第51話「紅樺の咆哮」
「なに、してるの……」
思わず口にした疑問が抱擁により掻き消される。私を追い掛け、躊躇なく崖を飛び降りたのはアッシュではなく、フィーロだった。
「ツバキも思い切ったことをするんだね。でもダメだよ。俺が死なせない」
言葉を失くしていれば、彼が場所を入れ替えるかのように地に背を向ける。「やめて」との声が喉から漏れ出る前に、私の身体をけたたましい衝撃が襲った。木々の隙間を抜ける際、衣服や柔肌を枝が引っ掻いていく。走り抜ける痛覚に思わず瞼を固く閉じていれば、地面に打ち付けられた感覚を得た。
「うぁっ!?」
「痛っ……!」
激突の余波を受けた身体が痺れたように痛む。暫く動けずにいると、ハッとした。すぐさま身体を起こし、下敷きになったフィーロを確認する。口から血を吐き、ぐったりと項垂れている様に私は狼狽した。
「フィーロ? フィーロ!?」
「ゲホッ……! ゲホゲホッ……!」
四肢が曲がらない筈の方向に曲がっている。激しく咳き込んでいるところを見れば、湶も背骨も折れていることだろう。北風のような呼吸音に、肺まで侵されているのが分かった。
「なん、で……フィーロが庇う理由なんてなかったでしょ!?」
治癒の魔法は得意じゃない。それでも彼に向かって手を翳せば、血だらけの手で手首を掴まれた。
「アッシュが……死なない、でって、言ってた、でしょ? 死んじゃダメ、だよ。残された方は一生……苦しむ……」
「フィーロにだって待ってくれてる人がいるでしょ!? 邪魔しないで! これくらいなら多分……」
「大丈、夫。少し経てば治るから」
「そういえば不老不死って……」
「そう……治る時すっごく痛いんだけど平気だから見てて」
息を呑んで彼の指示に従う。暫くすると操り人形のように、四肢が正常な位置へと戻っていった。苦悶の表情を浮かべ、時折苦し気にもがくも、そこまで凄惨な状況ではない。安堵の息を漏らしていると、彼が突然目を見開く。瞳孔が開いたかと思えば、胸元を握り苦痛を去なすかのように地べたを転げ回った。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
「だ、大丈夫……!?」
「ぐっ……クッソ……! うっ、あぁぁぁぁあ!!」
これが不老不死の為りの果てだとでも言うのだろうか。傷は目に見えて治っているというのに、本人は地べたへ激突した時よりも苦悶していた。
私に出来ることなど何もない。この世界では〝能力〟と言っていたし、下手に魔法を使えば治癒の妨げになってしまうかもしれないのだ。何も出来ないまま祈ることしか出来ない私には、彼の手を握るのが精一杯で、無力さを噛み締めた。
「フィーロ……頑張って……」
私は敬虔な信者ではないが、彼の為に祈りを捧げた。その間も彼は咆哮している。私の手を握る手は痛いくらいの強さだったが、彼の苦痛に比べれば大したことではなかった。私の衝動的な行動のせいで無関係な彼を巻き込んでしまったのだ。自身の罪悪な行動を呪い、唇を噛み締める。
零れ落ちた涙が地面を濡らし、やがて一輪の花が咲いた。紅紫色のそれがフィーロの周りを囲って行く。時折、氷の花が咲き乱れる様に、自身の力が暴走しているのだと気付いた。