第一章「庇兎(かばう)」
あのテロ事件から三年半。街並みの並んだ木々の桜は満開ながら、一つ、また一つ散っていく。その光景は、人の命の儚さを訴えている様な気がした。
街並みは、テロ事件の時とは違い活気が戻り、気のせいか幾分、前の街並みより活気が戻っているような気がする。皆の心にある傷跡を必死に隠すかのような活気だった。とはいえ、全ての傷跡を消す事は出来ず、一応、瓦礫の山は撤去されてはいるが、土地の買い手がつかなったのだろう、空き地となっている区画だってあった。その街並みを車の中から横目で見ながら、清水 思織はある場所に向かっていた。
元新帝都高校―――現在は別の名前の高校が建っている。帝東都高校という名らしい。流石に同じ名に出来なかったのはテロの傷跡を少しでも隠すためだろうか。
「復興、どれくらい大変だったのかな」
清水は、ふと思った、得に理由もない疑問をいつの間にか口にしていた。
清水以外に誰も乗っていない車内の中で、誰かが答えてくれるわけもなく、沈黙が流れる。その沈黙は、清水の気分を沈殿させていた。
「あぁー、駄目だな。今日、彼が来るのに」
沈殿した気分を少しでも上昇傾向にするため独り言を呟く清水。しかし、その独り言は逆に沈殿した気分を悪化させる悪手でしかなかった。
彼―――時雨 隼は今日、警視庁の同じ部署、清水の相棒として来る。つまり、清水は先輩刑事となるのである。その事が過去を蘇らせていた。
帝東都高校付近に車を止め、外気の空気を吸う清水。外気はとても冷たく、私を拒んでいるように清水は思えた。
「水戸警部、私にも出来ますか?」
掠れた声で呟く清水。
「清水刑事?泣いているんですか?」
気づけば、花束を持った時雨 隼が立っていた。
時雨君の言葉に初めて自分が泣いている事に気が付く清水。見っとも無いところを見せてしまった。すぐに右袖で涙を拭う。
「時雨君、どうしたの、ここで?」
目から零れ落ちそうな水滴を一生懸命踏ん張り、屈託のない笑顔を清水は作った。
「無理しなくていいですよ」
時雨君は三年半前とは違い、大分落ち着いた大人に見える。その姿がどうしても尊敬していた水戸警部と重なる。時雨君の言葉には甘えず、溢れそうな涙を堪え、引きつってでも笑顔を清水は作った。
「無理なんかしてないよ。時雨君の方こそ、無理しているんじゃない?」
今日から先輩になる清水は意地を張った。先輩だからこその意地。少しでも支える側になりたいと思ったのだ。
「俺は…そうですね。少し無理しています」
清水は驚いた。時雨君がその様な弱音を吐くとは思ってもみなかったのである。
気丈で丈夫な心を持った強い意志の持ち主を勝手に時雨君と結び付けていたことに反省する。
時雨君は帝東都高校の校門近くの歩道に花束を置き、大きく息を吸った。
「今日、ですね」
花束を置いた時雨君のスーツ姿は、成人式に出るかのように初々しかった。
「そうだね、乗っていく?」
清水は車に視線を移した。
時雨はんーっと唸って
「やっぱりやめておきます」
ときっぱり答えた。
「そんな、遠慮することないって!」
強引に時雨の背中を押して、助手席まで案内する。
「え、いや、あの」
戸惑う時雨君を無理矢理助手席に乗せ、警視庁まで車を発進させた。
「いつもこうなんですか?清水刑事は…」
時雨君はため息をついた。しかし、ため息をついた顔はどこか笑っていた。
「私なりの先輩としての行動よ。あと時雨君も、もう刑事なんだから、その言い方、どうにかならない?」
清水は微笑んで柔らかい口調で言った。
「あ、そうですね。そしたら、どのような呼び方をすれば?」
「そうだなぁ、単純に清水、でいいよ」
「では、清水さんで」
「さんもいらないけど、ま、いっか」
清水はどうにか時雨君の緊張を解くため、そのような、どうでもいい話をしたのだが、時雨君は元より一分たりとも緊張していない感じだった。
「清水さん、止まって!」
多少の沈黙が流れて、物思いに耽っていたら、時雨君が叫んだ。
「時雨君?」
急ブレーキは危険なので、すぐに指示器をだし、車を歩道に寄せ、ウインカーを点滅させる。
「すいません、どこかに車を駐車して、後を追いかけてきてもらえますか?」
時雨君は凄まじい速さで車から降り、車の中に顔を覗き込ませながら、力強い口調で言った。
「どうしたの?」
「事件のようです」
時雨君はそう言うや否や、ドアを荒く閉め、走っていく。清水は自慢の運転技術で近くのコンビニに車を素早く止め、時雨君が行ったであろう方向へ走った。
どこへ行ったの?
