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襲撃

「大変だったみたいですね」


 彩夏は常連客となった老紳士が、紅いバラを一輪買ってその後ろ姿を見送った後、耕介に振り返って心配そうな表情を浮かべた。


 書類仕事から解放されて漸く本来の任務に戻り、耕介とアンナが〝メリイ〟へと彩夏を迎えに行ったのは店を終える時刻、午後五時過ぎた頃だった。今のところ雨はやんでいるものの、相変わらず陽がささない暗い空模様で、いつ雨が降り始めてもおかしくない雲空だった。


「そうかな?これでもマシになったと思うんだけど」


「顔がやつれてますよ。クマもできているし」


「徹夜が続いたからだろ。疲労が抜けきってないのかもしれない」


というだけなのだが、松木もその例にもれず、会った初日からその呼び方で、悪い気はしないからそのままにしているがどこかこそばゆい。


「探偵てのも、大変なんだねえ」


 松木は感心したように頷く。

 松木には探偵という身分を打ち明け、警察と協力してストーカー対策をしているとしか話していない。警察と協力などドラマでしかない話だろうが、松木にはその嘘で充分通用していた。


「先生の代わりに来たのが厳つい顔した刑事さんたちでさ。先生みたいに良い男でも愛想もない。それ聞いた殿村君が一緒に帰ってくれたんだけど」


「殿村って、この間、お墓に一緒にいた彼だっけ?ここに来たんだ」

「メールで稲葉さんのこと話したら、タっくん、一緒に帰ってやるて言ってくれたんです。警察の人には悪いとは思ったんですけど、ちょっと心細くてつい……。ダメでしたか?」


「いや、別に構わないよ」


 憮然としている耕介の顔色を読みとったのだろう。彩夏が申し訳なさそうに言ったが、行動を制限しているわけでもないから、その件について腹を立てているわけではない。それよりも何の報告もしてこなかった警備部の人間から軽く見られているようで、そこに不満を感じていた。

 頼もしいわよねと、笑顔をさらに大きくして松木が口を挟んだ。


「殿村君は無口で不器用なとこあるけど、こういう時は男の子よねえ。立派なナイト様にみえたもんよ。先生も惜しかったわねえ」


「……?」


「相手が殿村君じゃなかったら、先生を彩夏ちゃんにお薦めするとこなんだけど。残念だったわねえ。お似合いな感じなのに」


「……もう、松木さんたら」


 彩夏はたしなめるように言ったが、松木は取り合わずにそのまま話を続けた。


「先生も良い男なんだから、言って当然でしょ?先生だってまだ独身なんだし。何だったら知り合いに婿さん探している人いるから、私の方から口を利いてあげようかしらね」


「いえいえいえ……」


 思わぬ申し出に耕介は狼狽して手を振った。断りたくてもアンナをどう説明したものかと引っ掛かって、そこから先の言葉がうまく出て来ない。隣ではアンナが微動だにせず静かに佇んでいる。ただ、内心は動揺しているらしく、自分のスーツの裾を落着きなくいじっている。

 一瞬だけアンナと眼が合い、その眼が馬鹿と詰っているような気がした。



 「ごめんなさいね。ホントに強引で」


 「正直、ちょっと参ったかな……」


 力なく笑みを浮かべると同時に、耕介は大きく息をついた。

 その後も耕介に執拗な縁談を薦めてくる松木だったが、返答に窮した耕介は探偵とハードボイルドは切っても切れない縁だからとわけのわからない言い訳をして、ポカンと呆気にとられている松木から逃げ出すようにして〝メリイ〟を後にしていた。

 町には再び雨が降り始め、住宅地に差し掛かった頃には雨脚が強くなり大粒の雨が傘をしきりに叩いていた。彩夏はいつも寄るスーパーに寄らないで、まっすぐ自宅に向かっていた。


