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彼女とネコは高いところが好き  作者: 二ツ木線五
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8】焦土化した頬

 『はい、理塚です』

 インターフォン越しに、理塚くんのお母さんの声が聞こえた。僕が「織野です。急にすいません、実はマンションの廊下に落し物しちゃって。取るだけなので、入口の自動ドア開けてもらえませんか」と伝えると、『あぁ、織野くん? いいわよ、今から開けるから入って。ああ、うち来る?』と優しいことを言ってくれたけど、断ることにした。


 インターフォンを切るとほぼ同じタイミングで、自動ドアが開いた。

 それを見て、沢瑠璃さんが「友達って便利ね」と呟いた。ドアをくぐり抜けたあと、これは間違った友達の使い方であることを、少しの時間を割いて沢瑠璃さんに伝えた。


「でも織野司、お前このマンションは平気なんだな。何回か来てるみたいだし」

「上を見てないし、来慣れてるし、いつもここで待ってたし。平気ではないよ。あ!」

 僕の高所恐怖症の話をしたことで、そう言えば克服のために手伝ってもらうことの内容を話していないことに気がついた。そのことを伝えると、「そう言えばそうだな、いいぞ、早く言え」と沢瑠璃さんが安請け合いする。


 断られるかも、というか殴られるかも、と思いながらも、僕は沢瑠璃さんへ二本指を立てた。

「二つあります。一つは、できるかぎり下の見えない階段かエレベーターを使いたいです」

「いいぞ。上に登れるならなんでも。でも、そんなのって少なくない?」

「うん、それで二つ目なんだけど」

 少しの間を置いて、僕は意を決して沢瑠璃さんに二つ目を告げた。


「沢瑠璃さん、降りてくるまでの間、手をつないでください」

 言うと同時に僕は防衛態勢に入った。もちろんそれは必ず襲ってくるだろう鞄の爆撃から逃れる防空壕的なものだったけど。

 ところが――鞄は降ってこなかった。

 シミュレーションしていた出来事が一向に襲ってこず、あれ、と思って彼女を見ると。


 沢瑠璃さんが――固まっていた。しかも、顔を真っ赤にして。息も止まっているのがはた目でも分かるくらいに。指の先まで。ぴきりと固まっていた。

 予想外どころでなくそもそも存在しえなかったはずの反応、だから、言い出しっぺの僕も、顔を真っ赤にして固まってしまった。

 マンションの住民がもし通っていたら「あら変わった人物像が建てられてるわ」と思ったかもしれないこの時間がしばし、しばらく、過ぎたあと。


 やっぱり鞄が降ってきた。

「うわぁ!」

 今回もなんとか受け止めたけど、今回違ったのはぐいぐい押される鞄で沢瑠璃さんの顔が見えないまま「こ、このスケベ男なに考えてんのよっ!」という声だけが聞こえてきたことだった。


「い、いいって言ったけど、したいことを言えなんて言ってないわよ!」「いや違うよ、たしかにしたいことだけど!」「うひゃあ!」「うわ違うすべった口がすべった!」「ななななにお言ってんのよう!」

 マンションの住民がもし通っていたら「あらうるさいわ」と間違いなく思われたこの時間がしばし、しばらく、過ぎたあと。


「ち、違うんだ、おでん探しとか、手をつなぐ緊張でさ、気を散らしたら、慣れるんじゃないかと思ったんだよ……」

 沢瑠璃さんのとやりとりの中で一番疲れる時間が過ぎたあと。僕は息絶え絶えにしながらそれでもあらかじめ用意していた建前をなんとか口にした。

「へ、変な意味じゃないよ、でも……」

 沢瑠璃さんは僕に背中を見せながら(しゅっとした背中でちょっとドキッとした)、「ったく」やら「ホントに」やら、途切れ途切れに呟いている。


 さすがにこれは困らせたかもしれない。申し訳ない気持ちが大きくなってきて、僕はやはり取り消すことにした。おでん探しに全集中するしかない、と背中を向けたままの沢瑠璃さんに声をかけようとした。そのときだった。

「こゆびっ!」

 沢瑠璃さんがそう大声を出した。

 けれどあまりに短すぎて聞き取れず、「え……?」と聞き返した瞬間、沢瑠璃さんが勢いよく振り返った。

「小指だけなら許しちゃる!」


 ――ありがちだけどどこの地方のか分からない訛りでそう怒鳴った沢瑠璃さんのほっぺたは、赤色でこげついていた。

司くんと沢瑠璃さんは、そこがただのマンションのただのロビーということを忘れないでいただきたい。

ねえ。

そんなやり取りを筆者もしてみたい。

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