時雨君の足は思ったよりも速かったようで、姿形も見えなかった。清水は車に戻り、最近、第三首都、愛知県もとい中京都警察本部刑事部から異動してきた、我が班の班長、三木 雄也警部に電話をした。
この辺りで起こっている事件を訊くためだ。
数コールで出る三木班長。
「おい、清水、お前、どこ行ってるんだよ!」
即聞こえてきたのは三木班長の怒声だ。
あれ?三木班長に帝東都高校へ行くと言っていたはずなのだけど。
清水は少し腹が立ったが、込み上げる感情を抑え込み、冷静に答える。
「どうしたのですか?」
「あ、あぁ、港区赤坂―――で事件だ。早く現場に急行してくれ」
冷静な答えに拍子抜けしたのか、初めのほうは驚いた口調だったが、すぐに、いつもの口調に戻った。
港区赤坂―――?といえば、この付近のことだ。もしかしたら、時雨君が走って行ったのは、この事件だからかもしれない。
「分かりました。今すぐ急行します」
すぐに清水は携帯を切り、車から降り、全速力で走った。
時雨君はこの事件に気付き、向かったに違いない。根拠はないが、そう思えてならなかった。
「これが刑事の勘ってやつかな?」
清水は少し笑った。
清水が現場に着いた時、既に現場は警察官によって、黄色いテープが張られていた。
事件現場となったのは、アパートの一室らしい。アパートの入り口を黄色いテープで一般人の侵入を防いでいたのだ。
「清水さん!こっち!」
見張りをしている警察官と言い合っていた光景が浮かぶように、警察官と時雨君は向かい合っていた。
「清水警部補!?」
多少の顔の広さを持っている清水は、赤坂警察署の署員にすら面識があった。
「時雨君と一体どうしたんですか?」
とか言いつつ、清水には分っていた。今日配属の時雨君にはまだ警察手帳も回されていない。だからこそ、中に入れなかったのだろう。
「いえ、すいません。特に…。どうぞ中へ」
赤坂警察署の署員は丁寧に黄色いテープを上げた。しかし、その親切な行動とは裏腹に時雨君に多少ながら敵意が混じっているようにも思える。
清水はため息をついて
「ほら、行くよ」
と言って、時雨君の手を掴んで、現場に入って行った。
「ちょ、俺も子供じゃないんですから」
入ってすぐ、時雨君に手を振り払われる。
気のせいか、時雨君の顔だけでなく、耳まで真っ赤になっている。
清水は少し微笑した。
「清水?速かったな」
思ったよりも速い到着で驚いた顔を作ったのは三木 雄也。年齢は四十六歳で歳の割にごつい体。しかし、顔のほうは老けが顕著に表れ、髪の毛もある程度の白髪。
「偶然近くにいたものですから」
清水は、三木班長を見ず、捜査一課の腕章を付けた。
「清水、そいつが、時雨か?」
清水はすぐに三木班長に視線を戻した。三木班長はジッと時雨君を睨み付けているように見えた。
「時雨 隼です。現場を見て、飛んできました」
次に清水は時雨君に視線を移した。彼も三木班長を睨み付けていた。
「勝手なんだな」
三木班長と時雨君の間で、何か見えない火花が飛び散っていた。
「今日配属なので」
「お前は、まだだろ」
時雨君は口をつぐんだ。妥当な返し言葉がなかったのだろう。しかし、時雨の目は三木班長を睨んだままだった。
「三木班長!」
清水は堪らず、口を挟んだ。
「まぁいい。管理官には俺から話を通しておく。ただし、勝手なことはするなよ」
三木班長は私との言い合いを避けるように、ただ必要なことを言い捨てて、去った。
「班長を初日で怒らせるって、あんた良い度胸しているな」
後ろで傍観していた男性は、時雨君と同い年で、しかし、時雨君よりも長身で、切れるような顔立ちながら、長い髪が、少し陰湿そうな気配を漂わせる。その姿はまるで、ミステリー小説が大好きな大男みたいだ。
「きみは?」
同い年なのを見抜いたのか、初対面ながら、タメ語を使う時雨君。
「あ、彼は―――」
一応、先輩刑事として、彼のことを紹介しようと口を開いた時、珍しく彼は自己紹介を始めた。
「俺は相馬 流星。中京都出身で、あんたと同じ所属、巡査部長だ」
相馬は自分のこととなると一言も喋らない。基本、事件以外のことは興味なしという素知らぬ顔をして、気づけばどこかへ行ってしまう。そんな彼も三木班長と共に中京都警察本部刑事部から異動してきた。三木班長が彼を連れてきたと聞いている。それほど優秀だったらしい。
「中京都の割には、訛ってないな?」
元愛知県には方言があった。しかし、首都計画と共に標準語計画も中京都では、進められたと聞く。
「あそこはもう―――標準語に染まっているよ」
相馬はどこか悲しげな顔を見せた。やはり、方言が無くなっていくというのは、どこか悲しいことなのだろう。
相馬の新しい一面を清水は見られたような気がした。
時雨君は小さく何度も頷き、相馬の気持ちに同情しているかのように思えた。
頷きをやめ、一瞬目を閉じ、何か物思いに耽たのだろう。その後、すぐに目を開き、清水に目線を映した。
「清水さん。現場を見せてください」
そうだったと言って、手の甲をポンと叩き、事件現場の近くを見渡した。
あいつ、どこに行ったんだろう。あ、いたいた。
清水は同じ班の火狭 杉菜巡査部長に手を振った。
情報を得るときは基本、彼女から訊く。彼女は私以上に顔が広く、いつも私に全情報を教えてくれていた。私たちの班は被害者の情報を訊くとき、大抵彼女に訊くのだ。
年齢は聞いたことがないが、私と近い、二十六歳より若干上くらいだと思う。髪はセミロングでかなりの癖毛。細目で、いつも表情豊かな顔は、何気に警視庁内での女性の中ではとても人気がある。男性関係の話は聞いたことは無いけど。
「何々?私の男性関係を訊きたいの?」
火狭さんの茶化すような声。
というか、読まれている?
