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アンナと耕介は休みたい

 けたたましい電話の音が、眠りの底に沈んでいた耕介に刺すような光を知覚させ、脳が揺さぶられるような気分で耕介は目を覚ました。 


 昨晩は深夜まで捜査結果の書類を作成していたのだが、ひと休みのつもりで、パイプ椅子に座ったまま眼を閉じていたら、そのまま寝入ってしまったらしい。 

 電灯のつけっ放しだったし、寝ぞうがよほど悪かったのか、身体の節々が痛い。


 部屋に設置した置き時計を見ると、針は午前七時を指している。

 定時連絡が入る時間だった。

 身を起して慌てて受話器をとると、おはようございますと電話の向こうから男の暗い声が聞こえてくる。

『警備課の長谷川です』


「どうもどうも、おはようございます。

どうですか、対象の浦部彩夏は」


『今、対象は家を出ました。引き継ぎ完了、夜も異常なしですよ』


「どうも。おつかれさんでした」


 長谷川と名乗った男もおつかれさまでしたと、あくびを噛み殺したような声で電話を切った。


 まだ薄らぼんやりとしている意識の中で、報告時刻と異常の有無などを近くの用紙にメモをした。


 室内を見渡すと、部屋の灯りも山積みとなった煙草の吸殻もそのままになっていて、室内は煙っぽく、むせるような濃い臭いが充満している。


耕介は眠い目をこすりながら、気だるげな手つきでパソコンを開くと、昨日、仕上げたはずの書類に目を通し始める。


「……」


 案の定、文章の内容は眠気が強烈となった終盤になるにつれ支離滅裂となってゆき、警察に提出する書類としてはいささかお粗末な文章と化してしまっている。

 ――もう、いいや。


 書類は一応、完結している。細かいとこは警察でやってくれと、耕介はいささか投げやりな気分でパソコンの画面を閉じると、机に放置していた煙草を手にとって苛立たし気に火をつけた。


 警察署から呼び出しを受けてから一週間過ぎている。

 この一週間、耕介は警察署での缶詰状態が続き、書類をそろえるために悪戦苦闘の日々をすごしている。


 ジ・アーク残党狩りを名目とした市内全域に対する強制捜査は、捜査の過程で発覚した密輸や人身売買といった重大事件の解決には貢献したものの、肝心のジ・アークの潜伏場所は不明のままだった。


 部屋の隅に置かれたソファーでは、上着を毛布代わりにしたアンナが横になって穏やかに寝息を立てている。


 的場の手配で警察署から数百メートル先のホテルに部屋をとってあるのだが、いくら言ってもアンナはホテルに戻ろうとしない。シャワーと着替えに帰るくらいで、一晩中、耕介の傍にいる。


 正確には二度ばかりホテルに帰らせたのだが、翌日にはフラフラなって現れ、「寝つけなかった」と言って次の日も同じ状態が続き、それ以降はここで仮眠をとっている。だが、それでは充分な休養なんてとれないだろう。いざという時に共倒れでは困る。


 かといって無理矢理ホテルに帰らせても同じ睡眠不足では意味が無い。どうしたものかと思いながら耕介は席を立った。


 本来、この部屋は神林警察署で職員のための面接室として使われていたのだが、あまり使用されることもなく倉庫代わりになっていた。現在は耕介が対策室としてあてがわれている。閉められたブラインドから弱弱しい光がこぼれている。

どうやら今日も外は雨らしく、細かく粒の小さな水滴が窓を濡らしてくる。どうやらそれほど降りは強くないらしい。


 連日の徹夜による疲労で再び眠気が頭にもたげ、身体が重く、ふと床に目を落とすと、手袋を外した左手が電灯の光に反射して、硬く鈍い銀の光を放っているのが眼に入った。


「……」


 何度も何度も指を動かし、耕介はじっとその手を眺めていた。緩やで滑らかな動作は人間と遜色ない動きをしているが、それは明らかに人の肌と異なっていた。サンダルに履き替えた左足も、手と同様な光沢を放っている。


 手や足といった外見だけではない。

 左目も心臓の半分も脳の一部も、耕介の身体の半分近くが機械による作りもので出来ていた。


 ジ・アークとの戦闘で受けた代償。そして死から免れるために選んだ手段だった。


 ――シャワーでも浴びるか。


 この不快な気分を少しでも洗い流そうと思い、耕介はジャージに着替えた。

向かいの道場の奥にシャワーが設置されている。


 警察には何度か厄介になったことがある。

 どこの警察署でもそうであるように温度調整がいまひとつで、ホテルのように快適とまでは言えないが、多少の気分転換にはなる。

 二年間の栄えない探偵稼業で、警察組織についてそれくらいの知識は身につけている。「……シミュレーションモード、パターンA起動」


 耕介の義眼には、人には見えない敵の姿が映り出された。

 全身黒ずくめで一見、影のようにも見える。

 それは過去の戦闘データによってデジタル化されたジ・アークの戦闘員たちの映像で、訓練用システムとして耕介の義眼に備えられ、変身と同様に音声入力でシステムが起動する。


