36.進み続ける者
アルフレッドが動いた。
地面を踏み締めると同時に、ガシャンという金属音が響く。
その一歩によって、石造りの地面はひび割れる。
リーザルの召喚した《異形》達はそれにいち早く反応した。
数種類以上の異形はそれぞれ人間や動物の姿をしている。
蛇の異形が地面を這うようにアルフレッドへと近づく。
アルフレッドの足元へと近づき、その動きを止めようと絡みつく。
蛇は尾の部分を地面に突き刺すと、ギリギリとアルフレッドの足を締め上げる。
レイアはその様子を後方から確認する。
鎧の上からでも分かる――金属の悲鳴を上げるような音が響く。
「オオオオォォ……」
ガシャンッ――アルフレッドは意に介さず一歩を踏み出した。
「キシュッ」
空気の抜けるような音が聞こえる。
アルフレッドはただ歩くだけで、それを引き千切ったのだ。
「ほほほっ、この程度では止まらんか」
リーザルが余裕の笑みを浮かべ、次の指示を出す。
次に出てきたのは人型の異形だった。
アルフレッドを超える巨駆で、止まる事のないアルフレッドの前に立つ。
さらに左右から二体――角の生えた馬と、狼の姿をした異形がアルフレッドに迫る。
「オオオォォ」
アルフレッドは左右を向くような仕草を見せる事もない。
迫る角を握ったかと思えば、そのままの勢いで狼の方に投げ飛ばす。
ぶつかり合った異形達はグシャリと原形をとどめることなく潰れた。
その一瞬の隙をついて、アルフレッドの前に立つ人の異形は拳を振りかぶる。
アルフレッドの腹部に強烈な一撃が入る。
ズンッとわずかに後方へ滑るが、アルフレッドは踏みとどまる。
異形の大きな腕をアルフレッドが握りしめると、右手に持った剣を振るった。
「ぬっ!?」
リーザルが驚きの声を上げて、後方へと跳ぶ。
アルフレッドが剣を振るうと同時に、人型の異形は吹き飛んだ。
黒い靄のような魔力の塊が直進する。
それは他の異形達も飲み込んで、その存在を消し飛ばす。
「ふふっ、いつ見ても素晴らしいですね。アルフレッドさんはお掃除が得意なので助かります」
「ほっ、これは驚いたの。魔力の質が濃すぎるのか」
「見ただけでそれを理解しますか」
アルフレッドが振るったのは純粋な魔力――身体を流れるそれを使用して魔法となる。
今でいえば魔法陣を介す事で魔法を発動させる事になるのだが、アルフレッドが使ったのは魔力そのものを飛ばしただけのものだ。
アルフレッドの魔力はその質が濃すぎるために、触れたものを飲み込んでしまう。
一種の《固有魔法》とも呼べる代物だった。
アルフレッドは再び一歩前に踏み出す。
その瞬間、先ほど潰されたと思われた二体の異形に変化が起こる。
狼のような姿で角を生やし、アルフレッドの後方から迫った。
「オオオオォォ」
「――かかか、油断したの」
その角は背中から、アルフレッドの胸を貫く。
角は即座に先端が開き、返しを作り出す。
狼はそのままアルフレッドの身体を持ち上げて、大きく振りまわし始めた。
「――」
ドォン、ドォンと地面に叩きつけられるアルフレッド。
ボロ雑巾でも振りまわすかのように、鎧の騎士を軽々と持ち上げる。
叩きつけられるたびに地面が抉れ、鈍い金属音が周囲に響く。
あらぬ方向へと身体の関節が曲がっているように見えた。
だが、レイアは表情を返る事なく、その様子を静かに見守る。
「ほほほっ、お前は動かんのか?」
「今はアルフレッドさんにお任せしているので」
「そうか。だが、傍観しているつもりのお前に手を出さないわけもないの」
「!」
その言葉と同時に、地面から二本の黒いロープのようなものがレイアの足を掴む。
それは、先ほどアルフレッドが引き千切った蛇の尾だった。
ギリリとレイアの足を強く締め付ける。