「そんなことありません」
少し声が上ずってしまったが、取り繕うとさらに面倒なことになりそうなので、取り敢えず話題を逸らす。
「現場はどこですか?」
「あ、こっち、付いてきて。そこの新人さんもね」
火狭さんのこういうところだけは鋭い。その鋭さが事件に対して有効になったことがないのが疑問に思う。
時雨君は火狭さんの言葉に違和感すら感じなかったのだろうか、微塵も表情を変えず、少し頷いて見せただけだった。
アパートの中に入っていく清水たち。
アパートの中の二階、階段から一番離れた一室に入る清水。そこは、事件現場とは思えないほどの綺麗さを保っていた。
「本当にここで?」
このアパートの綺麗さを疑問に思った清水は、そんな疑問を口にした。
「貴方の言いたいことはわかっている。どうやら発見された場所と殺害された場所は違うみたいなの。だから、血痕を綺麗に拭き取れた」
「どう見ても突発的犯行だろうな。これ」
気付いたら、近くに相馬が立っていた。あんまり気配がなかったものだから
「ひゃっ!」
と素っ頓狂な声を清水は上げた。
「あ、気づいていなかったんですね」
時雨君ですら気づいていたらしく、私はどうも警戒心がないというか油断しているというか、視野が狭いらしい。
「突発的っぽいから、俺帰る」
「え…」
この出来事には流石に驚いたらしく、時雨の目は見開いていた。
相馬の自分勝手な言動に、清水はため息をついた。
「勝手にしなさい」
相馬が勝手に帰るのも、事件を解くのも、三木班長は全て許していた。三木班長は相馬に対してだけ甘い。そう思っていても、反論する気も起らず、諦めていた。
「では、そうする」
相馬はそう吐き捨てると、のっそりのっそりと歩いて出て行った。
「相馬はあれさえなければ優秀なんだけどねー」
火狭さんは時雨にそう言い聞かせるように呟いた。
「優秀なのは知っています」
時雨君の言葉は、清水も火狭さんも目を丸くした。
時雨君は時雨君で、この班のことを調べていた、もしくは、管理官から聞かされていたのかもしれない。
「それで事件の話…」
清水は話を戻すため、一度咳払いをしてから言った。
「あ、あぁ、そうだった。被害者は藤木 達雄。五十六歳で独身。死因は後頭部への鈍器の物で殴られたことによる失血死。第一発見者はこのアパートに住む、佐藤 真矢、三十三歳で、発見時刻は先程の午前一〇時三〇分近く。つまり、四月六日の午前一〇時三〇分近く。佐藤 真矢は藤木 達雄から何故だか呼び出され、鍵が開いていなかったので不審に思い、大家さんに連絡したことで事件が発覚。死亡推定時刻は、昨日、つまり、四月五日の午後三時から午後四時ごろです。一応、金目のものは一切盗まれてないから、物取りの線はないらしいって」
火狭は持っていた手帳を一語一句逃さないよう、しっかりした口調で説明した。
時雨君はその説明を受け、眉間にしわを寄せ、顎をさすっていた。
「やっぱり、相馬の言う通り、突発的犯行ですかね」
清水は殺害現場がここでないことから、突発的犯行だと決定づけた相馬に同調した。
「さっき言っていた突発的犯行、どうしてそう思ったの?」
火狭が疑問を口にした。
「だって、殺人現場を見られたくないということは、証拠が多数残っているからでしょう?」
おそらく相馬もそう思っているのだろう。
「あー、そっか、現場に幾つもの証拠を残すって計画的犯行ではないもんね」
「取り敢えず、第一発見者の佐藤さんの部屋に向かいましょう」
時雨君は清水に視線を戻した。
「そ、そうね」
時雨君の言葉に同調した。
「あ、佐藤さんの部屋行くの?じゃあ、案内するね」
火狭さんは案内してくれるようだ。そこまで人がいい理由は、おそらく、時雨君への興味があるのだろう。
「ありがとうございます」
清水は出来るだけ笑顔を作り、火狭さんにお礼する。
「こっちー」
火狭さんは先程出た現場の一室から階段の方へ歩いていくと指をさした。
清水は目を丸くした。驚くことに、佐藤さんの部屋は藤木さんの部屋の隣だった。
インターホンを鳴らす火狭さん。
さっきから黙っている時雨君が何故だが、不気味に思ってしまった。
「はい」
出てきたのは、とても三十代とは思えない若々しい少女だった。綺麗な肌にストレートで長い黒髪。目が細目で口元にあるホクロ。ホクロが可愛く、愛嬌のある子だ。
隣の部屋で事件が起きたからだろうか。彼女の細目は何か怯えているように清水は感じた。
それに部屋から何か、燃やしているような匂いがした。
「あ、娘さん?お母さんいるー?」
火狭さんは怯えている目に気付いていないか、気付いても無視したのか、のどちらかで、訊いた。
「お母さん、今いない」
その娘さんは静かに答えた。