〝想定訓練開始、制限時間二〇分″の文字が消えると共に、データ化された禍々しい異形の姿の者が、耕介に向かって次々と襲いかかって来る。


 耕介は右足を踏み出すと木刀を振るい、滑るように足を運んで上段から木刀を次々とふるっていく。

 身体を開いて転身し、再び次の敵の襲来を待つ。

 明鏡一心流の五方斬という抜刀術の型で、目の前に浮かぶ敵の幻影は、唸りを生じて振るわれる高速の剣によって切り裂かれて消えてゆく。

 何度も何度も耕介だけが見える敵を斬る動作を繰り返すうちに、いつの間にか汗が耕介の顔面から滴り落ち、Tシャツは汗でぐっしょりとなっていた。

 最後の敵の脳天を打ち砕いたあと、手を休めて呼吸を整えると、道場の入口へと顔を向けた。

 数分ほど前から人が入って、来て様子を見守っているのには気づいていたが、耕介もせっかく気分が良くなってきたところなので、訓練が終了するまで止めるつもりがなかった。

 耕介が休んだのを見越して男が声を掛けて来た。


「さすが元イーグル・ファイブ。動きにも凄味があるね。眼にも止まらぬ早業というやつだな」


「おはようございます。田崎さん」


 道場に入って来た人間は、当直勤務していた警備課の田崎という男だった。四〇過ぎたばかりの小太りの男である。洗面具を抱えているところから、目的は耕介と同じらしい。


「俺も昔は剣道で国体に出場するくらい腕を鳴らしたものだけど、今の攻撃を喰らったらひとたまりもねえな」


 田崎は笑いながら耕介に近づいてきた。どうやら話はそれだけでないらしく、耕介の鈍く光る腕や足をしげしげ眺めている。


「……なんです?」


 その時になって、耕介は迂闊だったかなと後悔した。最新鋭の義肢手術を受けている者は少なくないとはいえ、興味本位で尋ねてくる人間も少なからず存在する。警察であっても例外ではなく、田崎もその一人かと耕介は思った。


「いや、アンタとはお仲間だと驚いてさ」


 田崎はにんまりと笑みを浮かべると、けんけんをしながら右足の靴下を脱ぎ始めた。その下からは耕介のそれと同じように、鈍い光沢を放つ銀色の足が現れた。耕介は目を丸くして田崎の義足を見つめていた。


「それはどこで……?」


 三年前だと田崎は言った。


「俺は調布の方に派遣されて、とある要人警護にあたっていた。一月の寒い日でさ。正月休みも返上して仕事をしてた。出掛ける前、娘に泣かれたのをよく覚えているよ」


「……」


「警備もかなり厳重で俺たちの装備も万全だったから、キメラ相手だったら防げただろうが、あの時は相手が悪かった」


 そう言って田崎はシャワールームへ向かった。耕介も木刀を片づけてその後をついてゆく。


「相手って誰ですか?」


「あんたらも良く知っている相手だよ。通称〝ナイトメア〟」


「……」


 お互い衣服を脱ぎ、耐水機能もある機械と肉体のつぎはぎの身体を披露しながら、シャワーの蛇口を捻った。案の定、温度調節が上手くいかず、つめてと田崎が叫んだ。


 「真夜中な上に、全身黒ずくめだったせいもあるが、化物みたいな速さと強さだった。仲間がどんどん倒れていくなかで、俺が右足一本で済んだのは運が良かったのかもしれないな」


「……」


「あのバリアだとか何でも斬るような超能力も俺には恐ろしかった。今も時々夢を見るよ」


〝念〟。


 ナイトメア本人は超能力と呼ばれるそれを、そう呼んでいた。

 遺伝子操作を受けた際に身につけた超能力。他に微かな音も拾い、空間を歪ませ鉄をも切り裂き、一〇tダンプでさえも片手で動かす異常な力。


「その時、イーグル・ファイブに助けてもらったんだけど、おたくもあの時いたの?」


「いえ、あの時はこれのリハビリ中だったから、いなかったんです」


 義手を見せながら耕介が言った。始めはウジ虫のように這いまわることしかできなかった。

 両親の仇。ナイトメアへの復讐。地獄のようなリハビリを、当時はそれだけの意志で乗り越えて来た。

 同じ手術を受けた田崎なら、義肢手術を受けた者のリハビリというものがどんなものか知っているはずだ。


「そうか……。ま、お互い助かってなによりだな」


 漸くシャワーの温度が熱くなり、田崎は気持ちよさそうに声を上げ、頭部から全身を力いっぱい指先で擦っていた。その隣で耕介も同様な仕草でシャワーを浴びていたが、俯いていたせいで、耕介に浮かんだ暗い表情に田崎は気がつかなかった。

