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女子トーク

 夕食を終えると「紅茶でいいかな」と彩夏が尋ねたので、ちゃぶ台の前でちょこんと正坐しているアンナは無言で頷いた。それを見た彩夏は、にっこりとほほ笑んで台所に向かった。


 二人とも僅かに、顔に赤みが差しているのは、先ほど終えたばかりの夕食でパスタを出したのだが、ついでに彩夏が用意していた赤ワインを少し飲んだからだ。


「少し前に、お姉ちゃんの友達で宍倉さんという人から貰ったものなんだけど、一人じゃ面倒だし、一度飲んだだけでそのままにしておいたんだ」


「……」


「結構、高いらしいのよ?スリランカ産で……。何て言ったかな?ヌワなんたらていうやつ」

 ヌワラエリヤとアンナが小声で答えたのだが、あまりに小さすぎて台所にいる彩夏までには届かなかった。ただ、彩夏には何か聞えた気がして、一度振り向いたが気のせいだろうと思い直すと、やかんに水を入れながら彩夏は話を続けた。


「宍倉さんの話だとさ、『紅茶のシャンパン』『渋みのあるストレートなしっかりとした味わい』とか言われたんだけど、正直、よくわからなかったな」


「……」


「アンナちゃんは普段、紅茶派?コーヒー派?」

「……紅茶はほとんど飲んだことがない。コウスケがコーヒー派だから、いつもコーヒー。本で知っているだけ」


 アンナの返答に彩夏はそうなんだと答えてコンロに火をつけた。タレントは誰が好きかだとか、服はどこで買っているか。高校の時、成績はどうだっただとか、彩夏は次々と質問を繰り出し、アンナがそれに一言ずつ返答する。ほぼ一方的に彩夏から喋っていた。

 いつもに比べて、何かに急きたてられるかのように多弁なのは、少し酔っているからだろうかとアンナは彩夏の背中を見ていた。


 彩夏は彩夏で、ここ何日かのつきあいで、無愛想に見える女の子が意外と尋常な返しをするのに気がつき、良い話相手ができたとアンナに好感を持っていた。何よりも、事故で死んだ姪の杏奈と似ていることが大きく、成長した杏奈と飲んだ気持ちになって、気分がいくらか高揚していた。

そんなことから、アンナを〝アンナちゃん〟と呼ぶようになるまで、たいして時間は掛からなかった。


「ほうら、できたよお」


 彩夏の声にアンナが我に返ると、品の良いお盆に真っ白なティーカップを二つ載せて、彩夏が居間に戻ってきた。花のような甘い香りが室内に満ち、心が安らぐような気持ちになれた。

 彩夏はアンナの向かいに座りカップをそれぞれ配った。

 飲んでみてよと彩夏に促され、アンナはカップに口をつけた。彩夏が言った通り、紅茶特有の渋みに混じってほんのりとした甘みが朱音の舌に伝わってくる。ブラックコーヒーが苦手なアンナでもこれならストレートで楽しめると思えた。


 後で値段を聞いておこうとアンナは相変わらずの無表情で考えていたのだが、やけに静かになったと気がつくと、彩夏のおしゃべりが止まっている。


「……どうしたの?」


「ちょっと、不安になっちゃって」


 カップを見つめながら彩夏がさびしそうに微笑む。その笑顔には影が差していた。


「稲葉さんも大変だよね。また、徹夜続きでロクに眠れない日が続くんじゃない?」


「あなたほど大変じゃない」


「そうかもしれないけど……。私に何かできないかな?」


「しばらくの間、大人しく過ごすこと。それが、コウスケにとっての助けになる」


「そう言うんじゃなくて……、稲葉さんの好きな物を食べてもらったりとか、プレゼントとか、稲葉さんが少しでも元気になってもらえるもの。今度、稲葉さんも食事に誘えないかな?」


「この事件が落ち着けば」


「……そうかあ、そうだよねえ」


 彩夏が気だるげにちゃぶ台に突っ伏す姿を冷静に見降ろしながら、アンナは紅茶をすすった。

 普段より言動が大袈裟に見える。やはり、今夜の彩夏は少し酔っているらしいとアンナは思った。

 キメラの出現はその日のうちにマスコミが知るところとなっていた。

 どこから嗅ぎつけたのか、ジ・アーク残党が関与していると判明してからは大騒動となっていて、大阪や羽田の事件と関連した同時多発テロという報道内容でテレビや紙面を賑わしている。

 警察側も下手な誤魔化しや沈黙は隠ぺいと受け取られかねず、個人の情報に関わる部分以外は公表するしか方法がなかった。


 ジ・アーク関係者の遺族を狙っていたという事件の複雑性から、報道は過熱する勢いを見せている。個人情報は伏せたとはいえ、マスコミに嗅ぎつけられた彩夏は再び注目されるようになり、近所からは不発弾でも見つけたような冷たい視線を送られて外出も困難となり、食材や生活用品などの買い出しといった身の回りの面倒はアンナが見ることとなった。

