第41話「赤橙の自由」
「私のママも魔女だったの。使い魔がいて……でもソイツもママに仕えてただけだから私のものにはならないって、どっか行っちゃった。でもいいのよ。私、山羊派じゃなくて犬派だし」
「山羊派ってなに。アンタのママ、山羊好きだったの?」
「知らないわ。でも山羊野郎を連れてたから好きなのかと思って」
どうやら思った以上に変わり者らしい。俺は頬を引き攣らせながら、橙色の空へ目をやった。
「早く帰った方が良い。魔女とはいえ逢魔が時に出歩くのは……」
「アッシュも帰ろう?」
「俺は墓守だからココからは動けない」
「契約したから大丈夫よ」
「え?」
「契約したからココから動けるよって言ったの。もうアッシュは自由よ」
「……は?」
「私ね、魔女にしては魔力が足りてないのよ。だから、こういう道具を使って魔法を使うの」
先程、嵌められた首輪を指差したエノーラが得意げに笑う。勝ち誇ったような笑みには嫌な予感しかなかった。
「ずっと可愛いなって思ってたの。黒のラブラドール!」
「最悪だ」
「これで私と君は一心同体。死ぬまで一緒よ」
「……このフワフワしたようなのは何? 心臓のあたりが擽ったいんだけど」
「それは私が感じてる〝嬉しい〟って気持ち。悪魔は人間の感情を喰べるんだってね。だから上手に喰べてね」
正直、理屈がどうなっているのかは全く分からない。それでも彼女の感情が流れてくることで、逃げられないことを悟った。上手に喰べてね、と言われても上手く出来る筈がないだろう。
足取り軽やかな彼女がリード引っ張る。仕方なしに付いて行くと、エノーラは花の顔を綻ばせていた。
人間の姿になることが出来るようになったのは、それから暫く経ってから。一緒に過ごしていると、どうしても情が湧く。家事を手伝ってやりたいな、と思っても、地面を這う四つ足では何も出来ない。
俺も彼女と同じ姿だったなら、いや、どうせなら守ってやれるような。そんなことを考えていれば自然と姿形が変わっていた。
エノーラは自分の教育の成果だ、とか、自分の魔力の賜物だ、と言い張っていたが、どれも本気ではなかったのだと思う。俺の頭を沢山撫でてくれるあたり、褒めてくれているだろうことが分かった。
一緒に寝る時間が好きだった。人型の姿で過ごすと自然と消耗が激しくなる。身を寄せ合って眠る時間は幸せに満ち溢れていた。
人肌が心地良い。エノーラの匂いが心地良い。当時の俺は、その想いに身を委ねるだけで、そうなる理由など考えたこともなかった。答えなんて火を見るよりも明らかだったのに。
十七世紀の英国では魔女狩りが盛んに行われており、エノーラも魔女裁判を避けるよう〝普通〟を演じて生活していた。
屋敷を親族に奪われてしまったエノーラだが、ここが彼女の凄いところである。自力で街外れの小さな一軒家を買い取り、その後は平穏な日々を送っていた。どうやら資産までは奪われなかったらしい。俺は時に恋人を演じ、時に飼い犬のように振舞い、彼女と共に生きた。
しかし、エノーラが十九の時、俺は彼女に契約を破棄される。それはあまりにも突然の出来事で、事態を把握することが出来なかった。