30.湯の中で
「……というわけで、あれがポチでした」
「うん、なついているのは分かったけど……」
ポチの涎を落とすため、僕とレイアは風呂場にいた。
今日はレイアも布切れ一枚でほとんど裸のまま、僕の背中を流してくれている。
前回と違って危険なブラッシングはなさそうだった。
「ポチはペロペロしかしてこなかったですが、あれで今晩のおかずを捕ってきてくれる優秀な子なんですよ」
「フェンリルなら倒せない相手なんて早々いないだろうし、何でも捕ってこれそうだね」
「はい。食べ物を保存するのにも一躍買ってくれるので」
「保存……?」
「お忘れですか?フェンリル種は基本的に氷山で暮らす《氷使いの狼》です。あの子ならどんな食材でも長い期間保存できるんですよ」
「ああ、なるほどね」
僕も納得した。
フェンリルは独自の氷魔法を使う事ができる。
氷の生成もさることながら、対象を直接凍らせる魔法に長けているのだ。
人間でもそういう類いの魔法はあるが、桁が違う。
それこそ、普通の山を氷山に変えてしまうような力を持つ。
その魔方陣は難解であり、また詠唱ではなく『吠える』事で指示をしているため、人間には真似できないものだ。
もっとも、ポチの鳴き声は犬のようにしか聞こえないため、実は誰でも使う事ができるのではないかと僕は少し思っている。
「ところでマスター」
「ん、なに?」
「いえ、何も」
僕が振り返ると、レイアは何か言いたげな表情をしていたが、視線を反らしてそう答えた。
気にはなりつつも、僕は視線を元に戻す。
明日は飲み会の約束もあるし、今日はゆっくり休もう――そんな風に考えていると、
「マスター、やはりおかしくないですか?」
「え、どうしたの?」
改めて僕は問い返す。
レイアは納得がいかない、というような表情で答えた。
「男女二人……裸でお風呂――何もイベントがないなんて!」
「イベント? どういう事?」
「前回はまだ分かります。私は服を着てマスターの身体を洗いました」
「殺しかけたの間違いだと思うけど……」
「そこは置いておいて」
「置いておくの!?」
「はい。置いておいた上で改めて……今回は私も裸なんですよ?」
レイアはそう上目遣いで言い放った。
ちらりと自身の身を包む布をはだけさせる。
僕はそれを見て頷いた。
「うん、そうだね」
「反応薄いですね!? あれですか、やっぱり男の皮を被った女の子なんですか? そもそも皮も女の子ですけど!」
「いや、そういうわけじゃ――って、どさくさに紛れて見ようとするのやめて!?」
下半身に巻いたタオルを奪い取ろうとするレイアに、僕は必死に抵抗する。
レイアの力は常人よりも圧倒的に強い――加減しているというのは分かるけれど、それでもタオルの方が破れそうだった。
「確認は必要だと思います」
「いらないよ! 何を確認する必要があるっていうのさ!」
「ナニを確認する必要があるんです!」
「アクセントがおかしいね!? い、一旦落ち着こう?」
レイアは僕の言葉を聞いてか、タオルは握ったままだけれど力は弱めてくれた。
けれど、油断するとすぐにでも引っ張ってきそうだ。
レイアが不服そうな表情で僕に問いかける。
「マスターが男だと言うのなら私に何もしないのはおかしくないですか?」
「お、おかしいかな」
「はい、おかしいです。私の裸を見て何も感じないというのですか?」
「何も感じないというか――見慣れてるから」
「見、慣れ……?」
レイアが驚きの表情で僕の事を見る。
いや、レイアも知っているはずだ。
そもそも僕がレイアを作ったわけだし、調整する時は毎回全裸だ。
最初の頃は特に調整が多かったから、僕としては普通に見慣れている。
だが、レイアは想像以上に動揺していた。
「わ、私の裸は見飽きたと……?」
「いや、そういう事じゃないけど……」
「そういう事ではないのならどういう――いえ、そういう事ですか」
レイアがパッと僕の下半身に巻いたタオルから手を離す。
落ち着いた様子を見ると納得してくれたみたいだ。
「マスターは裸だけでは満足できないという事ですね」
「どうしてそうなるの!?」
まったく納得していなかった。
何となく予想はしていたけれど、レイアが普通に会話を終わらせる事の方が珍しいと思うようになってしまっている。
「だ、大丈夫です。マスターが望むのならどんな事でも……」
「そういうのは望んでないから! と、とりあえず落ち着いてお風呂にでも入ろう?」
「! 混浴をご所望ですか?」
「ご所望というか……このタイミングだと一緒に入る事になるよね」
もはや浴室に一緒に入っている時点で混浴ではないのだろうか。
レイアの基準はよく分からないけれど、今度こそ納得したような表情で頷く。
「そんな事言って、何だかんだ期待してくれていたんですね」
「いや、別に期待――」
「シテマスヨネ?」
「……うん」
僕は素直に頷いた。
表情はにこやかだけど、目が笑っていないレイアはやはり怖い。
それなりの広さのある浴室でレイアと二人――レイアが寄り添うように隣に座る。
「湯加減はどうですか?」
「ちょうどいいよ」
「それはよかったです」
「……というか、他にも種類があるみたいだけど」
浴室の中にまたドアがあり、そこ先にはいくつかお風呂がある。
どこかの温泉施設のような場所が地下になるのだ。
これが自宅だとは相変わらず思えないところだけど……。
「ふふっ、地下から汲み上げたものもありますので」
「まさかの源泉……!?」
「お肌がつるつるになりますよ」
「そういう効能はあまり期待してないかな……」
「そんな事言わずに、別のところにも入ってください」
「わ、分かったから引っ張らないで!」
結局、ここから一時間以上レイアと自宅の風呂めぐりをする事になり、僕はのぼせてその日を終える事になってしまったのだった。




