26.魔導王への道
パタパタと《クイーン》の背中で羽ばたくヤーサンを見て、僕の身体は自然に動いていた。
風の魔法を身に纏った身体は誰よりも速く動ける。
僕はクイーンの背中まで一気に跳躍すると、背中に突き刺さった状態のヤーサンを抜き取った。
「だ、大丈夫? ヤーサン」
「かぁー」
鳴き声から察するに大丈夫そうだ。
少し離れたところにギガロスの剣があるけれど、ギガロス本人はいない。
一先ず僕はその場から再び跳躍し、ヤーサンを抱えてみんなと合流した。
慌てた様子でフィナが声を掛けてくる。
「急に飛び出すからびっくりしたわよ!」
「ご、ごめん。ヤーサンが背中にいたから……」
「カラス? なんだから飛べる……わよね?」
「一応……」
「かぁー!」
丸々とした身体のヤーサンを見ればそんな疑問が出るのも仕方ない。
飛べるけれど、ヤーサンの飛行能力はすごく低い。
初めて見たときもものすごくゆっくりした飛行だった。
分かっているからこそヤーサンを回収したわけだけれど。
「さて……問題はあいつかな」
「そうね、正直あんなのがいるとは思わなかったけど」
僕は改めて魔物の方を見る。
その大きな巨体のクモの魔物は《クイーン》と呼ばれた。
クモの魔物の女王――つまり、あれがこの坑道の魔物達の親玉という事になる。
多くはクモの魔物であったのはそのためだったようだ。
(ギガロスは見当たらないし……レイアが追いかけてるのかな)
剣だけがクイーンの背中に残された状態だった。
クイーンが怒り狂った様子で叫ぶ。
「シャアアアアッ!」
「来るぞッ!」
声に合わせて、冒険者達が散開する。
だが、クイーンは明らかに広い範囲を攻撃する姿勢に入った。
魔法を使える者が防御の魔法を展開するが、とても防げるレベルとは言えない。
「――《石壁の連門》!」
ドドドドッと大きな音を周囲に響かせながら、岩の門が出現する。
クイーンの振りかざした足を止め、尾の部分から噴射される糸から冒険者達を守る。
「お、おお?」
「すげえ、これだけの魔法を一度に……」
「今よ! 攻撃を仕掛けるわ!」
どよめく冒険者達の中、僕の魔法を見てもフィナは落ち着いた様子でそう叫んだ。
やはり、一度見ている魔法というのは大きいようだ。
サイズからして近接武器が有効とは言い難いが、ダメージを与えられないわけではない。
背中に刺さったギガロスの剣がそれを物語っている。
皆がクイーンへと向かっている隙に、僕はレイアに連絡を取る。
「レイア、そっちはどんな感じかな?」
『はい、無事ギガロスと合流しました。全力で駆けあがろうとしているところでしたが』
「そ、そっか。地下の方にいるってことだね」
『その通りです、マスター。ギガロスは剣を落としてしまったらしいのですが……』
「……うん、目の前にあるよ」
『あ、それならギガロスを向かわせますか?』
「いや、僕達だけで十分だよ。ヤーサンはこっちで回収したから」
『マスター、それはつまり――マスターが動かれると?』
「うん。少なくとも、僕は今逃げるような事はしないよ」
《失われし大魔法》なんて呼ばれている魔法を乱用したら、悪目立ちするかもしれない。
けれど、僕の望む平穏を手に入れるために――僕は力を使う事に決めた。
だからこそ、今は迷わない。
『承知しました。マスター、ギガロスから伝言です』
「ん?」
『てへっ』
「絶対言わないよね!?」
レイアはこのままギガロスと共に外に引き返してもらう事にした。
正直、クイーンを倒すのにギガロスがいれば楽な事は事実だ。
……楽というか、色々な物を巻き込んできっとこの場に立つのはギガロスだけになってしまう。
剣は後で回収するとして――
「ヤーサンは僕から離れないように」
「かぁー」
ヤーサンの言っている事は分からないけれど、ヤーサンは僕の言っている事が分かるようだ。
パタパタと羽を動かすと、ヤーサンは僕の頭の上に乗った。
あ、柔らかい――
「うおっ、やべえ!」
「く、大きい癖に速い!」
ヤーサンの柔らかさを堪能している場合ではなかった。
僕の魔法で動きが制限されているとはいえ、クイーンはまだ攻撃を続けていた。
フィナを筆頭に、剣や斧を持つ冒険者達はクイーンの本体を狙う。