 物悲しく寂しい通りも、最早、見慣れた景色となっている。一方で、慣れてしまうとここから去ってしまうことに感慨深い感情が芽生え、何だか名残惜しい気分にもなる。

 今日、支局から連絡があってねと耕介が静かに口を開いた。


「この件は誤報ということになった。ただ、ここで立ち入った事件の絡みで、警察署との引き継ぎの関係もあるから、あと二日ばかりは警護につくことになるけど」


「……いよいよお別れですね」


 「まあ、何ごとも無くて良かったよ。何か起きたら、最低一カ月は家に帰れなくなる」


「でも、どこから今回の話が出て来たんでしょうね?私、狙われる心当たりが全くないんですよ?いままで警察や政府の人にはわかることは全部、話をしましたし、家も何回か捜索されたんですよ。こんなものまで赤外線だとかいうものを掛けて調べられて」


 と、可笑しそうに彩夏は宝石のアクセサリがついたネックレスを耕介に示した。


「でも、特に収穫と言えるものも無いみたいで、みなさんがっかりして帰っていったんです」


「それなんだけどねえ、お姉さんからジ・アークの関係で何か聞いたとか無いかな?」


「姉は、仕事の話を家では一切しなかったんです。自分で抱え込むタイプというか、辛いことがあっても表には出さないんですよ。どんな高熱だしても我慢して学校行ってたし、体育際では骨折しているのに、やっぱり我慢して陣頭に立ってみんなを陽気に応援していたと聞きました。杏奈ちゃんを亡くした時もつらいの我慢して私達に気を使っていましたし。いつもニコニコしていて、名前の通りあたたかくて、真夏のお日様みたいな姉でした」


「……」


「でも、意外とケチというか、しっかりしているというのか、プレゼントしてくれたことが一度もなくって……。普通の女の子だと、色々と可愛いい小物を持っているじゃないですか?そういうのに興味が無かったというのもありますけど、私服も無頓着だったし、姉がくれたのはこのネックレスだけなんですよ?」


「……」


「『私と思って』なんて冗談交じりに言ってましたけど……。本当に、これが姉の形身になっちゃいました」


「最後に会ったのが二年前だっけ?」


「はい……」


「その時も、学生時代と変わらなかった?」


 耕介が尋ねると、にわかに彩夏の表情が曇り、いえと彩夏は首を振った。


「随分と変わっていました」


 やつれて乾燥した肌。わずかに歪んだ口元。疲れ切ったような顔つきなのに、何かに取りつかれたように煌々と輝く瞳。

 彩夏には昨日、会ったばかりのように姉の顔が脳裏に浮かんでくる。

 斎藤優夏は、秘密結社ジ・アークの研究所主任として、彼らの活動に加担していた。彩夏は優しい姉と讃えているが、耕介を始めとしたイーグル・ファイブの面々や、ジ・アークから被害を受けた人間にとって、斎藤優香という女は狂気にとりつかれた科学者という印象しかない。

 実際、多くの人がジ・アークにさらわれ、彼女の研究材料とされてきた。

耕介の両親もジ・アークによって殺されている。

 

 優夏の手によって怪物と生まれ変わり、人々を襲っていたのだから、優夏がアークの一味として疑う余地もない。そのことを彩夏も充分わかっており、罪の意識を感じているために優夏の話をするのはつらいものがあった。


「姉は……、ホントに馬鹿なことをしたと思います。遺族の方々に何とお詫びしたらいいのか。私にはもう、わからなくて……」


 斎藤優夏が遺伝子研究に没頭した理由は、事故で亡くした娘『斎藤杏奈』をクローン研究によって蘇らすためだと、その後の調査で判明している。その研究に目をつけたジ・アークが優夏を巧みに誘い、ジ・アークの研究者たちは人造兵器〝キメラ〟の開発に繋げた。


「君は君だよ。普通に暮らせばいいさ。変なコブはつくだろうけどね」


「……暮せますかね」


「君には殿村拓真がいるんだろ。傍に頼れる人間がいるてのはいいもんだよ」

 頼れる人間。

 耕介は隣に歩いているアンナを思いながら言った。ただ、耕介と違って彩夏は政府から監視される身である。それは彩夏本人も自覚しているはずで、こんな言葉で慰めにはなるのか疑問に思いつつも、耕介には他に掛ける言葉が思い浮かばなかった。案の定、彩夏は力ない微笑で返してきただけであとは俯いたままだった。左端を歩くアンナも終始無言で、表情は傘に隠れて見えない。重い沈黙が彼らを包んだ。

 ――何か話題、無いかな。

 重い沈黙が堪えがたく、耕介は今度こそ自分から話題をつくろうと決意したのだが、そこはやはり稲葉耕介で、さして気の利いた話も思い浮かばないまま、その後も三人は無言で道を歩いた。

