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どこかにある大きな大きな世界
とある世界でエルフ、ドワーフ等と呼ばれる空想の種族が当たり前に存在する世界
とある世界で怪獣、恐竜と呼ばれそうな生物があちらこちらで生息している世界
とある世界の様にヒトが世界を支配していない世界
どこぞの小説の様に神など存在しない世界
名前は無く、広さも分からない巨大な大陸のとある場所
西以外の周囲を山脈に覆われた、大陸全体から見れば箱庭の様な小さな土地『グランド』
そこがヒトの生存圏だった
誰が初めにその名を呼んだのか、知る者はいない
無知か、皮肉か、虚栄心か、はたまた未来に希望を夢見たか
山脈はヒトにとって門であり、檻でもあった
北の兜顎山脈の先には先史文明が残したであろう数多の遺跡とそれを守護する守り人が存在し、
東の盾武山脈を越えれば巨大、強大な生物が大地を踏み鳴らし、弱肉強食の理の元、日々喰らい合う
西は海と見紛う程の巨大な湖『ミシグリンク』があり、水獣達が縄張りを荒らす者に襲い掛かる
南の朱鎧山脈の向こうは瘴気が留まり続け、生命の存在を決して許さない
更に山脈の内にもヒトに害する生物は無数に存在し、その生活を脅かす
この世界でヒトは余りにも小さく、弱く、脆い
ヒトの生存圏は、楽園などではなかった
だがその理不尽に抗い、戦い続ける者達がいた
冒険者
自然に定められた食物連鎖のピラミッドに反逆する者達の総称である
一攫千金を狙う者
秘めた野心を叶えたいと思う者
未知なるモノを知りたいと思う者
ただ闘争に身を置きたいと思う者
他に生きる方法が無かった者
その中でも一握りの才ある者達は己の意思で山脈を越える
檻の向こうにある未来を求めて
物語はそんなグランドの片隅にあるとある田舎から始まる
木々生い茂る山の中に立派な角を生やした鹿が一頭おりました
今日は天敵の狼や野犬が居ない為、安心して木の実を食べています
その鹿を一人の少年が草木に身を隠しながら見つめていました。
齢は10を少し越えた頃でしょうか
背には小振りの木弓、腰には矢筒に鉈と木槌、手には片手槍を持っています
シャツとズボンは全体に緑、薄緑、茶色を混ぜ合わせたような妙な模様をしています
ですがその色は山の景色と混ざり合い、少年を巧妙に隠していました
息を殺しつつ鹿を見つめるその目つきは鋭く、とても子供とは思えない程です
鹿は少年に全く気付いておらず、目の前のごちそうに夢中になっています
冬眠から覚めたばかりなのか、それとも天敵の狼たちに追い掛け回されていたのでしょうか?
とてもお腹を空かせているようです
目の前にあった幾つもの木の実をぺろりと平らげた鹿は、すぐ近くの木の根元に落ちている果実に目を
向けます
その果実も鹿の大好物でしたが、本来は山に実るものではありません
ですが鹿は何の疑いも無く果実に近づき、空腹を満たそうとします
そして鹿が大きく口を開けて食べようとした瞬間、鹿の体は宙に浮き上がりました
鹿の後ろ足には頑丈なロープがしっかりと巻きついていて離れません
ロープは鹿の真上の太い枝から少年が身を隠している木の枝を伝い、少年の片手に繋がっていました
少年は握っているロープを近くの木にしっかりと巻きつけます
その動きはとても手馴れており、まるで熟練の猟師のようでした
少年はロープを固定すると、持っていた片手槍を構えながら鹿に近づいていきます
さてこの少年、見ての通り猟師を生業としており、狩猟の日々を送っております
両親は少年が4つの頃に亡くなり、天涯孤独の身となっていますが、自身の境遇に負ける事無く、
以後、立派に成長していました
ですが少年が住む村の人々は、少年を薄気味悪く思っていました
まず少年は両親の死後、突然狩猟を始め、立派な獲物をほぼ毎日の様に獲ってきました
両親はどちらも猟師などでは無く、誰が教えたわけでも無いにも関わらず、です
次に少年の両親は大層な乱暴者で、事ある毎に少年に暴力を振るっておりました
村人は不憫に思っていましたが、父親が元兵士の為、自身に災いが降りかかる事を恐れ、
遠巻きに見ているだけでした
ですがその両親は、ある日突然亡くなります
遺体に外傷は無く、病気のような素振りも見せなかったので、村人はとても不思議に思っていました
少年が毒を飲ませたのではないか、と言う人も居ましたが、両親の死に顔は苦しんだ様子は無く、
むしろ眠ったまま老衰で亡くなったかのような、安らかな表情をしていました
少年は不思議な力を持っていて、それで殺したのではないか?
