35.《黒印魔導会》
結界の外側から見る中の様子は普通だった。
灰色の壁がそこにあるようで、周辺を人々が囲うような形になっていたのは見えた。
僕は既に、結界の中にいるわけだけど。
その中はまるで――
「異世界……というところでしょうか」
「結界内を変化させているって事は、それ相応の魔導師がいるという事になるね」
周辺の空間が歪んでいるのは、魔法によって結界内を書き変えているとも言える。
外と中で確認できる状況はまるで違う――だが、僕のやる事は変わらない。
「敵は――二人、かな」
「分かりますか、さすがマスターです」
「分かりたいわけでもないけど……こうも見られてる感じがするとね」
この中に入った時点で、向けられた敵意には気付いていた。
敵側の反応は早く、僕達が結界を破って入ってきた事には驚いていないようだった。
「どうやら、奇襲というわけにはいかなかったようですね」
「うん、意外とやるみたいだ」
「マスター、ここはやはり二手に分かれるしかないかと。私は上の方にいる魔導師を」
「そうだね、僕は中にいる方を。物凄く呼んでる感じがするし……」
殺意を向けられて呼ばれるのはあまりない経験だった。
僕とヤーサンは冒険者ギルドの中へ。
そして、レイアは上――ギルドの屋根の方にいる何者かと対峙する事になった。
「マスター、最後に確認です」
「ん?」
「必要な場合は、どのような方法を取ってもよろしいので?」
レイアの質問の意図はすぐに理解できた。
僕に――相手を殺してもいいか、と聞いているのだろう。
レイアは僕が望む平穏という言葉があるからこそ、それを守ろうとしてくれているのだろう。
「うん、必要なら構わないよ。戦うと決めた以上はそういう選択肢は当然必要になる」
「――承知しました。ではマスター、ご武運を」
僕の回答を聞いて、レイアは地面を蹴って跳躍する。
その姿は、どこか嬉しそうだったようにも見えた。
「レイアの喜ぶポイントがよく分からない――」
ドォン、という大きな音が周囲に響く。
僕の声をかき消したのは、ギルドの建物の壁を突き破って出てきた一人の女性だった。
大きな斧を手に持ち、その刃の部分には血がこびりついている。
それだけを見れば――中で何かがあったというのは明白だ。
「あはっ、呼んでるのに全然来ないから来ちゃった」
「全然嬉しくない発言だね……」
「私は嬉しい。だって、結界を突き破ってくるなんてもう強いって分かっちゃうもの。ブレインを殺った奴ならそれくらいじゃないと」
ブレイン――その名を聞いて、僕も理解する。
やはり、彼女達は《黒印魔導会》の人間のようだ。
「正確に言えば、殺ったわけじゃないけどね。今もどこかで生きている、と思うよ」
「そうなの? それならそれで、楽しみが増えたわ」
「楽しみ?」
「あなたを殺して、ブレインも殺す。あはっ、本当のところあなたみたいな可愛い女の子も私好みだから……あんまり殺したくないけど」
そう言いながらも、女性はにやりと笑って僕の方を見る。
およそ殺したくないというような人間がしていい顔ではなかった。
「でも殺す。今だって我慢して我慢して誰も殺してないんだから」
「!」
女性の発言に驚いた。
どう見ても誰かしら殺してそうな勢いではあったが、彼女はまだ誰も殺していないという。
何か狙いがあるのか――確認するまでは分からないけれど、まずは安心といったところか。
「じゃあ、もうはじめましょう? ずっと我慢してたんだから!」
「別に構わないけど……やる前に一つだけ訂正するよ。僕は男だ」
「あはっ、何それ面白い。でも――どっちでも殺すわ!」
女性は大きな斧を振り回すと、地面を蹴って僕の方へと跳躍した。
それに対し、ヤーサンが僕の頭の上から飛び出す。
「かぁー!」
「え、ヤーサン!?」
女性の振るう斧に対し、ヤーサンが体当たり――まさかのそれが開戦の合図となった。
***
「ほほほほ、ほほほっ、始まったようだの」
「そのようですね」
ギルドの屋上に一人の老人がいた。
腰の曲がった老人は杖をコツコツと鳴らしながら振り返る。
レイアは老人の発言に対して、肯定するように答えたのだった。
「ほっ、これはまた随分可愛らしいお嬢さんがやってきたの」
「ありがとうございます」
「ほほほっ、随分と素直なところも良い。それで――人形風情が何のようだ」
ピクリとレイアが反応をする。
ブレインもそうだが、目の前にいる老人はレイアが魔導人形であると即座に見抜いてくる。
レイアは傍から見れば普通の人間と何ら差異はないのだが。