 頭上の雲はますます厚みを増し、それに比例して憂鬱な気分も増してくるようだった。


 このまま何ごともなければ、自宅まで彩夏を送りとどけた後はSPの人間に引き継ぎをし、その帰りにはアンナを連れて近くのラーメン屋に行き、餃子定食でも注文して、署に戻ってからは彩夏の将来を案じながら形だけの報告書をパソコンで打ち始めたはずである。

 だが、花屋と自宅までのちょうど中間点にある公園に差し掛かったところで、予想もしない事態がおきた。


 突如、左目の義眼に搭載されたセンサーが公園方向への矢印とともに、『警告』の文字を表示した。同じく危険を察したアンナが、コウスケと袖を強く引いた。 

 瞬間、耕介が身構えると、公園内からは雲よりも暗く不吉な無数の黒い影が、音もなく忍び寄り耕介たちを取り囲んだ。


 「なに、なんなの……?」


 恐怖で悲鳴を上げようとする彩夏を手で制し、視線は黒い影たちを捉えて睨みつけた。

 ――デマじゃなかったのか。

 全身に悪寒が奔り、強い緊張感が耕介の身体を包んだ。耕介は傘を投げ捨て、アンナと彩夏を覆い隠すようにして電柱が立てられている壁際まで下がった。

 押し迫って来る影の数は六つ。

 全身黒タイツに鉄仮面のようなマスクをした奇妙ないでたちの男たち。仮面の二つの穴からは感情のない漆黒の瞳が覗いている。両手には牙のように鋭い爪をした手袋をはめられ、タイムスリップしたかと思えるほど四年前と何も変わっていない。雨にも関わらず、鼻がひん曲るほどの悪臭が男たちから漂ってくるのも相変わらずだった。

 ――ジ・アークのおでましか。


「お前らが旧友なら、ここでひさしぶりと一杯飲みたいだけとこだけどな」


 ふんと耕介は鼻を鳴らした。

 異様な姿の襲撃者たちを目の当たりにし、彩夏の震えが背中越しからも伝わってくる。


「浦部さん。怖がらなくていいからね」


 耕介は彩夏に語りかけながら、素早く眼を配った。

 襲撃者たちが取り囲むその奥から、ゆっくりとした足取りで人影が近づいて来る。戦闘員よりも身体つきが一回り大きく、肩や腕が異様に盛り上がっている。窪んだ眼の奥から赤い光が宿り、口は耳まで裂けている。上半身だけ怪獣の着ぐるみでも被っているような奇妙な姿だった。手には槍にも似た柄の長い剣を把持している。

 ――親父らに似ているな。

 異形の姿を見て、最初、脳裏に浮かべたのは、人体改造の手術を受け、肉体を融合され戦闘兵器〝キメラ〟として戦闘に送り込まれた両親の姿。

軟体生物のようにゆらゆらと揺れ動き、膨れ上がった身体には恐怖に歪んだ両親の顔がうごめき、既に自我を失って人を殺すだけの殺戮マシーンに変貌していた。

 今、耕介たちに近づいてくるキメラはそれを思い出させていた。


「女の子一人に大勢で押し掛けて、何が目的だ?」


「……」


「何か言ったらどうだ?戦闘員と違ってお前は喋れるんだろ?」


「……」


 キメラは無言のまま軽く手を上げ一歩後退すると、周囲に殺気がみなぎった。包囲の輪がじりじりと迫って来る。

 もう一度、耕介は戦闘員たちの様子を一瞥した。右端に立つ戦闘員が肩を落ち着きのない様子で揺らしている。気がはやっているのだろう。他の戦闘員より若干、前に出てこちらの様子をうかがっている。

 戦闘員は改造手術を受けた人間の失敗作とは言え、元々が人間であるために性格や能力にも少しだけ差がある。

 すぐ終わらせるからねと彩夏に囁くと、次に前に出ようとするアンナを眼で制した。


「アンナ、彼女を頼むな」


「わかった」


 アンナは小声だが、力強さの籠った声で答える。

 耕介はすうと大きく深呼吸をして呼吸を整えると、「変身」と小さく言葉を発した。

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