後方で支援をする魔導師達はクイーンの動きを阻害するため魔法を放つ。
「《アイシクル・ゾーン》!」
魔導師達の言葉と共に、クイーンの足元が氷漬けになっていく。
だが、大きな身体のクイーンが少し身体を動かすだけでその氷は砕けてしまう。
「止めるには足りないわね……!」
「みんな、一度下がって。闇の鎖よ、縛りつけろ――《呪縛鉄鎖》」
僕の詠唱と共に、クイーンの周囲に魔方陣が出現する。
そこから伸びるのは黒い鎖。
巨体を縛り付けるようにすると、その動きを完全に静止させた。
「あ、あのクイーンの動きを止めるなんて……さすがね」
「《失われし大魔法》は発動が遅い分、威力が高いからさ」
そんな言い回しをするのは少し恥ずかしいけれど、納得してもらうにはそれが一番早かった。
今の魔導師達は詠唱を必要としていない。
魔法の名をトリガーとして、魔方陣のみで魔法を発動している。
それは早い話、常に詠唱破棄を行っている状態だ。
もちろん発動は早くなるけれど、魔法の威力は落ちてしまう。
そこに魔方陣も改良を加えているから、威力の低下につながっているのだ。
この五百年でどういう過程を辿ったか分からないけれど――
「魔法にも色々とあるけれど、威力さえあれば相手を倒すのはどんな魔法だっていいんだ」
僕はクイーンに手をかざす。
この坑道の統率者はクイーンだ。
こいつさえいなくなれば、残るのは小さな魔物達だけだ。
「絶対の氷よ、世界を落とせ。全てのモノを凍りつくせ――《氷界領域》」
クイーンの足元に巨大な魔方陣が出現する。
それは一瞬の出来事だった。
パキィンという、乾いた音が周囲に響く。
先ほど魔導師達が見せた氷の魔法は徐々に凍らせていたが、この魔法は完全に相手を凍らせる。
「な、なんだこりゃあ……」
「す、すごい……」
先ほどは驚いていなかったフィナも、氷漬けになったクイーンを見て驚いた表情をしている。
かつて《七星魔導》の一人――《七星の灰土》と呼ばれていた僕だけれど、基本的にはどんな魔法だって使える。
この坑道全てを凍らせる事だってできるけれど、今は目の前にいるこの坑道の支配者を倒せれば十分だった。
「――――」
ぐらりとその巨体が傾く。
大きな身体が壁にぶつかると、ガラガラと音を立てて崩れ去っていった。
驚きの表情で皆が僕を見る。
昔からそうだ――僕ら七星魔導は畏怖の対象。
憧れよりもその絶対的強さに皆が恐怖する。
けれど、今の僕はそんな肩書きを持たない。
ただの冒険者として、ここにいるんだ。
「これで坑道にいる魔物達は逃げ出し始めると思う。今度はこっちが追いかける番だ」
「フェン、お前……」
一人の冒険者が僕の方に近寄ってくる。
何を言われるかと一瞬考えたが――
「こんだけの事やっといて澄ましてんなぁ! もっと喜べよ!」
「あ、ご、ごめん」
「謝るところでもねえな! でも、本当にすげえよ」
「だから言ったでしょう。フェンは《灰狼》を倒した魔導師なんだから!」
おお、と冒険者達から歓声が上がる。
こうして喜びを分かち合う気分というのは、久しぶりだった。
まだ僕が普通の――七星魔導と呼ばれる前振りかもしれない。
おそらくここにはもう強い魔物はいない。
僕達の坑道の魔物退治は、徐々に終息へと向かっていった。
「レイア、聞こえる? これが終わったら――あれ、レイア?」
魔道具を使ってレイアへと連絡を取る。
だが、また返事がない。
ギガロスが一緒にいるから大丈夫だろうとは思うけれど、少し気がかりだった。
その気持ちに、僕は少し驚く。
(……そういえば、僕は普通にレイアの事も心配しているんだね)
そんな事実にも、たった今気付く事になるなんて思いもしなかった。
***
「はっ、はあ……」
ブレインが森の中で周囲をうかがっていた。
魔導人形に命じた《霧》によって何とかフエンから逃れる事に成功したのだ。
「何て奴だ……私の魔導人形を一瞬で倒し尽くすとは。一体何者なんだ……」
あれほどの魔導師が、世界的に有名でないはずがない。
少なくとも、ブレインの知る範囲にあの魔導師が該当する事はなかった。
だが、あの場所――離れたところに、その名を冠してもおかしくはない要塞があり、そこには数百年以上前から最強の魔導師と名高い者がいる。