お母さんがいない、ということはどこかで、まだ話を訊かれているのだろう。
「どうしよう。出直す?」
火狭はこちらに視線を移す。清水は少し首を振った。
「いや、この子にも話を訊いてみたい」
「そう。それじゃあ、少し話を訊いてもいいかな、真久ちゃん?」
火狭さんはその子と同じくらいの視線になるまで腰を屈めた。
火狭さんはその子の怯えている目に気付いていたのだろう。だから、少しでも警戒心を解こうとして屈んだのだろう。
しかし、それは逆効果だったようで、その子の顔が少し白くなっていく。
何かあるのか。そう思ってしまうほど、彼女は我々警察に怯えていた。
「あ、あの!」
意を決したかのように彼女は大声を口にした。
その言葉に清水も火狭さんも、不意打ちを食らったかのように驚いた。
「わ、私のお母さん、藤木さんと浮気しているの!」
母親を庇いたかったのだろう。しかし、罪悪感を覚え、勇気を振り絞り、警察に大事なことを話したというところか。
彼女、真久ちゃんは顔を真っ青に、そして、涙を流して、その場に崩れ落ちた。
私も火狭さんも顔を見合わせた。これは事件が急展開した瞬間だ。
清水はすぐ三木班長に、この重要な証言を伝えた。
電話越しの三木班長は
「やっぱりな。俺の思った通りだ」
そう言い捨て、電話を切った。その間も時雨君は黙ったままだった。しかし、少し目の色が変わっていたような気がした。
「さて、問題の佐藤 真矢はどこだろう?」
清水はふと思った疑問を口にした。
「所轄の奴に訊いてくる」
火狭さんは走って、隣の部屋に立っている所轄の刑事たちに居場所を訊きに行った。
「おい、佐藤 真矢が犯人かもしれないらしいぞ」
火狭さんとは違う、少し離れたところで、二人で話をしているのは所轄の刑事たち。
「その佐藤 真矢は今どこに!?」
時雨君は急にその二人に大声で聞いた。
いきなりのことに清水は驚く。
「あんたは?」
二人の刑事が怪訝な表情で時雨君を見る。
「あの、教えてくれない?」
清水が少し前に出て大声を出した。
「あ、清水警部補。ご苦労様です。佐藤 真矢は赤坂警察署で話を聴くことになっているみたいです」
片方の刑事が少し頭を下げた。
私のことを知っているのだろう。私の父は警察官で参事官だから。そう清水は思った。
「ありがとう」
「清水さん!俺らも行きましょう!」
時雨君は走って、階段の方へ向かう。
「ちょ、ちょっと待って。まさか、走って赤坂警察署まで行くつもり?」
清水が時雨君を止めなければ、彼は突っ走って、どこへ行くか分からない。少し、時雨君には天然の要素があるのだと、清水は思った。
「お、じゃあ、私はここに残るわ。そっちはよろしく」
先程のやり取りを聞いていた火狭さんは、そう言ってこちらに指を指してきた。
「もちろん」
清水は火狭さんに頷いてみせ、車へと走っていった。時雨君と共に。
清水と時雨が到着した赤坂警察署では、どうしてだか三木班長が来ていた。
「三木班長、どうしてここに?」
どうして三木班長がいるのか、清水はその疑問を口にした。
「お前らこそ、事情聴取でも拝見しに来たか?」
「はい、勉強させていただこうかと思いまして」
先程とは違い、謙る時雨君。どうして、時雨君が今、謙るのか清水は分からなかったが、口にはしなかった。
「お、おう、そうか」
三木警部は時雨君の冷静な回答に驚き、拍子抜けしたのだろう。落胆した口調だった。
「今から、事情聴取ですか?」
今度、口にしたのは清水。
「あぁ、もうすぐ任意での事情聴取。因みに事情聴取は俺がするんだぜ」
自慢でもしているつもりなのだろうか。ニヤついた顔を三木班長はした。
「三木警部。お願いします」
会話を遮って入ってきたのは、ある程度経験を積んでいる三十代後半くらいの無精ひげを少し生やした、鋭い眼光を持った刑事がきた。
「よし、お前ら、俺のやつ見とけ」
大丈夫なのだろうか。
清水はとても不安に思った。しかし、横目で時雨君を見ると、時雨君はどこか笑っているような気がした。
油断ならない笑顔だ。
そう清水は思った。
「清水さん、少しいいですか?」
そうやって耳元に囁いてきた時雨君。赤坂警察署に入って、歩いている時に囁かれたので、清水はとても驚いた。が、冷静だった。
「どうしたの?」
清水も時雨君に合わせるように、耳元で囁き返した。
「佐藤 真矢さんについてのプロフィールを持っています?」
時雨君も佐藤 真矢を怪しいと思っているのだろう。清水は署内にいる知り合いの警察官に囁いて、プロフィールをすぐ持ってくるよう頼んだ。
今度、食事を私が奢る条件で。
三木班長は赤坂警察署の第一取調室の中へ入っていった。
「じゃあ、よろしく」
清水は知り合いの警察官に持ってくるよう頼み、すぐ、マジックミラーの裏側へ急いだ。
