどこにあるのかも判っていない。最早、誰かに持ち去られて無くなっているのかも知れない。例えばソビエト共産党軍に持ち去られていてもおかしくない。」
「なるほど、忌部神時は稲城の上野家と関係があったのですか・・・。」と陽一が呟いた。
「それから、ヒットラーユーゲントの来日の件だが、昭和13年、1938年8月16日、横浜港に到着した。真夏でもあるので避暑地の軽井沢で当時の内閣総理大臣であった近衛文麿による歓迎レセプションが行われた。この時に何故か忌部神時が同席している。当時の警察を統括する内務省警保局にいた君のお祖父さんの朝見陽祐氏も同席していたようだ。」
「まあ、その他の事は資料で読んでくれたまえ。ステーキが出てきたので食事をしましょう。」
「はい。」
「ああ、それから。」と村越警備局長が思い出したように付け加えた。
「何でしょう。」
「忌部は登戸研究所では神智学を応用した謀略の研究をしていたらしい。」
「神智学ですか・・・。」
「まあ、神秘な事柄を使って人をたらし込み、謀略の手助をさせようと云う事だったのではないかね。まあ、詳しい事はその資料には書いてないから判らんがね。」
「はあ・・・。」
「確か、京都の鞍馬寺は戦後に天台宗から鞍馬弘教という神智学に根差した宗派に変更されたと聞いたが、まあ、鞍馬山には天狗が住んでいると云うからね・・・。」と村越が言った。
※注記;神智学
神の叡智と云うことであるが、神あるいは超越者の叡智が宇宙と自然を創造した、
という考え方に基づき、人間も霊的認識において神を認知できると考える哲学。
18世紀に西洋ヨーロッパで台頭したキリスト教神智学と1875年にロシア人の
へレナ・ブラバツキーとアメリカ人のヘンリー・オルコットがインドで仏教等の教義
を加味して創設した密教的な神智学協会の考え方を一般には神智学と呼んでいる。
ヘンリー・オルコットは明治22年(1889年)に来日し神智学を日本に紹介した。
当時の若手仏教家たちは神智学に興味を示したと云う。
昭和22年(1947年)に天台宗・鞍馬寺の貫主であった信楽香雲は
天台宗から神智学・鞍馬弘教へと改宗を実行した。
そして、昭和24年に鞍馬弘教総本山として新興宗教法人となる。
鞍馬寺に祀られている護法魔王尊はヒンズー教の神であり、
近代の神智学では1850万年前に地球に降臨した地球創造主の代理人としての
『偉大な魂』と考えられている。
義を果たす者25; 鞍馬寺参拝
1997年1月11日の午前11時半ころ 鞍馬寺本殿金堂前
昨日、新幹線の最終列車で京都に戻った朝見陽一は、鞍馬山に来ていた。
叡山電鉄の出町柳駅から乗車し鞍馬駅で下車し、鞍馬山の扁額が掛った仁王門をくぐって鞍馬寺の神域内に入り、晋明殿の山門駅からケーブルカーに乗り多宝塔駅で下車した。そして、参道を歩いて本殿金堂に向かった。
先日降った雪がまだ所々にうっすらと残っているが、石畳の歩道は乾いている。
冬場で寒いので参道を歩いているのは陽一を含めて三人だけである。
「神智学の鞍馬弘教か・・。どんな処だろう。」と思いながら歩き、石の階段を上がって本殿金堂に着いた。
三尊天(毘沙門天、千手観音、護法魔王尊)に参拝した後、更に奥に歩いて護法魔王尊像が奉安されている光明心殿に手を合わせた。
そして、再び本殿金堂前で本殿に背を向けて立ち止まった。
そこから本殿前の広場の地面に描かれた金剛床の石紋様を見下ろした。
本殿から石の階段を5段下がると直径8mくらいの円形内に六芒星を描いたような石畳風の直金剛床がある。
「神智学協会の紋様である六芒星が描かれているな。」と思いながら、更にその先に目を移した。
「あれが、翔雲台か・・・。」
幅5m、奥行3mくらいの翔雲台には白い小石が撒かれ、中央の丸い碧苔の上に大きな石盤が置かれている。この石盤は本殿裏から出土した経塚の蓋であったと云う。
朱塗の欄干に三方を囲まれた翔雲台の前には細いしめ縄が張られて中に入れない。
そのしめ縄の前に一人の若い女性が立って、遠くに見える比叡の山波の上空をゆっくりと流れる雲を眺めているように思える。
