3.一面の緑と灰色の狼
「僕は一度外に行ってくるよ……。ちょっと新鮮な空気を吸いたい」
「承知しました。案内はいかが致しますか?」
「一先ずは――いいかな」
そう僕はレイアに言い残して外までやってきた。
レイアの話を聞いているとスケールが大きくて参ってしまう。
この施設内ではレイアと僕は転移可能らしく、入口付近までは簡単にやって来られた。
第一地区の入口――僕の知らないアルフレッドが管理者をやっているところだ。
「ええええ……!? 大きすぎるよ……!」
外観だけでも分かる。
大きな門がそこにあり、壁で全体が覆われているようだった。
ここからでは概要すら掴めない、こんなものが僕の自宅という事になっているのだ。
そして、そんな場所を守っている人――人なのかな……?
とにかく、デュラハンのアルフレッドがいるという。
「……」
何とも言えない気持ちだった。
知らない騎士の人――僕のように誰かに追われていたという事なのだろうか。
少なくとも彼の冥福を祈りたいところだけれど、もういつからここの守りを任せているのかも分からない。
僕にできることは、一先ず感謝しておくことだけだった。
守ってくれてありがとう、アルフレッドさん。
「さて……」
僕は改めて、周囲を見渡す。
ある程度人里離れたところを選んだつもりではあったけど、目の前には鬱蒼とした森が広がっていた。
「五百年……」
また経過した時の事を口にするが、まったく実感が沸かない。
外に出ても目の前には森しか広がっていないからだ。
後ろのあれはこの際気にしない事にしよう、うん。
「あそこから見てみるか……」
東の方に周囲を見渡せそうな高さの崖があった。
あの上ならば丁度いいだろう。
あそこが崖だった記憶は僕にないけど。
「風よ、包み込め――《風霊の鎧》」
詠唱と同時に魔方陣が足元に出現し、身体がふわりと軽くなる。
魔法というのはこの詠唱と、魔力によって描く魔方陣の組み合わせで様々な効果を及ぼす事ができる。
詠唱をなくす事は俗にいう《詠唱破棄》と呼ばれる技術だけど、魔法の効果を低下させる事になる。
状況に応じては必要だろうけれど、僕はあまり好みじゃなかった。
「よしっ」
軽く地面を蹴れば、馬よりも速く走る事ができる。
もちろん体力は人間のままだから、さすがに馬ほど長距離で走れないけれど。
木の上を跳ねて移動すれば、数十秒程度でそこまで移動できる。
「――っと」
少しバランスを崩して転びそうになった。
こんな風に、身体能力自体が上がるわけではなかった。
こけそうになったのは僕の純粋な運動神経の問題だ。
「まあ……劣化はしてないみたいでよかった」
本当にそう思う。
五百年も経過していたら、封印していた僕の身体と魂にどんな影響が出るかも分からなかった。
今のところは何も問題はない。
崖の下まで来ると、僕はそのまま壁に足をかけて、走るように移動する。
この魔法のいいところは、ほぼ斜面というような場所でも簡単に移動できる事だ。
「おー……一面の緑……」
崖の上から見た光景も、まるで変わらなかった。
以前より鬱蒼とした大自然が、そこに広がっている。
レイア曰く、僕自身を封印していた部屋などは地下深くに移動させたらしいけれど、土地自体は変えていないと言っていた。
つまり、ここは五百年経過した森という事になる。
「近くに小さな村があったと思うけど……」
歩いていける距離に、不便にならないよう村のある場所を選んだ。
けれど、そこから見ても何も見えない。
さらに遠くの方に、煙が立っているのは見えるけれど。
「あれは……人がいるのかな?」
かなり距離はあるが、そういう感じがした。
けれど、今の僕は《魔導要塞アステーナ》とかいう世間では最高難易度のダンジョンの主で、《魔導王》フエン・アステーナなんて呼ばれているらしい。
うぅ、考えるだけでもお腹が痛い……。
「ん、待てよ……五百年も経ってるんだから、皆僕の事知らない、よね?」
そうだ、それだけ知られていると言っても名前だけのはず。
それならもしかすると、僕が村や町に行ってもばれないんじゃないだろうか……。
「レイアにその辺りも聞けばよかった……」
何かと壮大な話しか出てこなかったので、レイアは家に置いてきてしまった。
けれど、うん――きっとそうだ。
僕の姿を知っている人間はもう、この世にはいないはず。
いても、長命な種族の一部のものくらいだろう。
アンデッドなんかも話は別だけど。
「迷っても仕方ないし、行ってみるかな……。うん、大丈夫だよ。誰も僕の事なんて知らないんだ!」
そう自分自身に言い聞かせる。
そうだ、僕は堂々と町を歩いてもいいはずなんだ。
僕は一先ず、煙の見える方向に行ってみる事にした。
レイアに伝えなくても、彼女なら大丈夫だろう。
「さて、それじゃあ早速――」
地面を蹴って跳ぼうとした時、少し離れたところでドンッという大きな音と共に、木が倒れたのが見えた。
一本丸々、大きな木が姿を消したのだ。
「今のは……」
ここからでは姿は見えないが、魔物の類なのだろう。
ただ、急に木を倒したという事は、そこで何かあったのかもしれない。
「木を食べる魔物はいたけれど……」
そういう類のものは、木よりも身体が大きかったりする。
煙の立つ方角も気になるけれど、その前に木が倒れたところが気になった。
「一応、確認しておくかな」
何せ五百年も経っているというのだから、魔物の姿も変わっているかもしれない。
まあ、僕より昔の時代から魔物は新種が発見されているような時代だったから、逆にほとんど知られている魔物ばかりなのかもしれないけれど。
木の倒れた方角に向かって移動を開始する。
移動を開始してからすぐに、ドンッというまた大きな音が立つ。
少し場所が移動しているようだった。
(この感じだと……誰か戦っているのかな?)
あくまで予想でしかないが、なるべく急いでその場へと向かう。
二本目に倒された木のところへたどり着くと、そこには強い衝撃によってなぎ倒された大木があった。
大きな爪の後のようなものまで残っている。
そこから数十メートルくらい離れたところで、また大きな音が立つ。
(あっちか……)
僕はその音のところへと駆けた。
音の正体はやはり、魔物が木を倒した音だった。
大きく、灰色の毛並みを持った狼――そんな魔物が何か獲物を見つけたのかジリジリと迫っている。
狼の視線の先にいたのは、狼の事を怯えた表情で見る一人の少女だった。
木を背にして、もう動けそうにない様子だった。
(襲われてるのは明らかみたいだね……。あまり目立つような事はしたくないけれど――)
そう考えているうちに、狼が少女に向かって大きな前足を振りかぶる。
「――《石壁の門》」
ドォンと大きな門が、狼と少女の前に出現した。
少女は突然起こった出来事に困惑している様子だった。
僕はそのまま、少女の前に立つ。
目立つ目立たないよりも、目の前で危険な目に合っている人は放っておけなかった。
「え……?」
「一先ずは無事、みたいだね」
怯えた様子の少女に向かって、僕は声をかける。
まだ状況が分かっていないようだったけれど――
「どのみち、君を片付けてからかな」
バラリと石の門が砕けていく。
灰色の狼が、こちらを視認した。