マジックミラーから見える光景は、佐藤 真矢さんが座り、それに向かい合いように、三木班長と先程の三十代後半くらいの刑事が座った。
「事情聴取に付き合ってもらって、ありがとうございます。佐藤さん」
三木班長はまず、屈託な笑顔で被疑者の心を開こうとした。
「え、えぇ」
少し怯えているように見える佐藤さん。その表情が我々警察にとっては、とても怪しく見えた。
「佐藤さん、あなたは確か、警察が来たとき、藤木さんに呼ばれただけ、とおっしゃいましたよね?」
三木班長の目が少しずつギラギラ光っていく。あれは追いつめ始めている目だ。
「どうしてそんなことを?」
嫌な予感を感じ取ったのだろう。佐藤さんの表情がみるみる真っ青になっている。
「質問に答えてください」
三木班長は静かに、しかし、強い口調で物事を進めていく。
これは時間の問題だな。清水はそう感じ取ったが、横目でみえる時雨君の表情は変わらず、静かに笑っている。
「私を疑っているんですか?そ、そうだ、事件があった昨日、正午から午後六時くらいまでパートの日で、あ、アリバイがあります」
その佐藤さんの一言でマジックミラーの裏側は騒然となった。
「すぐに確認してきます」
署員の何名かの刑事が走って出ていく。
「清水さん、要求されていたファイル、持ってきました」
騒然となっている中、運悪く登場した知り合いの署員は、他の署員からの痛い視線に晒されてしまった。ばつが悪そうに、すぐ清水に渡す知り合いの署員。
「あ、私が頼んだのです。許してください」
清水はなるべく面倒なことを避けるために、低姿勢でものを言った。
「ま、まぁ、清水警部補が頼んだことなら、特に問題はありません」
こういう時だけは、父、清水 翔参事官の名に助けられる。ただ、名前に助けられているだけで、別に父親に助けられているわけではない。そう言い聞かせ、冷静を保つ。
「時雨君、これ」
貰ったプロフィールを時雨君にすぐに手渡すと、時雨君は待っていましたとばかりにプロフィールを開いた。
>佐藤 真矢。三十三歳。身長一六一.三センチ。体重五七キログラム。(記録上は、夫と娘の三人暮らしだが、夫、佐藤 屋久、四十五歳、が海外へ単身赴任のため、現在は娘、佐藤 真久、十六歳、と二人暮らし。)
清水は別にプロフィールを見たからと言って、何かわかることは無く、胸中が疑問の嵐だった。
しかし、時雨君の目は光り輝き、先程よりも笑っているように見える。何か、気づいたのだろうか。
「アリバイねー、本当かなー?」
三木班長の声を聞いて、そうだったと思い、取調室に目を戻した。まだ、事情聴取が終わったわけではない。アリバイがあったとしても、まだ、攻める材料がある。清水はそれを先程の会話で見出していた。
「どうしてです?」
佐藤さんは本当に分からないといったような顔をしていた。
ここでは普通、怒ってもおかしくない場面だけど。
清水はこの異様な表情に、何か違和感を覚えていた。
「君はさっき、何と言った?」
三木班長の口調は、また強くなった。
「え、だから、アリバイを」
佐藤さんは怪訝な顔で三木班長を見つめた。
「そのアリバイをもう一度、言ってもらえるかな?」
「だ、だから、事件があった昨日は、正午から午後六時までパートがあったと言ったんです」
やはり―――。清水は三木班長の思考と同じだった。彼女は―――クロだ。
「どうして、事件があったのが昨日だと知っていたのですか?」
佐藤さんの表情がみるみる青ざめていく。それと同時に佐藤さんは震え始めていた。
マジックミラーの裏側では歓喜の声が上がった。この殺人事件を早期解決に導けたのだ。
「更に言えば、どうして先程のことがアリバイになると思ったのですか?」
三木班長は勝ち誇った顔をしていた。流石にこれは誘導尋問ではなく、別に違法性のある取り調べでもない。
佐藤 真矢はついに俯き、黙りこくってしまった。
「もう自白してください。それが貴方のためになります」
それが三木班長の取り調べで、佐藤 真矢のことを思い、同情し、助け舟を出した。
すると、その第一取調室の中に所轄の刑事が勢い良く入って行った。
「アリバイ、先程、確認しましたが、裏取り捜査の結果、あなたの務めているスーパー、その日に限って、休日だったそうですよ」
佐藤 真矢は最後の頼み綱を奪われたかのように目を丸く、真っ青な顔になり、涙目になりながら
「わ、私が…、やりました」
と自供した。
事件発覚から一日も経たないスピード逮捕。今回のことは赤坂警察署でも誇り高いことだろう。本庁と所轄の連携も完璧だったし、言うことなかった。
「ちょっと待て」
気づいたら真隣にいたはずの時雨君が第一取調室の中に入っていた。