また、本殿正面から少し右に寄れた位置には水墨画を描いている老人がいる。
墨汁の瓶に毛筆を浸しながら和紙にサラサラと絵を描いている。
「どんな絵を描いているのかな?」と思い、陽一は老人の後ろに立った。
「あれ、こちらに背を向けて立っている女性は一人なのに、絵の中には二人並んで立っているな。」と陽一は思った。
すると、「彼女は今、横に居る男性と話をしているのじゃよ。」と老人が言った。
「えっ?この老人は私の心が読めるのか?」と陽一は思った。
「そう、思い出に浸っているのさ。私にはそれが手に取るように見える。お若い人、宇宙自然界の心を感じ取れるのが画家と云うものさ。あっはっはっは。」と老人が笑った。
上空の雲を描き終えた老人は絵を描くのを終えて、光明心殿の方へ歩いて行く。
「あれ、筆を忘れている。」と、陽一は石床に転がっている毛筆が目に入った。
陽一は毛筆を拾い、老人を追いかけた。
老人は光明心殿の横から奥の院の方向へ歩いて登って行く。
「歩くのが速い老人だな。」と思いながら、陽一は光明心殿の横まで走った。
「毛筆を忘れましたよ。」と老人に向かって叫んだが老人の姿は見えない。
「お若い人。それはお前に呉れて遣る。その筆はお前さんが好きなのだよ。大切にしてやれ。」と耳の中で聞こえたように陽一は思った。
「えっ、何?」
そして、陽一は翔雲台の前にもどったが、女性の姿はすでに消えていた。
「奥の院へ登ってみるか・・。」と陽一は思った。
それほど急ではない坂道を900m、30分ほど登ると魔王尊を祀る奥の院・魔王殿に着く。
奥の院から更に600m、20分少し急な坂道を下ると貴船川に小さな橋が掛った西門に出る。
奥の院から平坦な道を少し歩き、道をそれた所の地面に60センチ平方のコンクリート枠に囲まれた湧水が出ている場所があり、そこに陽一は出くわした。しかし、水は溢れ出していない。
『ゴボゴボ、ゴボゴボ、ゴボゴボ』と異様な音を周囲の空間に放って水泡が地表面高さ丁度まで湧き出しているが、水はコンクリート枠からあふれ出ていない。
その湧水音を「魔王が何か叫んでいるようだな? 不思議な井戸だ。」と陽一は思った。
湧水の横に立てられた小さな白い表札には次のような文章が書かれている。
『この井戸はヒマラヤに通じている。』
義を果たす者26;
1997年1月13日の午後1時半ころ 円山公園殺人事件捜査会議
「三条粟田口にある美濃屋竹山楼の主人の話によると、三条虎蔵の細君は暴走族『北山極道一家』のが暴走行為で轢き殺されたそうです。」と遠藤係長が報告している。
「鞍馬山近くの山中で自殺したリーダーの坂崎研二が過失致死で投獄された事件だな。」と捜査本部の指揮をとっている捜査一課長が言った。
「そうです。それ以来、三条虎蔵は娘と二人で暮らしているらしいです。」
「三条虎蔵には娘さんがいるのか。」
「当時、同命社中学の三年生だった娘が元気をなくし、一時、不登校になったらしいです。それで、元気を出させる目的で父親の作った刀剣を依頼主に届けさせたらしいのです。」
「『北山極道一家』による事故があったのは何年前だったっけ?」と一課長が訊いた。
「今から8年前です。」
「それで娘さんは元気が出たのか?」
「ええ、まあ。帰ってきたら元気どころか、中学を卒業したらその刀剣製作を依頼した道場主の道場に入門すると言いだしたそうです。三条虎蔵は渋ったそうで、美濃屋の主人に相談に来たそうです。結局、元気で健康であることが一番と云う結論になって、道場主には高等学校に行かせることをお願いして、入門も許してもらったそうです。」
「それはどこの道場だ?」
「千葉県野田市にある『天神館』と云う戸隠流忍法の道場ですわ。千葉県柏市内にある高校を卒業したら京都に帰ってきて、同命社大学の神学部に入学したそうです。大学では合気道部に入部していたようです。」
「合気道か。その娘が忍術に興味を持った訳は何かな?」
「ええ、まあ。血は争えんと云いますか、刀剣を使いたかったんと違いますかね・・・。」
「とすると、三条虎蔵だけではなく、その娘も関山幹太郎を殺した可能性が考えられるな。」
