38.いつの日にかそれを望む
落下と同時に、背中に感じたのはふんわりとした柔らかい感覚だった。
レイアとぶつかって落下した――そのはずなのに、視界は暗く何も見えない。
背中のふわふわはどうやらヤーサンらしい。
「かぁー」という鳴き声が耳に届く。
少し大き目のサイズになっているようだった。
「ご無事ですか、マスター」
「うん、大丈夫。レイアは?」
「はい、この通りです」
「うん、いや、無事ならいいんだけど……」
ぐっと手に力を入れても動かない。
明らかに手を何かで押さえつけられているような感じだった。
「あの、レイア」
「はい、何でしょうか」
「勘違いだったら悪いんだけど、僕の上に乗ってる?」
「一応上にはいる形になりますが」
「そうだよね。いや、何か暗くて見えないからさ」
「……見たいですか?」
「見たい? それってどういう事?」
「こういう事です」
レイアの言葉と同時に視界に光が入ってきた。
僕の視界が最初に捉えたのは――黒い下着だった。
「……マスターのえっち」
「色々とおかしいよね!?」
スカートをたくし上げる格好で恥ずかしそうに僕を見下ろしているレイアだが、そもそも空中から落下する事故からここまで繋げる技術力がすごすぎる。
僕の手を膝で押さえるようにしていたのだ。
「勘違いされているようですが、これはあくまで不慮の事故でして……」
「事故だったら飛び退くとか色々あるよ! 完全に故意だよね!?」
「こ、恋ですか? マスターは私に恋をしていると――」
「言葉が違うよ! それにこの状態で生まれる恋はろくなものじゃないね!」
レイアの下着を見せつけられる格好のまま言い合っていると、空からさらに鎧の騎士が降りてくるのが見える。
すぐ傍にガシャンッという音と共に降り立ったのは、アルフレッドさんだった。
「アルフレッドさん、お仕事が早くて助かります」
「……」
レイアの言葉に対し、アルフレッドさんは最初に会った時のような金属音では返答しない。
静かに僕とレイアの動向を見守るような姿になっていた。
――というか、この状態を見られるというのがそもそも問題だった。
「こ、これは違うんだ……!」
「マスター、アルフレッドさんはデュラハンなのでどういう状態かまで詳しくは見えてないんですよ」
「あ、そうなの?」
「はい。アルフレッドさんから見ても、私がマスターの上に乗っているようにしか見えないと思います。だから、私がマスターの上にその……またがって下着を見せているところはアルフレッドさんには見えないんですよ」
「またがって下着を見せてるって認めたよね!? しかも口にしたし!」
アルフレッドさんには見えていないという唯一の救いが何の意味も果たさなかった。
ちらりとアルフレッドさんの方を見ると、スッと左手を頭の方に動かして、視界を隠すような格好を取る。
「え、えっと……?」
「『私は何も見ておりませんゆえ』、とアルフレッドさんは言っています」
「き、気を使わないで! 勘違いだからね!」
「勘違いだなんて……!」
「嫌なら退いてほしいんだけど!」
その時、パキリッと周辺で何かが砕けるような音がする。
レイアもここにいる時点で分かっていたが、すでに結界の主を倒しているのだろう。
そうなれば、自然と結界が崩壊していくのは必然だった。
けれど、その前に僕もやらなければならない事がある。
「中の人達が無事かどうか見ないとダメだから!」
「アルフレッドさんが確認しています。魂のない身体は存在しないそうですよ」
「オオオオォォ」
レイアの言葉に対し、身体を揺らして肯定するアルフレッドさん。
僕としては真面目な方に話題を移して自然な流れで退いてもらうつもりだったのだけれど。
「いや、本当に。このままだと誰かに見られるから。アルフレッドさんとか一緒にいるところ見られるとやばいよ!」
「……」