いつしか村人達はそう考えるようになり、少年を恐れるようになっていました
鹿の解体を終え、山を降りる
今日の結果は鹿1頭に猪一頭、兎3羽
沼田場に仕掛けた罠に猪が捕まっていたのは僥倖だった
お陰で日没に余裕を持って切り上げる事が出来た
戦果を荷車に載せて村に帰る
村人はこちらを眺めつつ遠目でひそひそと話しているが、とうに見慣れた光景なので、気にする事無く目的地へ向かう。
もっとも、今向かっている場所は未だに慣れない
用が無ければ近づきたくも無いのだが。
気が重いのを我慢しつつ進み、目的の家に到着する
他の家より一回り大きな家
「…な?絶対……ほうが良い…」
中から話声が聞こえる
家の前に台車を置き、戦果の入った皮袋を背負って扉を開けると
備え付けられたドアベルがカランカランと音を鳴らした
「いらっしゃ…あ」
やはり居た
何故ここに来ると大抵出くわすのだろうか
店主が留守なら跡取りの長男に店番させるべきだろうが
この村唯一の商家の娘で俺と同い年の少女
その顔、声、仕草、全てが癇に障る
名を口にしようものなら吐き気がする
接客中かと思ったが、村の少年とカウンター越しに雑談をしていただけのようだ
少年はこちらに気づくと露骨に顔を顰める
「あーあ、獣臭い奴が来やがった」
カウンターに肘を掛け、明後日の方角に視線を向けてわざとらしく大声を出す少年
雑談を中断させられたのが気に食わないようだ
「査定してくれ」
少女を視界に入れつつ視線を合わせないようにして皮袋をカウンターに載せる
「うん!ちょっと待っててね」
言われる前に並んでいる商品を眺める
毎日来ている為、目に見える場所に置いてある物は大体記憶している
田舎の小さな村という事もあり、新商品が入荷する事など滅多に無い
何時も通りの代わり映えのしない物ばかり…
む、今になって解体道具がセットで入荷してやがる
これがあればもう少し早く目標金額に到達してたのによ
「す、すぐに終わらせるから」
解体道具を眺めていると申し訳無さそうに声を掛けられた
無意識のうちに舌打ちしてしまったのかもしれない
「急がなくていいから正確にやってくれ」
「…うん!」
視線を向ける事無く対応し、商品を見て回る
勿論本音は一刻も早く帰りたいが、査定をおざなりにされるのは御免被る
記憶に残る売女
「あの事考えといてくれよ、ぜったいそうした方がいいからさ」
少年は少女にそう言うと入り口に向かって歩みだす
すれ違う際
「クッサイ親殺し野郎め」
と呟いて店を出て行った
村八分にこそされていないものの、あの態度は子供達の中でさして珍しいものではない
尤も、彼の場合は私怨も大いに混じっているようだが
意識が覚醒したのは突然だった
最初に感じたのは喪失感
最初に目に入った光景は寝具の中で息絶えた男女
最初に思い出したのは過去3度の人生を歩んできたという荒唐無稽な記憶
違う世界、違う時代、違う国の違う人間として
ただ、その時点ではまだそこまでしか思い出さなかった
「も、もうすぐ入学式だね」
時間を潰していると声をかけてきた
別に査定が終わったわけではない
目線は作業台に落とし、手を動かしながらだ
澱み無い動きが手馴れている事を理解させる
煮え立つ感情を腹に収め、置いてある矢を手に取り適当に返事をする
入学式
俺はまもなく村を出る
