27.大切な人
レイアは一人、《魔導要塞アステーナ》へと帰還した。
フェンリルのポチを足に使えば数分もかかわらずに町まで移動できる。
フエンが坑道での魔物の討伐を終えたのを見届けてから、レイアは戻ってきたのだ。
圧倒的な速さと同時に圧倒的強さを持つフェンリルはレイアによく懐いていた。
「ありがとうございます、ポチ」
「……」
「あなたと出会ってもう三百年程度、ですか。時の流れというのは早いものですね」
レイアの言葉に、こくりとポチは頷く。
優しくポチの鼻を撫でてやると、
「次はあなたをマスターに紹介しましょう。大丈夫、マスターはあなたの事を気に入ってくれますよ」
そう言って、レイアはポチと別れた。
《魔導要塞》の中にいる管理者の中でも、ポチは特にレイアに懐いている。
特に協力的とも言える存在だ。
十七体もいれば――そうでない存在も少なからずいるのだから。
「さて……身体の修復に戻りますか」
レイアは工房の方へと向かう。
自らの力で折ってしまった腕――それを修復するためだ。
あちこち身体も傷ついた状態にある。
久しぶりの戦闘で、レイアは追い詰められるような事になってしまった。
結果として、フエンの手を煩わせる形となった。
(マスターは、それでも気にしないのでしょうが……)
フエンは平穏を望むといいながら、それでも誰かのために動く事をやめない。
見た目や性格からはおよそ《七星魔導》と呼ばれる魔導師とは思えないだろう。
まだ自身が作られる前のフエンの事は、レイアも知らない。
ただ、作られた頃の時もフエンは何かと人の事を気遣うタイプの人間だった。
それは、レイアに対しても同じだった。
そんなフエンの事をレイアは、ただ純粋に作り出した主に従うつもりで行動していた。
「……」
ピタリと、レイアは自身の部屋の前で止まる。
そこはフエンの部屋から離れたところにあるレイアの自室。
本来ならば作る必要のない空間だった。
ガチャリとドアを開くと、そこには広い空間といくつもの本棚――そして一つの机と椅子が壁際にあった。
いつも、レイアはここで日記をつけている。
レイアはふと、本棚から一冊の日記を取り出した。
「懐かしいですね」
そこに書かれているのは、毎日同じような内容。
『異常なし』
『異常なし』
『侵入者二名、撃破。異常なし』
『異常なし』
時折混ざるのは、フエンを狙った暗殺者を倒したという記録。
この日記もレイアがあくまで情報として残すためだけに書いたものだった。
そのはずだったが、ある日からその内容に変化が生じる。
『侵入者十五名……撃破。マスターの身に異常はなし』
『異常はなし。マスターにも特に異常はなし』
『異常はなし。マスターの様子にも変化はなし』
少しずつ、日記の内容に変化が起こった。
起点となったのは暗殺教団と呼ばれる組織にフエンの暗殺依頼が行われた時の事だ。
大陸においても五本指に入る実力者が一人――さらに近しい実力者が何人も集められた状態で、フエンの自宅への襲撃があった。
この頃のレイアの戦闘力だとおよそギリギリの戦いだった。
本来ならば、襲撃のあった時点でレイアはフエンを起こすべきだった。
だが、レイアは自身の力を過信した。
あの程度ならば撃退できる――マスターの手を煩わせるような事ではない。
結果としてレイアはフエンを守り切る事に成功したが、その時にレイアの中で疑問が生じる。
――どうして、私はマスターを起こさなかったのだろう。
レイアはフエンに命じられていた。
「何かあったら起こしてくれ」と。
けれど、レイアは自身の判断でフエンの手を煩わせるまでもないと考え、それを実行した。
フエンが封印されている部屋の近くまで暗殺者が迫った時味わった言い知れぬ感覚をレイアはまだ覚えている。
緊張、恐怖、安堵――そういう感覚なのだと理解するのにも時間がかかった。
レイアはまた、ピラリとページをめくっていく。
『私は、マスターが無事で安心したのだと理解しました』
あるページに、日付もなくそうメモするように書いてあるところがある。
――私はマスターの事が好き。
そうレイアが認識するのに十数年の時を要した。
元々そういう感情のようなものがなかったレイアにとっては、誰かを好きになるという気持ち自体存在しなかったものだ。
けれど、レイアがフエンをギリギリのところで守りきった時に感じた感覚はそうなのだと――自身の中で結論づけた。
それは長い時を経て、管理者を増やす過程での出会いによって培われたものだ。
そこからは、レイアはひたすらにフエンが目覚めるのを待った。
けれど、レイアから起こすような事はしない。
ずっとずっとずっと――フエンが目覚めるまで守り続ける。
それがフエンからの命令なのだと、ただフエンへの想いを募らせてレイアは過ごしてきた。
フエンを守るために、この世界で最強の要塞を作り出す。
そしてフエンを襲うなどという考えを持つ人間がもう出る事がないように、フエンを最強の魔導師としてその名を世界に轟かせる――それがレイアの望む事だった。
「マスターがどんな人でも……私は愛しますよ。だって、五百年待っていたんですから」
レイアは大事そうに日記を抱きしめる。
そこへ――
「レイア!」
「っ!? マ、マスター……!? どうしてここに!?」
「どうしてって……レイアの姿が見えないからこっちに来たんだけど。この部屋は?」
「あ――こ、ここは私の拷問部屋なので入ってはいけません」
「なにその物騒な部屋!? 普通に本が並んでいるようにしか見えないけれど」
「とにかくダメなのです。一度外へ!」
レイアはフエンの背を押して部屋の外へと連れ出す。