「そうですねん。親子が共謀して関山を殺ったか、どちらかの単独行動だったのか?まあ、まだ可能性だけですが・・・。」
「ところで、娘の名前は?」
「三条美加と云います。」
「8年前が中学三年で15歳として、今は23歳か・・・。現在は大学を卒業してどこかの企業に就職しているのか?」
「いえ、三条虎蔵の手伝いをしているようです。まあ、死んだ母親の代わりで父親の面倒を見ているようです。」
「さっきの、伏見出版社から手に入れた写真の女もその位の年齢やな。」
「はい。写真の女が三条美加かどうかをこれから調査・確認します。」
「それから遠藤係長、千葉県のその忍者道場に行って三条美加がどんな術を身に着けたかを確認して来てください。ただし、経費節減のために出張するのは君一人だけにして下さい。」
「はい。承知いたしました。」
義を果たす者27;
1997年1月14日の午後2時前ころ 千葉県野田市の『天神館』道場
遠藤は新幹線で東京駅まで乗車し、東京駅から京浜東北線に乗り換えて埼玉県の大宮駅で下車した。早めの昼食を大宮駅近くの食堂で済ましてから、東武鉄道の野田線に乗り、千葉県の野田市駅で下車した。野田市駅から10分くらい歩き道路脇を少しはいると道場の館に着いた。
『天神館道場』と書かれた木製の看板が入口横に掛けられている。
建屋に入った遠藤は門人に用件を伝え、応接室に案内され5分ほど待たされた。
「はい、お待たせしました。私が第34代宗家の深見青良です。」と初老の男が現れて言った。
「京都府警本部の遠藤と申します。」と言って立ち上がり、男に名刺を差し出した。
「京都からわざわざ御苦労さまです。それで、門人の三条美加について訊きたいとの事ですが、どのようなお話をすれば良いのかな?」
「はい。三条美加さんがこちらで学んだ武術がどのようなものであったかを知りたいのですが。」
「何かの事件に関係するのですか?」
「はい。刀で刺殺された殺人事件の手口と合致するかどうかを調査しております。」
「三条美加が容疑者と云う事ですか?」
「いえ、まだそこまでには至っていません。ですから、警察が来たことは三条さんには内密にお願いいたします。」
「それは承知しております。当館の門人にも警察官、軍人などの国際的な刑事警察機構の人々が多く居りますので、守秘義務は心得ています。」
「それで、三条美加さんが習得した技をご説明いただけますか?」
「彼女はこの道場に寄宿して高等学校時代の3年間を過ごしました。素晴らしい素質の持ち主でした。まさしく女忍者、くノ一の申し子と云えるでしょう。武術を覚えるのも早く、修行も自主的に熱心に行っていましたね。忍者が使う刀剣は武士が持っている大刀と小刀の中間の長さで、背中に背負い、抜刀スピードが要求されます。刀剣を背中に持つのは、野山を走り抜ける為だけではありません。両手を自由に使いやすくするためです。刀剣を腰に差すと体を回転させた時に何かに当たって不覚を取る場合が出てきます。彼女の抜刀スピードは他の門人に比べて速い方でした。居合抜刀家と速さを競わせましたが、ほとんど同時に抜くことができましたね。あと、手裏剣の腕前、ナイフ投げの腕前も優れていました。投げ縄術もマスターして、木登りも上手でした。あと、人間の手などにある急所を指で抑えて、相手の動きを封じる骨法術もある程度はマスターしました。相手の気を利用して投飛ばす術はマスターできなかったようです。江戸川の河川縁ではジャンプや速く走る練習なども行っていたようですね。まあ、3年間で出来ることはそれくらいでしょう。大学に入ってからは、夏休みに当道場に来て鍛錬をしていましたね。大学では合気道をやっているとか言っていましたよ。それに、鞍馬山に登って牛若丸よろしく修行を重ねているとか、ね。しかし、昨年は来なかったですね。まあ、そんなところです。武術の技についは道場を見学すれば判るでしょう。まあ、見て行きなさい。これでよろしいかな。」
「はい、有難うございました。それでは、この後、稽古風景を見学させていただきます。」
義を果たす者28;
1997年1月14日の午後4時ころ 同命社大学の新町武道場