向かう先は王都にある冒険者教育施設『学園』
害獣や魔獣、ダンジョン、遺跡の攻略、多岐に渡る難題に対し、質の高い人材を欲した国が
冒険者ギルドと共に創設した施設
試験は無く募集要項は五体満足の12歳、そして入学金を一括で支払えること
その今年度の入学式が間近に迫っているのだ
「その…準備は終わった?」
「ああ」
生徒は3年間敷地内の寮で生活しながら初等教育程度の勉学と冒険者としての知識、技術を学ぶ
手続きは既に完了し、後は当日に入学金を支払うだけ
学園卒業後はそのまま冒険者として活動する予定なので、もうここに戻るつもりは無い
村の連中としても戻ってこられるのは困るのだろう。如何こう言う奴は現れなかった
問題は
「わ、私はね、昨日お父さんが革の服をくれたの。お前は鎧みたいな重い物は
着れないから防具には気を使いなさいって言ってたよ」
これも学園に入学する事
何故商人の娘が、と思うだろうが、別に口減らしの為ではない
こいつには魔法の才能があった
比較対象が居ないのでどれほどのものなのかは分からないが、仕事でよく街に行く
こいつの父が認めるぐらいなのだから、そこそこあるのだろう
学園卒業後、必ずしも冒険者になる必要は無い
家族としては我が子に自衛手段を覚えさせ、社会勉強も出来て一石二鳥、程度に考えているのだろう
「はい、終わったよ。…い、一緒にがんばろうね!」
トレイに載せられ、差し出された硬貨を財布代わりの小袋に入れる
そう、問題ではあるが予想はできていたのだ
だから手を打った
かなり厳しかったが
「俺が通うのは特科だ」
学園には育成科と特別育成科(通称特科)、二つのコースが存在する
大抵の生徒は育成科を選択し、特科を選ぶ者は滅多にいない
理由は多々あるが、その一つが
「え…だ、だって特科は入学金が金貨2枚だよ?育成科よりもずっとずっと高いんだよ?」
育成科の入学金は銀貨20枚
実に10倍の差がある
この世界の親が子供に社会勉強させる為に払うには高過ぎる額だ
だからこそ俺は特科を選択した
金の為、身を守る為、なにより
「お、お金、大丈夫なの?」
こいつから確実に離れる為に
「関係あるのか?」
懐に小袋を仕舞い、皮袋を受け取りカウンターに背を向ける
解体道具は学園で揃えればいいだろう
装備や道具の販売も行っているらしいし、万一無くても街で買える
後少しの辛抱だ
「ご、」
『ごめんなさい』
ガラガラと木製の車輪が音を立てる
荷車を引く両手には血管が浮き上がっている
把手を強く掴み、大地を踏みにじる様に歩く事で湧き上がる破壊衝動を必死に抑えていた
あれと顔を合わせる度、突如過去の記憶が鮮明に蘇る事がある
自身の奥深くに沈めたモノを乱雑に、強引に引っ張り出されるような感覚
いや、実際に引っ張り出されたのだ
出会った時呼吸が止まった
名前を聞いて体が震えた
日々成長する姿から目を背けた
口ぶり、癖、動作の一つ一つが記憶の中のソレと一致するのを信じたくなかった
自分の中の一番深い所の何かが同一人物だと叫ぶのを認めたくなかった
思い出したのは、売女を愛した世間知らずな馬鹿の記憶
知り合ったのは社会勉強の一環で系列の子会社に身分を隠して入社した時
父の家庭を顧みないやり方と、利益の為に手段を選ばない方針に反発し、ほぼ家出同然だった
入社して二年、職場の人間関係は上手く構築出来ていたと思う
