第33話「薄桜の不安」
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何を耳打ちされたのか。言葉を拾うことの出来なかった俺には、椿が落ち込んでいる理由が分からなかった。「三賢者を探す」と言い張る為、彼女を抱えたまま街を彷徨ったのだが、まるで心ここに在らず。何が食べたいかと訊ねるも、答えが返ってくることはなかった。
悪いと思いつつ心を探るも、すっかり閉ざされている。無理矢理抉じ開けるわけにもいかず、眠る彼女に寄り添うも、何一つ理解することは出来なかった。
どうしても彼女を失くしてしまった時のトラウマで眠ることが出来ない。本来悪魔は睡眠を摂らなくても良いのだが、寝ることが出来ないわけではなかった。むしろ昔は主に寄り添って寝るのが好きだったのだが、今となっては本当に目覚めてくれるのか不安で堪らない。だからこそ本来の姿で寄り添い、椿の寝顔をジッと見つめ続ける。この時間も、すっかり習慣化としてきて時間の使い方も上手くなったような気でいた。
それは安堵からくるものなのだろう。椿なら裏切らないことは分かっている。何かがあれば直接俺に伝わることも分かっている。けれども、頭と心は違うのだ。こんなことを思うあたり、俺も大概人間染みているなと、自身を嘲笑した。
少し離れてみるのがいいのかもしれない。近付き過ぎると分からないことが増えてくる。前の失敗でそれは分かっている筈なのに、俺は椿から離れることが出来なかった。
「これじゃ繰り返しだって分かってるんだけどね」
人型をとった俺は、椿の傍らに腰掛け頭を撫でる。それを数度繰り返してから髪を一房掬い口付けた。椿の薫香が鼻孔を擽る。彼女を起こさぬよう窓辺に向かうと、俺は部屋のカーテンを開け放った。
月夜を美しいと思う心は誰のものだろう。少なくとも黒暗を生きた俺が、自然を美しいと思うわけがない。
幾度も喰らった想いのせいで、気でも狂れてしまったのだろうか。悪魔などという不確かな存在であることがいけないのだ。不確かだから人格とも言える芯の部分が揺れ動き定まらない。だからこそ意味もなく苦しむのだ。
「不躾な客人だな」
顰めた顏で前を見据える。さすれば黒い翼をはためかせた友人が窓越しに笑っていた。椿が、良く寝ていることを確認してから窓を開ける。唇に人差し指を添え、静かにするよう指示すれば彼は俺の真似をしていた。
リビングへ誘いソファに客人を座らせる。今一度、部屋に戻って、戸締りと椿の寝顔を確認すれば、気持ちよさそうに寝息を立てていた。思わず緩んだ頬を諫め、布団を掛け直してやる。音を立てぬよう静かに扉を閉めてから、俺はリビングに舞い戻った。