第52話「鴇羽色の声」
「現の証拠か……カメリアの君ともあろう者が暴走してるね」
「チェスター……」
「大丈夫。フィーロはすぐに治るし、その暴走もすぐに治まるよ。繋がりが戻る時の反動で一時期的に暴走する人もいるんだ」
「それってどういう……」
「椿……!?」
「ほらね、アッシュも君を見つけられたでしょ?」
「椿……椿、よかった……」
視界に飛び込んできた黒犬が、すぐさま人の容を取って抱き付いてくる。痛いほど抱かれるものだから、胸が締め付けられるかのようだった。
「ごめん。たくさん、たくさん追い詰めてごめんね。ごめん……」
——ごめん。良かった。大好き。
そんな短絡的な単語が心に染み渡っていく。それは言葉ではなく〝気持ち〟で、アッシュと繋がっていることが実感出来た。
「アッシュ、戻ってるよ」
「え……?」
「私の〝声〟聞こえる?」
「うん……聞こえる。聞こえるよ。椿の〝想い〟」
繋がっているからこそ言えなかった想い。離れてしまったからこそ口に出来た想い。失ったものと得たもの。相反する感情に、分かり合えたことも多かっただろう。近付きすぎた私達は、一度離れてみるべきだったのかもしれない。
「椿、一つ訊いていい?」
抱き合う私達をチェスターが見下ろしてくる。目の端ではフィーロが快復しており、胸を撫で下ろした。
「どうして飛び降りる前にアッシュとの契約を破棄しなかったの? 心中でもするつもりだったの?」
「……忘れてた」
今更ながら崖を見上げ背筋が粟立つ。突発的な自身の行動にも驚いたが、自身の思考にも慄いた。
縋るように私を離さないアッシュを見ていると、本当に申し訳ない気持ちになる。私が、こういったことを二度とすることはないだろう。
「忘れて、た? 本当にそれだけ?」
「うん」
「椿、俺は君を侮っていたようだよ。クレイグもだね」
「どういうこと?」
「君は無意識下でアッシュとの約束を守ったんだ。椿はエノーラと違う。ちゃんと自分の意思を持った人間だよ」
認められたような気がした。私を見る人はいつも、私の中にエノーラさんを探しているのだ。けれども、そんなチェスターも〝私〟を見てくれたような気がして目頭が熱くなった。目を瞠ってから細める私に、笑みを浮かべた彼が頭を撫でてくれる。それが、どうにも欣幸を誘い、私は涙を零してしまいそうになった。
けれども、落涙する筈だった雫が引っ込んでいく。あれだけ波打っていた悦も、穏やかになっていく感覚を得た。
ほんの僅かな時間だったにも関わらず、懐かしさを覚える。元に戻れたことを実感すれば、再び悦が込み上げた。
「なんで俺との時より嬉しそうなわけ?」
私の涙を引き受けたアッシュが落涙しながら言葉を紡ぐ。枯れた喉から出てくる言葉は霞んでいて、痛々しく思えた。
「アッシュとのことだから嬉しいんだよ」
「なにそれ」
鼻で笑った彼の幸せそうな声音に胸が締め付けられる。幸せだな、と紡ぐ胸懐で、私は彼と歩んで行くことを誓った。
「そういうことは口に出してよ。約束したばっかじゃん」
「……それは全部終わってからね」
どうやら全て伝わっているらしい。拗ねたような口吻を愛しく思いながら髪を撫でると、観念したように私を解放する彼がいた。話をしようとフィーロに向き直る。さすれば威儀を正す彼がいた。
「良かった。本当に治ったのね」
「うん、ツバキは怪我してない?」
「してないよ。フィーロが守ってくれたから」
頬にある切り傷など、彼が受けた傷に比べればなんでもない。アッシュの頬にも刻まれたお揃いの傷は、私達の絆のようだった。痛みすら愛しく思えるのだから、重症だと自分でも思う。
「フィーロは不老不死なんだよね?」
「一応そう言われてる。でも本当にそうかは俺自身生きて証明しないといけないものなんだ」
「この世界には〝超能力〟って言われるものがある。人のみを移動させられる能力とか、治癒能力とかね。それらには全て制約があって……そうだな、例えば治癒能力は自分自身には使えない、とか、物を操れる能力なら自分が触ったものしか操れない、とか、そんな感じかな。でもフィーロ君のそれは違う。彼は少し特殊で、その能力は恐らく〝不老不死〟と言われてるものなんだよ」
「恐らくってどういうことなの?」
チェスターの補足に疑問符を浮かべる。さすればフィーロが目を伏せて開口した。




