第34話「聴色の主張」
「なんで来たんだよ」
「何年かぶりの友人に酷いじゃないか。私は、そんなに邪魔だったかい?」
「邪魔だね。これだと椿の寝顔が確認出来ない」
「人の成長とは早いものだね。少女が女性になっていた」
「見たのか?」
「想像だ」
「相変わらず気持ち悪い奴だな」
「酷いじゃないか。私は傷付いたよ。本当のことを話すと血の匂いが変わっていたんだ。フルーティーで芳醇な……」
「血の話はいい。何をしに来た」
「不老不死の話を彼女にはしたのかい?」
彼の言葉に身を固くする。緘黙し、はす向かいに座る俺をジッと見据えてきたかと思うと、彼は溜息を吐いた。
自ら口を開く気はないと判断したのだろう。山羊の被り物を脱ぎ捨て本来の姿を晒した彼は、ついでとばかりに烏の羽も閉まっていた。
「君は彼女を、どうしたいんだい?」
「俺は椿を悪魔にしたいだなんて思ってない」
「それであの子が苦しむとしても?」
少し長めの横髪が揺れる。金糸のそれは白熱灯の下でも煌々と輝いていた。優し気な垂れ目の奥では、金眼が此方の様子を伺っている。それがどうにも居心地悪く、俺は目を逸らした。
「アッシュ、君はまた悲劇を繰り返すつもりなのかい?」
「違う。俺はただ……」
「ただ? ただ、なんだい? これ以上茶番を続けてどうなる? あの子の命は花と同じ。儚く須臾の時しか刻めないんだよ? 君も共に果てる、だなんて夢物語を今でも信じているのかい?」
言いたいことは分かっている。そもそも〝死〟の象徴である俺自身に〝命〟なんてものがあるのかすら分からないのだ。俺は死んだことがない為、その時が来てみないことには何も分からない。それでも俺は生きていたくなどなかった。
「心を傾けて死を望むのはいい。でも、その後、君は必ず蘇る。悪魔とはそういうものなんだよ」
「でも俺には、こういう生き方しか出来ない」
「エノーラが死んだのは君のせいじゃないよ。彼女は彼女の生を全うした。アレはどうにもならないことだったんだ」
「共に果てることは出来た。俺は孤独な彼女を、また孤独してしまったんだ。……その罪は消えない」
「アレはエノーラの決断だ。アッシュに幸せになって欲しいと……」
「そんなことは分かってる……! でも俺はエノーラに生きていて欲しかったんだ!! アイツは全然分かってない。分かってなくて、優しくて、残酷で。でも、その残酷なくらいの優しさを俺は愛しいって思ってたんだ……!」
「それが人の考え方なんだよ。色んな愛し方があるだろう。彼女の愛し方は自己犠牲の上に成り立っていた。ただ、それだけの話だ」
「分かってる……人は慈悲深い。故に罪深く残酷なんだ」
「分かっているのなら終わりにしないか。彼女の前から去るか、彼女を堕とすか。答えは二択に一択。私は心配なんだよ。あの子はエノーラに似過ぎている。このままでは、いつかアッシュが壊れてしまうよ。君はエノーラに愛を貰った所為か、愛し方も一つしか知らない。それは身を滅ぼす〝愛〟幸せにはなれないよ」
「幸せじゃなくていい。俺は椿と居れたらそれでいいんだ」
「その考えを、私は咎めているんだよ。あの子は強い。君がいなくても生きて行けるだろう」
「……椿は昔から、よく笑い、よく泣き、よく食べ、よく喰み、よく狂れる子だった。いつか気付いたんだ。この子は感受性が豊かなばかりに俺たちの感情も拾ってしまうんだ、ってね。
俺がしているのは〝持て余したもの〟を彼女を通して闇へと帰依させること。闇を闇に還してるだけ。つまり俺と彼女は離れたら生きていけないんだよ」
「それはアッシュが、そう信じ込んでいるだけだろう」
「大切な人がいない世界は午夜よりも深い闇だ」
「愛を知らないままなら良かった。けれども、彼女に主以上の情を抱いているのなら、私は友人として見逃せない」
お互いの主張が噛み合わない。即ちそれは耳を傾ける気は無いという意思の表れだった。