第3話「唐紅の告白」
「おは……ふぁ~」
「挨拶くらいしっかりしなよ」
「眠い……」
「知ってる」
悪魔は眠くもならなければ、欠伸もしないらしい。大口を開ける私に、彼は〝呆れた〟とでも言いたげな表情を浮かべていた。そんなアッシュの手元は忙しなく動いている。隣に立って切りたての卵焼きを口に放り込むと、私は笑みを浮かべた……つもりだったのだが、笑ったのは相変わらず彼の方だった。
「もう、椿笑いすぎ。お陰で俺がニヤニヤ星人じゃん」
「美味しい」
「無視ですか。では、その美味しい卵焼きを持って食卓に座ってください。今日はフランディーゼに行くんでしょ?」
「はーい」
言われた通り皿を持ち上げて椅子に座る。既に用意された朝食に手を合わせ食べ始めれば、彼が私の背に立った。
「今日は編み込み?」
「ううん、ハーフアップにして」
「シンプル過ぎない?」
「たまにはいいでしょ。アッシュも楽だろうし」
「おーれーはー楽する為に椿といるわけじゃないんだけどー」
「……ごめんなさい」
「別にー、悪い意味で言ったわけじゃないのは知ってるしー? でも、そう言われるのは寂しいんだよ。俺はアンタの犬なんだから。死ぬまで扱き使ったらいいんだ。ずっとアンタと生きて、アンタと死ぬんだから」
優しい音吐が降り注いでくる。私は口をへの字に曲げ、背を振り仰いだ。
「私が死なせない」
「はいはい、だったら早くご飯食べて行くよ。あと動かないで。やり直しになるから」
「うっ……痛い」
顔を無理矢理前に向けられる。不服を申し立てするべく言葉を述べれば鼻で笑われた。
「はい、嘘。全部分かるんだよ。全部共有してんだから」
「変態」
「それは傷付くからやめよ?」
「ふふっ、本当に嫌がってる」
私達は繋がっている。〝共有〟と言っても、私はなんとなく分かる程度なのだが、彼は違うらしい。時折、心の声も流れ込んでくるらしく、おちおち悪口も吐けない。痛みも共有しているのだから、心配をかけまいとしても無駄である。
私も彼を分かりたいと思うのに、〝嬉しい〟〝楽しい〟〝悲しい〟そんな大雑把な感情しか分からなかった。それは彼が隠しているからなのかもしれないし、私が鈍いだけなのかもしれない。けれども、一つだけ強く流れ込んでくる想いがあった。それは〝寂しさ〟。
恐らく、遠い昔失くしたという初めての主に対する感情なのだろう。本当は〝彼女〟にも、こうやって世話を焼きたかったに違いない。出来なかったことを私にして満たされてくれるのなら安いものだ。彼が私を救ってくれたのなら、私も彼を救いたかった。
それでも〝一緒に死んでほしい〟なんて悲しい願いを叶えたいなど、とてもじゃないが思えない。故に私は〝永遠の命〟を手に入れる方法を探していた。
好きな人には生きていて欲しいものだ。けれども彼が嫌がるのなら、私も共に生きるしかあるまい。その永遠の中で傷が癒せたならいい、そう思っていた。そんな淡い想いも彼には筒抜けなのだろう。〝死にたい〟と言いながら付き合ってくれるのだから、彼も相当お人好しだ。
私は、そんな彼が好きだった。私のことを好きじゃなくてもいい。悪魔でもいい。死にたがりでも、〝彼女〟のことが好きでも全く構わない。〝これ以上〟を望むだなんて贅沢だろう。だから、彼との永遠があるなら、それで良かった。
幸か不幸か彼女は亡くなっている。この先、彼が愛した女性が姿を現すことはないのだ。それならばきっと私の傍にいてくれることだろう。だからこそ、人の生を放棄したい。私も悪魔になれたのなら良かったのに。
「俺は椿が好きだよ」
「……何か聞こえてきたの?」
「内緒」
アッシュはいつも〝内緒〟にする。言ってくれていることは本当なのだろう。それでも私の欲しい〝好き〟かは分からない。けれども幸せだった。ずっと一緒にいてくれるだけでいい。今は私の我儘を聞いてくれるだけで良かった。
「どこから行こうか」
「やっぱり王都からじゃない?」
「そうだね。私〝アジュールの魔女〟に会ってみたい」
「アンタ、俺の話聞いてなかったでしょ? 向こうで言う魔女って魔法使いじゃなくて所謂パティシエのことだからね」
「だから会ってみたいの。折角、異世界に行ったんだから名産のお菓子を食べなきゃ」
「旅行かよ!?」
「旅行気分も必要でしょ。二泊三日、楽しまなきゃ」
私はウィッカだ。それも選ばれた人間しか使うことの出来ない〝異世界を渡る力〟を持っている。私は週末、この力を使って異世界に飛び、永遠の命について探す旅をしていた。
「ホント能天気だよね」
アッシュは心配性だ。私は簡単に死んだりしないのに。
「じゃあ行こっか。ごちそうさまでした」
「待って」
「ん?」
「食器を洗ってからね」
こういうところは全く悪魔に思えない。食べ終えた食器を片付ける様を眺めてから、リビングの等身大の鏡を覗く。白い髪は綺麗に結い上げられ、心なしか上品な雰囲気も溢れているような気がした。
「可愛い」
「それは、どーも」
囁いただけのそれに食器を洗っていた彼が答える。犬並の聴覚で聞き届けたのか、心の声を盗み聞きしたのか。それに笑みを返したつもりだったのが、笑ったのはやはりアッシュだった。