「どうした時雨?事件は解決したぞ」
三木班長が誇らしげな表情を必死に隠して、と言っても、若干溢れ出てはいたが、そんな表情で答えた。
「いや、まだだ。このままでは誤認逮捕だ」
時雨君の言葉は、その場にいた三木班長と刑事たちはもちろん、マジックミラーの裏側にいる私達すらも凍えさした。
「お前、何言っているのか分かっているのか?」
不味い。まだ被疑者がいる中で言い合いが始まるのはよくない。清水は取調室の中に駆け走って入って行った。
「断言しよう。こいつは犯人ではない」
みんなの表情が強張っている中、時雨君は一人、静かに笑っていた。
ある程度流れた沈黙だったが、沈黙を破ったのは三木班長だった。
「いいだろう。そこまで言うなら、少し時間をやる。見せてみろ」
三木班長は所轄の刑事に一旦出ろ、と目で訴えているのが分かった。それをすぐに察し、所轄の刑事はみんな、外に出た。
「俺は監督役でここにいる。お前も先輩刑事として、ここにいてろよ」
三木班長に言われなくても分かっているつもりだ。反論するつもりもないけど。
清水も三木班長も時雨君の斜め後ろに座った。
何が起きているのか分からないのだろう、呆然としている佐藤さんは、時雨君と目が合うと、我が返ったように目を伏せ、俯いた。
「貴方は大した人だ。我々警察を欺き、表情も変えることができる」
時雨の言葉に、佐藤さんの眉がピクリっと動いた気がした。
「まず一つ、質問があります。どうして、自供したのですか?」
清水は飛び出して制止しようかと思ったが、ぎりぎりのラインで踏み止まった。これは三木班長の優しさを踏みにじった行為、しかし、制止するべき三木班長が黙っているのに、ここで私が動いたら、それこそ自分勝手だ。
しかし、三木班長は静かに見ている。何一つ表情を変えず、流石ベテラン刑事だと清水は思った。
「これ、何の意味があるんですか?自白したんですよ?終わりじゃないんですか?」
私たちに佐藤さんは懇願の目を向けてきた。
あれ―――?どうして、終わらせたがる?
時雨君はあの時言った。
「断言しよう。こいつは犯人ではない」
犯人でないと否認するならば、この時雨君の話に乗るべきだ。どうして、私たちに助けを求める?
「まず、初めから事件の整理をしましょう。最初に現場を発見したのは貴方でした」
未だに佐藤さんは黙ったままだ。
「もし、貴方が発見しなければ、事件発覚まで時間がかかったはずです」
時雨君の言う通り、確かに変だ。彼女は第一発見者、もしも、彼女が発見しなければ、もう少し時間を稼げ、証拠隠滅を長い時間得られるということになる。
「もう一つ、貴方は自らアリバイを供述しました。それも穴だらけのアリバイを」
そういえば、あのアリバイも変だ。もしも、最初に発見するということは、最低でも用意周到に事が進んでいたという必要性がある。
「それに死体を移動させるのに、わざわざ相手の部屋に戻す必要性はない。それはなぜか?死体現場を見られるとよくないことでもあるんじゃないですか?」
その時雨君の言葉に、やっと佐藤さんが顔を上げたと思うと、涙を流しながら、これ以上探らないでくれという顔をしながら叫ぶ。
「やめて!私が殺したの!不倫関係のもつれなんてよくあるでしょ!」
「不倫関係のもつれ、ですか」
時雨君は笑った。
「な、なにがおかしいの?」
「だって、不倫関係なのに部屋が隣っておかしくないですか?夫が帰ってきたとき、すぐにばれる可能性もあるのに?それに、不倫関係を証言したのは誰でしたっけ?」
流石に清水も時雨君が何を言いたいのか分かった。そして、先程、プロフィールを見せて欲しいと願い出たのも、これが理由なのだろう。
時雨君の言っていることは全て筋が通っていた。私たちはスピード逮捕ということに浮かれていたのかもしれない。
「だから何なの?私が犯人なの!間違いないの!」
「犯人が貴方でないなら、貴方は犯行時間を知らないはず。しかし、貴方は殺害された時間をなぜか知っていた。それはなぜか」
「そんなの、私が犯人だからです!ほかにないでしょう!」
「清水さん、確定しました。令状を取って、佐藤 真久さんから事情聴取をしましょう。あと家宅捜索すれば証拠も押収できます」
時雨君は清水に目線を移し、頷いてみせた。その時雨君の行為が佐藤さんの感情を爆発させた。
「あの娘は関係ない!私が犯人なんです!私がぁ犯人なんです、私を犯人にしてくださいぃぃ!」
佐藤さんは席を立ち、時雨君に掴みかかった。時雨君は掴みかかられても何一つ表情を変えなかった。
「このままじゃ、貴方に公務執行妨害が加わります。これ以上、娘を不幸にするんですか?」
佐藤さんはその一言で、全てを看破されたようにその場で崩れ去った。