 もはや仕事どころでは無く、松木には休暇という形で仕事を休まなければならない状況となっている。


 耕介は昨日の襲撃事件で処理と説明等の対応に追われ、再び警察署の対策室で缶詰状態となっている。


「こんな大騒ぎになっちゃったし、私、この町には、もういられないかもね」


 彩夏は小さな溜息をついた。

 耕介が支援制度を利用できるように手配しているので、当面の間は金銭の面で心配はないようだが、近所の住民には不安や恐怖を呼び起こし、僅かに彩夏に親しく接していた近所の人間も、巻き込まれるのを恐れて遠ざかるようになっていた。

 また、今日一日だけでもいつ引っ越すのかと彩夏を責め立てるような電話がひっきりなしに続き、今は家の電話回線を切ってしまっている。


「でも、この町を離れて、どうするつもり?」


 アンナに聞かれて彩夏は思案顔で天井を見上げた。しばらくそうしているうちに何を思いついたのか、顔を正面に戻すとそのままじっとアンナの顔を見つめた。


「……何?」


「稲葉さんて、探偵やっているんでしょ?そこで助手として働けないかな?しばらくの間でいいからさ」

 

 彩夏が半ば本気で相談しているのは、その直後に「でも、給料が安いしなあ」と呟いている真剣な表情から伝わってくる。

 さあとアンナは素っ気ない口調で首を傾げた。

 真面目さが売りで、その人柄を信頼して仕事は幾らか舞い込むから何とか暮らしているが、リスクを過剰に避けることと、気が優しすぎて人の非違を探る仕事がそれほど得意では無く、言葉のわりに探偵としての稲葉耕介はそれほど有能ではないとアンナは考えている。仮に彩夏を採用したとしても、おそらくは翌日から別のバイト先を考えないといけなくなるだろう。


「でも、そんな安い給料でアンナちゃんはどうしてるの?たしか四街道に住んでいるんだよね。ご両親と住んでいるの?」


「ううん。私に親はいない」


「……そうなんだ」


 気まずい表情を浮かべる彩夏に構わず、アンナはそのまま言葉をつづけた。


「事務所が四街道。だから事務所が自宅代わり」


「ああ、だとすると、稲葉さんが通いなんだ」


 変に感心したように彩夏が声を上げた。

 普段の耕介やアンナの会話から、耕介の探偵事務所はあまり儲かっていないような印象を持っている。

 それに探偵のイメージと言ったら事務所で寝泊まりというイメージだったから、あの優しくても貧乏な探偵さんが、ちゃんと別に自宅はあるのかと不思議な話を聞いた気がしていた。すると、そんな彩夏を見てアンナが首を振った。


「違う。コウスケも事務所で一緒に暮らしている」


「え?そうなの」


「事務所の倉庫をプライベートルームに改装した。そこで一緒に暮らしている」


「ええと……、でも、倉庫じゃ狭いでしょ」


「うん。だから、ベッドもひとつしかない。寝る時も一緒のベッド」


「寝てる?」


「うん。コウスケ、普段は優しいけど、一緒に寝る時、時々いじわる」


「……」


「……」


 しばらく彩夏は呆然としていたが話の意味を悟ると、思わず自分の顔が熱くなるのを感じた。

 一方、アンナはアンナで自分の大胆な発言に驚いていたが、酒のせいだろうと自分に言い訳をしていた。

 ジ・アークによる襲撃事件以降、彩夏の耕介を見る目が変わっていた。

まだ彩夏自身すら気がついていないが、明らかに好意以上の感情を抱き始めている目つきだった。

 彩夏とは親族であり好もしい人柄で大切にしたい人間であったが、女として耕介との問題は別の話だとアンナは思っている。


 彩夏は不遇な環境のせいで驚くほど交友関係が狭いが、松木の言う通り、気立てが良くて明るい女である。一緒に過ごす機会が増えれば、そんな彩夏のことだからすぐに耕介と打ち解けて親しくなるだろう。そうなった場合、〝ナイトメア″だった過去や正体、〝斎藤杏奈″のクローンを知られてしまうおそれだとかはあったが、それはこの際どうでもよく、それよりも二人が付き合った場合に、自分はどうなるのかを考えると恐ろしさで身体が震えるようだった。

 名字の〝クローデル〟は、アンナの容姿が日本人離れしていることと、アンナを助けたジ・アークの本部がフランス国境付近だったために耕介が思いつきでつけたものだが、自分はカミーユ・クローデルなんかにはなりたくない。