「あ、そ、そういう感じの意味じゃなくてね!」
「大丈夫ですよ、アルフレッドさんも理解しています。アルフレッドさん、ありがとうございました」
「オオオオオオオォォォ……」
レイアの言葉に従うように、アルフレッドさんは地面に剣を突き刺した。
すると、周囲に黒い泥のようなものが出現し、その中にアルフレッドさんの身体が吸い込まれていく。
レイアに押さえつけられたまま消えていくアルフレッドさんを見送るのはシュールだった。
「これで邪魔者はいなくなりましたね」
「これから色んな人に見られるかもしれないんだけど!?」
「マスター」
「な、なに?」
「既成事実という言葉をご存知ですか?」
「僕がレイアの下着を見ているという事実がどこに必要なのか説明してもらえるかな!?」
「わ、私の口から言わせるんですか?」
「恥ずかしがるくらいならさっさと退いてってば!」
「かぁー」
さりげなく僕とレイアの下で支えてくれているヤーサンがまた、呆れたように鳴く。
結局、ギルドや崩壊した結界の外から人が出てくる前に、ヤーサンが身体を横に倒してくれた事でレイアの拘束から逃げられた。
ギルド内にいた冒険者達はザイシャに抵抗したのか、重症の者もいた。
けれど、ザイシャの言った通り殺された者は一人もいない。
フィナも怪我はしていたけれど無事だった。
レイア曰く、レイアの戦った男――リーザルという老人が、冒険者達を使って《異形》を生み出そうとしていたためらしい。
ある意味、不幸中の幸いとも言える事だった。
短い期間で《黒印魔導会》に所属する三人の魔導師と問題を抱えてしまう事になったけれど、一先ずは退ける事に成功した。
ただ、僕としても危惧している事は、最初のブレインの時のように再び嗅ぎつけてそのメンバーがやってくる可能性だった。
この問題もあったから、飲み会に参加するために来たわけだけど――結局状況の説明やら何やらで、僕の一日は終わった。
***
数日後――僕はギルド内で二枚の手紙を受け取り、それを見つめていた。
怪我をした冒険者達の多くは回復し、今日は改めて飲み会をしようという日だったわけだ。
腕の立つ冒険者もいる場所を軽く制圧し、支配した《黒印魔導会》の魔導師――そのうちの三人を全て僕が倒したという事実はすでに広まっているわけで。
「おめでとうございます、マスター」
「あ、ありがとう?」
一枚目の手紙に書かれていたのは、冒険者ギルドからの感謝状。
それと特別昇格という事で、僕は冒険者として少ない実績ながらも二階級特進――まるで死んだ扱いのようにCランクの冒険者となっていた。
そして、もう一枚は現《魔導協会》からの魔導師としての僕の勧誘。
手紙に書かれているところ見ると、黒印魔導会に所属している魔導師はほとんどが犯罪者として扱われおり、それを退けたという実績は非常に高く評価しているとの事だった。
一度魔導協会の本部まで来るようにという催促までついている。
「……なんて言うか、うん。複雑だよね」
「私は五百年後の世界でもマスターの実力が認められていく事は非常に嬉しく感じておりますが」
「まあ、僕も褒められる事は嫌いじゃないよ。けど、これだとまた利権争いやら何やらに巻き込まれそうな気がして……」
「嫌なら行かなければいいんです」
「あっ」
レイアはそう言うと、僕宛ての魔導協会の手紙を取った。
「マスターはお人好しですね。別に冒険者として生きていかなくても私が養いますし、魔導協会の話だって無視でいいんですよ」
「いや、そんな養われて生きていきたいわけでもないし……魔導協会も今どうなっているか興味がないわけじゃないよ」
「……そう、ですか。でも、今日は飲み会に参加しにきたわけですから、魔導協会の事は忘れましょう」
「いや、でも……」
「仕方ないですね。ですが、この手紙は言わば招待状――これがほしければ私から手紙を奪うしかないですね」