それと同時に三木班長が立った。
「あんたはまだ、娘を支えなくてはならない。今はもう、これからどうやって娘さんを助けるか考えるんだ」
三木班長が佐藤 真矢に歩み寄り、こちらに視線を移し、ウインクした。
こちらは任せろという合図だ。
「時雨君、行くよ」
「え、いや、でも」
清水は時雨君の手を掴み、強引に取調室を出る。
あー見えて、三木班長は人情深い人だ。三木班長ならば彼女を慰められる、かもしれない。
「時雨…隼巡査部長でしたっけ?」
外で待ち構えていたのは唖然とした赤坂警察署の捜査員たち。
「そうですけど」
時雨君は一応、答えた。
「覚えておきます」
清水はそんなやり取りも無視し、取り敢えず、赤坂警察署を、時雨君を連れて出た。外は既に夕方になっていおり、時雨君の手を放し、携帯を取り出し、時雨管理官に令状の申請を行い、電話を切る。
令状を取れたという報告が来るまで赤坂警察署で待たなくてはならない。しかし、赤坂警察署には、居づらかった。
時雨君が単独で犯人を覆したんだもん。
清水と時雨君の間に少しの間、沈黙が流れる。沈黙を破ったのは、清水だった。
「凄かったね」
その一言がとても透き通るように時雨君に聞こえただろう。辺りは風が少しも吹かないほど静かだった。少し、ほんの少しだが、火照っている体を風で冷まそうと清水は考えていたのだが、逆効果になった。
「俺も初めてのことだったので、多少胸の鼓動が止まりません」
初めて―――?いや、おそらく、史上初めてだろう。配属されて、いや、彼の場合は一応まだか。まぁいいや。とにかく、配属された新人が、犯人を覆すなんて、聞いたことがない。
清水は時雨君が言った、初めてのことに笑ってしまった。初めてのこと…。つまり、このような事を、これから何度も起こすということだ。
「私、貴方みたいな人、初めて見た」
清水はそのまま、夕陽を見る。夕陽はもうすぐ沈みかかっており、その景色が事件の終末を語っているようだった。
「清水さん、何というか、大人ですよね」
「時雨君は子供ね」
時雨君に茶化されたので、清水も茶化し返した。二人の笑い声が夕陽に響いているような、そんな気がした。
午後六時二三分。佐藤 真久の逮捕状と佐藤家の家宅捜索の令状も下り、捜査員が一斉に家宅捜索し、佐藤 真久は逮捕された。
時雨君の予想通り、家から証拠となる、燃やされ途中の藤木の衣服や血痕などが零れ落ちており、藤木の衣服からは娘の佐藤 真久の指紋が検出され、彼女が藤木と争っていたことが明確となり、佐藤 真久は犯行を包み隠さず自供した。
最初に真久ちゃんと会ったとき、彼女は母親を裏切るつもりで泣いたわけではなかった。娘を守る母親を生贄に出してしまうことに涙していたのだ。
「時雨君、真久ちゃんが自供したよ」
清水は、もう新たに配属された我が部署の一員の時雨君に近況報告しに来た。
時雨君は自分の机にへばりつくようにして、うつ伏せになっていた。
「それでー?」
自分が解決した事件だというのに、全く興味がないのだろうか。彼の口調は先程の事件を解く時とは違い、棒読みになっていた。
「彼女は高校から帰った時、物取りで押し入っていた藤木と偶然会ってしまって、首を絞められ、殺されそうになり、玄関に置いてあったテニス大会のトロフィーで後頭部を殴ったそうだよ。それから、母親がすぐに散歩から帰宅。死体を発見し、今回の計画を思いついたそうだよ」
清水は正当防衛の可能性がある事に、すごく希望を感じていた。それくらいしか、彼女たちには光がない。
「正当防衛成立でしょう。ただ、彼女は一生十字架を背負うことになりましたけどね」
その時雨君の口調には力がこもっておらず、本当に思いやってあげているのかと尋ねたくなるほどの無気力感が包んでいた。
「あ、事件解決おめでとう」
その口調にすぐさま時雨君は顔を上げた。そこまで相馬に対し、何か思っているのだろうか。疑問に思う清水。
「相馬、君はこれを見抜いて、突発的犯行と嘘をついただろう」
先程と違い、時雨君の言葉に力が戻っていた。いかにも、相馬が犯人かのように。
「あぁ、嘘をついた」
な…清水は唖然とした。我々警察を翻弄されたこの事件を、相馬は見抜いていて嘘、というわけではないけど、突発的犯行という相馬の言葉から、犯人を決めつけていた部分があった。そのような嘘をついて、事件をかく乱させたというのか。
なら、最初から手伝えってんの。
清水の中に文句が垂れ流れてきたが、一応、口にはしなかった。
「なら、君が解決したらよかったんじゃないのか?」
時雨君の口調には少し怒声が混じっている。本当はどうだかわからないが、そう清水は勝手に思っていた。
「だって、あんたが解決すると分かってたからな」
こいつ!