遠藤係長が千葉へ行っている間に伏見出版社のカメラマンから手に入れた写真を持って藤田刑事が同命社大学の合気道部に来ていた。
授業を終えた学生たちが三々五々集まり、稽古を始めている。
「この写真の女性は誰か知っておるか?」と数人の部員達を集めて藤田が訊いた。
「ああ、三条美加先輩ですね。」
「間違いないか?」
「間違いありませんよ。今でも、時々稽古に来張りますよって、よく知ってます。」
「そうか。私が来たことは三条さんには内緒でね。」
「はい、判りました。でも、横に居る男性は誰ですか?まさか、婚約者じゃないですよね。」
「そろそろ先輩も年頃ですからね。」
その話声を聞いた他の部員たちも集まってきて写真を覗き込んだ。
「まあ、それはどうかな・・。この写真の事は忘れてくださいね。」と藤田が念を押して道場を出た。
「しまったな。あいつら、本当にしゃべらへんやろな・・・。」と藤田は学生たちに不安を覚えながら新町通りを警察本部に向かって歩いた。
義を果たす者29;
1997年1月16日の午前10時ころ 鞍馬寺、翔雲台前
三条美加が翔雲台のしめ縄の前に1人で立って、遠くに見える比叡山の山波を眺めている。
「三郎さん。今日でお別れやわ。私、京都を離れます。どこへ行けば良いのか判れへんけど、また戻ってくることもあるかもしれへんわ。あの楽しかった思い出をどうしたらいいのか、今でも判らへん。いろんな所へ一緒に連れて行ってもろた思い出。それに、あなたの面影をどうしたらええのか・・・。」
三条美加の目に涙が滲んでいる。
「あなたに最初にお会いしたのは鍛治場の作業をご見学に来られた時やった。歌舞伎の演目で刀匠の鬼一法眼を演じる為に刀の打ち方を熱心に見てはったのを思い出します。父から金槌の握り方、力の入れ方を説明されて、すぐに覚えはったんには驚きました。それから、ここ鞍馬山の鬼一法眼社へ父と私と三人でお参りしましたわね。お社の横にある魔王の滝をじーっと見つめていはったの思い出します。何を考えていたのかを尋ねた私に、『鞍馬山の天狗の頭領とはどんなお方なのかを想像していたのです。滝の音が何か魔王の声のように思えるのです。』と言いはった。そこで、『護法魔王尊像を見なはれ』と父が光明心殿へ案内いたしましたわね。それから、本殿金堂に参拝をした後、ここ翔雲台から私と二人であの空をながめたのが昨日のようどす。比叡山の山波を眺めながら『また、会いましょうね。』と言いはったんが二人の関係の始まりどした。」と、隣に常盤三郎が立っているかのように三条美加は小声で呟いていた。
三条美加の想いは尽きない。また、涙が溢れてきた。
義を果たす者30;
1997年1月16日の午後3時ころ 烏丸今出川の同命社大学内の神学部チャペル
同命社大学神学部にはレンガ造りのキリスト教会チャペルがある。
大学の卒業生たちがこのチャペルで結婚式を挙げることもある。
ステンドグラスの光に映える『茨の冠』が頭上に吊るされた蔡檀の前で三条美加が
両膝を衝き、頭をたれ、両手のひらを組み合わせて拝んでいる。
「天に坐します我らが父よ。私をお許しください。今、警察に逮捕されたら、お父様がお困りになりはります。私が犯人である証拠は何も残しておりません。私が京都から姿を消せば、誰にも迷惑が掛からへんのどす。そやから、どうぞ私の身勝手をお許しください。世の中にはまだまだ悪が蔓延っています。私に与えられた果たすべき義を全ういたします。アーメン。」
義を果たす者31;
1997年1月16日の午後9時ころ 京都・河原町通り歩道
客待ちで駐車しているタクシーの横を通リ過ぎていく自家用車のヘッドライトが街の喧騒を引き立たせている。
手にボストンバッグを携えた三条美加が常盤三郎との事を思い浮かべながら、そして人波を避けながら、歩道を北から南に向かって歩いて行く。
決意が揺れ動き、時々、道行く人を避けきれずにぶつかることがある。
歩道に面したレコード店からは、
しまざき由理が歌う楽曲『面影』(佐藤純弥・作詞、菊地俊輔・作編曲)が聞こえてくる。
♪ いつか来た道 あの街かどに♪