「あなたを殺しに来ました」
「ほっ、ほほほっ、これはまた随分と直球だの。笑える――惚れ惚れする」
コツ、コツと杖をつきながら、老人はにやりと笑った。
皺の寄った表情は優しげにも見える。
だが、レイアはすでに気付いていた。
「この結界を作り出したのはあなたですね」
「ほう、気付いておるか」
「もちろんです。だから、私がこちらに来たのですから」
「なるほど、主人のためにあえて危険な道を選ぶという事か。愚か――感心する」
「本音が漏れまくっていますね」
「ほほほっ、昔からこういう話し方での。わしの名はリーザル。わしの連れであるあの小娘がどうしてもブレインの仇を取りたいというのでのぉ……ここまでやってきたわけだ」
「嘘ですね」
リーザルの言葉に、レイアはすぐにそう答えた。
リーザルは少し驚いたような表情で眉を動かし、レイアを見据える。
「なにゆえ嘘だと?」
「女の勘、です」
「ほっ、ほほほほほっ! 人形風情か女を名乗るか――面白い」
「ええ、私は確かにマスターの人形……マスターがお人形遊びをしたいと言うのなら喜んでそうしましょう」
「あの可愛らしい主人は見かけによらずそういう趣味があるのだの」
「あってほしかったのですが――それはともかくとして、あなたは望んでここに来ていますね」
「おお、その話しか。根拠はあるのか?」
「それはもちろん。この結界が答えですよ」
「結界? ただの結界だろうて」
リーザルはとぼけたように周囲を見渡す。
だが、ただの結界というにはあまりに異質。
レイアはその本質に気付いていた。
「私もこういうタイプの結界を作れる知り合いがいまして……結界にはいくつか種類があると聞きます。出さないだけならばこのような結界を張る必要はないと考えています」
「なるほどの、別の目的があると」
「はい、その通りです」
「随分とあやふやだの」
「ですが、間違っていないでしょう。それに、結界に入った時点でしっかりと感じていますよ。あなたの――尋常ではない悪意を」
「ほ、ほほほ――かかかかっ! 別に隠すつもりもなかったがの。なぁに、せっかくこうやってきたのなら、いくつかわしも『素材』集めをしたかっただけだ」
リーザルもまた『素材』という言葉を口にする。
ブレインは魔導人形を作るために、ここに来ていた。
リーザルもまた、別の何かを作るという事だろう。
リーザルの周囲に、いくつも魔法陣が出現する。
「見ての通り、わしは《変質》を研究していての。この空間もそのためだ。そして、作り出すのはこの世ならざる生物――」
ずるりと、黒い影のようなモノが現れる。
人の形のような、動物の形のような――それぞれ原形はあれども留めていない。
そんな化物が次々と現れた。
「いずれは《黒竜》に匹敵するものを作りたいとは思っておる。だから、わざわざ生かしておかんでもいい中の奴らを殺さないようにしておる」
「なるほど――その素材にするためですか」
「その通り。お前も魔導人形ではあるが……その感情。もはや人間に近いものと言える。ほほほっ、興味があるの。お前にあるそれは、《魂》は人間と同等かの」
「魂、ですか。そんなものに私は興味ありませんが、理解はしています。それがあるからこそ、人は人でいられるのですから。そうですね、アルフレッドさん」
レイアがそう問いかけると、地面がずるりと黒く塗りつぶされる。
穴が一つ現れると、そこから出てきたのは一人の騎士――ガシャンッと金属音を鳴らしながら、首のない騎士が現れた。
「オオオオオオォォ……」
「これは、これは良い――不気味な騎士だの」
「アルフレッドさんを見ても動揺しませんか。やはり、あなたの方が危険ですね」
「危険だなどと……わしは見ての通りの老体。戦いも、こいつらに任せて何もできんよ」
そう言いながらも、リーザルは皺の寄った顔でにやりと笑う。
リーザルの言葉を聞いてか、黒い化け物たちはうねりながらレイアとアルフレッドの方を見た。
レイアはそれに動じる事はない。
アルフレッドの隣に立ち、その身体に触れた。
騎士――アルフレッドはその指示を待つ。
「アルフレッドさん、この前は面白くもないお仕事をさせてしまいましたね。でも、今回は許可も得ています。あなたの恨みを解放しましょう。あなたが殺された無念を、何の関係もない目の前の奴らにぶつけてください。ふふっ、人はそれを――八つ当たりというのでしょうね」
「オオオォォォッ!」
レイアの言葉に呼応するように、アルフレッドは叫んだ。
怒りと憎しみ――むき出しにした感情と共に、首のない騎士は動きだす。