そう言って、レイアは手紙を懐に入れた。
文字通り、本当に懐に入れていた。
「いや地肌に入れる必要性はないよね!」
「手紙が見たければ私の胸に手を突っ込むしかないわけですね」
「ずっと入れておくつもりなの!?」
「私の裸を平気で触れるマスターなら大丈夫ですよね」
「色々と語弊があるよ! 検査で触るのと普通に触るのは違うから!」
「! そ、そう聞くと何かアダルトな雰囲気を感じますね……」
「どこに!?」
「あ、やっぱりここにいたのね」
僕とレイアがそんな風なやり取りをしていると、フィナが他の冒険者達を連れてやってきた。
飲み会の時間にはまだ早いはずだが――すでに何人かは酒瓶を持っている。
黒印魔導会との戦いもあって、正直僕の事は敬遠されるかもと思っていたけれど――まったくそんな事はなかった。
「おう、フェン! 来ていたなら酒場の方に来いよ。もう飲み始めてるぜ」
「え、早くない? 夕方からだって聞いてたけど」
「バカ野郎おめぇ……酒を飲むのに早いも遅いもあるか!」
「私も酒場に言ったらこんな感じで……あ、久しぶりにボローズ達も見たんだけど、あなた何かしたの?」
「え、何もしてないよ――ていうか、ボローズって誰だっけ」
僕がそう言うと、冒険者達は顔を合わせて笑い始める。
「はははっ、やっぱお前は大物だな!」
「え、いや本当に覚えてないんだけど」
「まあ、そうかもね。一回しか会ってないし。とにかくあなたがいないかどうか確認して回っていたから、顔を出せば分かるんじゃない?」
「そうだね。確認してみないと分からないし」
「そういうわけで、今日は朝まで飲むぞー!」
「え、朝まで!? それはさすがに――」
「ではマスター、私は朝方迎えに来ますので」
「まさかの了承!?」
朝まで飲み会をレイアが許可してしまったために、僕が朝まで飲む事が決定してしまった。
別に酒に強いという事もないのだけれど……というか朝まで飲みたくはないのだけど。
「レイアさんは来ないの? 良かったら一緒に――」
「お誘いありがとうございます。ですが、今日のところは予定がありますので。ではマスター、また明日に」
「え、レイア?」
レイアはそう言って早々にギルドから出て行ってしまう。
酒瓶を持った冒険者達に囲まれて、僕は完全に逃げ場を失ってしまった。
「じゃあ早速行こうぜ」
「まずは小手調べに樽一本から行くかぁ」
「樽飲める奴なんていないでしょう……いないわよね?」
「レイア! 早く迎えに来てくれてもいいんだよ!?」
レイアにそんな風に頼ったのは初めてかもしれない。
けれど、僕の声はレイアに届かず――結局朝まで飲み明かす事になるのだった。
***
《ハロルド竜峯跡地》――かつて竜が住んでいたと言われる場所は、未だに言い知れぬ緊張感が残り、ここには好んで魔物も近づいてこない。
ある意味、自然にできた安全地帯と呼べる場所だった。
ただし、同族が来ないとは限らないのだが。
そこの一角――高い崖のある場所に、その施設はあった。
《魔導協会》本部――多くの魔導師達は、この魔導協会に所属している。
五百年以上前から存在する組織の一つだ。
ただ、実力のある魔導師が年々減っていく中で、《黒印魔導会》のような組織が台頭してく事に頭を悩ませていた。
――そんな場所に、レイアはいた。
理由は簡単、手紙を受け取ったはずの冒険者フェンの代理。
ただし、レイアの目的はそこにはない。
「――以上の通り、《魔導王》フエン・アステーナはこの世界において平穏を望まれています」
「……それを信じろというのか?」
ローブを羽織った数人の人陰の中心部に、レイアは立つ。
レイアは伝えるべき事は全て伝えた。
フェンという冒険者の正体と、そしてマスターであるフエンの目的を。
否――フエンの目的ではなく、そう思われるようにレイアが話しただけだった。