「フェンと名乗っていたが……名が似すぎている――《魔導王》フエン・アステーナ。まさか、あんな小娘……いや、小僧か? どちらにせよ、あんな子供が魔導王だとは思えない。思えないと思っているはずなのに、何故だ。納得してしまう」
その方がむしろ、ブレインにとっては合点がいた。
どちらにせよ、ブレインは一度自身の工房に戻り態勢を立て直す必要があった。
「あの子供が何だろうと関係ない。レイアと言ったか。あれはどうしてもほしい。ああ、この手にあれを手に入れて愛でてやりたい……!」
相手が強かろうと関係ない――ブレインの思いはそこにあった。
どうしてもあの魔導人形がほしい。
だからこそ、レイアを奪い取るための準備をしなければ、と。
「……ん?」
そこで、ブレインは一つの違和感に気付いた。
否、気付かされた。
脇腹の部分に違和感を覚え、そこを見ると一枚の紙が地面へと落下する。
「なんだ、メモ――な、に?」
ブレインは紙など持っていない。
明らかに、誰かがブレインに送った《手紙》という事になる。
ブレインはその内容見て、目を見開いた。
「……『呪いはすでに発動した。あなたはもう魔法を使えない』……だと?」
ブレインが目にした紙にはそう書かれていた。
そんな事を送る人物は一人しかいない。
先ほど、ほとんど話してすらいない相手――魔導人形の持ち主であるフェンだ。
「魔法が使えない、だと……? そんな馬鹿な――」
ブレインはすぐに魔法を使おうとする。
簡単な下位魔法――だが、魔方陣を描こうと魔力を練り上げた瞬間だった。
「がっ、ぐあ……!?」
胸に走る強烈な痛み。
ブレインが胸元を見ると、そこには見た事もない魔方陣が刻まれていた。
「い、いつの間にこんな事を……!? い、いや、それよりも魔法が使えない、などと……!」
それがどういう事を意味するか――ブレインが一番よく理解している。
魔導師として生きてきた者にとって、魔法を封じられるという事がどれほどの事か。
さらにこの呪いには――フェンでありフエンでもある魔導師の情報からその魔導人形であるレイアの事を他人に話す事も封じていた。
「そん、な……」
ガクリとブレインは膝をつく。
その様子を――遠くから見つめる少女がいた。
「分かりますか? ギガロス、ポチ」
「――」
「……」
少女――レイアの背後には土色の騎士と、圧倒的に巨大な身体を持つ白色の狼がいた。
狼は静かにレイアにつき従うように動かない。
「念のため、ポチの力を借りて追いかけてきましたが……杞憂でしたね。私が心配するまでもなく……マスターはすでに終わらせていたという事です」
「――」
「はい、その通りですよ、ギガロス。マスターはそういう人なんです」
ギガロスの言葉に、レイアは頷いた。
レイアはフエンの思いを聞いた。
フエンは以前から皆の平穏を望み、それが叶わないと知って逃げた――本人はそう言っていた。
圧倒的な強さを持ちながらも、管理者達がフェンリルやドラゴンだと知ったら怯えた様子を見せる。
そんな感性を持つ人でありながら、魔導師相手に魔法を封じるという事を平気でやってのけるのだ。
「ある意味殺すよりも残酷な事かもしれませんね。あのクラスの魔導師が魔法を封じられるという事は、死と同義ですから。けれど、マスターはそういう事ができる人なんです」
「――」
「ええ、ギガロス。マスターは平穏を望まれました。けれど、本来あるべきマスターの姿は――きっと《魔導王》としての姿だと私は思うんです。いえ、そうあるべきだと私は確信しています」
レイアは優しげな表情で続ける。
「だから、マスターが望む平穏を叶えましょう。いつか魔導王をマスター自身が名乗る時のために……たとえ、今のマスターが望まなくても構いません。なぜならこれは――私の望みなのですから」
フエンが誰よりも安全に生きるためには、最強の存在であるという証が必要なのだ。
そのための布石を、レイアはばら撒いてきた。
それさえあれば、フエンが危険な目に合う事はなくなる。
《七星魔導》では半端なのだ。
同じクラスが七人もいるのでは、まだフエンは狙われる。
誰よりも強く、圧倒的な存在であり、そして最強の管理者達を従える必要がある。
レイアは四百五十年以上前から――ただそう考えてきたのだから。