「何故でしょう。あなた達は女性を締め上げる事が趣味なのですか?」
「ほほほっ、ブレインにもやられたかの? あやつは人の苦しむ姿を見るのが好きらしいからの」
「あなたは違うと?」
「面白い――苦しむ姿に興味はないの。ただ、わしのためなってくれればよい」
「……下衆ばかりですね、《黒印魔導会》は」
「かかかっ、否定はできん! 人形のお前は苦しむのかの? それとも、その偽りの命を終えるまで澄ました顔でいられるのかの?」
ドプンッと水の中から出てくるように、レイアの周囲に次々と異形が生み出される。
レイアはそれでも慌てる様子はない。
「アルフレッドさん」
レイアはその名を呼ぶ。
だが、その姿はすでにここにはなかった。
振り回されたアルフレッドは、すでに数十以上の異形達に飲み込まれていた。
「これで終わりだの。いやはや、それなりに強いとは思っておったが――蓋を開けて見ればなんて事のない。所詮はたかがアンデッドと人形だけ」
「……先ほどから人形、人形とうるさいですね」
「む? 人形と呼ばれるのは不快か?」
「ええ、あなたに呼ばれるのは特に」
「かかかっ、それならばいくらでも呼んでやろう。人形のお嬢さんや……人の真似をしたところで、お前はどうせ人形なのだからの。偽物は所詮、偽物じゃ」
「……もちろん、そんな事は知っていますよ。でも、私はそれでいいんです」
「なに?」
「だって、そうでしょう? 私がただの人だったら、この状況に恐怖してしまうかもしれないですから」
レイアにもその感情がどういうものかは理解できる。
フエンに危機が迫れば、レイアはそういう気持ちを感じる事ができるのだから。
けれど、自身に迫る危機についてレイアはそういう感情を抱かない。
そういう意味では、リーザルの人形という言葉は正しいのだろう。
「まあ元より、この状況では恐怖できませんが」
「ほほほっ、随分と余裕だの。お前の仲間はすでにいないというのに」
「いない? 何を言っているのですか――」
レイアはここでようやく笑顔を見せた
その表情を見て、逆にリーザルから笑みが消えた。
アルフレッドには異形達が群がり、黒いドームが形成され始めている。
あの中でアルフレッドは切り裂き、貫かれ、焼かれ――異形達がそれぞれ持つ能力を受け続けているはずだった。
およそ人間では耐えられないもの――だが、アルフレッドは人間ではない。
「オオオオォォ……」
「! この声は……」
ずるりと、一本の剣がドームの中から出現した。
ドームの整い始めていた形が一気に崩れ、ボコボコと異様な膨らみを見せ始める。
バシュンという大きな音を立てて空気のように吹き出すのはアルフレッドの魔力。
剣先はゆっくりとドームを縦に斬っていく。
首のない騎士は――何事もなかったかのように再び動き出した。
「ほっ、ほほ……これは恐ろしい――驚いたの」
「ふふっ、本音が漏れていますよ」
「……集束せよ」
リーザルがそう言うと、レイアの周囲にいた異形からドーム上になっていた異形――さらに、周囲に展開して様子をうかがっていた異形達まで集まっていく。
集まったそれはスライムのようで、液化した身体が音を立てて混ざっていく。
十数体にも及ぶそれが混ざり合い、一つの存在としてそこに現れる。
「黒い騎士――アルフレッドさんの真似事ですか?」
「ほほほっ、言うたではないか。わしは変質の魔法を扱う。そこのデュラハンを取り込んだ時、およその力は把握した。それを倒せるレベルのものを作り出しただけだの」
アルフレッドと同じような姿をした鎧の騎士――先ほどまで異形達よりも姿を成しているが、それでも変わりはない。
異形の騎士はアルフレッドと向き合う。
