「バーゲストの鎮魂歌」
「エノーラ、久しぶり」
懐かしの墓前で、暁風に掠め取られてしまいそうな挨拶を交わす。彼女からの答えはなかったけれど、笑って出迎えてくれたような気がした。
「初めまして、エノーラさん。緋山椿と申します」
律儀に頭を下げた椿が花束を添える。朝日を迎えたばかりの墓地には誰も居らず、手を合わせるのは俺達だけだった。
アリスのところから帰る際、エノーラの墓参りに行きたいと言い出したのは椿の方だ。何を思ったのかは分からないが〝挨拶〟したいと言うのだから、人間の考えていることは、てんで理解し難い。否、流れ込んでくる感情が下手に伝えてくるのだから、彼女の場合はタチが悪いように思えた。
嫉妬、憐憫、羨望。椿のエノーラに対する想いは、いつも複雑で、それ故俺自身どう向き合って良いのか分からない節があった。
俺に対する慕情も劣情に思えたあたり、俺も相当思い詰めていたことが分かる。けれども、それを乗り越えた俺達は、今一度強い絆で結ばれているような気がした。
「終わった?」
長らく手を合わせ瞑目していた彼女に声を掛ける。真っ直ぐ墓石を眺める緋色の眼差しは、憂いを帯びていた。
「本当に短い生涯だったんだね……」
鈍色の名前を指でなぞり、しんみりとした空気を漂わせる。透徹に溶ける草木の薫りは乾いていて、朝焼けの匂いがした。
懐かしさに目を瞑り、明けたばかりの空へ想いを馳せる。深く呼気を吐き出した俺は、今にも泣きそうな椿にローブを掛けてやった。
「これ……」
「新しいやつ。次のところに行く前にと思って作ったんだ。でも数が作れるもんじゃないからね。次は捨てないで」
「うん……うん……」
「約束ね」
「ん……約束」
英国の朝は冷え込む。寒そうに色付く項を眺め、俺は今朝結い上げた髪を解いた。サラサラと落ちていく白髪が風に吹かれる。吃驚で背を仰ぐ椿の顔を無理矢理前に向け、俺は笑ってやった。
「痛っ!? なに!?」
「結び直してやるから待ってて」
「う、うん」
『解いたのはアッシュなのに』との声が聞こえる。それに苦笑を漏らせば、緩み切った心胆が伝わったらしい。今度は椿が疑問符を浮かべている。
手に取るようにお互いの気持ちが分かるだなんて馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいのに、それすらも幸せだと思える時を愛しく思った。
「コレ、アリスに作って貰ったの」
「簪……?」
「そう。椿に似合うのをって頼んだら『どういう人間か分からないとダメだ』って言われてさ」
「だから一緒に出掛けたの?」
「そういうこと。椿が気に入るのをってのも追加注文したら『好きな女の趣味も知らないの?』って馬鹿にされた。アイツ、いつかぶっ飛ばす」
「アハハ、ぶっ飛ばすって」
「動かないで」
笑声を零す彼女の髪を捩じり上げていく。椿の花を模した飾りが恵風で揺れ、簪を差し込むと髪が綺麗に纏まった。ハーフアップに編み込みをしたにも関わらず崩れていないのだから上手く出来たと思う。
「はい、いいよ」
「見たい」
「残念、鏡を持ってきてないんだ」
「アッシュのバカ」
「これから何度も見れるよ」
照れたのだろう。敢えて感情を喰らわずにいれば、顔を赤らめる彼女がいた。それを隠すよう爪先へ目線を落とすのだから可愛らしい。
「……なんで簪なの?」
「椿に生きてて欲しいから」
「どういう意味?」
「このローブはあらゆるものから椿を守る盾、でも攻撃出来るようなものは無かったでしょ? 江戸時代では簪も立派な暗殺道具として使ってた。だから、コレは椿に送る鉾と盾。それに……」
「それに?」
「簪は愛しい人に贈るものでしょ。それこそ結婚したい相手とかにね」
「けっ、こん……?」
何度も目を瞬きさせた彼女が信じられないとばかりに目を瞠っている。当たり前だ。ちゃんと言葉にしたことは無かったのだから。
「エノーラより愛せる人なんていないと思ってた。でも、彼女は俺に魔法をかけて死んだんだ」
「魔法?」
「そう、俺が大切にしたいって思う人が出来た時、一回だけ契約出来る魔法。俺自身いくつか封じられた記憶があって、それがその一つだったんだ。それと……エノーラより愛する人が出来たら、その記憶が戻るようになってたんだ。つまり、それが戻ったってことは……」
「私のことをエノーラさんより好きになってくれたってこと?」
「そういうこと。しかも〝好き〟なんて言葉じゃ足りないくらいにね。愛してるよ、椿。だから俺を……俺のことを一人ぼっちにしないでね」
「そんなの当たり前でしょ」
嗚咽を漏らした彼女が号哭する。胸に飛び込んでくる愛しい人を抱きしめれば、小さな肩が小刻みに揺れていた。
「泣き虫」
「泣かせたのはアッシュでしょ」
喰べても、喰べても、甘露な涙では満腹になり得ない。そのうち自らも落涙していると気付くも、自身を諫める気にはならなかった。
慶びの涙ならば、引き受けなくてもいいだろう。分かち合っていけばいい。そう思うことが出来るくらい俺は変わった。
過去に縋りついた日々も、見ないでやり過ごしていた現実も、幸福な未来を歩めるよう用意された伏線だったのだ。けれども、人生とは幸福ばかりではないだろう。それでいいのだ。俺も椿も生きているから、それを感じることが出来る。
死人の時計は動かない。魂願しても、哭しても、言葉一つ届くことはないのだ。宙を舞った桜が、いつかは朽ちてしまうように儚い人の生。けれども、それでいい。大切な人がいるだけで、世界は光で満ち溢れるのだから。
「旅はやめるの?」
「やめない。アッシュと色んな世界を見たいから」
「そう。ねぇ、椿」
——愛してる。
夢というのは慶福だ。見えない未来を、思い描くことが出来る現なのだから。