その後、既婚の先輩に紹介して貰って一年、世間ではさして珍しくも無い職場恋愛を続け、
その後アパートで同棲生活を始めた
このまま実家を離れ、入籍するつもりだった
同棲後、妙に睡魔に襲われるようになった
当初は生活環境の変化からくる疲労かと思っていたが、三月経った頃、味覚がおかしくなっている事に気づく
何を口に入れても錠剤を舌の上で転がしているような感覚しかしない
睡魔も強烈になり、食後テーブルに突っ伏して寝てしまうようになり、外回りの最中に意識や記憶が飛ぶ事が増え、何度か事故になりかけた
流石に違和感を感じて病院で検査を受けると、体内から大量の睡眠薬が見つかった
薬物過剰摂取だった
無論服用した記憶など無い
同棲後の食事は彼女が率先して作っていた
してもらうばかりでは悪いので何度も手伝おうと言ったが、やんわりと断られていた
呆然とする俺に医者は言葉を続ける
現代(あえて現代と書くが)の睡眠薬は安全性が高く、個人差はあるが余程大量に服用しなければ死亡する事は無い
だがこれだけの量を摂取して今まで事故を起こしていないのは奇跡としか言いようがない、と
その後、胃に残る未吸収物質を除去する為、胃洗浄を行った
安っぽい言い方だが、地獄のような苦痛だった
こんな時こそ意識を失えば良いのに何故か最初から最後までハッキリとしていた
いや、理由は分かっている
自分の奥底から湧き上がるナニカがこの苦痛を忘れるなと言っていた
『現実を理解出来たら戻れ、それまでは烏とゴミ漁りをしていろ』
最後に聞いた父の言葉がするりと体に入ってきた
振り返ってみると、この時自分の中で大切だと思っていた決定的な何かが砕けたのだと思う
事実、あの女が出かけている間に荷物をまとめ、帰郷した時の父の第一声は
『烏の嘴で見れる程度には研がれたか』だった
好ましい変化だったらしく、それまで俺に関わろうとしなかった父自らの手による後継者としての教育が始まった
その中には【対処】も含まれていた
帰郷前に部屋を調べ、交友関係を洗い、ある程度見当がついたが、
父は既に完全に把握していた
無造作に広げられた幾つもの資料
その内の一つでは、全裸のあの女が見知った男の上に跨り、
その背後では自分が机にうつ伏せになって眠っている写真があった
男は女を紹介してきた会社の先輩だった
二人は俺と知り合う前から不倫関係を続けていた
「烏は光物に興味を示す、覚えて置け」
好きなものを食べたときのほころんだ顔
からかったときのふくれっ面
映画を見て感極まり、咽び泣く顔
何気ない日々の中で見せたこぼれるような笑顔
決意を伝えたときの様々な感情が入り混じり、くしゃくしゃになった顔
それら全てが嘘偽りだったと理解し■■■■■■■■■■
「ぐ」
唐突に頭の中をかき回されるような頭痛と眩暈に襲われ、同時に胃液が逆流する
立ち止まり、込み上がる吐き気を必死に堪えつつ、頭痛が通り過ぎるのを待つ
自分自身を落ち着かせる言葉を並べ立て、逆立つ気持ちと身体を鎮める
暫くして、ゆっくりと頭から痛みが引いていき、胃の具合も治まってきた
のた打ち回っていた頃に比べればこの症状にも大分慣れてきた
治る気配は一向に無いが
落ち着くと周囲から奇異の視線を感じた
一度大きく深呼吸をする
あと少しの辛抱だ
この話で作品が消されるか否かが鍵