第48話「宍色の追風」
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街並みなんて覚えていない。ただただ走っていたせいか、いつの間にか街外れまで来てしまっていたようだ。魔法を使えば、すぐに戻れる。けれども帰りたい気分では無かった。
自身は何をしているのだろう。クレイグに言われるがまま、この街を訪れて。チェスターに言われるがままサーカスを訊ねた。彼らの掌の上で踊った挙句、本音をぶつけて、なにを得たのだろう。噛み合っていた筈の歯車は、結局何一つ噛み合ってなどいなかったのだ。全て私の思い込みで、彼と噛み合っていたのはエノーラさん一人。
綺麗な思い出一つ書き換えることが出来ない私は本当に無力な人間だ。愛しているだけなのに、そんな簡単なことを露わにすることが出来なかった。
「馬鹿みたい……」
行く当てもなく目の前の森へ進む。速足で駆けのぼっていけば、崖で行き止まりとなった。
拓けた先には今にも雨が降り出しそうな黒い雲と、イグーリカの街並みが広がっている。十九世紀の北欧を彷彿させる街並みに私は嘲笑を向けた。
「三賢者って北欧大好き過ぎでしょ」
意味のない口舌を拾ってくれるのは追風のみ。「飛び降りろ」と言っているようなそれに「意地悪ね」と零してみるも、やはり拾ってくれる人はいなかった。
飛んで行きたい。どこか、誰も私の知らぬところへ。帰りたい気分ではないが、死にたいわけでもなかった。
アッシュが誰かの為に死にたいと思えるのなら、私は誰かの為に生きたいと思う人間だった。かと言って、彼は私に死ぬことも生きることも強制しない。だからこそ、私は彼に生きることを強要しなかった。それが彼の為だと思っていたから。
けれども私は、ただ怖かっただけなのだろう。彼に拒絶されることや、エノーラさんに負けてしまうことが怖かったのだ。
恋も愛も面倒なくせに答えがない。面倒くさいものに捕まってしまったものだ。
「椿」
「アッシュ……」
背から声が聞こえ、踵を返す。そこにはアッシュだけではなく、フィーロや、チェスターもいた。揃いも揃いって迎えに来るなど、お人好しにも程がある。もしかしたらアッシュが声を掛けてくれたのだろうか、と思い立って、すぐさま脳漿から消し去った。
今の私には希望を抱くことすら恐怖そのもの。故に逃げようとは思わなかったが、逃げたいとは思った。
「帰ろう」
「どこに? どこに帰るの?」
ああ、嫌な言い方だ。嘲るような表情は今にも泣きだしてしまいそうな表情を隠す為。無駄に声を張ったのも、涙声を隠す為だ。
けれども、彼にはきっと届いていない。気付かれたくないと思っているのに、どこかで気付いて欲しいと思うあたり本当に矛盾している。無意識に期待している自分に心底嫌気が差した。