♪ ひとり求める 想い出いずこ♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・♪
♪ さすらい歩く 悲しみの街♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ いつかの店の いつかのイスで♪
♪ ひとり眺める 想い出の街♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 見果てぬ夢の 降り積もる街♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 別れ告げよう あの想い出に♪
♪ 別れ告げよう あの面影に♪
♪ ああ 一度だけ 恋して燃えた♪
♪ ・・・・・・・・・・・・・・♪
♪ 告げた別れが 涙ににじむ♪
♪ 明日はどこか 旅立ちの街♪
義を果たす者31;
1997年1月17日の午前11時ころ 三条粟田口近くの三条虎蔵宅
遠藤係長と藤田刑事が三条虎蔵宅を訪問している。
「大晦日の夜から元旦の昼ころまでは刀剣販売店の方々と新年の祝をしていました。」
「娘の美加さんもご一緒どしたか?」
「いえ、娘は自宅で新年を迎えるとか申しておりました。」
「いま、娘さんは御在宅どすか?」
「いえ、居りません。今朝、起きた時から姿が見えませんでした。」
「どこに行きはったんどすすか?」
「さあ、判りません。ただ、置き手紙がありました。」
「それを見せてもらえますか?」
「はい。しばらくお待ちください。取ってきますから。」
『お父様へ
永らく、お世話になりました。美加は新しい世界へ旅立ちます。
また、お会いできる日が訪れることを願っておりますが、先々の事は不明です。
お身体をご慈愛くださいまし。美加の勝手をお許しください。
新しい世界とは何か?とお尋ねになるかと思います。
それは、神から美加に与えられた使命を果たす世界です。それ以上は訊かないで下さい。
常盤三郎さんと出会えて美加は幸せでした。鞍馬山での思い出は忘れることに
決めました。
では、さようなら。 美加より』
「美加さんと常盤三郎さんとはどのような関係どしたか?」
「私を含む三人だけの秘密でしたが、結婚を約束しておりました。しかし、団七朗はんが・・・、あないな事になりはって・・・・。美加の気落ちした姿が忘れられまへん・・・。」
感情が溢れ出した三条虎蔵の目から涙がこぼれた。
義を果たす者32;
1997年3月30日の午後4時半ころ 京都府警本部・組織犯罪対策国際課の室内
「と云う訳で、容疑者である可能性が高い参考人の三条美加の行方がさっぱりわかりまへん。それで捜査本部は行き詰まって、縮小どすわ。」
「捜査員は遠藤さんと藤田さんのお二人ですか・・・。」
「はい。一課長からは朝見課長さんの手伝いをしても良いとのお達しどす。」
「実質、捜査本部は解散したのと同じですわ。」と藤田が言った。
「あほ。お前がいらん捜査をしたからこうなったんやないか。」
「何をされたのですか?」
「藤田が同命社大学の合気道部で三条美加の写真を見せて、本人かどうかを確認しよったんどすわ。そしたら、部員の誰ぞが三条美加に警察が来た事を喋ったようどす。」
「それで、三条美加さんの姿が消えたという訳ですか・・・。」
「ほんま、藤田が捜査の手順を間違えよったばっかりに・・・。」と遠藤係長がぼやいた。
義を果たす者33;エピローグ
大きい杉の木が林立する山の中
大きい杉の木が林立する山の中で黒装束の女が走っている。覆面はしていない。
背中には日本刀を背負っている。その刀を抜いて杉の木に切り傷を着けながら走る。
立ち止まり、ポケットから取り出した手裏剣を投げ、そしてまた横に走る。
小高い丘場からその女の動きを双眼鏡で観察している男が居る。
「なかなか遣るな・・・。」
第3話 義を果たす者 完
軽井沢 康夫
2020年 2月16日 午後9時25分 脱稿
参考文献;遺譜(上)(下) 内田康夫著 角川書店 2014年7月31日 初版発行
神々の黙示録 金井南龍ほか著 徳間書店 1980年4月30日 初刷