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彼女とネコは高いところが好き  作者: 二ツ木線五
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21】沢瑠璃さんのお母さん -3

 良かった、これで行かれなくてすんだ。

 ほっとしながらそのおばさんへ歩み寄りながら、けれど、僕はその一方で今さらながらの重要なことで頭を一杯にしていた。

 ――僕は、何のために呼び止めたのだろう。

 そう、それだった。

 僕は何のために呼び止めたのか。この人が沢瑠璃さんのお母さんだと確認するため? 違うそんなことじゃない、そんなことじゃなく――

 何も言わずにそばまで寄ってきた男子高校生を妙に怪しむのは当然で、そのおばさんは表情に警戒心をありありと浮かべている。僕はもう、とにかく口を開くことにした。


「急に声をかけてしまってすみません。僕、沢瑠璃さんの同級生で織野と言います」

 昔、うちの両親がお礼の挨拶に行っているのでもしかしたら名前を聞けば警戒心も、と思ったけれど、そのおばさんは織野の苗字を聞いても特に大きな反応を見せず、ただ同級生というところとできる限りの丁寧なしゃべり方のところで少し警戒心が緩まったような表情になった。

 僕は聞きたいことをストレートに聞くことにした。ここで「いいお天気ですね、お元気ですか」なんか言ったところで、どう考えても普通にまた怪しまれてしまう。

「実は、沢瑠璃さんの飼いネコのことでお聞きしたいことがあるんです」


 そう尋ねると、おばさんの表情がさっと変わった。

 それは、良くない表現だけど悪くない反応だった。

「あなた、もしかして織野さんの息子さん?」

 つい今たしかに名乗ったわけだけど、名前を思い出してもらえるタイミングは名乗った時とは決して限っていないのだ。

 それよりも、おばさんは今、「織野さんの息子」と僕のことを呼んだ。ということはつまりあの転落事故のことをこの人は憶えているのだろうということで、実際、警戒心をすごい勢いでほっぽり出したおばさんは、これもまたすごい勢いで僕の身体の心配と僕のそれからのことを尋ねてきた。ちょうど沢瑠璃さんが僕のことに気づいてからの調子とそっくりで、おばさんの質問攻めをなんとか受け、そして流しながら、「あぁ、親子なんだなぁ」とぼやっと考えた。


 とはいえ、おばさんとの接点はそれだけなので、僕の受け答えにある程度満足すると会話のネタは店頭からすべて売り払われてソールドアウトになる。するとおばさんも多少落ち着きを取り戻したので、僕はようやく(初めの緊張感を多少失いながら)おばさんを呼び止めた理由である質問をぶつけることができた。

「あの、一つお聞きしたいことがあるんです。沢瑠璃さんが飼ってるおでんのことなんですけど」

 すると。

「え……おでん?」

 それまで言葉のルツボのようだったおばさんの口が、明らかに曇った。いや口だけじゃなく、表情もだ。眉間を少し寄せて、浮かんでいた笑みもかすんでしまう。

 僕は――そんな反応を、ある程度予想していた。そして、その予想が当たってしまったことで否応なしに胸がざわついた。


 けれど、だからと言ってこの質問をこのタイミングで取り消してしまうわけにはもういかなかった。

「僕、実は沢瑠璃さんと逃げたおでんを探してるんです。そのおでんについて、聞きたいことがあるんです」

 変な探りやら遠まわしやらはせずに、ストレートに尋ねた。

 おばさんの沈黙は、長かった。その沈黙が一秒、一秒と長引いていく度に僕の胸の鼓動が早くなっていく気がして、拳を握りしめてそれをぐっと抑えこむ。


 やがて、おばさんはため息をついた。そのため息を飲みこむように、僕はつばを飲みこんだ。

「……あの子、織野くんまで巻きこんじゃったのね」

「ど。ど、どういう意味ですか」

 うまく口が開かなくて、僕はどもってしまう。動悸が早くなってきて、早くなりすぎてきてくらくらしそうになりながらおばさんの言葉を待った。

 ……待った末に聞いたその言葉は、世界中にあるどの鈍器よりも凶悪だった。

「織野くん、ごめんなさいね。おでんはね、一ヶ月くらい前に死んだのよ」


 …………!


