50.《吸血鬼》
「ここで会うなんて奇遇だね。ところで、マスター君は今何て言おうとしたのかな?」
「あ、はは……昨日は言えなかったけど――タイプじゃないって言おうかと……」
「その気持ちは分かるよ、うん。私もやはり彼らのようなどうしようもない人間よりかわいい女の子の方が好きだからね。むしろ、女の子はかわいいと言えるね」
まるで狙ったかのようなタイミングで現れたグリムロールさんは、そんなことを言い放つ。
一先ずは、誤魔化せたようでホッとする。
「なんだとぉ?」
「おっと失礼、ほんとのことを言ってしまったかな?」
さらにグリムロールさんは煽りを続ける。
穏便に済ませることはできないかもとは思っていたが、何も煽る必要もないのだけれど……。
グリムロールさんは僕と先ほど絡まれていた子を守るように前に立つ。
(あ、一応守るつもりで来てくれてはいるんだ……)
そこは感心する――タイミングが悪いけれど。
「あ、あの……」
「えっと、大丈夫?」
「は、はい、ありがとうございます」
まだ助かったわけではないけれど、少女はぺこりと僕に礼をする。
これからチンピラ達に対応するのはグリムロールさんになるのだけれど。
「てめえも女だからって容赦しねえぞ!」
「私も君が弱いからといって容赦はしないよ」
「てめえッ!」
男がキレて殴りかかろうとする。
だが、グリムロールさんは突っ込んできた男の手を軽く掴むと、足をかけて転ばせた。
そのまま男の腕をあらぬ方向へと曲げる――
「グリムロールさん、ストップ!」
「マスター君は心配性だなぁ。折りはしないよ、外すだけさ」
ポキリという音が周囲に響く。
グリムロールさんは少しだけ驚いた表情をして、
「あ、折っちゃった」
「ぐぎゃああああっ!」
「やりすぎだって!?」
少しだけ申し訳なさそうな表情をするグリムロールさん。
地面をのたうち回る男に対してこの表情はいかんともし難い。
周りの男達が腕の折れた男を支え上げる。
「お、おい。逃げるぞ!」
「だ、大丈夫か!?」
どうやら、グリムロールさんの強さを悟ったらしい。
確かに、今の戦いとも言えない戦いを見れば分かるけれど、グリムロールさんは本気の「ほ」の字も出していない。
《吸血鬼》は高い戦闘能力を持つ――グリムロールさんが本気を出せば、おそらく先ほどの男達は話をする間もなく倒されていただろう。
一応、人並みに加減はしてくれたのかもしれない。
「大丈夫かな、マスター君と美少女ちゃん」
「ありがとう、グリムロールさん」
「え、えっと……お二人ともありがとうございます」
「ふふっ、なぁに。美少女のために本気を出すのは当然の務めさ。ただ、マスター君。君に迫る危機については少しだけ警告しておこうかな」
「え、危機?」
たった今それを回避したばかりだと思うのだけれど――そう思っていた僕の背後から、物凄い圧を感じる。
振り返ると、とても優しげな笑顔でこちらを見ているレイアがいた。
「あ……」
「その『あ……』はどういう意味での『あ』ですか? 『あ』なたのレイアはここにいますよ?」
レイアの制止も振り切って助けてしまったからには、こういう事も覚悟をしておかなければならない。
少女の方はレイアの圧には気付いていないようで、
「あの、本当に助かりました」
そう言って、僕の手を握ってくる。
少女の手は少しだけ震えていた。
ここで握り返してあげるのが普通なのかもしれないけれど、今の僕にその選択肢はない。
「い、いや、助けてくれたのはグリムロールさんだから――って、あれ!?」
振り返ると、すでにグリムロールさんの姿はない。
まさかのレイアの雰囲気を見て逃げ出した……?
吸血鬼のグリムロールさんがそんな空気を読めることをするなんて。
「ふふっ、マスター。後で、お話しがありますから」
「は、はい」
僕はレイアの言葉に素直に頷くことしかできなかった。
***
「ちくしょぉ……! う、腕がぁ……」
人通りの少ない路地裏――腕を押さえながら、男がそう呟く。
昨日まで一緒にいた男とはまた別に――この男もまた町で女を見つけては声をかけて連れ込み、場合によっては乱暴行為にまで及ぶ外道だった。
ただ、昨日の男はまだ連れ同士ならば手を出さないという一定の流儀を持っている。
それに比べると、この男と仲間達は昨日の男とは相容れなかった。
「だ、大丈夫かよ?」
「大丈夫なわけねえだろ! くそっ、もうキレたぜ……もっと人数集めて、あの女どもに復讐してやる。手始めにあの弱そうな女からだ」
「――その弱そうな女というのは、もしかして灰色の髪の子かな?」
「っ!?」
男達が振り返ると、そこには女性――グリムロールが立っていた。
先ほど、男の腕をへし折ったグリムロールは、こつこつと足音を立てながら近づいていく。
「て、てめえ、いつの間に……」
「いつの間に、という表現は正しくないね。ここはすでに私の《領域》だからさ」
グリムロールがそう答えると、周囲の影の色に変化が生じる。
路地裏は日当たりが悪いとはいえ、ここまで暗くなることはない。
もはや漆黒と言っても良いレベルの色合いに、男達が恐怖する。
「ひっ……!? な、なんだ!?」
「私はマスター君を守る使命を帯びていてね。あそこにいたのも偶然じゃないんだよ」
グリムロールの眼の色に変化が生じる。
眼球は白から黒へ――瞳は深紅に。
にやりと笑った口元には、大きな牙が生えていた。
「彼は私を楽しませてくれるかもしれない存在なんだよ。だから、ほんの少しでも……たとえ君達のようなゴミのレベルだったとしても、害する者は存在してはならないんだ。分かるかな?」
「ま、待――」
男の一人が命乞いをしようとした。
最後まで言い終えることなく、男の声はそこで途切れる。
残されたのは、グリムロールただ一人だ。
「さて、この辺りももう十分かな。残りは北の方かな。あははっ、夜が待ち遠しいね」
グリムロールは一人、影の中へと沈むように姿を消す。
そこはすでに、何事もなかったかのように静かな場所へと戻っていた。