ここにいるのは、レイアが望む事を達成するためでもある。
「以前からマスター宛てに手紙を送る事があったではないですか。何のために、私がわざわざあなた方のお話しを聞いていたと思うのです?」
「しかし、魔導王と呼ばれる男が望む事が、まさかそのような――」
「おかしくなどありませんよ。マスターはそういう方なのです。もちろん、信じないというのならそれで構いません。あなた方はマスターと敵対する方向を取られるというのであればそれでも構いませんが」
「いや、待て。条件は本当にそれだけでいいのか?」
「ええ、もちろん。ただし、この話はこの場限りとさせていただきます。もし、仮にマスターの存在が他に知られるような事があれば――」
レイアの言葉と同時に、暗がりの部屋にいくつかの気配が現れる。
その場にいた魔導師達は、魔導協会を束ねる実力者揃いだ。
その彼らが今になって気付く。
化物達の侵入を許していたという事実に。
赤い瞳、全てを呪ったような声、赤く揺らめくような剣――それぞれがこの場にいる魔導師達全員でかかったとしても倒せるような相手ではないと、即座に理解させる存在だった。
「すぐに返答しろ、とはもちろん言いません。ただ、いいお返事を期待しています」
レイアはくすりと笑って、その場を後にする。
それに追随するように、化物達も姿を消した。
残された魔導師達が再び話を始めるまで、数十分以上の時間を要したのだった。
外に出たレイアは、すぐに待機させていた者を呼ぶ。
「ポチ、帰りますよ」
「わんっ」
ザンッ、と空を裂くようにやってきたのはポチ。
その巨体が一瞬でやってくるのだから、知らない者が見れば恐怖以外の何物でもない。
ハッ、ハッと荒い息遣いのポチをなだめながら、レイアは一人呟く。
「ふふっ、マスターの存在が徐々に知られていく事は本当に喜ばしい事です。けれど、マスターは臆病な性格ですから。また命を狙われるような生活が始まれば、眠りにつく事を選んでしまうかもしれません」
「わぁん?」
「そうですよ、ポチ。だから私達が守るんです。まさか、魔導王としての名前が自衛の手段の一つとして使う事になるとは思いませんでした。本当は、マスターにはこの世界の支配者として君臨していただきたいくらいなのですが……まあ人はすぐに変わらないと言いますからね」
「わんっ」
レイアの言っている事を理解しているのかいないのか――ポチは純粋な声で答える。
レイアはフエンの望む世界を手に入れるために動く。
そう言いながらも、レイアの望むフエンの姿に近づけるために、レイアもまた動いていた。
これも全てはフエンのためになる――そう疑う余地などない。
「さ、随分と遠くまで来てしまいましたし……明日の朝までにマスターを迎えなければなりません。急ぎましょうか、ポチ」
「わんっ」
今頃、フエンは冒険者達と飲み会に明け暮れている頃だ。
レイアはまだ酔っぱらったフエンを見た事はない。
丸一日飲み明かしたからには、フエンは酔い潰れているかもしれないし、ひょっとしたらレイアの知らないフエンが見られるかもしれない。
「あわよくば私を押し倒してなんて――そんな事、マスターはしませんか……」
「わんっ」
「で、でももしそんな風になったら……ね、念のため準備だけはしておきますか」
「わん?」
「何の準備?」とポチが首をかしげるが、レイアは「知らなくていい事です!」と誤魔化した。
もしかしておいしいご飯の話をしているのかもしれない――そんな風に考えたポチは、今までにない速度でフエンの下へと走ったのだった。
町中に巨大な狼が現れ、酔っぱらったフエンがそれを制する――《魔物使い》としての名を広めてしまう事になるのだが、この時のレイアには思ってもいない事だった。
そんなフエンが、自信を持って魔導王を名乗る日が来る事を、それでもレイアは信じているのだった。
この辺りで一区切りとなります!