大きな違いがあるとすれば、異形の騎士は首より上を持つという事。
その騎士に対しても、アルフレッドは動きを止める事はない。
ガシャンッと大きな金属の音を立てて、前に出る。
異形の騎士もまた、アルフレッドの方に向かう。
「騎士と騎士、一対一の戦いだの」
「一対一、ですか。あなたは十数体にも及ぶ異形を混ぜ合わせたではありませんか」
「ほほほっ、それを卑怯とは言わぬだろう?」
「ええ、もちろん言いませんよ。ただ、一つだけ――傍観しているつもりのあなたに手を出さないわけもないのですが」
「何――」
リーザルが周囲を警戒する。
だが、何か起こる様子もなく、レイアの方にも動きはない。
それはそうだ――レイアが何かするわけではない。
「がっ……ば、馬鹿な」
リーザルの身体を貫いたのは、黒い槍だった。
否、正確に言えば槍ではなく銛だった。
棒状のそれに、ロープのようなものが伸びてアルフレッドにまで続いている。
アルフレッドが自身の持つ魔力を練り上げて、擬似的な武器を作り出したのだ。
機動力がない――そう思わせるアルフレッドの動きが油断を生んだのだ。
地面をしっかりと踏みしめ、アルフレッドがロープを引く。
「アルフレッドさんが初めから見ていたのはあなただけですよ。一度ターゲットにした相手を永遠に追い続ける妄執が彼にはあるのです。首から上がないので、誰を見ているか分かりにくいのですが」
「オオオオオォォ……」
「が、ふ、ま、まだ……」
身体を引きずられながらも、リーザルが異形に指示を出す。
異形は手に持った剣でアルフレッドの引くロープを切断するが、アルフレッドはそれを一瞬でつなぎ合わせる。
魔力でできたロープだ――切断したところですぐに繋ぎ合わせる事は容易だった。
異形の騎士はすぐにアルフレッドを斬ろうとそちらに向き直る。
――先に動いていたのは、レイアの方だった。
「偽物は所詮、偽物……まったくその通りだと思いますよ」
レイアは剣を振りかぶろうとした異形の騎士の前に降り立つと、その腹部に手を触れた。
レイアの手から魔法陣が出現すると、異形の騎士の動きが止まる。
「一か所に集めたのが仇になりましたね――動きを止めるのが楽で助かります」
「に、人形風情が……このわしを……!」
「ふふっ、まだ私の事をそう言うのはその口ですか? でも、いいですよ。最後くらいは、好きな事を言わせてあげます。私はこう見えて――いえ、見ての通り慈悲深いんですよ」
笑みを浮かべて、リーザルを見下ろすレイア。
その表情は、とてもフエンに見せられるものではなかった。
リーザルにはもはや余裕などない。
身体を貫かれたまま、ずるりずるりとアルフレッドの方へと引かれていく。
いくら抵抗しようとも、アルフレッドは一度捕えた相手を逃がす事はない。
「あ、ああ……こ、こんなところで、わしは、わしは……! やめろ、わしはまだ死ねぬのだぁ!」
「あなたはこういう状況で恐怖できるのですね。意外と人間らしい」
レイアがそう言うと同時に、アルフレッドの剣が振り下ろされた。
斬って捨てるというような生易しいものではなく、捻り潰すというような表現の方が正しい。
アルフレッドは剣を振り下ろしたというのに、地面を抉るような魔力によって――リーザルを跡形もなく吹き飛ばした。
主を失った異形の騎士は、徐々に身体が崩れ始めていく。
「アルフレッドさん、こちらもお願いします」
レイアは異形の騎士を拘束していた魔法を解く。
それと同時に異形の騎士は動き出すが、レイアはもう興味を失っていた。
殺すべき相手を殺した――後はフエンのところへ戻るだけ。
周囲の結界も徐々に崩壊が始まっている。
レイアは駆け足で屋上からフエンのいる方向へと向かった。