まさか、フエンが戻ってくるとは思っていなかった。
部屋の日記を見られる事が、レイアにとっての拷問のようなものだという意味なのだが。
「坑道の魔物の討伐は終えられたのですよね?」
「うん。だからこっちに――」
「こちらではなく、マスターは冒険者の方々のお酒を嗜まれるのでは?」
「ああ、確かにそう言ったけど……レイアを治すのが先だよ」
「え?」
「ごめん、本当はすぐに治すべきだったんだけど、僕の我儘に付き合わせたよね」
「いえ……ですが、私なんかのために……」
「? 何だかレイアらしくないね」
「! それはどういう事ですか?」
「いや、ここ最近のレイアはこういう事言うと喜ぶのかなって思っていたけど」
「――そういう事でしたら、マスターが飲み会よりも私の裸を見たいという事でしたら、私はマスターのために一肌脱ぎます!」
「その表現はやめて!?」
「そんなこと言って……。ふふっ、本当は私の裸が見たくて戻ってきたんですよね? マスターが望む事なら、私は何でもしますけど……」
「裸が見たいわけじゃないよ! 傷ついた場所を見たいんだ!」
「そういうプレイですか?」
「全然違う!」
レイアは慌てる様子のフエンを見て、くすりと笑った、
この人はレイアの事でも気にかけて、こうして戻ってきてくれる。
坑道からこの要塞まで――フェンリルのポチで数分だというのに。
フエンはそれと同じくらいの速度で戻ってきたという事だ。
「レイアさ……あの時何をしようとしてたの?」
「あの時?」
「ほら、ブレインに捕まってる時」
「ナニをしようだなんて……されそうになっていただけですよ」
「真面目は話だけど!? ……あれ、自爆とかじゃないよね」
「まさか。私がマスターを残していなくなっては、誰がマスターのお世話をするのですか。マスターがご飯も食べられず、右も左も分からない世界で野たれ死ぬ事を私が望むとでも?」
「僕はそこまでダメな人間じゃないと思いたい!」
「ふふっ、冗談ですよ。ただ普通に強くなって相手を倒せる必殺技です」
「本当に?」
「はい、スーパーレイアですよ」
レイアはそう言って誤魔化した。
実際にレイアが行おうとした事は、自身の身体を壊すような技ではない。
ただ、レイアの記憶を保持している《核》へ少なからず影響の出るものだった。
だからこそ、レイアはあの時の事を思い出したのかもしれない。
フエンがレイアに名付けてくれた時の事を。
それは、今となっては大切な記憶の一つだから。
工房へと向かう途中、レイアはフエンの顔を覗き込むように言った。
「マスター」
「ん?」
「おかえりなさい」
「うん、ただいま」
「ご飯でもなくお風呂でもなく――わ、た、しを選んだわけですね」
「だからそれどこで覚えたの!?」
それだけの力を持っていて、それでいてどこか普通の人と変わらないようで――だからこそ、レイアはフエンと一緒にいたいと思うのだった。
***
《魔導要塞アステーナ》がある場所から遥か南方――《カミラル》の町より南の方に、《ウィルオール》の村はあった。
そこはあまり多くの人はいない事で知られ、村人も独特の雰囲気があった。
そんな村の村人達が一度に動きを止める。
異様な光景が広まる中に、一人の女性が叫んだ。
ローブを羽織っているが、胸元がはだけており、もはやそれを羽織る意味をなしていない。
右目の泣きぼくろが特徴的だった。
背中には大きな斧が括り付けられている。
「おーいおいおい! 人形ちゃんが動きを止めちゃったけど、どういう事なのさ」
「うむむ、これはとてもとても面白い――まずい事になったの」
隣にいる老人が呟く。
すっかり曲がった腰で、杖をついてぷるぷると震えながら周囲を見渡した。
老人にしては装飾品が多く――それらの多くは動物の骨のようなものだった。
「まずい事って何さ」
「分からんか。こいつはつまりブレインに何かあったという事だの」
「何かって何さ」
「分からん。死んだ――あるいはそれに近しい事だの」
「ブレインが死んだぁ? あは、何それ面白い」
「そうだの――笑い事ではない」
「さっきあんたも面白いって言ったでしょうが。今も肯定してるでしょうが」
「ほほほほほっ、うっかりの。《人形遊び》にばかりかまけて油断したか、雑魚が――強い奴だったというのに」
「あはっ、だとしたらもっと面白い。それってつまり、ブレインが誰かにやられたって事でしょ?」
「うむむ、そうなるの。いやはや恐ろしい――興味深い」
女性は周囲で停止したままの人形を乱暴に掴むと、ブンッとそれを投げ飛ばした。
乱暴に投げられたそれは、村の中心部から外まで投げ出されていく。
「あいつどこ行くって言ってたっけ」
「以前に買い取った《カミラル》の近くにある坑道に素材を取りにいくと」
「カミラル? どこそれ」
「《魔導要塞アステーナ》のあるところだの」
「あはっ、もしかして《魔導王》にやられたとか? だとしたら面白い」
「いるかどうかも分からぬ者だの。《魔導王》の姿を見た者はおらんの」
「そうだったら面白いでしょ。とにかく、ブレインを殺った奴がいるなら私が殺りたい。私がいつか殺る予定だったのに」
「ブレインの事嫌いだったかの」
「うん、嫌い。何だか偉そうなんだもの。まあ、この村ももう使えないし、さっさと壊してカミラル行こっか」
女性はそう言うと――ブゥンと背中にある斧を振るう。
地面にそれを突き刺すだけで、近くにあった家や停止した魔導人形が次々と砕けていく。
「おお、おお、危ない。わしの杖が壊れたらどうする。アバズレ――お嬢さん」
「あはっ、そうなったら面白いのにさ」
そう軽く話す二人は、それぞれ《黒竜》を象ったエンブレムを身に付けていた。