殴りかかりに行こうとした清水を制止してくれたのは、三木班長だった。
「みんなご苦労。時雨ぇ、てっきり俺は、お前の父親からのコネで入ってきたのだと思っていたのだが違ったようだな。最初、言いくるめられたのも、次は下手に出たのも、これが狙いだったのか?大した奴だよ」
時雨君はこれを狙っていて、初め火花をあえて散らし、言いくるめられたというのか?そうなると、とても油断ならない人間だ。どこまで先を読んでいる―――。
「あと、相馬。そろそろ真面目に働いてくれないか?」
三木班長は相馬を説得するような口調で語りかけた。
「嫌だけど、まぁ、いいよ。次は参加する。あいつ―――」
時雨君の事だ。
「の推理も気になるし、出来るなら難易度マックスの事件がいいな」
相変わらず事件を解くことだけに特化した相馬。彼と語り合うことができるのだろうか、清水は、一生、相馬と仲良くなれる気がしなかった。
☆
「君の息子さん、大活躍じゃないか」
静かにコーヒーを飲み、不気味な笑みをこぼす土屋警備部長。
「それが何か?」
俺、時雨 隼は、そんな彼には目も入れず、今回の捜査報告書を読む。
隼は勝手なことをしたのか。
「確かに、対九頭竜会としてはいいかもしれませんが、我々にとってはマイナスです。少し、動きを抑止していただけませんか?」
「それは不可能だ」
顎をさすりながら、土屋のことには目もくれず、報告書をペラペラとめくる。
「それでは、九頭竜会殲滅計画ができないでしょう。あなたはその危険性を理解しているのですか?」
俺には興味がないといった感じで、コーヒーを飲む。
「あんたらには、あいつがいる。万が一でも、負けはないだろう」
百パーセントの嘘。彼がそれを止められない確率はゼロに等しい。
「時雨ぇ、お前の出した案、警視総監が握りつぶしたぜぇ」
俺の部屋に次から次へと問題が舞い込んでくる。問題を持ち込んできたのは、清水 翔参事官だ。
「あの案を廃止にするという事は、もしかしたら、警視総監は事の重大さに気づいていないのだろうな」
俺はそう呟きながらも、あまり興味はなかった。正直、まだ、どうにでもなると考えていたからである。
「警視総監をあいつが言いくるめたらしいぞ」
その翔の言葉は俺の目を丸くした。それと同時に、土屋を睨み付けると、土屋は先程とは違い、勝ち誇った顔をした。
「だから言ったのに、これで、たとえ御子息を投入したとしても、我々が勝ちますよ」
それはない。それはない。と心の奥底では思ってはいるのだが、万が一、万が一のことがあると…。と思うと、俺は不安にかられていった。そして、立ち上がり、勝ち誇った笑みを溢している土屋警備部長を素通りし、俺は彼に会いに行った。
彼らの計画を握りつぶすために。
☆
深夜の光り輝く街並みを横目にある程度のスピードで帰る清水は、自宅についた。すぐに家の扉を開け、自分のベッドに深く沈み込んでいく体が心地よく、すぐにでも寝ようと思えば寝ることは可能であった。しかし、どうしても清水は、今日のことを思い返したかった。
物凄い新人が入ってきたもんだ。
勝手に事件現場に向かい、どこまでも先を読む力。そして、相馬と対等にやりあう頭脳。三年半前会った彼とは思えないくらい、頭脳明晰であった。
「彼が三年半前いてくれていたらなー」
どうしてもそう呟いてしまう。もしも彼が私達と同じように刑事だったら、水戸警部とコンビを組んでいたら―――。何度も何度も頭の中がそれを巡る。
「水戸警部…」
恋する乙女のように、毎晩毎晩、そう呟いては涙が零れ落ちた。どうしても、水戸警部と時雨君のコンビを実現させたかった。
そのためには、私が水戸警部であればいいのかな?
水戸警部は頭が回るような刑事ではなかったが、直感力はずば抜けてトップだった。刑事の勘でどれほど犯人を捕まえたのか。
そう言えば、何年か前、水戸警部と一緒に極悪な少年を捕まえたことがあった。その少年は連続殺人鬼で我々の捜査網を潜り抜けていた。少年ということで警察はマークしていなかったのだ。しかし、水戸警部の刑事の勘により、犯人はめでたく逮捕できた。そして、死刑が言い渡され、死刑執行直前の日。彼は自殺した。
名前は確か―――如月 師恩だ。