 自分と耕介との関係を打ち明けてしまうことで、彩夏をけん制したかった。

 そんな嫉妬心や焦りが、アンナに大胆な発言を促していた。


 それに目の前にいる彩夏が、死んだ姉の亡霊をずっと背負っている現状を見ていれば、正体が判明した時の自分の未来もおぼろげながら推測できる。亡霊を背負わせぬように、正体をひた隠しにしている耕介の努力を無駄にしたくはなかった。

 感情の抑制を強いられたために、ポーカーフェイスはアンナの習い性となってしまっているが、一見、仮面のように冷たく無表情に見えるアンナの胸中には様々な想いがある。


「……そういった訳で、ウチは貧乏。あまり、おすすめできない」


 仕事や住居についてはコウスケが今、話し合っているはずと言って、平静を装ったアンナは紅茶をすすった。


「あなたがここを離れるとして、彼はどうするの?」


「彼て……、タっくんのこと?」


そうとアンナは小さく頷く。


「あの男、鈍感だからなあ」


 彩夏が陽気な口ぶりで毒づいた。


「一緒に来てくれると嬉しいんだけど。でも、向こうも主任さんだから、仕事なんて辞められないだろうし」


「あなたは、殿村拓真を愛しているの?」


 随分とストレートに聞くなあと、彩夏は苦笑いを浮かべた。

 愛している。それにはほど遠いのかもしれない。話をしていても色々と苛立たしく腹の立つことも多いし、何を考えているかわからないという不気味さがある。それに最近は拓真にたいして気持ちが薄らいでいる。高校時代はあれだけ身を焦がすような想いをしていたのに。

だが、それでもと彩夏は思う。


「……まあね。長い付き合いだし。いつも傍にいてくれるから何かと心強いしね。口はあんなだけど、根は悪い人じゃないわよ」


「……」


「昔はお姉ちゃんと良く三人で遊んだものよ。タっくんて当時はお姉ちゃんのことが好きで『大きくなったら優夏さんと結婚するんだ』て私に息巻いて言うの。歳は離れていたし、こどもだったからお姉ちゃんの大人ぽさに憧れていただけなんだろうけど」


 彩夏は自分の髪留めやペンダントなどの装着品を外しながら言った。どこかに忘れない様にするために、ちゃぶ台に置くのが彩夏の習慣になっているらしい。


「……」


「そんなお姉ちゃんが結婚するころには、タっくんさすがに大人になっていたから、笑い話になっていたけどね。ちょっと暗くなったけど。思春期だからかな」


「……」


 アンナは空になったカップを手にしたまま、じっとカップの底を眺めながら彩夏の話に耳を傾けていた。

 母との思い出といっても、新聞に掲載された写真や研究所で頬がこけ、一心不乱に試験管と向き合う母の顔しか思い浮かばない。最後まで娘が傍にいることを母は気がつかなかった。


「ねえ、アンナちゃん。今夜泊まっていかない?」


「え?」


 急に話を振られ、顔を上げるとちゃぶ台に頬杖をつき、微笑んでいるアンナと目が合った。


「最近、一人で家の中ばかりいるからつまらないし、もう遅くなっちゃったから、今晩ぐらい良いでしょ?ワインもまだ残っているし、ビールもあるからさ。これからは女子トークということで」


 アンナは柱の掛け時計を見た。家に上がった時はまだ午後六時ころだったのに、いつの間にか午後八時を過ぎている。


「外はSPの人が守ってくれているんだしさ」


「……」


 アンナの役目は、あくまで彩夏の身の回りの世話で警護ではない。自分の身に関わる時だけ力を使えと耕介に厳命されている。

お前はあくまでも探偵の助手で、民間人で、普通の女の子なんだと。


「……コウスケが良いと言うのなら」


 アンナがメールを打つつもりで携帯を取り出すと、返事もこないうちから彩夏は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。


 「先にビール、用意するねえ」


 鼻歌交じりに居間を去り、彩夏は台所へと軽いリズムでテンポ良く消えて行った。遠ざかる音を聞きながら、騒々しい彩夏からの解放感からかアンナは小さくため息をついた。

 ふと、ちゃぶ台の上に置かれたペンダントが目にとまり、携帯を置いてアンナはそれを手に取った。


 彩夏にとっては姉の形身。アンナにとっては母の形見。

しばらくペンダントをいじっていたが、何かの拍子でアンナの爪が星型のデコレーションに引っ掛かり、カチリという乾いた音が響いた。

 ペンダントがネックレスから外れて床に落ちたので、アンナは壊してしまったのかと一瞬焦りを感じたが、よく見るとペンダントが開いて、内側には一センチ四方の黒色のプラスチック片が納められている。


「……?」


 アンナがそれを手に取ってよく見ると、カードの端には端子がついている。何かのデータが入ったメモリーカードであることは明白だった。


「もしかして……」


 アンナはメールではなく、急いで耕介宛に携帯電話を鳴らした。

 もはや、女子トークだとかお泊まり会どころではなくなっていた。


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