別れ際、田崎が言った。


「色々とやりづらいし、気を使うから大変だろう」


「まあ……。特に刑事の人達はキツイですね」


 嘘をついても仕方ないと思い、耕介は正直な感想を述べた。国連特別調査官などという胡散臭い肩書きもさることながら、耕介の本職が探偵であることが伝わっているせいだろう。国連特別調査官の強大な権限のおかげで重要犯罪も検挙や捜査もできたはずだが、耕介に対しては冷淡で、現場への案内も簡単な説明だけに留まり非協力的な態度は変わらないでいる。


「向こうも向こうのプライドがあるからな。そう思えば俺のほうから強くも言えん。頑張ってくれ」


 田崎はそう言って耕介の肩を叩いて別れ、身体だけは幾分かさっぱりした気分になって部屋に戻った。

 ――頑張れ、か。

 幾分無責任にも聞こえたが、自分が同じ立場なら頑張れと言っただろうなと苦笑しながら室内に戻ると、アンナはすでに目覚めていて、おはようと小さな声で挨拶をしてきた。

 事務所から持ってきたコーヒーメーカーから、コトコトとコーヒーの抽出される音が洩れ、芳ばしい香りが室内に広がっていた。

 部屋に戻ると山盛りとなっていた灰皿は綺麗に片づけられ、事務机は耕介の義手よりも眩い光沢を放っていたし、乱雑だった書類も一か所にまとめて置かれている。空気も入れ替えたのだろう、コーヒーの香りに混ざって澄んだ空気に満ちていた。


 思ったよりも時間が経っていたらしいと机に置かれた時計を見ると午前九時を廻っている。



「コウスケ、コーヒー飲む?」


「うん、ちょうだい」


 アンナはコーヒーサーバーからカップ二つにコーヒーを注ぎ、一つを耕介に手渡した。いつの間にかクロワッサンを二個ずつ用意してある。近くに早朝から店を開いている手作りパン屋があるのだが、耕介が不在の間にアンナがそこで購入してきたらしい。二人は事務机を挟んで向かいあって座り、無言でコーヒーをすすりパンを頬張った。作りたてのクロワッサンのサクサクとした硬めの表皮と、もっちりとした中味の歯ごたえが心地好い。


「……報告書、終わった?」


「アンナのおかげで、どうにか形にはなった。助かったよ」

 耕介が各検挙事案への書類作成に集中している間、アンナは国連日本支局や的場との連絡や報告、その他に生じる雑多な事務仕事や車の運転などと耕介の身の周りの世話を甲斐甲斐しく行っていた。地味な仕事ばかりだったが、アンナがいなければ、到底、一週間では片付かなかっただろう。

 

「私も、かなり疲労している。早く帰りたい」


「そうだなあ。早くホテルに戻って休みたいよなあ」


 違うとアンナが首を振った。


「事務所に帰りたい。早くこの任務を終えて、耕介と一緒に、ゆっくり休みたい」


 そう言うと、アンナはサンダルの先で耕介のスネを小突いてきた。

 耕介を見つめるわずかに細めた目元が変に艶めかしく、瞳には妖しい光が宿っている。

アンナの意図をすぐに察したが、変に意識すると自分の欲情が抑えきれなくなりそうであったし場所も場所である。耕介は気づかないふりをしてうつむいてコーヒーをすすった。しばらくして上目使いにアンナを盗み見ると、アンナは砂糖を次々にコーヒーに入れている。

 ブラックが苦手でミルクと砂糖が欠かせないアンナは、幾分変わったところがあるにせよ、どこにでもいる華奢な女の子に見える。かつて彼女の思考を拘束し洗脳していた装置による影響も既に無くなっていた。


 「……ナイトメアねえ」


 「何?なんで、その名前で呼ぶの?」


 口の中で呟いたつもりが、言葉になってアンナまで届いていたらしい。コーヒーを掻きまわす手を止めて、咎めるような目でアンナが見つめてくる。


 「……いや、なんでもない」


 耕介は言い訳するようにあわてて手を振り、うつむいて食事に専念した。

 しばらくの間、アンナから視線を感じていたが、そのうちアンナもパンをかじり始めたのを気配で察して、耕介はそっとアンナを盗み見た。

 眼の前で座っている彼女が、田崎を始めとして多くの人々を戦慄させ、耕介の身体を機械仕掛けにしてしまい仇であった化物の正体だと、どれだけの人が信じられるだろうかと思いながら、耕介はパンの最後のひと欠片を口に放り込んだ。


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