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海の香

作者: 江馬 百合子
掲載日:2015/11/05

「源さん!海に行きましょう!魚を釣ってください!」


 うだるような暑さを吹き飛ばすような清々しい声が、船内に響き渡る。


 その声に反応して、この海賊船の船長である源太は、ゆっくりと瞼を上げた。



 半年程前に拾ったこの少女、空は、故郷を戦で焼かれたそうだ。

 何もかもを失っていながら、それでも明るい笑顔を向けてくれる彼女が、眩しくて仕方なかった。



「聞こえてますか!源さん!」


「お、おぅ!聞こえてるぜ!」


「じゃあ、早く行きましょう!魚が逃げてしまいますよ!」



『…なんで急に魚が逃げだすんだ…?』



 少女の独特の感性が面白くて、吹き出しそうになりながらも、源太は応の返事を返す。


「確かに、こんな蒸し暑い所にいたんじゃあ、気がどうにかなっちまうぜ。魚?任せときな!」


 ずかずかと歩いていく源太の後を、空は嬉しそうに跳びはねながらついて行った。



――――……



――海も空も


限りなく青く、広く


清々しく吹き抜ける風は


優しく髪をなびかせる



『まるで、源さんみたい』



 釣り糸を垂らしている源太の横顔を見つめながら、空はそんなことを考えていた。


 日に焼けた彼の髪は、温かな陽の光のようで


 思わず、そっと触れてしまった。


 ふと気がつくと、目前の源太が、両目を見開いて、こちらを凝視していた。


 やっと自分のしたことに気がついた空。


「あ、あのですね、これはその、深い意味があるわけではなくて…えと…すみませんでした!」



 頭が激しく混乱していた空は何故か謝り、その手を急いで戻した。


 堪え切れずに、源太は盛大に笑った。


「謝るこたぁねぇだろ!おもしれぇ奴だな!」


 その笑顔は、まるで太陽のようだった。


 その後、魚は次々とかかり、持ってきた籠はいっぱいになってしまった。


「すごいですね!源さん!大漁じゃないですか!」


 そう言って、本当に嬉しそうに笑う空はやはりとても眩しくて…。


 これまでの迷いが綺麗に晴れていくような錯覚に陥る。


『…いい加減、女々しいよな』


 覚悟を、決める。



「なぁ、空」



 源太が、急に真剣な表情になったので、空は自分が何か悪いことをしてしまったのではないか…と勘繰ってしまう。



「はい!なんですか…?」


「…俺はな、あんたがずっと眩しかった」



 だから、その言葉はあまりにも予想外だった。


「え?」


「俺は最初は、不思議でならなかったぜ。あんたが全く泣かねぇもんだから、よっぽど故郷が嫌いだったのか…ただ、薄情なだけなのか…正直どうすりぁいいのか、わかんなくてな」


 源太は本当に困ったように笑いながら、空の髪に触れた。


「だが、あんたは、泣いてたんだろ?」


 空は息をのむ。

 何故、ばれてしまったのだろう…。


「…俺は海の荒くれ者どもを束ねる鬼だ。

こんなことを言う権利なんてねぇのかもしれねぇ。

けどよ、あんたには、ずっと傍にいてもらいてぇ」


 空は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうに笑った。


「もちろんですよ!これからも変わらず傍にいます!」


『こいつぁ恐らく、意味を履き違えていやがる…』


 源太は腹を括る。

 これを言えば、もう戻れない。

 だが、戻りたいとは思わなかった。



「空、俺はあんたを愛してんだ」



 時が止まったように、辺りが静まり返る。


 二人の耳に聞こえてくるのは、ただ、波の音だけ。




 暫くののち、空はおずおずと口を開いた。


「私もずっと…源さんが好きでした…けど…本当に…私なんかでいいんですか…?」


『家族とともに死ぬことすら許されなかった、ただ一人生きながらえてしまった、本当に…こんな私なんかで…?』


 源太は、思わず、目の前の少女を抱きしめた。



「俺にはあんたしか見えてねぇ。もう、これ以上我慢すんなよ」



その声に、


自分は幸せになっても良いのだろうか、という不安も


死んでいった故郷の人々への後ろめたさも


全て溶けていってしまった。



 強まる腕の力が更に安心させてくれる。



『私は…幸せになってもいいんですね…』



 空は、源太に応えるかのように自らもまた腕をまわした。



『なんて安心する声なんだろう。まるで、波の音のよう』



――戦火に焼かれた故郷に一人、膝を抱えて泣いていたそのとき――


「…他に行くとこねぇなら、俺と一緒に来るか?」


 その声音に、どれ程救われたことか。



『なんて安心する匂いなんだろう。まるで、海辺の風のよう』



 もし、あのとき、あの声を聞いていなければ、私は今、どうなっていたのだろう…



「源さん…ありがとうございます…源さんは、まるで…海みたいです」



 少女の顔は見えないが…その声音には確かな幸福の色が滲む。


 彼女は今、きっとこれまで以上に眩しい笑顔を浮かべているはず。



「そういうあんたは…まるで太陽だ」





――時がゆっくりと流れていく…




聞こえてくるのは

…波の音




見えているのは

…輝く紺青




この香は




…海の香




 

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