 僕は――。

 おばさんに肩を揺すられるまで。

 たぶん……息を止めていたように思う。

 胸に詰まっていた重い重い息を雪崩打つように吐きだすとそれがスイッチだったように、身体中から冷たく気持ち悪い汗が滲みだしてきた。

「大丈夫? おばさん、なにか悪いこと言っちゃった?」

「い……いえ。大丈夫……です」

 おばさんに心配かけないようにと笑ったつもりだけど、僕は上手く笑えたのだろうか。……いや、笑えてなかったのだろう。おばさんは腰に手を当てると、顔をしかめて明後日の方向をにらみつけた。

「あの子が納得するなら、って何も言わなかったけど、人に迷惑までかけてたなんて」

「い、いえ迷惑なんて思ってないですよ、それより、……し、死んだ? 死んだ、って、その……おでんは死んでる……んですか?」

 おばさんは細めていた目をすぐにゆるめて、困ったような、心配しているような表情になり、ゆっくりと頷いた。

「ええ。もう一ヶ月くらい前ね。あの子がおでんを散歩させてみたいって言って外へ連れ出したんだけど、そのときにおでんが逃げちゃって。穂花が見つけたときは野良猫と喧嘩してたみたいで、そのときの傷が悪かったみたい。……病院にも連れていったんだけど、次の日には。ね」

 生々しい、過小も過大もないなにより生々しい話を、おばさんは語ってくれた。

「穂花も、おでんが息を引き取る瞬間を見てたのに。ずっと仲が良かったから受け入れられないのね、次の日からおでんを探しはじめて、ね。私たちもそれで徐々に受けいれられるならと思って好きにさせてたんだけど。あなたに迷惑までかけてるなら、そろそろやめさせるべきね」

「あ……あの」

 僕は関節に不味そうな餅かなにかがへばりついているかのような重い顎をなんとか動かして、おばさんの言葉を制止した。

「事情は分かりました。そ、それでですが、沢瑠璃さんには僕から話をさせてもらっていいですか? それと、できればそれまで沢瑠璃さんには僕がこうやって話を聞かせていただいたことを伏せておいてもらえませんか?」

 それは聞こえ方によっては僕が沢瑠璃さんを言い責めるためとも捉えられたけど、おばさんはそう捉えずにいてくれた。ただ、そんな提案をされると思ってなかったのか少し意外そうな表情をしながらも、おばさんは小さく笑って「分かった。じゃあ、それであの子が分かってくれなかったら私から言うわ」と承諾してくれた。


 「じゃあね」、と言って、おばさんは改めて車に乗りこみ駐車場から出ていった。

 僕は、それを手を振って見送りながら。

 車が見えなくなった、途端、大量の汗が全身から噴きだすのを止められなかった。頭にも軽い痺れが走り、右手をふと見ると小刻みに震えていて、あわてて左手で抑えこんだ。けれどその左手さえ震えていた。

 どういうことだ。

 おでんは……死んでる?

 そんなバカな話はない。

 だってなにより、この僕が、何度もおでんを見てる。沢瑠璃さんからもらった写真に写ってるあのネコをだ。何度も見てるのだ。

 けれど。けれど、沢瑠璃さんのお母さんがウソをついたとも思えない。沢瑠璃さんのお母さんが僕にウソをつく可能性がそもそもあり得ない。その理由も動機すらそもそもない。

 だとするなら。そうだとするなら。


 身体が震えてくる。僕は両手で自分の身体を抱きしめる、そうすることで身体の震えをなんとか押さえつける。

 あれは。あのおでんは。あのネコは。――幽霊……?

 大きな震えが全身を覆った。

 それをさらに強い力で押さえつけて、けれど唐突にあのことを思いだして自分の体を抱く手すら震えてくる。

 道ばたで初めておでんを見たときに感じた違和感。僕が少し目を離したあいだにおでんは姿を消していた。けれど、おでんがいたあの位置からあの短時間で移動できる場所なんかどこにもなかった。沢瑠璃さんの登場で気を逸らしてしまったけど、あのとき僕は確かにそのことに気がついていた、あの早さで僕の目の前から姿を消すには、その文字どおり姿を消す以外にムリだ――

 僕は、ともすれば力の抜けてしまいそうな足を動かしてなんとか歩き出した。


 ――確認しなくちゃいけない。

 確認しなくてはいけないことがなんなのかは今の僕の頭が痺れたようになっていて思い浮かばない。

 けれど、確認しなければ。沢瑠璃さんに。

 僕は、自分の家へ歩き出した。

 いつの間にか落としていた洗剤を拾いに戻ったのは、そのすぐあとだった。


ようやく、このシーンにたどり着きました。

さして大きい波のないこの物語で、ここまでもし全部読んでくださっている方がいれば、もう大感謝です!^_^

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